『もう一人体験に来られた方がいて……すっごいセンス良くてびっくりしたな〜。』
先生のその言葉が、一週間経っても頭から離れなかった。
なんでかは分からない。比較されたわけでもないし、気にする理由もない。なのに、妙に胸がざわつく。
土曜日の朝、そんな気持ちを引きずりながらダラダラと準備をしていた。すると、いつの間にか、時計は九時四十分を過ぎていた。急いでも、開始時間には間に合いそうになかった。
教室に電話をし、十五分ほど遅刻してしまうことを伝える。先生は、電話越しにも伝わる優しいトーンで、「全然大丈夫です! 急がず、気をつけて来てください。待ってます」と言ってくれた。
……遅刻なんて、初めてのことだった。
物心ついてから、学校も習い事も無遅刻無欠席、五分前行動が当たり前だった。きっちりしてるね、なんて最近も会社で言われたっけ。そんな俺が遅刻。正直、びっくりした。
でも、電話口の先生の声を思い出すと、焦りや申し訳なさの中に、ほんの少し安心した気持ちもあった。先生は、俺を優しく待っていてくれる、そんな安心感が最初からあったのかもしれないな。
「珍しいな……」
「晶くんも遅刻なんてするのね」
「いやぁ、いつもは五分前には到着してますね」
「甘えられるくらい、安心できる存在だってことじゃない? ……大地先生が」
幸恵さんが言う通り、本当にそうなら嬉しい。
晶くんは、僕に対してなかなか心を開いてくれていないと感じていたから。
陶芸教室に来るようになって、もう二ヶ月が経つ。最初に会ったときから、晶くんの目が印象的だった。
大きいのに、どこか静けさを感じる目。何を考えているのか、簡単には分からない。話しかけても、返事はそっけない。あんまり楽しんでくれていないのかな、なんて思うこともあった。
でも、ちゃんと見ていると、そうじゃないことも分かってくる。不器用なところがあるだけで、本当は優しい人なんだと思う。
言葉は少し冷たく聞こえても、こちらの話をきちんと聞いてくれる。僕が何気なく言ったことを覚えていてくれる。そういうところに気づくたび、なんだか嬉しくなった。
もっと話してみたい。
僕のことも、知ってほしい。
そんなふうに思うようになったのは、いつからだったかな。
時計を見る。まだ、晶くんは来ない。
……早く会いたいな。
「遅れてすみません」
教室に入ると、やっぱり申し訳なさが込み上げた。
「おはよう! 大丈夫ですよ。落ち着いてから始めましょう」
先生は優しく声をかけてくれた。
コートを掛けたり、荷物を出したりしている間に、先生が、先週までに俺が形にした一輪挿しの小さな花瓶を運んできた。そして、「ちゃんと乾燥と素焼き済んでますよ〜」と言いながら、俺の前の机に置いた。
「晶くんの作品は、慎重なところが出てていいですね」
と、先生が俺に言った。
いつもなら、無難にありがとうございますとか、そうですかね、とか返していたはずだ。
でも、今日の俺は違った。
「……先生はセンスいいのが好きなんですよね?」
俺は先生の目も見ずにそう言った。
さっきまで先生の優しさに心が救われるような気持ちだったのに、苛立ちが再燃してしまっていた。だから、棘のある言葉をあえて選んだのだと思う。
でも、先生に届く頃にはその棘はあっけなく抜け落ちてしまったようだ。
「え? うーん、やっぱり、その人らしさが出てる作品って面白いなと思うけどね」
……そういうこと聞いてるんじゃないんだけど。
腹立つな。
削りなどの仕上げをして、今日の作業は終わった。俺は挨拶をあっさりと済ませ、そそくさと教室を出た。駐車場で車の鍵がなかなか見当たらず、ガサガサと鞄を漁っていた。イライラが募る。
すると、横に車を停めている幸恵さんが俺の顔を覗き込むようにして、「晶くん……大丈夫?」と声をかけてくれた。
