「お前って、本当に喋らないよな。妹は気が利いて、天真爛漫って聞くのによ」
向かいに足を伸ばしてだらしなく座る綺陽に、私はカチンときた。
妹が私より社交性があるのは認める。だが、頭脳の話なら私の方が圧倒的に上だ。妹も自らそう言って慕ってくれている。
——逆を言えば、私には頭脳しか取り柄がない。
だから必死に努力しているというのに、社交性の方が大事と言うのか。
我が竹川家は、膨大な知識を持つ者が上に立つ。こいつも竹川の血を引いているのならばわかるだろう。
妹と比べて下に見られるのは別に私は良いのだが、竹川家のルールを軽んじて馬鹿にしているようで気に食わない。
「そもそも、本当に竹川家の人間なの?一番地位の低い者でも知っていることを知らないし」
「ふん。どうせ勉強しても意味がないんだよ」
品のあるような名前をしているくせに、性格は大雑把でヤンチャ。整った顔も、怒りを倍増させる。私は美しい正座を保ったまま、綺陽を睨みつけた。
「私、あんたなんか大っ嫌い!なぜかはわからないけど、お父様の命令で話し相手してやってるだけありがたく思ってよ」
「俺だってお前なんか嫌いっつーの。全然喋んなくて、暗くて、つまんない」
「私の方が立場が上ってわかって言ってる?」
こいつは気に食わないけれど、なるべくいつもより口数を増やしてやっている。何が喋らないだ。
ほんっとうに大っ嫌い。顔も見たくない。
◇◇◇
——だが、綺陽は当時の皇太子殿下が病で急逝した日を境に、姿を消した。
皇太子殿下が亡くなられた時期と被ったけれど、どこかで野垂れ死んだのか。あるいは、その性格ゆえに誰かの怒りを買って殺されたのか。どちらかと思った。
お父様は何も言わなかったけれど、どこか知っている様子。
……まさか、綺陽が第二帝位継承者で、空いた皇太子の座に座ることになっていたとは。そして、わずか十八歳で皇帝になっていたとは。
……私がその皇帝の妃として後宮に入ることになるなんて、一番予想できなかった。
◇◇◇
格子からのぞく眩しい太陽の光で、私は目を覚ました。どうやら、小説を書くのに夢中でそのまま寝落ちしたらしい。
目が覚めた頃には、だらしなく足を伸ばして、古びた文机に突っ伏していた。
床にとどくほどの黒髪は、いつの間にか紐が解けてブワッと広がっている。
辺りを見渡してみれば、そこはいつもの自室ではなく、わずかに湿った臭いがする物置。今は使われておらず、屋敷からも離れていて、まさに楽園だ。
私の部屋に明かりがついていると起きていることがバレるが、使われていない物置に視線をやる女房なんていない。
「ふふ、今日の朝ごはんは何かしら。その前にお父様の説教かもしれないけど」
呑気に考えながら、着物の乱れを整え、凝り固まった肩をほぐす。
もうそろそろ、女房の明梨が屋敷の自室に私を起こしに来るはずだ。だが残念ながら、私はこっそり秘密ルートを使って屋敷を抜け出している。
小説は、キリがいいところまで書き終えた。
市井の子供達にもこの国をもっと知ってほしいと、歴史書を物語にしたものだ。
そこらの貴族のように値段を跳ね上げて儲けようなんて考えはしないので、値段は紙や墨代以外ほとんど上乗せせず、安めに抑えてある。
