ジュエリーアイスがとけるまで

 ——「『ジュエリーアイス』って知ってる? 十勝川の氷が波にもまれて、まるーくなって、砂浜に打ち上げられて……でっかいダイヤモンドみたいなんですよ」

 あのときの俺は、それがどんなものなのか知らなかったし、興味がなかった。
 ただ、目の前で嬉しそうに話す彼の顔だけは、今でも覚えている。

 東京から北海道へ転勤して半年。
 支店にも仕事にも慣れ、ようやく落ち着いて生活できるようになってきた。

 下半期の人事考課に併せて提出する配属希望の第一希望に、『札幌支店』と入力した。俺は東京生まれ、東京育ちだ。家族も友達も、東京にいる。
 でも、自分の中の何かを変えたかった。そのためには、今の環境から物理的に遠く離れた方がいい。今思うと極端すぎるけど、当時はそんな安直な考えを信じて、希望を出した。

 ……さぁ、何から始めようか。

 スーパーからの帰り、住んでいる社員寮のポストを開けると、チラシが数枚入っていた。
 ピザ、ピラティス、ドラッグストアの新店舗オープン、陶芸教室の生徒募集案内。……陶芸か。

 昔、一度だけやったことがある。
 大学生の頃に付き合っていた彼女と京都旅行に行ったとき、記念として湯呑みを作った。俺は初めての体験で楽しかったが、彼女が爪に土が入ったとか言い出して、興ざめした記憶がある。
 ……五年も経っているのにまだ、陶芸=この記憶なの、なんか嫌だな。
 そう思った俺は、陶芸教室以外のチラシだけを残し、ほかはゴミ箱に捨てた。家に帰って、じっくり読むことにした。

 今年開講したばっかりなんだな。体験料が安い……。
 安すぎる体験料に釣られて、予約フォームを開いた。
 明後日土曜日の枠が空いていたので、早速予約した。

——講師:桜木 大地

 どんな人なんだろう。
 習い事は講師との相性が命だ。俺は小学生の頃に習っていたピアノ教室のことを思い出す。母親がいるときは低姿勢なのに、俺と二人きりになると態度を変える講師だった。子供ながらに、俺のためじゃなく、自分のために怒っているんだろうなと思った。発表会まではなんとか耐え、その教室に通うのを辞めた。次に親が探してくれたピアノ教室の講師とは相性がとてもよく、ピアノを嫌いにならずに済んだ。今でもたまに弾きたくなるので、電子ピアノが家にある。

 この経験が、今の人間関係の考え方につながっていると思う。
 合わない人とは無理に迎合しようとしない。
 友達が少なくても、恋人がいなくても全然いい。
 そもそも、無理して作るもんじゃないし。
 でも、いつかは出会えると思ってる。
 ——自分から深く関わりたいと思える、そんな人に。

 土曜日。
 俺はチラシに書かれている住所をカーナビに入力し、陶芸教室へと車を走らせた。
 今日は雨。しかも、結構強く降っている。
 市内中心部から車で二十五分ほど南下した、藻岩山の麓に教室はあった。
 駐車場に車を停め、傘を持って外に出る。
 まだ十月なのに、冬の訪れを感じるほど寒かった。今週は晴れ続きで日中は暖かかったから、服装を間違えたことに今さら気づいた。

 教室の入り口の前に立つ。古びた建物を覆うように、青々とした木々が茂っていた。看板がなければ、陶芸教室とは分からないような建物。入口に垂れ下がる枝葉を避けるように少し腰をかがめ、引き戸を開けると、土と木の匂いがふわっと漂ってきた。
 木のテーブルと椅子が並び、壁には完成した作品が棚いっぱいに飾られている。窓からは外の緑が見えた。

 教室内に人の気配はなかった。
 まぁ、予約してるんだし、そのうち案内してくれるだろうと思い、棚の作品を近くで眺めた。お皿、お茶碗、湯呑みなど、どれも温かみを感じた。この食器でご飯食べたら、一人の食卓も寂しくなさそうだなと思った。
 
 五分くらい経ったとき、奥からパタパタと足音が聞こえてきた。

「すみません! お待たせしちゃって……」
「あ、いえ。十時から予約してる……」
「松永様! お待ちしてました。桜木です。よろしくお願いします」
 
 無造作な黒髪に、くっきりとした太い眉。少し鋭く見える目元は、笑うと驚くほど柔らかくなった。
 俺より年上に見えるのに、笑った顔は少年みたいだった。
 
「よろしくお願いします」
「では、早速始めましょうか」

 俺一人か。
 初対面の人と二人きりで数時間過ごすなんて普段は絶対に嫌だ。でも、今はそんなこと微塵も思わなかった。

 このときから、俺の本能は分かってたのかもしれないな。