覆面作家の後宮妃 〜作家だと一番バレたくなかった皇帝は、遥か昔に犬猿の仲だった幼馴染でした〜

  ◇◇◇
 
 しかし、その十日後のことだった。

「今日はとても月が美しい。ですが、一番光り輝いているのはあなたです」
「私は光を発してなどおりませんわ。月の方が数倍も美しいです」
 
 その日は、明梨のもとに殿方が訪ねてきた。ずっと有耶無耶にして誤魔化してきたが、とうとう文を超えて通ってきてしまったらしい。

 御簾を通して言葉を交わす二人の話を、私と女房たちは御帳台から盗み聞きしていた。

 殿方は一風変わった軽口を繰り出すが、明梨はそれに乗らずド直球に返す。

「……っぐふ」
「ここまで来ると殿方が可哀想よね。明梨は十歳から私に仕えてくれていて、今は二十八。これ以上のチャンスはないわよ?」

 吹き出す秋月とコソコソ話しながら、私は笑いを殺すのに必死だ。耳を塞げばいい話だが、二人のやりとりが面白すぎて体が拒んでくる。
 さぁ、殿方。次はどんな面白いお話を繰り出すのかしら。残念ながら、今の明梨には何も効かないけれど。

 思わず前のめりになって二人の会話を聞いていると——。
 数人分の足音が、遠くから聞こえてきた。それはだんだんと近づいてくる。

「あっ、……」

 殿方は慌てて立ち上がり、走って逃げていく。女房たちも何か気がついたのか、帳から出てあたふた動き出した。

 ……え?曲者?
 こっそり帳から顔を覗かせると。

「……あ」
「……」

 十日ぶりのお方と、目が合ってしまった。

 ——京陽だ。

 二度と訪ねてこないだろうと安心していた京陽が……皇帝陛下が……。

 というよりお化粧なんてしてないわ!恥ずかしすぎる!
 咄嗟に枕元の扇子で顔半分を隠して帳の中に逃げようとすると、京陽は躊躇なく帳の中に入って扇子を私の震える手から抜き取る。

「……ま、前触れもなしに何のご用ですか?皇帝陛下」

 そうだ、普通は前触れがもらえて、女性は化粧直しやら着替えやらの時間をもらえるはずなのに。
 
「なんだ、わからないのか?夜に訪ねてきたんだから、そういうことだろう」

どういうことでしょうか!私はさっぱりわかんないんですけど⁉︎

「峰世、ここには入ってくるな。灯台の火もいらん。二人きりにしろ」
「はい……!」

 ん?なんだか声が弾んでいたような。
 疑問を持つが、それ以上に焦りが顔に滲み出ていないか不安になってきた。さっきまで物語のことを書き留めていたから僅かな灯りは残っていているが、それが妙に緊張する。

「あの、私たち、犬猿の仲だったよね?」

 誰にも聞こえないように小声で問うと、京陽は当然のように頷く。

「だから、前にも言っただろう。苛烈で地位と外見にしか目がない女を皇后に立てるなんて死んでも御免だ」
「私も皇后、嫌なんだけど?」
「……それは悪いが、政治はそんなもんだろう」

 いや、いつものお前は謝ったりしないだろ!

 と思ったが、今の京陽は性格を曲げられているのを思い出した。
 それは何だか胸が締め付けられられるけれど、誰の元にも訪れなかった皇帝陛下に手をつけられたら、確実に皇后決定だ。
 そして、永遠に自由な世界は叶わない。

「……私じゃなくて、いいでしょ」
「お前は、本当はわかっているだろう。何をしたとしても、父親は後宮から出してくれないと。他の名家との縁談も、妹君に受けさせればいい。後継者の座には兄上がいる。では、そなたの役目はなんだ?」
「……国の、母となることです」

 お父様はともかく、京陽はなぜ、私を皇后にしようとしているんだろう。元犬猿の仲……あくまで『元』だけれど。政治的な理由を考えるなら、既に皇帝の次の座にいる竹川家より、最近存在が遠くなりつつある藤道家の雪子様だろうに。

