宮中あやかし草紙

「やったやった! これで暫(しばら)くは安泰だなぁ」

『絹一疋(きぬいっぴき)と米一石《こめいっこく》か。掃部頭(かもんのかみ)が出てくるなら、報酬としては、そんなものになるか』

先生はいまいち納得がいかない顔だ。

「このままだと、掃部寮(かもんのりょう)全部の褥(しとね)がびしょ濡れになりかねなかったんだから、安いものでしょ?」

「これで掃部属(かもんのさかん)を悩ませてた問題も解決したし、再び恋文の依頼は受けられたし、私は無問題(モウマンタイ)」

『……本当に現金な奴だな』

再び内裏(だいり)に戻り、弘徽殿の南側の渡殿を歩いている時だった。

「しつこいぞ、帰れ!」

突然の怒号に、茜は足を止めた。

「なになに? 何の騒ぎ?」

既にちょっとした人だかりが出来ていた。
その人の間を縫って、顔を覗かせると、庭の砂利に一人の男が平伏していた。

「どうか、右大臣さま何卒(なにとぞ)もう一度お考え直しを!」

よく見ると、男は腕に一羽の白い鷹を乗せていた。蔵人所で、帝の鷹の世話をする鷹飼(たかがい)なのだろう。

「その鳥は処分しろと言った。分かったら、さっさと帰れ」

(処分!?)

男はのろのろと立ち上がると、深く頭を下げて、その場から去って行く。

その背中は酷く落胆していた。
そんな様子を見て、茜は背後にいる先生を振り返った。

「行こう」

『お前、蔵人所(くろうどどころ)に行く気だろう?』

「ギクッ! 流石(さすが)は先生、丸っとお見通しね……」

『お前がこの問題に首を突っ込むということは、右大臣と悶着を起こす可能性がある。それを分かってやるというのなら、私は止めない』

すると、茜はニンマリと笑って言った。

「先生、やっぱり好きかも〜〜?」

『……』

(『私も大概この者に毒されている……』)

茜達は、その足で蔵人所(くろうどどころ)へと向かった。

すると校書殿(きょうしょでん)の目の前で、馴染みの蔵人(くろうど)を見掛けたので、先ほどの男のことを尋ねると、

「あー、白い鷹を連れた鷹飼(たかがい)? なら南庭の鷹棚じゃないかな?」

「右大臣のところにいたんだけど?」

「あぁ。あの白い鷹は実は右大臣のものなんだ。色が白くて美しいからと手に入れたものの、体がどうにも虚弱でさ……それより茜、今度良かったら一緒に甘味でも」

「ありがとう。急いでるから、またね」

茜は話を遮って、その場を後にする。

大体、話の全容が掴めてきた。

南庭に移動すると、その一角に鷹棚が設置されていた。

「いた」

鷹棚に繋がれた数羽の鷹の中に、一羽だけ目立つ真っ白な個体。その前に深く項垂(うなだ)れる、先ほどの男。

「ねぇ、ちょっと話を聞かせてよ」

全く臆せず話し掛けると、男はやや驚いた顔でこちらを見た。

「うわっ、宮中の鬼子!」

「ていうか、いきなりその呼び方は酷くない?」

赤銅色の髪を靡(なび)かせ、茜はちょっとむくれた顔をする。

「し、失礼しました。お話するのは初めてでしたね……」

茜は、いきなり話を切り出した。

「その鳥、右大臣のだって聞いたけど。さっきの様子を見てる限り、その鳥を処分しろって話だよね?」

「近々行われる野行幸(のぎょうこう)の鷹狩りの為に、右大臣さまに言われて育てた鷹なんです。かつて冬の王と呼ばれた鷹狩りの名手の鷹も白かったそうなので。でも、こいつは生まれつき、体が弱いみたいで……」

鷹飼は、繋いである白い鷹を、愛おしそうな目で見つめた。

「先日、右大臣さまが様子を見にいらした時に、ちょうど具合が良くなくて。そんな鳥、もう要らないから処分しろと仰せになられて」

「それは酷い」

「今はもう回復はして、酷い状態は脱したんですけど、体が弱いことには代わりがないので……」

『それは白い個体ゆえ、生まれつき虚弱なのだ。目を見てみろ、赤い筈だ』

先生がそう言うので、鷹の目をよく見ると、まるで兎のように真っ赤な目をしていた。

「綺麗な赤い目……」

「視力も他の鷹に比べて低いんです。でもこいつ、鼻はめちゃくちゃ利くんですよ」

鷹飼(たかがい)は、白い鷹を愛情を持って育てている。
それが見ていて痛いほど分かった。

「右大臣が要らないというなら、私が貰おうかな」

『鷹の飼育には金が掛かるぞ。生き餌も都度必要だからな。お前に準備が出来るのか?』

「先生、一介の貧乏女房にそんなお金がある訳ないでしょう? あ」

鷹飼(たかがい)に聞こえないように、小声でやり取りするも、鷹飼(たかがい)は不審そうにこちらを見ていた。

「あのー…」

「あ、ごめんごめん!」

「桐壺(きりつぼ)の女御(にょうご)さまが白雪を引き受けて下さるのなら、こちらとしては非常に助かるんですけど……」

姫にそんな財力がある筈がないことを、茜が一番よく分かっていた。

「無理無理。残念ながら、桐壺にそんなお金ないのよ……」

「とりあえず私が出せるのは、絹一疋(きぬいっぴき)と米一石《こめいっこく》、これで当座は凌げない?」

『お前、それはさっきの……』

「いいの。目の前で一つの命が困ってる。私が出来ることなら、全力で助けたい」

すると、鷹飼(たかがい)の表情がみるみる明るくなる。

「あ、ありがとうございます!」

鷹飼(たかがい)は茜の両手を掴むと、深々と何度も頭を下げた。

「でもこのままだと、この問題の根本的な解決にはならないのよ。何か他に方法はない?」

「今度の野行幸(のぎょうこう)に、白雪が出られさえすれば、きっと御上(おかみ)の目に止まり、費用の面でもどうにかなるかと」

――それだ!

茜も先生も、鷹狩りに出て実力を示すことが、この問題の解決の糸口だと気付く。

「どなたか、腕利きの公達(きんだち)に頼めないかな?」

「鷹狩りに参加なさるような方は、皆さま、ご自分の鷹を所有しておいでですから……」

『お前が出れば良かろう?』

「は?」

『桐壺(きりつぼ)の女御(にょうご)の名代(みょうだい)として、お前が参加すればよい』

「いやいや、鷹狩なんかやったことないし、私に出来る訳ないでしょう?」

唖然とする鷹飼(たかがい)に気付き、茜は慌てて取り繕おうとした。

「あはは、ちょっと後ろの小屋が気になって……」

「あそこは臨時の鷹小屋です。鷹狩りが近いので、今はこちらへ連れて来ています」

「へー、そうなんだ」

『鷹狩りに参加すると言え』

茜はとりあえず無視していたが、先生は頑として参加しろの一点張り。

『私がどうにかしてやるから、参加しろ』

「どうにかって? 私、馬にも乗れないよ?」

『参加すれば分かる』

そこで、茜は覚悟を決めて鷹飼(たかがい)に伝えた。

「私が桐壺(きりつぼ)の名代(みょうだい)として参加します」

「本当ですか? いや白雪、良かったなぁ!」

白雪という鷹は、ツンと横を向いたきり、こちらを見もしなかった。

(何この鷹、可愛くないんだけど……)