「じゃあ、図書委員は、中原と瀬戸でよろしく」
目の前の黒板に、白いチョークで、中原碧、と自分の名前が書かれる。
その隣に、一拍遅れて並んだのは、瀬戸唯。同じクラスの男子だ。
「お、中原、図書委員じゃん、向いてそう」
後ろの席の佐々木が、俺の肩を軽く叩く。
「えー、俺、中原と一緒が良かったのに」
席の近い友達が、俺の席に集まる。
「中原に任せとけば安心だし」
「ちゃんとやってくれそう」
そう言ってくれて嬉しい反面、その言葉の裏には、何でもしてくれるから、という意味が含まれているようで、素直に喜べない。
俺は、昔から頼まれたら断れない性格だった。いや、断れない、は違うかもしれない。優しいとか、そう言うんじゃなくて、ただ、なんとなく放っておけないだけ。まぁ、その結果が、今の「頼れる中原」なんだけど。
困ってると思うと、どうしても、気になってしまう。そのせいか、頼られることが多かった。
「てかさ、中原と瀬戸が同じ委員会ならさ、絶対図書室に来る人増えるじゃん」
「そう?」
「そうだろ!イケメン二人が一緒なんだから。ほら、女子もあそこで騒いでんじゃん」
言われた方を見ると、女子が固まって黒板を見ながら騒いでいる。
「中原くんと瀬戸くんが一緒とか、図書委員ヤバすぎ!」
「二人が並んだら、絶対オーラすごいよね」
「うちの学年の2トップじゃん!目の保養」
2トップ。
俺と瀬戸唯は、周りからそう呼ばれることが多い。顔がいいとか、目立つとか、多分、そう言う理由で。
別に、なんて呼ばれようがどうも思わない。
そもそも、自分がそんなふうに見られていることにも、いまだに少し違和感がある。
けど、問題はそこじゃなくて……
「瀬戸、よろしく」
「あー、うん。よろ」
目も合わないまま、それだけの、短い返事。
そう、俺と瀬戸はあまり仲が良くない。話しかけたら普通に返事してくれるし、直接何かされるわけではないけど、なんとなく距離がある。
「瀬戸、お前、絶対サボるじゃん」
離れた席から、瀬戸たちの話し声が聞こえてくる。瀬戸の周りには、すでに何人もの男子が集まっている。
「当たり前じゃん。ダルすぎ」
瀬戸は、笑いながら答える。
「このサボり魔め」
クラスメイトが言った。
「俺、図書委員とか向いてねーし」
「お前はどの委員会になってもサボるだろ」
「よく分かってんじゃん」
「お前ヤバすぎ」
声が大きいので、聞こうとしてなくても、つい、聞いてしまう。
「まぁでも、中原と一緒ならまだいいじゃん。頼りになるしさ」
突然、自分の名前が出てきて、つい反応しそうになってしまった。
「……さあな」
瀬戸は、曖昧な返事だけ、残す。
瀬戸は、大のめんどくさがり屋だ。軽いし適当。面倒なことはしない。それなのに、瀬戸の周りにはいつも人が集まる。俺みたいに、頼られるからじゃない。ただ、自然に。
「瀬戸ってすぐサボるから中原くん可哀想~」
「二人並べば最強なのにね」
聞こえないふりして座っていると、
「中原くん、ちょっと来て~」
瀬戸の周りにいる女子に呼ばれる。
「何ー?」
「ほら、ここ並んで!」
俺が瀬戸の席の近くに行くと、女子は俺と瀬戸を交互に見ながら頷く。
「やっぱりイケメン二人が並ぶと破壊力やばいわ」
なんて反応したらいいか分からず、俺が困ったように苦笑いしていると、瀬戸は、小さく息を吐いた。
「あー、俺、トイレ行ってくるわ」
そう言って、瀬戸は席を離れる。
「うわ、アイツ露骨だなー…」
誰かがボソッと呟く。言ってる意味は何となく分かる。俺は多分、瀬戸に良く思われてない。瀬戸にとって俺は、どちらかというと、嫌いな部類なんだろう。
「中原くん、瀬戸のことよろしくね~」
女子が、冗談っぽく、俺の肩を叩いた。
「うん、まかせて」
