幽香の庵

 店に入ってさっきの椅子に座った私は、深い溜め息をつく。

「私、幽霊になったんですか?」

「今の状況だと、そうとも言えるね」

「どうしたらいいんですか? 私、死んだんですか?」

 強張った表情で尋ねたけれど、凪さんは意味深に微笑むだけだ。

「凪さん、何か知ってるんじゃないですか? 困っている人が目の前にいるのに、そういう態度をとるのは性格が悪いと思います」

「そう言われてもねぇ……」

 凪さんは半笑いで言い、組んだ脚をぶらつかせる。

「凪さんは話を聞いてるだけだからいいですよね! 私は家に帰れないし、よく分からないモノに追いかけられて、この店に逃げ込むしかできなくて……!」

 苛立った私は声を荒げたけれど、途中で言葉を失い――――、ストンと理解した。

 ――勝手にこの店に逃げ込んで、お茶を出して話を聞いてもらってるのは私だ。

 ――世話を焼いてもらっているくせに、苛ついて相手に怒りを叩きつけるなんて。

 自分の事ばかりで状況を冷静に見られなかった私は、溜め息をついて自己嫌悪に陥る。

「……すみません。もてなしてくれているのに、とても失礼な事を言いました」

「気にしなくていいよ。千秋みたいな状況になれば、誰だって混乱するだろうし」

 思えば凪さんは終始私を受け入れる態度をとり〝味方〟でいてくれた。

 普通なら買い物をしない客なんて「出て行け」と追い出されて当然だ。

 でも凪さんは必要以上に親身にはならないけれど、冷たく切り捨ててもいない。

(それにこの人、何かを知ってそうだし、ちゃんと助力を乞えば力になってくれるかも)

 決意した私は深呼吸し、改めて凪さんに向き直った。

「家に帰りたいです。……そのための助言をもらえないでしょうか。お願いします」

 私は凪さんを見つめて言ったあと、バッと頭を下げた。

 しばらく凪さんは黙っていたけれど、「まー、いっか」と言ってハイバックチェアに座り直し、椅子を回転させてこちらを見ると、脚を組んで説明し始める。

「この店は千秋がもといた世界とずれた場所にある。外では普通に人が歩いていたでしょ? 千秋の世界の新宿をAとすると、ここはAダッシュと言える」

「……あの、言っている事があまりよく……」

 眉間に皺を寄せて尋ねると、凪さんは「うーん」と首を傾げ、腕を組む。

「パソコンのデータをコピーしたとしよう。元データAとコピーされたAダッシュの中身は同じだけど、厳密にまったく同じA同士じゃない。……これなら分かる?」

「それなら分かります」

「今いるこの世界がAダッシュだとすると、ここは限られた人しか入れない場所なんだ」

「隠世みたいな?」

 私の頭の中に、ライトノベルで得た単語が浮かぶ。

「そう思ったほうが理解は早いかな。この店は二つの世界の狭間にあって、Aの世界のお客さんが来る事もあるし、Aダッシュに属する人も来る。隠世っていうのはあの世の事を言うから、厳密にはここは隠世じゃない。……私は暫定的に現世と隠世、二つの世界が重なっている場所――二重(ふたえ)と呼んでる」

「どちらにも繋がっているなら、このお店から現世に戻る事はできますか?」

 期待を込めて尋ねたけれど、凪さんはあっさりと否定した。

「無理だね。千秋の体は二重にある」

 凪さんは手を伸ばし、私の腕をポンポンと叩く。

「この店は二重にあるから私たちは触れ合えるけど、外を歩いている現世の人は千秋を認識できない。ここからどんなに遠くへ行っても、二重の世界に終わりや果てはない」

「じゃあ、どうすればいいんですか」

「解決手段はあとで言うけど、先に注意事項を伝えておこう。長くここにいすぎると、人としての意識が薄れてしまう」

「えっ……」

 聞きたくない事実を知り、私は表情を強張らせる。