「はぁ? 鷹狩りに出るですって!」
茉莉子が珍しく声を裏返すと、茜は背後を指差して言った。
「先生が私に出ろって。自分がどうにかするからって」
「あら、先生がそう仰ってるの? それなら、きっと大丈夫よ」
にっこり笑いながらそう言うので、茜は思わず溜め息を吐いた。
「姫さまの、その先生への盲信は、一体何なの?」
すると茉莉子は先生を描いた絵を引っ張り出してきて、それをうっとりと見つめながら言った。
「こんな麗しいお方が、何とかなさると仰ってるのよ? 何も心配要らないわ」
「は、はぁ……」
(ダメだ、こりゃ)
茉莉子は昔から、美しいものに目がない。
それは、人も物も花も動物も景色も、あらゆる美しいものなら何でも良かった。
「こうと決まったら、茜の鷹狩りの衣装を用意しなくては!」
「鷹狩りといえば、狩衣でしょ? そもそも鷹狩りに、女が参加するだなんて、前代未聞では?」
「あら、別に女が参加してはいけないという決まりはない筈よ? それより茜が狩衣を着る。……あぁ、きっと似合うわ」
興奮する茉莉子を尻目に、茜は先生を振り返った。
「いっそ、姫さま本人が出場するではダメなの?」
『出来ぬことはないが、その娘ではおそらく順応性が下がる。狙った成果が上げられるか分からん』
茜は先生の言葉に引っ掛かりを覚えて、眉を顰める。
「ちょっと待って、順応性て何?」
『お前の肉体の中に私が入り、操作すると言っているのだが? 私がどうにかするとは、そういう意味でしかないぞ?』
茜は思わず呆気にとられた。
「ちょ、ちょっと待って。私に憑依するつもり?」
『不服なのか?』
「不服というか、そういう発想がちょっとなかっただけ。ていうか先生、鷹狩りなんて出来るの?」
すると先生は、顎を上げた状態でこちらを見下しながら言った。
『私を誰だと思っている?』
そのあまりにも尊大な態度に、茜は思わず突っ込んだ。
「いや、記憶を失くしてるんだよね? どこの誰とも分からない人だよね?」
『記憶はなくとも可能なのだ。そうとしか言えない』
確かに先生の身なり、持ち物、そして態度――全てを鑑みても、相当な身分の人物なのは間違いがない。
「じゃあ、馬にも乗れるんだよね?」
『無論』
「ねぇ、ちょっと見て。こんな感じでどうかしら?」
そう言って茉莉子が見せてきたのは、狩衣に身を包んだ茜の絵姿だった。
***
翌日、あの鷹飼自ら桐壺にやってきて、鷹狩りの日時を伝えてきた。
「三日後?」
また随分と早い――
茜と茉莉子は、思わずお互いの顔を見合わせた。
「狩衣なら、縫殿寮に頼んであるでしょう? どうなの? 間に合いそう?」
「多分、今日明日中には」
そこのところは、縫殿の女房をせっついてどうにか間に合わせるしかない。
『あのな、狩衣だけではないぞ? 鷹狩りに出るに、他に必要なものはたくさんある』
先生が言ったものをさっと茜が書き付けると、それを見た茉莉子が安心させるように言う。
「大丈夫よ。大概の物は、父上の物が屋敷に残っているから」
(その手があったかー! 完全に姫さまの父君のことを忘れてたわ)
「……あの、費用の件、本当にありがとうございます。お陰で最高の生き餌を白雪にやれてます」
御簾の向こうから、緊張する鷹飼の声を聞いて、茉莉子が小さく呟いた。
「なかなか真面目そうな子じゃない?」
「そうなのよ」
『白雪の調子も万全だ。これなら三日後に充分活躍出来るだろう』
「何で先生がそこまで知ってんのよ?」
『さぁな……』
(最近、こそこそいなくなってると思ったら、そういうことか)