俺は笑顔で答える。
「中原くんってほんと優しいよね」
「そんなことないよ」
俺は笑って否定した。
「優しいしかっこいいし、ほんと、理想の彼氏だわ」
女子と話してると、瀬戸が戻ってくる。
一瞬だけ目が合ったものの、すぐ逸らされてしまう。
俺がいたら気に食わないだろうし、俺も席に戻った。
*
「瀬戸、今日の放課後、委員会あるから図書室来てね」
次の日の朝、俺は、瀬戸の席に行って、そう伝えた。昨日決めたことだから、さすがに覚えてると思うけど、念のため、言っておきたかった。
「委員会?あー……」
瀬戸は、面倒くさそうに口を開く。
「俺、今日用事あるから帰るわ」
「そっか」
用事あるなら仕方ないと思って、特に何も言わなかった。無理に引き止めるようなことでもないし、初日から来られないことくらい、別に珍しいことでもない。明日からはちゃんと来てくれるかもしれない。
でも……
委員会二日目。
俺は、前回と同じように瀬戸に声をかけた。
だけど、帰ってきた返事は———
「ごめん、今日もムリ」
三日目。
「今日も」
四日目。
「忙しい」
返事は、日に日に短くなっていった。四日目には、もう目も合わなかった。
別に期待していたわけではない。
委員会活動が始まる前から、瀬戸は友達とサボりたいって言ってたから、来ないかもしれないとは思っていたけど、一応同じ委員になったんだから、一緒に仕事をするものだと思っていた。
ただ、瀬戸が来ないこと自体よりも、毎回その分だけ俺の仕事が増えていくことの方が困っていた。
貸出や返却の手続き。
返却された本を元の場所に戻す作業。
本棚の整理。
一つ一つはそれほど大変じゃないが、一人で全部やろうとすると、意外と時間がかかるのだ。
そして、瀬戸は来ないので、委員会の時間が終わっても、俺だけ残って作業を続けることが増えていた。
窓の外は、さっきまで真っ青だったはずなのに、もう夕方の色に変わっている。
時間の流れって早いなぁ……
ドンドンと、廊下を走っていく生徒の足音や、聞こえてくる話し声も、少しずつ減っていた。
図書室の中には、ページをめくる音と、時々聞こえる小さな咳払いの音が響く。
俺は返却された本を一冊ずつ手に取って、本棚へ戻していく。
「来ないかぁ」
ドアの方を見ながら、小さく呟いた。
図書室で仕事をしながら、ふと窓の外を見る。図書室では、来た人がパラパラとページをめくる音だけが聞こえる。
「これ、お願いします」
「はい」
カウンターで、本の貸出作業をする。
「ありがとうございます」
図書委員の仕事は、意外と大変だ。貸出・返却だけでなく、本棚の整理や、返却本を戻す作業、ブッカーを貼り付けたりもしないといけない。
「終わるかな…」
俺は、誰にも聞こえないような小さな声で、ボソッと呟く。
委員会が始まってから、もう一時間近く経っていた。
本棚にはまだ戻しきれていない本が何冊も残っている。カウンターの上には、整理しなければならない返却カードもある。
「……よし」
一度、深く息を吐いて、また本を手に取った。
別に、瀬戸を責めたいわけじゃない。
だって、用事があるなら仕方ないし、忙しいなら仕方ない。
そう思っている、はずだった。
「一人だと、やっぱり大変だな……」
そのとき、廊下の向こうから、男子数人の笑い声が聞こえてきた。
「やば、マジで?」
この声……
「それはウケるって!」
「だろ? だから言ったじゃん」
クラスメイトの、明るくて、楽しそうな声に反応して、俺は何気なく顔を上げた。
図書室の窓から廊下が見え、その向こうを、数人の男子が歩いていく。
そして、その中に、瀬戸の姿を見つけた。
「……瀬戸」
思わず、手が止まった。
瀬戸は友達に囲まれて、楽しそうに笑っていた。
