幽香の庵

 二年後輩の猟沢緋一が入ってきた時は、自分も先輩になったと思っていたし、仕事ができそうな奴だから目を掛けて可愛がってやろうと思っていた。しかしさらに二年後になる頃には、緋一は俺を抜いて営業部のエースになり、周囲の奴らも俺ではなく緋一をチヤホヤし始めていた。新入社員として入ってきた光輝を可愛がってやろうとしても、緋一が彼の教育係になったせいで、あいつは差し伸べた俺の手を振り払った。

 ――どいつもこいつも。

 青春映画の一ページのようにじゃれ合っている奴らを見ると、どす黒い怒りを覚え、緋一が活躍するたびに嫉妬心と劣等感が俺を苛む。

 ――俺のほうが先輩なのに。

 ――俺のほうが優秀なのに。

 ――俺は家族が大変な中、こんなにも仕事に身を捧げているのに。

 ――なんで皆、あいつばかり!

 加えて付き合いのあった先輩は結婚し、二次会でほろ酔いになってこう言った。

『晶もそろそろ身を固めたほうがいいぞ? 今は適当に遊んでいるだろうけど、結婚したら家族を養わないとならないし、フラフラできなくなるぞ。お前はちょっと男尊女卑な所があるから、婚活するのに気をつけたほうがいいと思う』

 ――はぁ?

 ――さんざん俺と一緒に夜遊びして、キャバ嬢の顔や体を批評していた同じ穴の狢のくせに、一丁前に俺に説教かますのかよ!

 おまけに男尊女卑と言われて母の姿が脳裏にチラつき、余計に腹が立った。

 ――俺は母を害してない!

 ――母は夫の浮気程度で自殺する、弱い人だったんだ!

 そのあと、余計に緋一を褒める声が耳についた。

『猟沢さんっていいよね。自然とレディファーストしてくれるの、本当に格好いい』

『そうそう。いつも機嫌良さそうだし、メンタルコントロールできてる大人って感じがするよね。逆にいつもピリついてる人とか無理』

『分かる~。〝俺は不機嫌です〟オーラを出す人って、構ってほしいのか分からないけど、そこまで配慮してられないって思うよね』

 給湯室から聞こえた女性社員の声は、誰を名指ししているわけでもなかった。

 けど、その会話を聞いた俺は『自分の事を言われている』と思い、酷い侮辱を受けた気持ちになった。

 緋一のSNSアカウントを見ていれば、気分が悪くなるほどキラキラした投稿ばかりだ。仲間と一緒にキャンプに行ったとか、BBQに行った、フットサルをやっているとかのリア充アピール。お洒落な食器を使っての自炊写真も載せていて、コメント欄には《美味しそうです》と奴を褒める女のコメントが多数あった。

 おまけに表参道にあるSNS映えするフラワーカフェの美人オーナーは、緋一の幼馴染みだ。以前、緋一とそのカフェに行った事があるが、彼女を紹介されて屈辱的な気持ちになった。薄化粧でも元の顔立ちの良さが際立つ美人は、一目見て緋一の事が好きだと初対面の俺にも分かった。客の前でベタベタはしないが、その眼差しや雰囲気ですぐ分かる。

 ――は? 仕事ができて顔も良くて、女子ウケが良くて友達も多くて、幼馴染みが美人? できすぎじゃねぇか?

 嫉妬で頭がおかしくなりそうになった俺は、緋一がSNSを更新すれば通知が入るように設定し、目を皿のようにして奴の動向を見守った。何度も何度もあいつの言動をチェックしては心の中で文句を言い、恵まれているあいつへの嫉妬を深めた。

 そんなムシャクシャを晴らすのに最適なのがキャバクラだったのに、先輩が同行してくれなくなって一気につまらなくなった。

 ――キャバ嬢なんて笑ってりゃ金がもらえる仕事だし、俺みたいに高学歴でイケメンの相手ができるなら、抱かせてくれたっていいだろう。

 なのに、いつものキャバ嬢は泥酔した俺を慰めるどころか、禿げたジジイに呼ばれてあっさり俺を捨てた。

 ――どいつもこいつも、馬鹿にしやがって。

 ――痛い目を見せてやる。

 だからそのキャバ嬢の帰り際を狙って住まいを突き止め、抱いてやろうと思ったのに声を上げられ、この俺が焦って逃げる羽目になった。

 幸いだったのは、暗かったから顔を見られていなかった事だ。

 だが詮索されては困るので、その店には二度と足を向けなかった。

 ――誰も俺に優しくしてくれない。

 ――俺はこんなに頑張ってるのに。

 ムカムカしてバーのカウンターで飲んでいた時、フードを被った男が話しかけてきた。