鷹飼が帰って、茜たちは、三日後の鷹狩りに向けて本格的な準備に取り掛かる。
「父上のものが使えそうで良かったわ。屋敷に保管してあった唐櫃の中から持ってこさせたの」
茉莉子が葛篭を開けて、道具を一つ一つ取り出す。
どうしても足の大きさの合わない貫は諦めて、頑丈に編んだ草鞋にするしかなかった。
「どう、先生?」
揃えられた衣装や道具を並べ、先生の意見を聞く。
『まぁ、良いだろう』
「使えるって」
「良かったわ!」
ホッと胸を撫で下ろす茉莉子は、丁寧に道具を葛籠に戻していく。
「父上の道具がまた日の目を見るなんて」
感慨深げな茉莉子を見て、先生が言った。
『姫の父親は親王だったか?』
「そうだけど」
『……』
「どうしたの? 先生」
『私はやはり、殿上人以上の身分の者でしかない気がしている』
「もし宮様なら、図書寮で調べたら、何か分かるかもしれない」
『そうか』
「鷹狩りが終わったら、本格的に調べてみようよ」
『そうして貰えると助かる』
(先生はやっぱり、自分が何者か知りたいんだ……)
――そして、それから三日後。
萌黄色の新調した狩衣に折烏帽子を被り、顎の下で紐を結んだ。
「茜、すごく綺麗……」
茉莉子は茜のあまりにも凛々しい姿に感動し、目尻に涙が光る。
「まぁ、頑張るのは私でなく先生なので」
『任せておけ』
「それじゃ、行きましょう」
茉莉子と茜は支度を済ませると、輿に乗って、建礼門へ向かった。
帝の野行幸の為、既に門前の広場はたくさんの人と、牛車でごった返している。
「桐壺の女御さま、こちらへ」
用意されていた八葉車と呼ばれる牛車に乗り移り、二人は一息吐く。
「おはようございます。本日はよろしくお願い致します」
鷹飼が、白雪を連れて挨拶に来た。
鷹飼は、彼に限らず皆が徒歩で現地に向かう。重い葛篭を背負いながらも、晴れの日を無事に迎えた鷹飼の表情は明るい。
「おはよう。今日は頑張ろうね」
「はい!」
声を掛けると鷹飼は、元気よく返事をした。
「誰かと思いきや、例の鷹飼ではないか」
低くしわがれた声がして、そちらに目を向けると、鷹飼の目の前に右大臣の姿が見えた。
「おはようございます。右大臣さま」
深く礼をする鷹飼を、右大臣が尊大な態度で見つめている。
「右大臣だわ。何しに来たのかしら……」
『もちろん、冷やかしや煽りに来たのだろう』
隣に座っていた先生がポツリと言った。
「その鷹は処分しろと言った筈だ。そのような欠陥品を養う金などないのだからな」
すると鷹飼は、全く臆せずに朗々と右大臣に告げた。
「右大臣さま、おはようございます。この鷹は、現在は桐壺に引き取られ、そちらより費用を頂いております。右大臣さまのお手やお心を煩わすことはございません」
「桐壺に……?」
右大臣はこちらをジロリと見つめると、軽く舌打ちまでした。御簾越しに目があった気すらした。
(本当に感じが悪いなぁ……)
やがて牛車が動きだし、列をなして進み始めた。目的地の紫野まで、一定のゆっくりとしたペースで進む。
随従の者たちの中には、もちろん鷹飼の姿もある。
『白雪は落ち着いている。大丈夫そうだな』
「やっぱり気になる?」
『当たり前だ。私の腕だけではない。白雪本人の力が必要だからな』
「そりゃそうか」
それから牛車の揺れに耐え、ようやく紫野に到着した頃には、すっかり昼になっていた。
広い原野に野陣が張られ、帝や帝がお連れになった弘徽殿の女御の牛車がそちらへ入って行った。続いて、こちらの牛車も陣幕の中へ。
