ジュエリーアイスがとけるまで

 陶芸体験から一週間が経った。今日から通常のレッスンが始まる。
 月三回のコースで、第三土曜日は休み。ひとつの作品を約一ヶ月かけて完成させる。一回のレッスンは午前十時から正午までの二時間。
 
 朝から車を走らせていると、平日の仕事で凝り固まった気分が少しずつほどけていくのを感じた。

 教室に着き、戸を引くと、先生は片手に雑巾を持ち、机の上を水拭きしていた。手を止めて、「おはようございます!」と元気に挨拶をしてくれた。

「おはようございます」
「雨降ってなかったですか?」
「あ、まだ降ってなかったです」
「よかった。降りそうな空でしたよね。車危ないから、帰りまで降らないといいな」

 相手を気遣う言葉が自然に出る人だ。
 嫌味とかじゃなくて、本当に、温かい環境で育ってきたんだろうなと思った。そんな真っ直ぐさが、眩しかった。

「普段はどんなお仕事されてるんですか?」
「営業です。文具メーカーの」
「へぇ! 文具か! だから、字が綺麗なんですね」
「関係ないと思いますけど……」
「そっか!」
 先生は笑いながら、続けた。

「でも、晶くんの書く字、なんかじっくり見ちゃいました。綺麗なのに、どこか人懐っこくて」
 
 ……自分の字に言及されたのは初めてだった。
 というか、綺麗と汚い以外の表現があるんだ、と思った。

「僕なんか字汚くてぇ。本当は、外にブラックボードとか置きたいんですけどね……」
「よかったら書きますよ」
「え! いいの⁈」
 しょぼんとした表情が、一気にぱぁっと晴れた。
 
「……はい」
「じゃあ早速、今日ブラックボード買います!」
 先生は小さく、『やったぁ』と呟いていた。

 ……天性の人たらしだ。
 字を書いてあげる程度の小さなことから始まって、こちらの精神状態によっては、どんな無茶な要求でも飲んでしまいそうだ。
 俺にもこういうスキルが備わっていたら、バンバン契約取れるのにな。
 ……というか、陶芸家が仕掛けてくる無茶な要求ってなんだよ。

 ふと先生の顔を見ると、きょとんとした顔で、
「あ、書くこと、そんなにたくさんじゃないですよ……?」と言った。
 俺は、考えが飛躍しすぎたことを反省した。

「あ、はい。買ったら教えてください」
「ありがとうございます! じゃあ、始めましょっか」

 今回からは、土や道具の準備も、自分でやるところから教わった。今月はマグカップを作っていくことにした。
 準備が終わったら、早速土をこねていく。先週やったばかりなので、この作業は覚えていた。
 
 しばらくこねていると、土がしっとりとまとまってきた。
 先生が土を触った。
 「硬さも均一だし、このぐらいでオッケーって覚えておいてもらえたら! では、次は中心取っていきましょうか」と言った。
 前回は代わりにやってもらったところだな、と思い出した。
 
「これは、感覚覚えていくしかないんですけど、コツとしては中心に置くことと、身体の軸をしっかり合わせてから土を包み込むことです」

 やってみると、簡単そうに見えてかなり難しい。
 土に持っていかれないよう手をキープするのに、結構力が要る。腕を真っ直ぐに保っていたつもりなのに、土がぐにゃりと歪んでしまった。思わず、無言で先生の顔を見た。
 
 俺がよほど不安そうな顔をしていたのか、先生がくすっと笑った。
 そして、「大丈夫、大丈夫」と言いながら、
 両手を俺の手の甲に重ねた。
 
 ぐらついていた土の揺れがすっと収まる。

「こうやって、横からゆっくり力をかけてあげると、自然と伸びていきますからね」
 
 アドバイス通りに力をかけると、少しずつ形が整っていく。それが嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
 先生の視線に気づいた途端、俺は反射的に表情を戻していた。
 
 整えた土をマグカップの形にしていく。電動ろくろのペダルを足で踏みながら、土の壁を薄くしていく。この作業が一番、陶芸をしているという実感があって好きだ。

 片付けなどを含めると、二時間なんてあっという間だった。

「お疲れ様でしたー!」
「ありがとうございました」
「楽しかったですか?」
 先生は、首を傾げてそう聞いた。……あざといな。

「はい、楽しかったです」
「わー! それは嬉しいな。よかったです」
「また来週、お願いします」
「はい! 楽しみに待ってますね。……雨、まだ降ってないかなー」
 と言いながら、外まで見送ってくれた。
 雨は降っていなかった。

 車を発進させ、駐車場から道路に出るため、車列が途切れるのを待っている間、窓から教室の入り口の方に目をやった。
 すると、先生がまだそこにいて、満面の笑みで、ぶんぶんと大きく両手を振っていた。
 俺は小さくお辞儀をし、車を走らせた。

 バックミラーに映る先生の姿が見えなくなってからも、先生のことをぼんやりと考えていた。