いつも教室で見るのと同じ顔。
面倒くさそうにしているときとは全然違って、声を上げて笑っている。
「瀬戸、今日どっか行こうぜ」
「んー、いいよ」
「やった」
「お前ら暇すぎだろ」
そう言いながらも、瀬戸は笑っていた。
その姿を、俺は図書室の中から見ていた。
……用事って、これだったのかな。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。
別に、友達と遊ぶことが悪いわけじゃない。
俺だって、友達と遊ぶことくらいある。
だから、責める理由なんてない。
だけど……
「……俺には、来ないって言ったのに」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
瀬戸は俺が図書委員の仕事をしていることなんて、知らない。
……いや、知っているはずだ。
だって、今日も朝、ちゃんと伝えたし。
『今日、委員会あるから来てね』
でも、瀬戸は、俺との約束より、友達と遊ぶ方を選んだ。
「……まぁ、別に、いいけど」
自分に言い聞かせるように呟く。
でも、俺だって、一人だと大変なのに。そんな弱音、絶対言わないけどさ。
もう一度、本棚に向き直る。
けれど、さっきまで気にならなかった本の重さが、妙に腕に残った。
廊下からは、まだ瀬戸たちの笑い声が聞こえている。
「じゃあ、駅前行こうぜ」
「俺、腹減った」
「瀬戸、お前奢れよ」
「なんで俺なんだよ」
図書室が静かなせいもあって、廊下に響く楽しそうな声に、どうしても、耳が反応してしまう。
その声を聞くたびに、胸の奥が少しずつざわついていることくらい、分かっているのに。
俺は、本を棚に戻した。
「……」
何も考えないように、仕事だけに集中するようにすれば、きっと、気にならなくなるはずだ。そう思った。
「あら。中原くん一人?」
図書室の入り口から、司書さんの声がして、顔を上げる。
「瀬戸くんは?」
その名前を聞いて、ほんの少しだけ黙る。
「今日は、用事あるって言ってました」
「そうなのね」
司書さんはそれ以上聞かずに、図書室を出ていった。
もう、外はかなり暗くなっている。
「……早く終わらせよう」
そう呟いて、また本を手に取った。
瀬戸は、明日もきっと──。
そんな考えが浮かんだけれど、俺はすぐに頭を振った。
そんなこと、考えたところでどうにもならない。
俺は一人で、本棚の整理を続けた。
誰もいない図書室に、本を戻す音だけが響いていた。
*
最初の頃は、少しくらい残念だと思っていた。
二人でやれば早く終わるのに、とか。
せっかく同じ委員になったんだから、一緒にやった方がいいのに、とか。
それと……やっぱり一人だと、少しだけ寂しい。
でも、何日も同じことが続いていると、だんだん何も思わなくなってきた。
「今日も中原くん一人?」
学校の図書室にいる司書さんに聞かれる。
「そうみたいですね」
図書室のカウンターに座りながら、俺は時計を見る。
委員会の開始時間は、とっくに過ぎている。
図書室の入り口を見ても、瀬戸の姿はない。
別に驚きもしなかった。
俺は小さく息を吐いて、目の前の返却本に手を伸ばした。
「これ、お願いします」
「はい」
返却された本を受け取る。
バーコードを確認して、返却処理をする。
「ありがとうございました」
生徒が出ていくのを見送ってから、俺は本を抱えて本棚へ向かった。
棚には、少しだけ隙間が空いている。
その場所に本を戻す。
けれど、隣の本が少し前に出ていることに気づいて、ついでに何冊か並べ直した。
一冊直すと、今度はその隣が気になる。
結局、何冊も手に取って、背表紙の位置を揃えていく。
「……まあ、いっか」
誰に言うでもなく呟く。