俺が「なんかすみません……」と返すと、幸恵さんは「ちょっと話してみるだけでも、すっきりするかもしれないよ」と言ってくれた。俺は甘えようと思った。
「……話、聞いてください」
「もちろん」
幸恵さんは嬉しそうにそう言ってくれた。
俺と幸恵さんはそれぞれ車を走らせ、すぐ近くのコーヒーチェーン店へ向かった。
席に着くと、幸恵さんはメニュー表に視線を落としたまま、「私、カフェラテのたっぷりサイズにしようかしら」と言った。
ゆっくり話聞くよ、ということだと思った。……いや、実際そう言われたわけではないけど、幸恵さんはそういう人だと思ってる。
外は寒いのに、俺はたっぷりサイズのアイスコーヒーを注文し、届いた瞬間に勢いよく飲んだ。その一口でグラスの中身が三分の一ほど減っていた。俺は息が整うのも待たずに話し始めた。
「……先生が、体験の人のこと褒めてたじゃないですか、センスいいって」
「うん」
「別に、いいじゃないですか。先生が誰を褒めようが、誰と仲良くしようが。俺には関係ないし」
「うん」
「なのに、なんか腹立って。今日、嫌味みたいなこと言っちゃって。そのこと考えてたら、遅刻までしちゃって」
「そうだったのねぇ」
「……俺、何やってるんだろう」
そう言いながら、まだ温かさが残るおしぼりをいじった。
「……好きなのかもしれないです」
幸恵さんは何も言わなかった。
「先生のこと。……好きなのかもしれない。でも、認めたくないんです」
幸恵さんは豆菓子を一つ摘み上げ、それを穏やかな表情で見ながら、
「素敵ね、晶くんの気持ち」
とだけ言った。
自宅に帰ってから、幸恵さんに話を聞いてくれたことへの感謝のメッセージを送信した。気持ちが軽くなった、とも。
ふと、メッセージアプリのプロフィールに設定された誕生日が目に入った。再来週の金曜なんだ……。先生、どんなプレゼント用意してんのかな。
先生のその言葉が、一週間経っても頭から離れなかった。
なんでかは分からない。比較されたわけでもないし、気にする理由もない。なのに、妙に胸がざわつく。
土曜日の朝、そんな気持ちを引きずりながらダラダラと準備をしていた。すると、いつの間にか、時計は九時四十分を過ぎていた。急いでも、開始時間には間に合いそうになかった。
教室に電話をし、十五分ほど遅刻してしまうことを伝える。先生は、電話越しにも伝わる優しいトーンで、「全然大丈夫です! 急がず、気をつけて来てください。待ってます」と言ってくれた。
……遅刻なんて、初めてのことだった。
物心ついてから、学校も習い事も無遅刻無欠席、五分前行動が当たり前だった。きっちりしてるね、なんて最近も会社で言われたっけ。そんな俺が遅刻。正直、びっくりした。
でも、電話口の先生の声を思い出すと、焦りや申し訳なさの中に、ほんの少し安心した気持ちもあった。先生は、俺を優しく待っていてくれる、そんな安心感が最初からあったのかもしれないな。
「珍しいな……」
「晶くんも遅刻なんてするのね」
「いやぁ、いつもは五分前には到着してますね」
「甘えられるくらい、安心できる存在だってことじゃない? ……大地先生が」
幸恵さんが言う通り、本当にそうなら嬉しい。
晶くんは、僕に対してなかなか心を開いてくれていないと感じていたから。
陶芸教室に来るようになって、もう二ヶ月が経つ。最初に会ったときから、晶くんの目が印象的だった。
大きいのに、どこか静けさを感じる目。何を考えているのか、簡単には分からない。話しかけても、返事はそっけない。あんまり楽しんでくれていないのかな、なんて思うこともあった。
でも、ちゃんと見ていると、そうじゃないことも分かってくる。不器用なところがあるだけで、本当は優しい人なんだと思う。
