幽香の庵

「信じる」

「いいんですか?」

 あまりにあっさり言ったので、光輝さんは面食らっている。

「だって、普通はそこまで凝った設定を作ってまで人を騙さないでしょう。信じて損する訳じゃないし、光輝くんが言うなら信じる」

「……ありがとうございます」

 光輝さんは力が抜けたように言い、椅子の背もたれに身を預ける。

「……実はその千秋ちゃんが、沙織さんの隣に座っていまして」

「えっ? ホント?」

 彼女は弾かれたようにこちらを向き、しげしげと見つめる。

「……見えないけど……、宜しくね?」

「宜しくお願いします!」

 私は沙織さんに向かって勢いよく頭を下げた。

 光輝さんが私の様子を沙織さんに伝えると、彼女は「うん、宜しく」と頷いたあと、おもむろにスマホを出して何かを打ち込む。

 彼女は何かを検索して記事を読んだあと、溜め息をついた。

「……羽根谷千秋ちゃん、十九歳。……行方不明になってるね」

「…………はい」

 そのやり取りを聞いて、私は現実を思い知る。

「……もう死んでるのかな……」

 絶望に襲われて溜め息をついた時、明るい声がした。

《千秋の取り柄は馬鹿明るいところなんだから、落ち込むなって》

 ハッと顔を上げると、カクが降臨している。

《悲劇のヒロインになっているところ悪いけど、千秋はまだ生きてるよ。何のために迷い人から逃げてた? 何のために凪の作ったお守りをつけてる? 千秋から生者の匂いがしている限り、君は生きてるよ》

「そ……、そっか」

 希望を見いだして頷くと、カクは目を細めて舌を出し、憎たらしい顔で笑った。

《落ち込むと迷い人を引き寄せるよ。彼らは生者が自分と〝同じ〟になる事を望んでいる。落ち込んで絶望して、深い悲しみに浸って『生きる希望なんてない』って思う事を願ってるんだ。……気持ちで負けるなよ。千秋は気合いがものを言う世界にいるんだから》

 カクに激励され、私は「押忍!」と両手で拳を握り、グッと肘を引いて返事をした。

「光輝さん、緋一さんには会えないんですか?」

 カクが離れた光輝さんに尋ねると、彼は私の代わりに沙織さんに聞いた。

「……緋一さん、会ってくれると思いますか?」

「分からない。でも鹿の神様の力で元の緋一に戻るなら、縋ってみたい」

「さっきの柚良ちゃんのように、カクに緋一さんを祓ってもらっても、会話ができる状態になると思えません」

「じゃあ、考え方を変えましょう。緋一と柚良ちゃんはなぜ取り憑かれたのか」

 そもそもの問題を提示され、私たちは黙る。

「柚良ちゃんは恨みを買う子だった?」

 沙織さんの問いに、私はきっぱりと否定する。

「いいえ。普段の彼女は温厚で、友達の反感を買わない立ち居振る舞いを徹底していました。慎重ですし、彼女が誰かと衝突するなんて想像できません」

 光輝さんは私が話した事を沙織さんに伝える。

「逆に、緋一さんはどうですか?」

 私が質問すると、二人はそれぞれの意見を口にした。

「緋一さんは優秀だし、人望があって格好いい人だから、一部の人に妬まれていると思う。彼が害意を持たなくても、一方的に僻まれ、悪い噂を流される可能性もある」

 光輝さんが言い、沙織さんも頷いた。

「私も同意見ね。緋一は子供の頃から目立っていて、中学、高校でもみんなの中心にいた。でも驕って誰かをいじめる事はなかった。けど、緋一の周りにいる調子に乗った人が馬鹿な事をして、緋一まで恨まれた可能性はあるわね」

 沙織さんは昔を思いだして言う。

「……緋一もそういう事は承知していたみたいで、付き合う人に気をつけていたみたい」

「緋一さんは悪い噂を立てられても笑い飛ばすタフさや、仕事で結果を出す実力があります。……でも心まで鉄でできている訳じゃないから、本心では傷付いていたと思います」

「……仮に緋一を憎んでいる人がいるとして、……心当たりはある?」

 沙織さんに尋ねられ、光輝さんはしばし考える。

「……みんな、腹の底では何を考えているか分かりませんからね。……でも……」

 そこまで言い、緋一さんは両手で頭を抱えてテーブルに肘をつく。

「何でも言ってみて。誰の名前を出しても、私は告げ口しないわ」

「……神野晶(じんのあきら)さん」

 光輝さんは溜め息混じりに名前を口にする。