「私、そろそろ行かないとじゃない?」
『では、代わろう』
隣に座っていた先生が、自分に重なるようにして中に入ってくるのが分かった。
意識はあり、視覚、聴覚、触覚も全てそのままなのに身体の自由だけが奪われた奇妙な感覚――
「まぁ、見ていろ」
「……ひょっとして、もう先生なのですか?」
茉莉子はやや驚き、興奮した様子で先生かどうかを確かめた。しかし、すぐに茜のことが気になったようで、
「茜は大丈夫なのですか?」
「問題ないぞ。意識はあって、お前の声も聞こえている筈だ」
(私はここにいるよ〜〜)
先生は、手際良く袴の裾を上げて結ぶと、雑色が運んできた葛篭の中から、行縢を取り出すと、脚に巻いて結んだ。
(先生、やっぱり手慣れてるよね……)
そして左腕に厚革の鞆を巻き、腰に餌袋を下げると準備はあらかた整った。
「では、行こうか」
随身が連れてきた馬は白馬だった。
「馬まで白馬か。これはいい……」
先生は軽やかに馬に跨ると、慣れた手綱捌きで、野原の方へ駆けていく。
そこには、見事な黒鹿毛の馬に乗った右大臣がいた。
「桐壺の女房か。女子が出るとは聞いてないぞ」
「随分と勇ましい格好だが、見掛け倒しにならんようにな」
右大臣の背後にいた息子と思われる公達、そして取り巻きたちも一斉に笑い出す。
「では、そこで私の実力を篤とご覧あればよろしいかと」
先生は右大臣を見もせずに言うと、サッと馬首をめぐらす。
(右大臣に喧嘩売ったーーーー!!)
そこに鷹飼らが鷹を連れてやってきた。
右大臣には、一際大きな立派な鷹が渡されている。
「女房殿!」
白雪を連れた鷹飼が、やや遅れてやってきた。
先生は白雪を受け取ると、優しく声を掛けた。
「よしよし、いい子だ」
「これが餌です。ちょっと興奮してますけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。私たちに任せておけ」
先生は左腕に白雪を乗せて、準備万端だ。
草むらの前で待機していた勢子たちが、竹竿を叩きながら前進し始めた。
「ホウホウ」という掛け声が、あちこちから上がり、追い立てられた雉が草むらから何羽か飛び立つ。
それを見て先生は、左腕を高く揚げ、白雪を放った。
「行け!」
ほぼ同時に放たれた鷹たちより、白雪はいち速く飛んだ。
先生は馬の腹を蹴ると、上空の白雪を追って、一目散に駆け出した。
そのあまりにも見事な騎乗に、周囲の公達らは呆気に取られ、遅れを取る。
(先生、やっぱり口だけじゃない。凄い)
白馬に乗った先生は、野をひたすら駆ける。
必死で逃げようと宙でバタバタする雉の一羽めがけ、上空から刺すような勢いで白い影が降下してきた。
(白雪!)
チリンチリンと鳴る白雪の足の鈴の音――
少し拓けた地の上で、白雪が雉を爪で抑え込んでいた。
「よし、良くやった」
先生が白雪に声を掛けると、白雪はこちらを見て嬉しそうに鳴いた。
「仕留めたぞーーーーっ!!」
「お見事!!」
「桐壺の女房殿、お見事ですぞ!!」
ピィィィーーーッっと鋭い竹笛の音が響き、捕獲の成功を知らせた。
すぐに駆けつけた鷹飼《たかがい》が、その場で雉の胸肉を小刀で切って白雪に与えた。
「本当によくやった白雪……」
鷹飼は、感極まっている。
先生は馬上で息を整えながら、小さく呟く。
「やはり、白雪は他の鳥とは違う……」
(どう違うの?)
「勘がいいんだ。白雪は視力はあまり良くない。だが、その目の悪さを勘の良さで補っている」
(先生は、そこまで分かってて?)
