覆面作家の後宮妃 〜作家だと一番バレたくなかった皇帝は、遥か昔に犬猿の仲だった幼馴染でした〜

「竹川美葉と申します。……お久しぶり、です?」
「……あぁ」

 会話はそこで止まる。この返事的に、彼は綺陽で間違いないのだろう。
 ……気まずい。そもそも、この人はなぜここにいるのだろう。

「明梨、少し二人でお話しさせてくださらないかしら?」
「……かしこまりました。皇帝陛下、美葉様、御前を失礼致します」
「……?」

 皇帝、陛下?

 何だか背筋がぞくっとする。当たりそうだ。最悪のパターンが。
 当たった場合、気まずくなって、何も喋られなくなって。いや、その前に不敬で直接断罪を……。
「明梨、やはりそのまま……」
 我に返って呼び止めようとした頃には、御廉の向こうに明梨の影は見えなくなっていた。

 私は陛下が上座にお座りになるのを確認して、少し遠くの下座に平伏する。

「えっと、何故ここに?」
「主の父君に『娘が入内したから、挨拶だけでもさせてほしい』と、わざわざ時間まで作って。父君は権力者なので逆らえなかった。深い意味はない」
「そうで、ございますか」
 そしてまた、沈黙に戻る。

 ……気まずい!気まずすぎる!!

 そもそも、性格変わってないですか⁉︎ 綺陽なら真っ先に私を揶揄ってくるはずなのに!
 かといってそのまま皇帝陛下を帰らせれば、間違いなくお父様に……。

 そこで、とあることを閃く。

「えっと、綺陽、ですか?」
「……まぁ、そうだな。本当の名は京陽だが」
「なるほど」

 私は思いっきり息を吸い込み、そして再び、勢いよく畳に額を擦りつける。

「大変、申し訳ございませんでした!!」
「……は?」
「これかでの数々の無礼、重ねてお詫び申し上げます!」
「……おい」
「言い訳のようですが、知らなかったのです。尊き血の流れる方だとは夢にも思わず」
 
 こういう時は、時間を稼ごう。おそらく陛下がどのくらい私の宮にいらっしゃったかはお父様も把握されているはず。
 賢いお父様なら、私なんかが陛下に気に入られることは無いとわかっているはず。
 少しでも足止めしたということで、評価してくれないだろうか。

 そして少しでも使えると思い、私の願いを聞いてくれるかもしれない(ありえないと自分が一番わかっている)。

 よし、お父様に文を書こう。物語のように現実味のある理由を捲し立てて、なんとかこの地獄から逃げよう。
 今、私の脳は逃げることしか考えられない。時間稼ぎしているのに逃げたいと願っている時点で矛盾しているが。

 知識豊富な名家の長女だ。他の六大名家の後継ぎから文が送られてきたこともあるし(縁談は何とか躱した)、後宮から出ればまた、良い男性から文をもらえるかもしれない。

 ……結婚を拒んだりしないから、名家に嫁ぐなりなんなりできるよう頑張るので、後宮から出してください!

「おい、お前らしくないぞ。立場を隠していたのは事実だし、その、許す!許すから表を上げろ!」

「はい、許してくださるのですね!陛下に暴言を吐いたこと、陛下を無視したこと、陛下の足を踏んだこと、陛下の脛を蹴ったこと、どれを許してくださるのでしょうか!」

「何でそんなことまで覚えているんだ!」

「いい加減顔を上げろ!」と命令されて私は頭を上げ、ようやく陛下のお顔を見る。
 顔立ちは変わっていないけれど、なんだか、表情が変わったな。

「……陛下は、変わられましたね。凛々しくなられたような」
 ぽつりと呟くが、『凛々しい』などと陛下に言ってしまったことに気づいて口に手を当てる。
「その代わり、女は不得意になったぞ。最近は毎日のように皇后を決めろなど、せめて四夫人の誰かでも埋めろだの、側近がうるさくて仕方がない」
「女を嫌いにさせて申し訳ございません」
「別に、お前のせいというわけではない。……むしろ、お前の方が話しやすいような」
「はい?」
「違う!そういうことじゃない。お前を嫌いだったのは事実だ」

 すでに距離は離れているというのに、陛下は私から離れるように後ろに下がる。まるで幽霊を見たような、蒼白な顔で。
 よかった。ここで真っ赤になったら、小説のように実は好きだったという展開になってしまう。

「というか、お前は変わったな。口調が柔らかくなったというか」
「そういう陛下こそ。いつもなら、ここで私が怒るような挑発をするでしょう?」

 すると突然、陛下から表情が消えた。

 ——幼い頃にも見たことはない、自分を嘲笑うような目だ。

「才女たるお前に、面白いことを教えよう。……突然皇太子の座に座らせられると、性格も曲げられる」

 その目を見ただけで、私はこの方がどれだけ過酷な道を辿ってきたのかがよくわかった。今思えば、私が京陽と共にいたのは、たったの五歳から七歳。たったの二年間だった。
 皇太子・京陽として生きてきたのは、十年以上。

 陛下はその場を立つ。
「私はもう帰る。挨拶は済ませただろう」
「あ、それと陛下。私はいらないでしょうし、お父様に私と陛下は相性が悪いとでも証言していただけませんか?」
「は?お前……幾ら私が嫌いだからと」
「嫌いなのは昔ですが、昔を引きずっておりますの」

 陛下はため息を吐き、廊下の方へと向かっていく。けれど御簾をくぐったところで、ふと足を止める。

「……証言はまだ、様子を見てからだ。それから、二人の時は京陽、と。口調も昔に戻せるか」
「え、あ、はい」
「……また来る」

 また、来る?