こういう細かい作業は、やり始めると止まらなくなる。
気づけば、また時間が経っていた。
窓の外を見ると、空はもう夕方だった。
オレンジ色の光が校舎の壁を照らしている。
図書室に残っている生徒も、少なくなっていた。
「そろそろ帰る時間だな……」
そう思ったけれど、まだ返却本が残っている。
俺はそれを見て、もう一度本棚へ向かった。
一人で仕事をすることも。
帰る時間が遅くなることも。
全部、いつの間にか当たり前になりつつあった。
「はぁ……」
俺は、ため息をつく。
その時、ガラガラッと扉が開いた。
そこにいたのは、毎回断り続けていた瀬戸だった。
「え、瀬戸?」
なんで……
瀬戸は、ポケットに手を入れたまま、ダルそうに歩いてくる。
「何したらいい」
瀬戸がそんなこと言ってくれると思ってなくて、驚きのあまり一瞬固まる。
「……え、手伝ってくれるの?」
「は?じゃなきゃ来ねーだろ」
「いや、うん、そうなんだけど」
まさか、来てくれると思わなかった。
「先生に仕事しろって言われたから」
「そっか」
多分、帰ってる途中にでも捕まえられたんだろう。理由がそれだとしても、来てくれたことに変わりはない。
「この本戻すの手伝って欲しい」
「……めんど」
いつもの返事。
「じゃあしなくていいよ」
なるべく優しめにそう言うと、瀬戸は少しだけ目を見開いた。
「いや、する」
そう言って、瀬戸は言われた通りに返却ボックスにある本を戻し始めた。てっきり、じゃあいいや、って言って帰るかと思ってた。
適当なだけの人だと思ってたけど……案外、そうでもないのかもしれない。そう思い始めるきっかけとなる出来事だった。
俺と瀬戸は、正反対だ。
そのはずなのに、この日初めて、同じ棚の前に並んで立っていた。
そしてこれは、正反対の俺たちの関係が、図書委員会を通して少しずつ変わっていく一つの物語。
目の前の黒板に、白いチョークで、中原碧、と自分の名前が書かれる。
その隣に、一拍遅れて並んだのは、瀬戸唯。同じクラスの男子だ。
「お、中原、図書委員じゃん、向いてそう」
後ろの席の佐々木が、俺の肩を軽く叩く。
「えー、俺、中原と一緒が良かったのに」
席の近い友達が、俺の席に集まる。
「中原に任せとけば安心だし」
「ちゃんとやってくれそう」
そう言ってくれて嬉しい反面、その言葉の裏には、何でもしてくれるから、という意味が含まれているようで、素直に喜べない。
俺は、昔から頼まれたら断れない性格だった。いや、断れない、は違うかもしれない。優しいとか、そう言うんじゃなくて、ただ、なんとなく放っておけないだけ。まぁ、その結果が、今の「頼れる中原」なんだけど。
困ってると思うと、どうしても、気になってしまう。そのせいか、頼られることが多かった。
「てかさ、中原と瀬戸が同じ委員会ならさ、絶対図書室に来る人増えるじゃん」
「そう?」
「そうだろ!イケメン二人が一緒なんだから。ほら、女子もあそこで騒いでんじゃん」
言われた方を見ると、女子が固まって黒板を見ながら騒いでいる。
「中原くんと瀬戸くんが一緒とか、図書委員ヤバすぎ!」
「二人が並んだら、絶対オーラすごいよね」
「うちの学年の2トップじゃん!目の保養」
2トップ。
俺と瀬戸唯は、周りからそう呼ばれることが多い。顔がいいとか、目立つとか、多分、そう言う理由で。
別に、なんて呼ばれようがどうも思わない。
そもそも、自分がそんなふうに見られていることにも、いまだに少し違和感がある。
けど、問題はそこじゃなくて……
「瀬戸、よろしく」
「あー、うん。よろ」
目も合わないまま、それだけの、短い返事。
そう、俺と瀬戸はあまり仲が良くない。話しかけたら普通に返事してくれるし、直接何かされるわけではないけど、なんとなく距離がある。
