宮中あやかし草紙

すっかり寒さが厳しくなり、京にも雪が降るようになった。

再び野行幸(のぎょうこう)が行われることになり、帝より桐壺(きりつぼ)へ直々に参加の誘いがあった。

茜の活躍を期待しての誘いだったのだろうが、残念ながら、茜に鷹狩りなど出来る筈もなく――

「先生もいないし、私にはとても無理よ」

それでも、帝に観覧することを強く勧められ、紫野(むらさきの)まで茉莉子(まりこ)と再び牛車(ぎっしゃ)に揺られて行くことに。

「ちょっとは気晴らしになるんじゃない?」

ガタゴトと揺れる車内で、茉莉子(まりこ)が言った。

「そんなことより、寒過ぎじゃない? こんな寒い中、外で過ごすだなんて狂気の沙汰でしょう?」

茜は袿(うちき)に包まって震えている。

「仕方がないわよ。今回の野行幸(のぎょうこう)には、帝が譲位を考えていらっしゃる親王さまが帰京されて、参加なさるのよ」

「親王さま?」

「嵯峨宮(さがのみや)さまと呼ばれている方よ。先帝の中宮(ちゅうぐう)さまの皇子(みこ)で、御上(おかみ)の同母弟なの」

「母君の療養に付き添って、地方の宮にいらっしゃったけれど、母君も亡くなられて……。御上(おかみ)には皇子(みこ)がおられないから、此の度、帰京して東宮になられるとか」

「つまり、新しい東宮さまか」

「まだ独り身でらっしゃるから、これから后選びも大変になるわね」

やがて牛車(ぎっしゃ)は紫野《むらさきの》へと到着した。

前回とは違い、幔幕(まんまく)の中に仮屋が建てられ、予(あらかじ)め席が用意されていた。

「御上(おかみ)よ」

帝からすぐ近くの席に、茉莉子(まりこ)と茜は腰を下ろした。

「今日は私の弟が、参加するのでな。弟は凄いぞ? かつて冬の王と呼ばれた鷹狩りの名手だった親王の再来と言われている」

帝は心なしか嬉しそうだった。そんな様子を見て、茜は隣の茉莉子(まりこ)にそっと耳打ちする。

「久しぶりに弟君に会えて、帝も嬉しいご様子ね」

「そういえば、嵯峨宮(さがのみや)さまが白雪をお使いになるそうよ」

「白雪を……?」

帝の御鷹(おたか)になったのだから、別に不思議なことではないけれど、白雪を上手く扱えるのは先生だけな気がしていた茜は、少しがっかりする。

「あっ、あの方が嵯峨宮(さがのみや)さまよ」

白馬に乗って現れたのは、黒紫の狩衣(かりぎぬ)に、折烏帽子(おりえぼし)を被った公達(きんだち)の姿――

「えっ!」

遠目に見ても、誰かに似ている。

茜は思わず立ち上がった。

「ちょっと、茜?」

茉莉子(まりこ)の制止も聞かず、馬上の公達(きんだち)の元へ向かう。

(あれが次期東宮の嵯峨宮(さがのみや)? いいえ、違うあれは――)

「桐壺(きりつぼ)の女房(にょうぼう)殿!」

振り向くと、白雪を連れた鷹飼(たかがい)が立っていた。

「女房(にょうぼう)殿、親王さまは凄いんですよ」

「白雪が、もの凄く懐いているんです!」

鷹は本来人に懐く生き物ではない。
先生があれだけ白雪を手懐けて扱えることが、まるで奇跡のようだった。

(怨霊の癖に、動物には好かれる性質だったのよね……)

風花が舞い散る中、白馬の蹄音が響く。

「白雪」

初めて聞く声だった。

初めて聞いた筈なのに、耳がこの声を覚えていた。

ゆっくり後ろを振り返ると、嵯峨宮(さがのみや)が馬上から、こちらを見下ろしていた。

「……そんな」

「宮さま」

鷹飼(たかがい)が白雪を親王に差し出すと、嵯峨宮(さがのみや)は手慣れた様子で左腕に乗せた。

「この娘は?」

「この方は、桐壺(きりつぼ)の……えっ? 女房(にょうぼう)殿、一体どうされたのですか?」

茜は馬上の人物の顔から、一瞬たりとも目が離せなかった。

涼やかな目元、その瞳の色は薄い榛(はしばみ)色。通った鼻梁に、上唇の薄い口――

「先生……?」

瞳の色こそ違えど、その顔は先生と瓜二つだった。

「……先生とは? はて、私はいつお前の師になったのだろう?」

涙が溢(あふ)れ、頬を伝う。
とめどなく流れる涙をそのままに、ただ目の前の先生に似た顔を見つめる。

「なぜ、泣いている?」

「分かりません」

茜は泣きながら笑った。

「あなたの顔を見ると、涙が止まらなくて。自分でもどうにも出来ない……」

嵯峨宮(さがのみや)は、馬から降りると、茜の目の前に立った。

長い指で、その涙を拭う。

「私は女を泣かせたままにするような、男ではないからな」

茜はさらに泣いて、嵯峨宮(さがのみや)を散々困らせた。

しんしんと雪が降り注ぐ中、二人はいつまでも向かい合っていた。