 私は頭が真っ白で、陛下……京陽を見つめたまま体が動かなかった。いや、頭が真っ白なのは、十二単があまりにも重すぎて驚いたからだ。きっとそう。

 あいつのことで胸がざわつくなんて、ありえないわ。
  ◇◇◇
 
 その日の夜。
 私は京陽が訪ねてきたことは心の奥にしまい、呑気に女房たちと会話を楽しんでいた。
 御帳台に正座して、向かい合うように数人の女房を座らせて。

「美葉様は、もっとお気位の高くて、厳かな方だと思っておりましたわ。あ、もちろんいい意味で」
「ふふ、そう?竹川家は本が充実していて、本ばかり読んでいたわ。でも、お話をするのも楽しいものなのね」

 数日しか経っていないが、女房たちとの親睦はそれなりに深められている。最初はお堅い方なのだと勘違いして、怖がられていたけれど。

 実際は、頭脳を売りとしている名家なのに身分を隠した皇族に気づけない、若干抜けている女である。……自覚症状はあるが直せない。

「そういえば、今日、皇帝陛下がいらっしゃったとお聞きしました」
 
 一人の女房が口元を十二単の裾で隠し、コソコソと、けれど興奮を抑えきれていない輝かしい目で話を切り出す。

「陛下はご挨拶にいらしてくださっただけよ?」
「そのこと自体がとてもお珍しいのです!陛下は最も皇后に相応しいとされていた藤道家出身の雪子様が入内されたときは、雪子様の御殿を訪れられていません」
「あなた、このことを聞かれてしまったら、藤道家に誤解されてしまいますわ」
「あぁ、失礼致しました」

 ……それはお父様が仕向けたからで、本当に何もない!
 
 藤道家は武道に秀でた名家だ。失礼だが、敵に回すと威圧で押し潰されそうだし、物理的に屋敷を叩き潰されそうなイメージがある。
 雪子様がどのような方かは存じ上げないが、普通に穏やかな方であってほしい。

「実は、陛下とは昔、交流があったの。まだ皇太子になられる前だったけれど。なので、挨拶はしなければと思われたようで……とにかく、律儀な方なのよ」
「まぁ!おこがましくも、皇帝陛下は後宮にいる者なら誰もが憧れますもの。やはり律儀なお方なのですね」

 本当は真逆の性格のはずなのに。昔の『綺陽』が頭に浮かびすぎて違和感しかない。
 
 ……いえ、今思えば京陽と再会した時から、私が一番不敬な思考をしているようだわ。

 不自然にならないよう作って固めた完璧な笑みが、ビクビクと引き攣っているのではないかと不安になる。

「そ、それより私はあなたたちの話が聞きたいわ。気になる殿方はいないの?私も力になるわよ?」
「美葉様、わたくしは美葉様にお仕えできるだけで幸せにございますわ!」

 秋月が、誰よりも早く即答する。

「じゃあ、秋月、素敵だと思う殿方は?明梨みたいに男性に興味を示さないようでは、私、つまらないもの」

 そうやってコソコソとイタズラっぽく笑うと、明梨が鬼の血相をして……明梨は私が幼い頃、色々な知識を授けてくれた教育係だったことを思い出した。
 
 それはさておき。

「……異性のお方だというのなら、その、身分違いとはわかっているのですが」

 秋月はほんのり頬を染めて、ポロリと口にする。

「蔵人頭の、峰世(みねよ)様は、お優しくて、聡明な方だと思います」
「キャー!いるじゃないですか、秋月様にも!」
「蔵人頭ということは、皇帝陛下の最側近のお方!美葉様はどう思われますか?」

 女房たちが黄色い声をあげながら胸をときめかせている間、私は恋物語が頭に思い浮かぶ。

 ……物語の題材にしたら、面白そう。女房と蔵人頭の恋物語。

「私も応援するわ。秋月は美しいし、歌を詠むのも上手。時には冗談で場を明るくしてくれて、私、あなたのおかげで一瞬で緊張が吹き飛んだもの」
「美葉様!やはり美葉様が一番です!一生お慕いしておりますわ!」

 冗談混じりのようでどこか本気一色にも見えるその言葉で、場は笑いに包まれる。

「さぁ、もう寝ましょう。このままみんなで寝てもいいけれど」
「いいえ、局に戻らせていただきますわ。美葉様はまだ慣れ始めたばかりでお疲れでしょうから」
「そう?では、おやすみなさい」

 女房たちがそそくさと退散していくのを見送り、私は最後まで残っていた明梨に『紙と墨をちょうだい』というような視線を送る。
 明梨は感じ取ってくれたのか、素早く懐紙と墨を用意してくれた。
 私は畳に懐紙を置き、頭に浮かんだ物語の内容をざっくりと書き留めていく。

「美葉様が今お書きになっているものは、きっと素晴らしいのでしょうね。見なくてもわかります」

 帳の向こうに控えている明梨の言葉に、私は苦笑いした。明梨は私が熱くなっていることをわかっているのだろうから。
 これから、どうなるかはわからない。もしかしたら後宮から出られるかもしれないし、出られないかもしれない。

 ただ、京陽が私を愛さないというのはわかっている。昔から、合わない性格なのだと理解していた。きっと向こうもそう思っている。