幽香の庵

「…………神野さん!?」

 心配した緋一さんは彼に駆け寄り、肩を揺さぶって顔を覗き込む。目の色を戻した光輝さんは大きな溜め息をつき、額から流れる汗を拭ってしゃがみ込んだ。

「……緋一さん、ペンダントは?」

 光輝さんが尋ねると、彼は神野さんの首元にあるチェーンをそっと引っ張る。

 やはりその先端には見覚えのある石がついているけれど、完全に割れていた。

 それを見て安堵するものの、不安な事は沢山残っている。

「……光輝、さっき何をしたか覚えているか?」

 緋一さんに尋ねられ、彼はつらそうに眉を寄せて首を横に振る。

「……千秋ちゃんが、『神野さんのペンダントに操られていたんじゃないか』と……」

「そうか……。そうだな。……でももう、怖れなくていい」

 緋一さんに励ますように言われ、光輝さんは「そうですね」と頷いた。

「それにしても……、目を覚まさないな」

 祓われた神野さんは顔色を真っ青にしたまま、ピクリともしない。

「死んでませんか? 大丈夫?」

 私は神野さんに近寄り、しげしげと彼を見る。

 彼は顔色を悪くし、目の下にクマを作って頬をこけさせ、明らかに生気が無い。

「ど……っ、どうしたの? これ……っ。今までと違う! ねぇ、カク!」

 光輝さんを見て呼びかけると、《やれやれ……》と鹿頭のカクが現れた。

《そいつは僕が弱体化させたし、他人に掛けた呪いが自分に跳ね返って瀕死の状態だね。防御力がゼロになったところで、自分が攻撃したものが全部返ってきた感じかな。放っといたら死ぬね》

「そんな……」

 私は呆然とするけれど、同時に納得もしていた。

『人を呪わば穴二つ』と言うし、誰かを陥れようと呪った人が、自分一人だけ幸せになるなんて世の道理が許さないだろう。

「……どうにもならないの?」

 カクに尋ねると、彼は皮肉げに唇を歪める。

《自分や大切な友達を害した奴を、救おうっていうの?》

 そう言われ、私は少し俯いて沈黙したけれど、顔を上げてきっぱり言った。

「確かにムカついたし、理不尽な理由でこんな事に巻き込まれて『こんちくしょう』って思ってる。……でも、死んでもいいとは思ってない」

《……このままだと千秋は、体が見つからずに死ぬかもしれないんだよ?》

 試すように言われたけれど、私の返事は変わっていなかった。

「それとこれとは別! 『理不尽な事で死ぬかもしれない』っていう焦り、悲しみ、絶望はある。でも、私はこの人に死んでほしいわけじゃないし、ここまで身を落とした可哀想な人を見て、さらに『不幸になれ』なんて思わない。罰を受けるなら、自己嫌悪に陥って、人として苦しみながら生きていってほしい」

 言い切ったあと、私はニカッと笑った。

「それに、曲がりなりにも神様の前で『こいつに罰を与えてください。不幸にしてください』なんて言えないでしょ? 〝アメノカク〟は福を呼ぶ縁起のいい神様なんだから。カクの前で他人の不幸を願うなんてできない」

 カクはしばらく私を見つめていたけど、《はっ》と息を吐いて笑う。

《……千秋はまっすぐなお馬鹿だけど、そういうところは評価してるよ》

「じゃあ……」

 期待して鹿頭を見ると、彼は神野さんを指さして言った。

《そいつ、店に連れておいで。凪がなんとかすると思う》

「分かった! ありがとう!」

 カクが消えたあと、光輝さんは今のやり取りを緋一さんに伝える。

「なら、タクシーを呼ぼうか」

 彼はいまだに神様や呪い、それを祓った光輝さんの力に圧倒されてボーッとしていたけれど、順応性が高いからかスマホを出してアプリでタクシーを呼んだ。



**



 凪さんの店に戻った頃には、もう暗くなっていた。

 タクシーから降りた私は、迷い人に怯えていそいそとドアに向かう。

 視線を感じてチラッと横を見ると、少し離れた所に一体の迷い人がいる。

 ――あいつ(・・・)だ。

 黒い靄の判別なんてつかないけれど、直感で私たちにずっと付きまとっている奴だと理解した私は、急いで店の中に入った。