「いや、たまたまだな……」
「こいつはこいつなりに、必死なんだろう」
白雪は休憩を挟んだ後、もう二回出撃した。
その二回とも確実に成果を上げ、大いに帝を満足させた。
そしてそれ以降、帝が桐壺に渡る頻度が増え、茉莉子の起床時間が圧倒的に早くなるのであった。
茉莉子が珍しく声を裏返すと、茜は背後を指差して言った。
「先生が私に出ろって。自分がどうにかするからって」
「あら、先生がそう仰ってるの? それなら、きっと大丈夫よ」
にっこり笑いながらそう言うので、茜は思わず溜め息を吐いた。
「姫さまの、その先生への盲信は、一体何なの?」
すると茉莉子は先生を描いた絵を引っ張り出してきて、それをうっとりと見つめながら言った。
「こんな麗しいお方が、何とかなさると仰ってるのよ? 何も心配要らないわ」
「は、はぁ……」
(ダメだ、こりゃ)
茉莉子は昔から、美しいものに目がない。
それは、人も物も花も動物も景色も、あらゆる美しいものなら何でも良かった。
「こうと決まったら、茜の鷹狩りの衣装を用意しなくては!」
「鷹狩りといえば、狩衣でしょ? そもそも鷹狩りに、女が参加するだなんて、前代未聞では?」
「あら、別に女が参加してはいけないという決まりはない筈よ? それより茜が狩衣を着る。……あぁ、きっと似合うわ」
興奮する茉莉子を尻目に、茜は先生を振り返った。
「いっそ、姫さま本人が出場するではダメなの?」
『出来ぬことはないが、その娘ではおそらく順応性が下がる。狙った成果が上げられるか分からん』
茜は先生の言葉に引っ掛かりを覚えて、眉を顰める。
「ちょっと待って、順応性て何?」
『お前の肉体の中に私が入り、操作すると言っているのだが? 私がどうにかするとは、そういう意味でしかないぞ?』
茜は思わず呆気にとられた。
「ちょ、ちょっと待って。私に憑依するつもり?」
『不服なのか?』
「不服というか、そういう発想がちょっとなかっただけ。ていうか先生、鷹狩りなんて出来るの?」
すると先生は、顎を上げた状態でこちらを見下しながら言った。
『私を誰だと思っている?』
そのあまりにも尊大な態度に、茜は思わず突っ込んだ。
「いや、記憶を失くしてるんだよね? どこの誰とも分からない人だよね?」
『記憶はなくとも可能なのだ。そうとしか言えない』
確かに先生の身なり、持ち物、そして態度――全てを鑑みても、相当な身分の人物なのは間違いがない。
「じゃあ、馬にも乗れるんだよね?」
『無論』
「ねぇ、ちょっと見て。こんな感じでどうかしら?」
そう言って茉莉子が見せてきたのは、狩衣に身を包んだ茜の絵姿だった。
***
翌日、あの鷹飼自ら桐壺にやってきて、鷹狩りの日時を伝えてきた。
「三日後?」
また随分と早い――
茜と茉莉子は、思わずお互いの顔を見合わせた。
「狩衣なら、縫殿寮に頼んであるでしょう? どうなの? 間に合いそう?」
「多分、今日明日中には」
そこのところは、縫殿の女房をせっついてどうにか間に合わせるしかない。
『あのな、狩衣だけではないぞ? 鷹狩りに出るに、他に必要なものはたくさんある』
先生が言ったものをさっと茜が書き付けると、それを見た茉莉子が安心させるように言う。
「大丈夫よ。大概の物は、父上の物が屋敷に残っているから」
(その手があったかー! 完全に姫さまの父君のことを忘れてたわ)
「……あの、費用の件、本当にありがとうございます。お陰で最高の生き餌を白雪にやれてます」
御簾の向こうから、緊張する鷹飼の声を聞いて、茉莉子が小さく呟いた。
「なかなか真面目そうな子じゃない?」
「そうなのよ」
『白雪の調子も万全だ。これなら三日後に充分活躍出来るだろう』
「何で先生がそこまで知ってんのよ?」