「安心しろ。私は『愛している』と甘い言葉を囁いたりしない。なにせ幼少期に誰よりも嫌っていた女なんだからな」

 そんなことを言いながら、京陽の耳はほんのり赤くなっていた。いや、一番赤いのは私の方か。

 嫌悪感しかなかった人と、影が重なる。

 なのに私は、それを嫌だとは思わない。むしろ、胸の奥がザワザワしていた。
  ◇◇◇

 それからなぜか毎週、頻繁に京陽は私の御殿を訪れてくるようになった。
 ある日は昼にやってきて、女房たちも交えて会話をしたり、京陽は横笛、私は琴を演奏したり。
 ある日は夜にやってきて、そのまま泊まっていく。

 秋月が最近、蔵人頭の峰世様と文のやりとりを始めたのは微笑ましいと思う。

「そういえば、皇帝陛下と美葉様は昔、交流があったとお聞き致しましたわ。どのような会話をなされていたんですか?」
「ふふ、陛下はいつも私を気遣ってくださって、時折面白いお話をしてくださっていましたわ」
「そうだな。そなたもその話に便乗してきた」

 ただ、表面はしっかり嘘で固めている。
 喧嘩ばかりして脛を蹴っていただなんて、口が裂けても言えない。

 ——お互いに嘘をついて、片方が語り出した設定に合わせる!

 これはプライドの問題だ。京陽に関しては、昔から完璧だった設定なので皇帝としての威厳がかかっている。

 そんなこんなで、ヒヤヒヤしながら現実逃避のように外を眺めるのだった。

  ◇◇◇

 それから数週間が経った頃。
 私は宮中を出て、お寺に物詣に来ていた。
 お寺は山の中にあり、暗闇の中に僅かに灯る行燈を頼りに、お堂の長い石段を登る。

 すると、既に物詣を終えて階段を下りるところという数人の集団に遭遇した。

「あら、竹川家のお方ではありませんか」
「……どちら様で、ございましょうか」
「……っ!え、えぇ。まだお顔を合わせたこともありませんし、ご存じでなくて当然ですわよね」

 目の前の女性は自信満々な表情で胸を張っていたが、私がこぼしてしまった言葉を聞いて扇子で口元を隠す。

 ……いや、本当にこの方達は知らないわ。そもそも何故、会ったこともない私のことを知っているのかしら。

「わたくしは藤道家の者ですわ」

 そこでやっと、よく噂で聞いていた藤道雪子様なのだと気がついた。雪子様も物詣にいらしていたのか。

「それよりもあなた、どんな安物の薫物を合わせたらそのような悪臭になるの?髪も整えられていない。それではお通いになっている皇帝陛下がお可哀想。妃たるもの、清潔を保つのが基本なのに」
「……え、あ、はい?」

 この方の目と鼻は正常ではないのでないかと心配になる。

『陛下のお心を繋ぎ止め、皇后の座を得ろ。それから、後宮で得た情報も報告するように』

 なんとも心のこもっていないお父様からの手紙には、上品な香りの薫物(恐らくすごく高い)、それから椿油(恐らくこちらもすごく高い)が添えられていた。
 すなわち、悪臭がする訳がないし、髪の毛も艶々なのである。

 雪子様は、私がお嫌いなのだろうか。

「陛下はやはり清潔感のある女性の方をお好みよ。あなたなんて、竹川家だから一応聡いようですけれど、女性としての身嗜みが……」
「……は?」

 その瞬間、私の脳裏をあの少年がよぎった。そしてムズムズとした衝動が、体中に広がる。

『竹川家だから一応、頭脳はあるが。……それは竹川家だからだろ』

 私が一番拳を握りしめたくなるのは、竹川家を軽んじ、そもそも理解すらしようとしない人間を目の前にした時だ。……実際に目の前にいるこの人のような。

「随分と、陛下のことをお知りなのですね」
「ええ、当たり前よ。もう入内してしばらく経つのだから」
「ですが残念ながら、陛下は話していて面白い話ができる、聡い女人がお好みとおっしゃっていましたわ」

 嘲笑うような仕草はせず、私は「では、またどこかで」と雪子様一行の横を通り抜けていく。

「……っ、なんで、あなたなのよ。陛下に釣り合う容姿じゃないのに。……皇后に相応しいのは、わたくしなのに」

 そんな悔しさの滲んだような声が聞こえてきたが、私は何事もなかったのかのように立ち去った。




「後悔、させてやるわ。後宮に入ったこと。わたくしに喧嘩を売ったこと」
 最後のその言葉が、耳に入ることはなかった。