「瀬戸、お前、絶対サボるじゃん」
離れた席から、瀬戸たちの話し声が聞こえてくる。瀬戸の周りには、すでに何人もの男子が集まっている。
「当たり前じゃん。ダルすぎ」
瀬戸は、笑いながら答える。
「このサボり魔め」
クラスメイトが言った。
「俺、図書委員とか向いてねーし」
「お前はどの委員会になってもサボるだろ」
「よく分かってんじゃん」
「お前ヤバすぎ」
声が大きいので、聞こうとしてなくても、つい、聞いてしまう。
「まぁでも、中原と一緒ならまだいいじゃん。頼りになるしさ」
突然、自分の名前が出てきて、つい反応しそうになってしまった。
「……さあな」
瀬戸は、曖昧な返事だけ、残す。
瀬戸は、大のめんどくさがり屋だ。軽いし適当。面倒なことはしない。それなのに、瀬戸の周りにはいつも人が集まる。俺みたいに、頼られるからじゃない。ただ、自然に。
「瀬戸ってすぐサボるから中原くん可哀想~」
「二人並べば最強なのにね」
聞こえないふりして座っていると、
「中原くん、ちょっと来て~」
瀬戸の周りにいる女子に呼ばれる。
「何ー?」
「ほら、ここ並んで!」
俺が瀬戸の席の近くに行くと、女子は俺と瀬戸を交互に見ながら頷く。
「やっぱりイケメン二人が並ぶと破壊力やばいわ」
なんて反応したらいいか分からず、俺が困ったように苦笑いしていると、瀬戸は、小さく息を吐いた。
「あー、俺、トイレ行ってくるわ」
そう言って、瀬戸は席を離れる。
「うわ、アイツ露骨だなー…」
誰かがボソッと呟く。言ってる意味は何となく分かる。俺は多分、瀬戸に良く思われてない。瀬戸にとって俺は、どちらかというと、嫌いな部類なんだろう。
「中原くん、瀬戸のことよろしくね~」
女子が、冗談っぽく、俺の肩を叩いた。
「うん、まかせて」
俺は笑顔で答える。
「中原くんってほんと優しいよね」
「そんなことないよ」
俺は笑って否定した。
「優しいしかっこいいし、ほんと、理想の彼氏だわ」
女子と話してると、瀬戸が戻ってくる。
一瞬だけ目が合ったものの、すぐ逸らされてしまう。
俺がいたら気に食わないだろうし、俺も席に戻った。
*
「瀬戸、今日の放課後、委員会あるから図書室来てね」
次の日の朝、俺は、瀬戸の席に行って、そう伝えた。昨日決めたことだから、さすがに覚えてると思うけど、念のため、言っておきたかった。
「委員会?あー……」
瀬戸は、面倒くさそうに口を開く。
「俺、今日用事あるから帰るわ」
「そっか」
用事あるなら仕方ないと思って、特に何も言わなかった。無理に引き止めるようなことでもないし、初日から来られないことくらい、別に珍しいことでもない。明日からはちゃんと来てくれるかもしれない。
でも……
委員会二日目。
俺は、前回と同じように瀬戸に声をかけた。
だけど、帰ってきた返事は———
「ごめん、今日もムリ」
三日目。
「今日も」
四日目。
「忙しい」
返事は、日に日に短くなっていった。四日目には、もう目も合わなかった。
別に期待していたわけではない。
委員会活動が始まる前から、瀬戸は友達とサボりたいって言ってたから、来ないかもしれないとは思っていたけど、一応同じ委員になったんだから、一緒に仕事をするものだと思っていた。
ただ、瀬戸が来ないこと自体よりも、毎回その分だけ俺の仕事が増えていくことの方が困っていた。
貸出や返却の手続き。
返却された本を元の場所に戻す作業。
本棚の整理。
一つ一つはそれほど大変じゃないが、一人で全部やろうとすると、意外と時間がかかるのだ。
そして、瀬戸は来ないので、委員会の時間が終わっても、俺だけ残って作業を続けることが増えていた。