『さぁな……』
(最近、こそこそいなくなってると思ったら、そういうことか)
鷹飼が帰って、茜たちは、三日後の鷹狩りに向けて本格的な準備に取り掛かる。
「父上のものが使えそうで良かったわ。屋敷に保管してあった唐櫃の中から持ってこさせたの」
茉莉子が葛篭を開けて、道具を一つ一つ取り出す。
どうしても足の大きさの合わない貫は諦めて、頑丈に編んだ草鞋にするしかなかった。
「どう、先生?」
揃えられた衣装や道具を並べ、先生の意見を聞く。
『まぁ、良いだろう』
「使えるって」
「良かったわ!」
ホッと胸を撫で下ろす茉莉子は、丁寧に道具を葛籠に戻していく。
「父上の道具がまた日の目を見るなんて」
感慨深げな茉莉子を見て、先生が言った。
『姫の父親は親王だったか?』
「そうだけど」
『……』
「どうしたの? 先生」
『私はやはり、殿上人以上の身分の者でしかない気がしている』
「もし宮様なら、図書寮で調べたら、何か分かるかもしれない」
『そうか』
「鷹狩りが終わったら、本格的に調べてみようよ」
『そうして貰えると助かる』
(先生はやっぱり、自分が何者か知りたいんだ……)
――そして、それから三日後。
萌黄色の新調した狩衣に折烏帽子を被り、顎の下で紐を結んだ。
「茜、すごく綺麗……」
茉莉子は茜のあまりにも凛々しい姿に感動し、目尻に涙が光る。
「まぁ、頑張るのは私でなく先生なので」
『任せておけ』
「それじゃ、行きましょう」
茉莉子と茜は支度を済ませると、輿に乗って、建礼門へ向かった。
帝の野行幸の為、既に門前の広場はたくさんの人と、牛車でごった返している。
「桐壺の女御さま、こちらへ」
用意されていた八葉車と呼ばれる牛車に乗り移り、二人は一息吐く。
「おはようございます。本日はよろしくお願い致します」
鷹飼が、白雪を連れて挨拶に来た。
鷹飼は、彼に限らず皆が徒歩で現地に向かう。重い葛篭を背負いながらも、晴れの日を無事に迎えた鷹飼の表情は明るい。
「おはよう。今日は頑張ろうね」
「はい!」
声を掛けると鷹飼は、元気よく返事をした。
「誰かと思いきや、例の鷹飼ではないか」
低くしわがれた声がして、そちらに目を向けると、鷹飼の目の前に右大臣の姿が見えた。
「おはようございます。右大臣さま」
深く礼をする鷹飼を、右大臣が尊大な態度で見つめている。
「右大臣だわ。何しに来たのかしら……」
『もちろん、冷やかしや煽りに来たのだろう』
隣に座っていた先生がポツリと言った。
「その鷹は処分しろと言った筈だ。そのような欠陥品を養う金などないのだからな」
すると鷹飼は、全く臆せずに朗々と右大臣に告げた。
「右大臣さま、おはようございます。この鷹は、現在は桐壺に引き取られ、そちらより費用を頂いております。右大臣さまのお手やお心を煩わすことはございません」
「桐壺に……?」
右大臣はこちらをジロリと見つめると、軽く舌打ちまでした。御簾越しに目があった気すらした。
(本当に感じが悪いなぁ……)
やがて牛車が動きだし、列をなして進み始めた。目的地の紫野まで、一定のゆっくりとしたペースで進む。
随従の者たちの中には、もちろん鷹飼の姿もある。
『白雪は落ち着いている。大丈夫そうだな』
「やっぱり気になる?」
『当たり前だ。私の腕だけではない。白雪本人の力が必要だからな』
「そりゃそうか」
それから牛車の揺れに耐え、ようやく紫野に到着した頃には、すっかり昼になっていた。
広い原野に野陣が張られ、帝や帝がお連れになった弘徽殿の女御の牛車がそちらへ入って行った。続いて、こちらの牛車も陣幕の中へ。
「私、そろそろ行かないとじゃない?」
『では、代わろう』
隣に座っていた先生が、自分に重なるようにして中に入ってくるのが分かった。