言葉は少し冷たく聞こえても、こちらの話をきちんと聞いてくれる。僕が何気なく言ったことを覚えていてくれる。そういうところに気づくたび、なんだか嬉しくなった。
もっと話してみたい。
僕のことも、知ってほしい。
そんなふうに思うようになったのは、いつからだったかな。
時計を見る。まだ、晶くんは来ない。
……早く会いたいな。
「遅れてすみません」
教室に入ると、やっぱり申し訳なさが込み上げた。
「おはよう! 大丈夫ですよ。落ち着いてから始めましょう」
先生は優しく声をかけてくれた。
コートを掛けたり、荷物を出したりしている間に、先生が、先週までに俺が形にした一輪挿しの小さな花瓶を運んできた。そして、「ちゃんと乾燥と素焼き済んでますよ〜」と言いながら、俺の前の机に置いた。
「晶くんの作品は、慎重なところが出てていいですね」
と、先生が俺に言った。
いつもなら、無難にありがとうございますとか、そうですかね、とか返していたはずだ。
でも、今日の俺は違った。
「……先生はセンスいいのが好きなんですよね?」
俺は先生の目も見ずにそう言った。
さっきまで先生の優しさに心が救われるような気持ちだったのに、苛立ちが再燃してしまっていた。だから、棘のある言葉をあえて選んだのだと思う。
でも、先生に届く頃にはその棘はあっけなく抜け落ちてしまったようだ。
「え? うーん、やっぱり、その人らしさが出てる作品って面白いなと思うけどね」
……そういうこと聞いてるんじゃないんだけど。
腹立つな。
削りなどの仕上げをして、今日の作業は終わった。俺は挨拶をあっさりと済ませ、そそくさと教室を出た。駐車場で車の鍵がなかなか見当たらず、ガサガサと鞄を漁っていた。イライラが募る。
すると、横に車を停めている幸恵さんが俺の顔を覗き込むようにして、「晶くん……大丈夫?」と声をかけてくれた。
俺が「なんかすみません……」と返すと、幸恵さんは「ちょっと話してみるだけでも、すっきりするかもしれないよ」と言ってくれた。俺は甘えようと思った。
「……話、聞いてください」
「もちろん」
幸恵さんは嬉しそうにそう言ってくれた。
俺と幸恵さんはそれぞれ車を走らせ、すぐ近くのコーヒーチェーン店へ向かった。
席に着くと、幸恵さんはメニュー表に視線を落としたまま、「私、カフェラテのたっぷりサイズにしようかしら」と言った。
ゆっくり話聞くよ、ということだと思った。……いや、実際そう言われたわけではないけど、幸恵さんはそういう人だと思ってる。
外は寒いのに、俺はたっぷりサイズのアイスコーヒーを注文し、届いた瞬間に勢いよく飲んだ。その一口でグラスの中身が三分の一ほど減っていた。俺は息が整うのも待たずに話し始めた。
「……先生が、体験の人のこと褒めてたじゃないですか、センスいいって」
「うん」
「別に、いいじゃないですか。先生が誰を褒めようが、誰と仲良くしようが。俺には関係ないし」
「うん」
「なのに、なんか腹立って。今日、嫌味みたいなこと言っちゃって。そのこと考えてたら、遅刻までしちゃって」
「そうだったのねぇ」
「……俺、何やってるんだろう」
そう言いながら、まだ温かさが残るおしぼりをいじった。
「……好きなのかもしれないです」
幸恵さんは何も言わなかった。
「先生のこと。……好きなのかもしれない。でも、認めたくないんです」
幸恵さんは豆菓子を一つ摘み上げ、それを穏やかな表情で見ながら、
「素敵ね、晶くんの気持ち」
とだけ言った。
自宅に帰ってから、幸恵さんに話を聞いてくれたことへの感謝のメッセージを送信した。気持ちが軽くなった、とも。
ふと、メッセージアプリのプロフィールに設定された誕生日が目に入った。再来週の金曜なんだ……。先生、どんなプレゼント用意してんのかな。