窓の外は、さっきまで真っ青だったはずなのに、もう夕方の色に変わっている。
時間の流れって早いなぁ……
ドンドンと、廊下を走っていく生徒の足音や、聞こえてくる話し声も、少しずつ減っていた。
図書室の中には、ページをめくる音と、時々聞こえる小さな咳払いの音が響く。
俺は返却された本を一冊ずつ手に取って、本棚へ戻していく。
「来ないかぁ」
ドアの方を見ながら、小さく呟いた。
図書室で仕事をしながら、ふと窓の外を見る。図書室では、来た人がパラパラとページをめくる音だけが聞こえる。
「これ、お願いします」
「はい」
カウンターで、本の貸出作業をする。
「ありがとうございます」
図書委員の仕事は、意外と大変だ。貸出・返却だけでなく、本棚の整理や、返却本を戻す作業、ブッカーを貼り付けたりもしないといけない。
「終わるかな…」
俺は、誰にも聞こえないような小さな声で、ボソッと呟く。
委員会が始まってから、もう一時間近く経っていた。
本棚にはまだ戻しきれていない本が何冊も残っている。カウンターの上には、整理しなければならない返却カードもある。
「……よし」
一度、深く息を吐いて、また本を手に取った。
別に、瀬戸を責めたいわけじゃない。
だって、用事があるなら仕方ないし、忙しいなら仕方ない。
そう思っている、はずだった。
「一人だと、やっぱり大変だな……」
そのとき、廊下の向こうから、男子数人の笑い声が聞こえてきた。
「やば、マジで?」
この声……
「それはウケるって!」
「だろ? だから言ったじゃん」
クラスメイトの、明るくて、楽しそうな声に反応して、俺は何気なく顔を上げた。
図書室の窓から廊下が見え、その向こうを、数人の男子が歩いていく。
そして、その中に、瀬戸の姿を見つけた。
「……瀬戸」
思わず、手が止まった。
瀬戸は友達に囲まれて、楽しそうに笑っていた。
いつも教室で見るのと同じ顔。
面倒くさそうにしているときとは全然違って、声を上げて笑っている。
「瀬戸、今日どっか行こうぜ」
「んー、いいよ」
「やった」
「お前ら暇すぎだろ」
そう言いながらも、瀬戸は笑っていた。
その姿を、俺は図書室の中から見ていた。
……用事って、これだったのかな。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。
別に、友達と遊ぶことが悪いわけじゃない。
俺だって、友達と遊ぶことくらいある。
だから、責める理由なんてない。
だけど……
「……俺には、来ないって言ったのに」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
瀬戸は俺が図書委員の仕事をしていることなんて、知らない。
……いや、知っているはずだ。
だって、今日も朝、ちゃんと伝えたし。
『今日、委員会あるから来てね』
でも、瀬戸は、俺との約束より、友達と遊ぶ方を選んだ。
「……まぁ、別に、いいけど」
自分に言い聞かせるように呟く。
でも、俺だって、一人だと大変なのに。そんな弱音、絶対言わないけどさ。
もう一度、本棚に向き直る。
けれど、さっきまで気にならなかった本の重さが、妙に腕に残った。
廊下からは、まだ瀬戸たちの笑い声が聞こえている。
「じゃあ、駅前行こうぜ」
「俺、腹減った」
「瀬戸、お前奢れよ」
「なんで俺なんだよ」
図書室が静かなせいもあって、廊下に響く楽しそうな声に、どうしても、耳が反応してしまう。
その声を聞くたびに、胸の奥が少しずつざわついていることくらい、分かっているのに。
俺は、本を棚に戻した。
「……」
何も考えないように、仕事だけに集中するようにすれば、きっと、気にならなくなるはずだ。そう思った。
「あら。中原くん一人?」