……残念ながら、平民と貴族の貧困の差は広がっているけれど。
……私にしては上出来。文字も大きめにさせてあるし、貴族の子供に教材として使ってもらえる。
実際、今は後宮で採用されるほど、私の歴史物語は知名度が上がってきた。
出来上がった原稿と執筆用具を持ち、私は物置を出ようと扉を開いた。
◇◇◇
屋敷に入ると、女房の明梨が仁王立ちして待ち構えていた。私がもうすぐ帰ってくると、わかっていたのかもしれない。
「美葉様!どこに行っていらしたんですか⁉︎ 御髪も結わずに!」
「……明梨。散歩に行っていただけ」
「美葉様、夜から朝までいらっしゃらなかったでしょう?そのお顔から察するに」
嘘がバレて、私はその場に棒立ちする。
明梨は、私が生まれた頃からずっとお世話になってきた人だ。妹の出産時にお母様が亡くなってからは、もはや明梨が母親のような存在。
私は深いため息を吐き、履いていた下駄を脱いだ。そして板の間に上がり、羽織っていた袿を明梨に渡す。そして自分の部屋に向かって、長い廊下を歩き出す。
「ほら、小袖にちゃんと袿は羽織ったわ」
「でも、素足のまま……」
「下駄は履いたもの」
「……はい」
本当は着物も安物でいいのに。自室ももっと無機質でいい。
下駄は、外に出かける時は足袋に草履が普通の私にとって夢のようなもの。こっそり市井から取り寄せたが、その時に協力してくれたのも明梨。
明梨は平民の出身だから、色々と詳しいのだ。
……きっと、縛られる私の気持ちをわかろうとしてくれている。
——やっぱり、私も平民に生まれたかった。
それが本音だ。
昔は「あんた」などと余裕で使っていたが、今は教育を施されて淑女の口調が定着している。
……心ではたまに使ってしまう。
世には竹川家のような六大名家に生まれたかった人がたくさんいて、私は平民になりたい。
生まれる家が自分で決められないんだから、しょうがないとはわかっているけれど。
「美葉様、そういえば、旦那様がお呼びですよ。戻り準備が整い次第、書斎に連れてくるようにと」
「……えー、私、なんか悪いことしたかしら?」
「美葉様」
急に明梨が真剣な表情になる。
「あなた様は、名家の長女である竹川美葉様にございます。どうか、そのことは忘れないでくださいませ」
「……?」
言っていることは当たり前だ。私は竹川美葉であり、上流階級の人間としての自覚もある。
……自覚がないと言われるのであれば、後宮を中心とした上流階級で風紀を乱すと禁止されている、恋愛や自由をテーマとした物語を書いていることだろうか。
◇◇◇
竹川家の書斎は、重苦しい空気が漂っている。
全体的に部屋の中が暗く、紙と墨の臭いが充満しているのだ。
先々代当主が『暗い方が心が落ち着く』と発言したことでこうなったとか。
広い部屋には書物が並び、いつでも読める環境になっている。
「美葉。お前は、皇帝陛下のもとに嫁げ」
お父様は、私に背を向けたまま告げた。おそらく今、文の返事を書いているところだ。
「……はい?」
畳に正座したまま、私は思わず声を漏らしてしまった。
意味がわからなかった。それはつまり、あの後宮に入れと?