意識はあり、視覚、聴覚、触覚も全てそのままなのに身体の自由だけが奪われた奇妙な感覚――
「まぁ、見ていろ」
「……ひょっとして、もう先生なのですか?」
茉莉子はやや驚き、興奮した様子で先生かどうかを確かめた。しかし、すぐに茜のことが気になったようで、
「茜は大丈夫なのですか?」
「問題ないぞ。意識はあって、お前の声も聞こえている筈だ」
(私はここにいるよ〜〜)
先生は、手際良く袴の裾を上げて結ぶと、雑色が運んできた葛篭の中から、行縢を取り出すと、脚に巻いて結んだ。
(先生、やっぱり手慣れてるよね……)
そして左腕に厚革の鞆を巻き、腰に餌袋を下げると準備はあらかた整った。
「では、行こうか」
随身が連れてきた馬は白馬だった。
「馬まで白馬か。これはいい……」
先生は軽やかに馬に跨ると、慣れた手綱捌きで、野原の方へ駆けていく。
そこには、見事な黒鹿毛の馬に乗った右大臣がいた。
「桐壺の女房か。女子が出るとは聞いてないぞ」
「随分と勇ましい格好だが、見掛け倒しにならんようにな」
右大臣の背後にいた息子と思われる公達、そして取り巻きたちも一斉に笑い出す。
「では、そこで私の実力を篤とご覧あればよろしいかと」
先生は右大臣を見もせずに言うと、サッと馬首をめぐらす。
(右大臣に喧嘩売ったーーーー!!)
そこに鷹飼らが鷹を連れてやってきた。
右大臣には、一際大きな立派な鷹が渡されている。
「女房殿!」
白雪を連れた鷹飼が、やや遅れてやってきた。
先生は白雪を受け取ると、優しく声を掛けた。
「よしよし、いい子だ」
「これが餌です。ちょっと興奮してますけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。私たちに任せておけ」
先生は左腕に白雪を乗せて、準備万端だ。
草むらの前で待機していた勢子たちが、竹竿を叩きながら前進し始めた。
「ホウホウ」という掛け声が、あちこちから上がり、追い立てられた雉が草むらから何羽か飛び立つ。
それを見て先生は、左腕を高く揚げ、白雪を放った。
「行け!」
ほぼ同時に放たれた鷹たちより、白雪はいち速く飛んだ。
先生は馬の腹を蹴ると、上空の白雪を追って、一目散に駆け出した。
そのあまりにも見事な騎乗に、周囲の公達らは呆気に取られ、遅れを取る。
(先生、やっぱり口だけじゃない。凄い)
白馬に乗った先生は、野をひたすら駆ける。
必死で逃げようと宙でバタバタする雉の一羽めがけ、上空から刺すような勢いで白い影が降下してきた。
(白雪!)
チリンチリンと鳴る白雪の足の鈴の音――
少し拓けた地の上で、白雪が雉を爪で抑え込んでいた。
「よし、良くやった」
先生が白雪に声を掛けると、白雪はこちらを見て嬉しそうに鳴いた。
「仕留めたぞーーーーっ!!」
「お見事!!」
「桐壺の女房殿、お見事ですぞ!!」
ピィィィーーーッっと鋭い竹笛の音が響き、捕獲の成功を知らせた。
すぐに駆けつけた鷹飼《たかがい》が、その場で雉の胸肉を小刀で切って白雪に与えた。
「本当によくやった白雪……」
鷹飼は、感極まっている。
先生は馬上で息を整えながら、小さく呟く。
「やはり、白雪は他の鳥とは違う……」
(どう違うの?)
「勘がいいんだ。白雪は視力はあまり良くない。だが、その目の悪さを勘の良さで補っている」
(先生は、そこまで分かってて?)
「いや、たまたまだな……」
「こいつはこいつなりに、必死なんだろう」
白雪は休憩を挟んだ後、もう二回出撃した。
その二回とも確実に成果を上げ、大いに帝を満足させた。
そしてそれ以降、帝が桐壺に渡る頻度が増え、茉莉子の起床時間が圧倒的に早くなるのであった。