図書室の入り口から、司書さんの声がして、顔を上げる。
「瀬戸くんは?」
その名前を聞いて、ほんの少しだけ黙る。
「今日は、用事あるって言ってました」
「そうなのね」
司書さんはそれ以上聞かずに、図書室を出ていった。
もう、外はかなり暗くなっている。
「……早く終わらせよう」
そう呟いて、また本を手に取った。
瀬戸は、明日もきっと──。
そんな考えが浮かんだけれど、俺はすぐに頭を振った。
そんなこと、考えたところでどうにもならない。
俺は一人で、本棚の整理を続けた。
誰もいない図書室に、本を戻す音だけが響いていた。
*
最初の頃は、少しくらい残念だと思っていた。
二人でやれば早く終わるのに、とか。
せっかく同じ委員になったんだから、一緒にやった方がいいのに、とか。
それと……やっぱり一人だと、少しだけ寂しい。
でも、何日も同じことが続いていると、だんだん何も思わなくなってきた。
「今日も中原くん一人?」
学校の図書室にいる司書さんに聞かれる。
「そうみたいですね」
図書室のカウンターに座りながら、俺は時計を見る。
委員会の開始時間は、とっくに過ぎている。
図書室の入り口を見ても、瀬戸の姿はない。
別に驚きもしなかった。
俺は小さく息を吐いて、目の前の返却本に手を伸ばした。
「これ、お願いします」
「はい」
返却された本を受け取る。
バーコードを確認して、返却処理をする。
「ありがとうございました」
生徒が出ていくのを見送ってから、俺は本を抱えて本棚へ向かった。
棚には、少しだけ隙間が空いている。
その場所に本を戻す。
けれど、隣の本が少し前に出ていることに気づいて、ついでに何冊か並べ直した。
一冊直すと、今度はその隣が気になる。
結局、何冊も手に取って、背表紙の位置を揃えていく。
「……まあ、いっか」
誰に言うでもなく呟く。
こういう細かい作業は、やり始めると止まらなくなる。
気づけば、また時間が経っていた。
窓の外を見ると、空はもう夕方だった。
オレンジ色の光が校舎の壁を照らしている。
図書室に残っている生徒も、少なくなっていた。
「そろそろ帰る時間だな……」
そう思ったけれど、まだ返却本が残っている。
俺はそれを見て、もう一度本棚へ向かった。
一人で仕事をすることも。
帰る時間が遅くなることも。
全部、いつの間にか当たり前になりつつあった。
「はぁ……」
俺は、ため息をつく。
その時、ガラガラッと扉が開いた。
そこにいたのは、毎回断り続けていた瀬戸だった。
「え、瀬戸?」
なんで……
瀬戸は、ポケットに手を入れたまま、ダルそうに歩いてくる。
「何したらいい」
瀬戸がそんなこと言ってくれると思ってなくて、驚きのあまり一瞬固まる。
「……え、手伝ってくれるの?」
「は?じゃなきゃ来ねーだろ」
「いや、うん、そうなんだけど」
まさか、来てくれると思わなかった。
「先生に仕事しろって言われたから」
「そっか」
多分、帰ってる途中にでも捕まえられたんだろう。理由がそれだとしても、来てくれたことに変わりはない。
「この本戻すの手伝って欲しい」
「……めんど」
いつもの返事。
「じゃあしなくていいよ」
なるべく優しめにそう言うと、瀬戸は少しだけ目を見開いた。
「いや、する」
そう言って、瀬戸は言われた通りに返却ボックスにある本を戻し始めた。てっきり、じゃあいいや、って言って帰るかと思ってた。
適当なだけの人だと思ってたけど……案外、そうでもないのかもしれない。そう思い始めるきっかけとなる出来事だった。
俺と瀬戸は、正反対だ。
そのはずなのに、この日初めて、同じ棚の前に並んで立っていた。
そしてこれは、正反対の俺たちの関係が、図書委員会を通して少しずつ変わっていく一つの物語。