現在の皇帝陛下は二十歳で、即位して二年が経っている。
私は一八歳なので、年の差はあまりない。中には年が二、三倍の男性に嫁ぐ女性もいるので、年が近いのは安心できると思うけれど。
「陛下にはまだ、皇后がいらっしゃらない。何なら、後宮には名家出身の妃も多くいるが、誰一人として気に入ってくださらない」
視線はそのまま、お父様はため息をこぼす。最近は元気がなくてため息ばかりだと思っていたが、このことだったのか。
……じゃなくて。
「ならば、引きこもりの私がなぜ後宮に入るのです?」
「お前は大人しく、品性があって、美貌もある。その頭脳があれば、国を良い方向に導ける」
「……いえ、私は引きこもりですし。期待しない方がよろしいかと」
「お前は、妙なところで鈍感なのだな。はっきり言った方がよいのか?」
お父様はやっと筆を置き、こちらを振り返る。
「お前は物語を書いてばかりで、はっきり言って役立たずだろう?皇后の座を得て、我が家の存在感をより強くしろ。そして、この国と竹川家に貢献するのだ」
向かいに足を伸ばしてだらしなく座る綺陽に、私はカチンときた。
妹が私より社交性があるのは認める。だが、頭脳の話なら私の方が圧倒的に上だ。妹も自らそう言って慕ってくれている。
——逆を言えば、私には頭脳しか取り柄がない。
だから必死に努力しているというのに、社交性の方が大事と言うのか。
我が竹川家は、膨大な知識を持つ者が上に立つ。こいつも竹川の血を引いているのならばわかるだろう。
妹と比べて下に見られるのは別に私は良いのだが、竹川家のルールを軽んじて馬鹿にしているようで気に食わない。
「そもそも、本当に竹川家の人間なの?一番地位の低い者でも知っていることを知らないし」
「ふん。どうせ勉強しても意味がないんだよ」
品のあるような名前をしているくせに、性格は大雑把でヤンチャ。整った顔も、怒りを倍増させる。私は美しい正座を保ったまま、綺陽を睨みつけた。
「私、あんたなんか大っ嫌い!なぜかはわからないけど、お父様の命令で話し相手してやってるだけありがたく思ってよ」
「俺だってお前なんか嫌いっつーの。全然喋んなくて、暗くて、つまんない」
「私の方が立場が上ってわかって言ってる?」
こいつは気に食わないけれど、なるべくいつもより口数を増やしてやっている。何が喋らないだ。
ほんっとうに大っ嫌い。顔も見たくない。
◇◇◇
——だが、綺陽は当時の皇太子殿下が病で急逝した日を境に、姿を消した。
皇太子殿下が亡くなられた時期と被ったけれど、どこかで野垂れ死んだのか。あるいは、その性格ゆえに誰かの怒りを買って殺されたのか。どちらかと思った。
お父様は何も言わなかったけれど、どこか知っている様子。
……まさか、綺陽が第二帝位継承者で、空いた皇太子の座に座ることになっていたとは。そして、わずか十八歳で皇帝になっていたとは。
……私がその皇帝の妃として後宮に入ることになるなんて、一番予想できなかった。
◇◇◇
格子からのぞく眩しい太陽の光で、私は目を覚ました。どうやら、小説を書くのに夢中でそのまま寝落ちしたらしい。
目が覚めた頃には、だらしなく足を伸ばして、古びた文机に突っ伏していた。
床にとどくほどの黒髪は、いつの間にか紐が解けてブワッと広がっている。
辺りを見渡してみれば、そこはいつもの自室ではなく、わずかに湿った臭いがする物置。今は使われておらず、屋敷からも離れていて、まさに楽園だ。
私の部屋に明かりがついていると起きていることがバレるが、使われていない物置に視線をやる女房なんていない。
「ふふ、今日の朝ごはんは何かしら。その前にお父様の説教かもしれないけど」
呑気に考えながら、着物の乱れを整え、凝り固まった肩をほぐす。
もうそろそろ、女房の明梨が屋敷の自室に私を起こしに来るはずだ。だが残念ながら、私はこっそり秘密ルートを使って屋敷を抜け出している。
小説は、キリがいいところまで書き終えた。
市井の子供達にもこの国をもっと知ってほしいと、歴史書を物語にしたものだ。
そこらの貴族のように値段を跳ね上げて儲けようなんて考えはしないので、値段は紙や墨代以外ほとんど上乗せせず、安めに抑えてある。
