覆面作家の後宮妃 〜作家だと一番バレたくなかった皇帝は、遥か昔に犬猿の仲だった幼馴染でした〜

  ◇◇◇

 それからすぐに、家を出る日がやってきた。
 ある程度の荷物をまとめ、この日のために仕立てられた金糸の刺繍が施された華やかな衣を纏って、後宮に向かう牛車に揺られる。

『ついでに言えば、四夫人ですら、誰一人としていないんだ。とりあえず、四夫人になるだけでもいい。……五つも席があるんだ。簡単だろう?』

 初めて知った。お父様には、感情というものはない。
 皇后と四夫人という座がどれだけ重要なのか、わかっているようで、裏では軽んじているようにも思える。

「美葉様。緊張なさっているのですか?」
「……まぁ、それなりに。でも明梨がついてきてくれるのなら、安心できるわ」

 後宮には、明梨もついてきてくれることになった。側仕えは変わらぬ方が安心するだろうと。
 そして今は、牛車の向こうに座って優しく微笑んでくれている。

「そういえば、明梨。後宮にも、紙と墨はあるのよね?」
「えぇ。それはもう、たくさんあるでしょうね」

 明梨の安心させるような柔らかい声に、私は少しだけ緊張が和らぐ。
 後宮は、どのようなところなのだろうか。竹川家の屋敷と、案外変わらなかったりして。

「私の書いた歴史物語も、あったりするのかしら」
「……それはもう、たくさんあると思いますよ。妃や女房に一冊ずつは配られているのでは?」
「ふふ、古代の神話の途中までしか書いていないから。たくさん書きたい」
「……ついでに、美葉様の男女の物語も、流通させなくてよろしかったのですか?」
「そんな。男女の物語は後宮では禁止でしょう。厳しいだろうし、どうやって続編の原稿を渡そうかしらね」
 
 男女の物語。つまり、恋物語だ。

 問題は、どうやって原稿を後宮の外に出すかだった。一応お父様は私が物語を書いていることを知っているし、歴史物語を流してもらおうか。
 私がやっていることは一応この国の役に立つし、取り持ってくれそうな気がする。

……恋物語はー、うん。諦めましょう。

 里帰りできた時に少しこっそり渡すぐらいならばできるかもしれないが。

 心の中で考えていると、明梨が「見えてきましたよ」と、御簾を手の甲で持ち上げながら外を覗いた。私もちらっと、覗いてみる。

 すると、荘厳とした黒い門が姿を現す。

「うわぁ。あれ、本当に木?まぁ、建築物は木以外ありえないだろうけど。後宮って馬鹿馬鹿しいほどお金を使ってるのねー」

 門の前で馬車は止まり、私と明梨は牛車から降りて開いた門の先に入った。

  ◇◇◇

 それから数日後。

 入内を無事終え、私は自分の御殿で慎ましく暮らしていた。
 紙も墨も女房に伝えればすぐに持ってきてくれるし、お父様に文を書きたいと言えば届けてくれる。

 ……ちなみにお父様は宮中で働いているのだが、すぐに返ってきた文には『自分の役目を全うするため勉学に励め』とだけ。

 このご時世、皇后となるのに一番大切なのは知性だ。
 上手な歌を詠めて、歴史や歌を多く知っている人が優れた女性となる。

 その点では、竹川家は頭一つ抜き出ている。

 ……そういえば、昔、社交性が大事だとか言ったバカ……じゃない、知性のない方がいた。

 名は綺陽といい、とにかく品のない行動ばかりする。けれど、お父様に『手厚くもてなせ』と言われるので、一族の中でも有望株なのかと信じて耐え抜いた。
 いつもは喋らず本を読んで過ごしたかったのに、気を遣って会話した。なのに、綺陽は『会話が弾まない、つまらない』とこちらに文句をつけてくる。
 本来なら、本家の娘に不敬を働いたのだから一族の中では生きていけないはずなのに。

 その後突然姿を消して、私は何らかの理由で死んだのだと思っている。死人を永遠に嫌い続けてもいいことはないし今は嫌悪感こそなくなっているものの、いいイメージではない。
 まぁ、再会することなんて永遠にありえないのだから、問題ないだろう。

 そんなことを思って、文机に置かれた歴史書に手を伸ばす。

 すると。

「失礼致します。美葉様、大切なお客様がお見えにございます」
「はい……?」
 
 明梨の声が妙に震えていて不信感を抱いたが、私はとりあえず返事をする。
 
 ……お父様?

 お父様が私に皇后の座を得るように指示したことは、明梨も知っているはずだ。だから、お父様への畏怖が増したのかもしれない。

 なんの緊張感も持たずに後ろを振り向くと——。

「……あ」
「……あ」

 そのお客様と、目が合った。 
 そして、ありえないほど気まずい雰囲気が流れる。
 間違いなくわかる。身長は伸び、顔も大人びて、体格も引き締まっているが、面影は残っていて。

 ——間違いなく、綺陽だった。