虐げられた花売り令嬢は、月の楼主の運命の待ち人

 手にした黄色い花の向こうに、黒髪の誰かの姿を見た。
 けれど顔をあげても誰もいない。また気のせいかと思い、灰咲(はいざき)澪里(みおり)は大通りを行き交う人々に向けて声を張り上げる。
「お花はいりませんか。贈り物に、家の飾りに、一本いかがですか」
 大声を出しているつもりだが、通りの喧噪には飲み込まれてしまう。帽子を被った華族らしい人間も、着物をきこんだ猫又の妖怪も、誰一人として振り向きはしない。痩せた小さな身体では、この場にいる者たちに声を届けることなどできなかった。
 ため息をついて足を止め、手に提げた籠の中の花を見下ろす。長い黒髪が肩から前へと滑り落ちた。
 籠の中には赤い薔薇や白い鈴蘭、黄色い水仙などの花が十数本、美しく咲いた状態で、紙に包まれている。澪里は小さく眉をひそめた。今日は売れ行きが芳しくない。
「お嬢ちゃん、花売りかい? そこまで大きく咲いているのは珍しいね」
 側を通りがかった狸の尻尾を生やした妖怪の男性が、物珍しそうに籠の中をのぞき込んできた。澪里はびくりと小さく身体を震わせつつも、口を開く。
「よければ一本いかがですか? 私が育てているのです」
 答えを聞いた男性は、目を皿のように丸くした。
「君が? 一体どうやったんだい?」
「それは……」
 つい言葉に詰まってしまう。この月城ノ国は太陽が当たっている時間が、一日の二割にも満たない影の気配の濃い場所だ。天気も曇りが多く、花や植物は育ちにくい。それ故に美しく咲いた花は高く売れるのだが、育てる方法は商売で口に出すなと言い含められている。
「言えないのかい? なにか怪しい方法でも使っているんじゃないだろうね」
 黙ったままの澪里に不信感を抱いたのか、狸の男性は訝しげな目をして去って行った。
「……また、売れなかったわ」
 澪里は小さく呟いて俯いた。花が貴重なこの国で、興味を持ってくれる人はたくさんいる。だがお金を出してまで求めてくれる人はなかなかいない。大抵は冷やかし程度に籠の花を眺めて帰るか、先ほどのように育て方を怪しまれて去ってしまうかだ。
 せめて咲かせ方を明かせば少しは違うと思うのだが、花売りを言いつけている「家族」たちは、価値が下がると言って許してくれない。
 結局夕方まで粘ったが、籠の中には相変わらず十数本の花が残った状態で、家に帰ることになってしまった。
 都の北にある屋敷へと戻り、門をくぐって玄関を開ける。
「ただいま帰りました」
 誰に聞かせるでもなくそう言って、玄関から自室へ歩いていると、広間から低い男性の声が響いてきた。
「おい。今日の売り上げは」
 見ると伯父の宗治と叔母の和代、従姉妹の天音が座卓に座り、こちらを睨んでいた。彼らの手元には、水ようかんの入った小皿と湯飲み。甘味でも楽しんでいたのだろう。もちろん澪里の分は当然ない。彼らの団らんの場に、澪里が呼ばれたことは一度もなかった。
 内心入りたくはなかったが、ここで拒否すれば余計に悪い状況になるのは目に見えている。澪里は意を決して敷居をまたぎ、宗治に革袋を差しだした。
「どうぞ、今日の分です」
「……軽い」
 受け取った宗治は顔をしかめて袋を開く。
 中身を見て――即座に怒鳴り声をあげた。
「昨日より減っているじゃないか。どういうことだ、これは!」
「申し訳ございません! 今日はお客様がうまく見つからず……!」
 咄嗟に頭を下げるが、それで止まる彼ではない。
「言い訳は聞かん! せっかく置いてやっているのに、恩を仇で返すつもりか!」
 宗治の横に座っていた天音は袋を手にし、ひっくり返す。銅貨が三枚、ちゃりんと机に落ちる音がした。
「なぁに、これ。真面目にやっているの? これっぽっちじゃ全然私の学費には足りないわよ。わかってるわけ?」