……残念ながら、平民と貴族の貧困の差は広がっているけれど。
……私にしては上出来。文字も大きめにさせてあるし、貴族の子供に教材として使ってもらえる。
実際、今は後宮で採用されるほど、私の歴史物語は知名度が上がってきた。
出来上がった原稿と執筆用具を持ち、私は物置を出ようと扉を開いた。
◇◇◇
屋敷に入ると、女房の明梨が仁王立ちして待ち構えていた。私がもうすぐ帰ってくると、わかっていたのかもしれない。
「美葉様!どこに行っていらしたんですか⁉︎ 御髪も結わずに!」
「……明梨。散歩に行っていただけ」
「美葉様、夜から朝までいらっしゃらなかったでしょう?そのお顔から察するに」
嘘がバレて、私はその場に棒立ちする。
明梨は、私が生まれた頃からずっとお世話になってきた人だ。妹の出産時にお母様が亡くなってからは、もはや明梨が母親のような存在。
私は深いため息を吐き、履いていた下駄を脱いだ。そして板の間に上がり、羽織っていた袿を明梨に渡す。そして自分の部屋に向かって、長い廊下を歩き出す。
「ほら、小袖にちゃんと袿は羽織ったわ」
「でも、素足のまま……」
「下駄は履いたもの」
「……はい」
本当は着物も安物でいいのに。自室ももっと無機質でいい。
下駄は、外に出かける時は足袋に草履が普通の私にとって夢のようなもの。こっそり市井から取り寄せたが、その時に協力してくれたのも明梨。
明梨は平民の出身だから、色々と詳しいのだ。
……きっと、縛られる私の気持ちをわかろうとしてくれている。
——やっぱり、私も平民に生まれたかった。
それが本音だ。
昔は「あんた」などと余裕で使っていたが、今は教育を施されて淑女の口調が定着している。
……心ではたまに使ってしまう。
世には竹川家のような六大名家に生まれたかった人がたくさんいて、私は平民になりたい。
生まれる家が自分で決められないんだから、しょうがないとはわかっているけれど。
「美葉様、そういえば、旦那様がお呼びですよ。戻り準備が整い次第、書斎に連れてくるようにと」
「……えー、私、なんか悪いことしたかしら?」
「美葉様」
急に明梨が真剣な表情になる。
「あなた様は、名家の長女である竹川美葉様にございます。どうか、そのことは忘れないでくださいませ」
「……?」
言っていることは当たり前だ。私は竹川美葉であり、上流階級の人間としての自覚もある。
……自覚がないと言われるのであれば、後宮を中心とした上流階級で風紀を乱すと禁止されている、恋愛や自由をテーマとした物語を書いていることだろうか。
◇◇◇
竹川家の書斎は、重苦しい空気が漂っている。
全体的に部屋の中が暗く、紙と墨の臭いが充満しているのだ。
先々代当主が『暗い方が心が落ち着く』と発言したことでこうなったとか。
広い部屋には書物が並び、いつでも読める環境になっている。
「美葉。お前は、皇帝陛下のもとに嫁げ」
お父様は、私に背を向けたまま告げた。おそらく今、文の返事を書いているところだ。
「……はい?」
畳に正座したまま、私は思わず声を漏らしてしまった。
意味がわからなかった。それはつまり、あの後宮に入れと?
現在の皇帝陛下は二十歳で、即位して二年が経っている。
私は一八歳なので、年の差はあまりない。中には年が二、三倍の男性に嫁ぐ女性もいるので、年が近いのは安心できると思うけれど。
「陛下にはまだ、皇后がいらっしゃらない。何なら、後宮には名家出身の妃も多くいるが、誰一人として気に入ってくださらない」
視線はそのまま、お父様はため息をこぼす。最近は元気がなくてため息ばかりだと思っていたが、このことだったのか。
……じゃなくて。
「ならば、引きこもりの私がなぜ後宮に入るのです?」
「お前は大人しく、品性があって、美貌もある。その頭脳があれば、国を良い方向に導ける」
「……いえ、私は引きこもりですし。期待しない方がよろしいかと」
「お前は、妙なところで鈍感なのだな。はっきり言った方がよいのか?」
お父様はやっと筆を置き、こちらを振り返る。
「お前は物語を書いてばかりで、はっきり言って役立たずだろう?皇后の座を得て、我が家の存在感をより強くしろ。そして、この国と竹川家に貢献するのだ」