「もちろんよ。女学校にお金が掛かることくらい、よく知ってるわ」
 頭を下げたままそう告げると、天音は忌々しげに声を荒げた。
「だったらもっと稼いできなさいよ」
「でも今のやり方じゃ限界が――」
「つべこべ言うんじゃないわよ!」
 天音が横に置いていた籠を、ばんっと勢いよく床にたたきつけた。中に入っていた花たちが床に散らばっている。天音が片足をあげて花を踏みつけようとしているのを見て、澪里は大きく目を見開いた。
「やめて――!」
 澪里は咄嗟に花の上に覆い被さった。天音の足が容赦なく背中に下ろされる。踏みつけられて、澪里は小さくうめき声を上げた。
 天音は何度も足を降ろしながら、嘲笑うように口を開く。
「地味で花売りしかできない能なしが。お父様のお陰で生きていられるんだから、せいぜいちゃんと働きなさい!」
 ばしゃん、と背中に大量の水を浴びせかけられる。天音が水を操る異能を使ったのだろう。怒りが極限に達したときによくやる手段だ。
「はぁ。あんたのせいで、水ようかんを食べる気をなくしたわ」
 興味をなくしたように天音は呟いた。
「あんたが片付けておいてよ。それくらいできるでしょ」
 そう言い残し、天音の足音が遠ざかっていく。続いて宗治と和代が立ち上がる音がし、足音と共に気配をなくした。
 おもむろに顔をあげる。大広間に残されたのは、ずぶ濡れの澪里と食べかけの水ようかんの皿が三つ。そして畳の上に散らばった花たちだけだった。
「よかった。みんな無事ね」
 髪からぽたぽたと水を滴らせながら、澪里は微笑み花を丁寧に集めていった。



「うん、これでいいわね。花瓶が足りてよかったわ」
 売れ残った花たちをまとめて大きな花瓶に入れて、澪里はそっと微笑んだ。
 周囲には他の日に売れ残った花たちが、それぞれ花瓶に入れてある。十の花瓶に取り囲まれた六畳ほどの和室、それが澪里の部屋だった。
「みんなとっても素敵ね。私なんかよりもずっと」
 花を見てから微笑んだ後、自分の身体を見下ろした。痩せて貧相な体つきに、所々ほつれた古い着物。この格好で、よく大通りで花売りをしていたものだと、我ながら笑ってしまう。
「でも、話し掛けてくれた妖怪さんには、悪いことをしたわ」
 狸の男性に話し掛けられたとき、身体を震わせてしまった事を思い出す。相手は特に指摘しないでいてくれたものの、普通であれば失礼にあたる。嫌な顔をされることも珍しくない。
「妖怪さんたちは、私たち人間を守ってくれているというのに。どうして私はこうなのかしら」
 この月城ノ国は、妖怪と人間が共存している国だ。日照時間が短く影の力が強いこの国では、昔から妖怪の力が強い。それこそ数百年ほど前までは、力のある凶悪な妖怪たちが、人間を虐げ生贄として喰らいながら、恐怖によって国を支配していたという。
 だがその支配体制は百五十年前に終わりを告げた。とある大妖怪の手によって、各地で人間を虐げていた妖怪たちが一掃され、国が平定されたのだ。そして妖怪は人間を害することを禁じる決まりが作られて、現在のような人間が安寧を得られる国に作り替えられた。
 今では妖怪が人間を守り、その優れた能力によって、暮らしを支えてくれている。妖怪に認められることは人間に取っても繁栄を意味するものだった。だから人間が妖怪たちを嫌う理由なんてないはずなのに、澪里はなぜか昔から妖怪が苦手だった。
「お父様とお母様が亡くなったのは馬車の事故で、妖怪と関係ないのに……」
 華族だった両親は、澪里が五歳の頃に他界している。それ以来、澪里は灰咲男爵家の親戚で、本家の桜羽子爵家に引き取られて暮らしていた。
 桜羽家は先祖代々、高い霊力を持つ人間が生まれやすい。国が整った百五十年前辺りからは、娘を妖怪の番として差し出すことで、彼らの庇護を得て反映してきていた。だが力を持つのはあくまで本家のみの話であり、分家はそうとは限らない。
「明日の分、また少し新しく咲かせないと」
 部屋の片隅の小箱の中から、小さな袋を取り出した。中に入っているのは植物の種。手のひらに三粒取り出した。両手を閉じて力を手のひらに集めると、ふわりと黄緑の優しい光が手のひらに生まれる。ゆっくり手を開いていくと、それに呼応するかのように種から芽が出て、あっという間に待宵草が黄色い花を咲かせた。
「綺麗に咲いてくれてありがとう。頑張ってもらい手を見つけるわね」
 三本の待宵草をはさみで整えながら、澪里はそっと微笑んだ。
 澪里には、花を咲かせる異能がある。霊力を持つ華族の一員だった名残だが、花を成長させて咲かせるだけの弱い異能など、天音の持つ水を操る異能に比べれば、地味で大して役に立ちはしない。
 異能の強さはそのまま霊力の強さとなる。妖怪の番に選ばれるのは霊力の強い人間と決まっており、故に澪里は桜羽家にとってなんの価値もない存在だった。それ故に役立たずの穀潰しと言われて虐げられ、天音の女学校の学費を稼ぐために花売りの仕事をさせられている。
 整えた黄色い待宵草を花瓶に生け、ぼんやりと眺める。
「……やっぱり、何か忘れている気がする」
 黄色い花を眺めていると、しばしばそう言う感覚に襲われる。何を忘れているのかはわからない。だが浮かんでくるのは決まって、黒い髪をした誰かの影と、悲しくも温かな感情だった。
 とても大切な記憶のはずなのに、どれだけ考えても思い出せなかった。初めは両親との思い出かとも思っていたが、今ではきっと違う物なのだろうと直感的に思っていた。
「思い出せれば、何かが変わるのかしら」
 従姉妹に貶され、伯父夫婦からは利用されるだけのこの日々に、少しは違いが生まれるのだろうか。
 淡い期待を抱きながら記憶を掘り返そうとしたその時。部屋の扉ががらりと開いた。
「相変わらず花臭くて趣味の悪い部屋ねえ」
 天音が顔をしかめて花を手のひらで抑えながら、部屋の中に入ってきた。
「天音さん……何か用事なの?」
「座学の課題があること、忘れていたのよ。ほらこれ、やっておきなさい」
 ばさりと目の前に紙の束が落ちてくる。読み書きや作文。様々な内容の課題が、紙の上に記されていた。
「なにもできないあんたに教養をつけさせてやってるの。感謝しなさい」
「こういうのは……自分でやった方がいいんじゃない?」
「いいのよ。どうせもうすぐ、学校はやめることになるから。なにせ来週、私は十八になるんだもの」
 天音はうっとりとした顔で歌うように言葉を続けた。
「十八になれば『魂印』が現れる。番になる妖怪様が私を迎えに来てくれるもの。学校はやめて、妖怪様に愛されて幸せになるのよ」
 夢見がちに語る天音に、澪里は目を伏せながら小さく呟く。
「……でも、『魂印』は」
「黙りなさい」
 天音は鋭い声で即座に否定の言葉を繰り出した。言われた通りに口をつぐんだ澪里へ、彼女は口角を上げながら告げてくる。
「あんたはかわいそうねぇ。番に選ばれるなんてあり得ないもの。せいぜい花売りとして、一生過ごせばいいわ」
 そう言い残し、天音は部屋を出て行った。
「…………」
 一人になった澪里は課題を拾い上げ、文机に座って筆を走らせ始める。
 自分と天音は、奇しくも同じ日に生まれていた。天音が十八になる時は、自分も同じく十八になるのだ。両親が生きていた頃は、一緒に年を重ねて笑い合っていたのに、一体いつからこうなってしまったのだろう。
「でも、わがままは言えないわ。生きていくためには」
 今の生活は、最低限の衣食住は保証されている。だが天音たちの機嫌を損ねれば、それさえ取り上げられ、追い出されてしまいかねない。
 自分が生きて行く場所を得るためには、彼女たちに従うしかない。そう自分に言い聞かせながら、波打つ心を落ち着かせていくのだった。