天女は兎神のお嫁さんになりたい

かくして、着物は無事に天女の手元に戻った。あとは肝心の羽衣(はごろも)だけだった。

朝食を終えてからの仕事も、天女は難なくこなした。灰汁(あく)を入れた大甕で洗濯物を煮る作業は過酷を極めるが、神通力を使えばなんてことはなかった。

積極的にきつい仕事を引き受けたお陰で、他の雑仕女(ぞうしめ)たちの天女を見る目が変わっていった。

「あんた、白魚のような手をしてんのに、よく大変な作業を嫌がらずにやったもんだね……見直したよ」

「ありがとうございます」

乾いた洗濯物を畳む作業をしながら、先輩雑仕女(ぞうしめ)が天女を褒めた。

「あんた、どう見てもいいところの娘だろう? どうしてこんなところで雑用なんかしてるんだい?」

「探し物をしてて、禁足地の池に入ってしまったんです。主上(しゅじょう)のお召しを断ったら、ここに連れて来られてしまって……」

「探し物って何なの?」

他の雑仕女(ぞうしめ)たちも、天女を取り囲んで、話に聞き入った。

「この着物と似たような生地の、羽衣(はごろも)なんですけど」

天女は、自分の着物を広げてよく見せた。

「これ、縫い目が見当たらない。普通の絹とも違うね。こんなの見たことがない」

(天衣無縫という言葉があるけれど、本当に天界で織られた衣類は特殊な糸で縫うから、縫い目が見えないんだよね)

「こんな布が見つかりでもしたら、ひょっとして主上(しゅじょう)に献上されるのでは?」

ある雑仕女(ぞうしめ)がそう言うと、他の皆も一様に頷いた。

「失(な)くしたのは昨日なんだろう?」

「はい」

「もしその布が見つかって、主上(しゅじょう)に献上されるとしたら、蔵人所(くろうどどころ)にあるんじゃないかな」

「蔵人所(くろうどどころ)?」

「主上(しゅじょう)の衣装や道具を保管する場所だよ。献上品もここに届けられる。蔵人所(くろうどどころ)の女房(にょうぼう)か蔵人(くろうど)にでも、一度聞いてみなよ」

そうして、天女は蔵人所(くろうどどころ)に行ってみることにした。
まずは帝のいる清涼殿(せいりょうでん)の一番北、校書殿(きょうしょでん)に向かった。校書殿(きょうしょでん)の渡殿(わたどの)から、目的の蔵人所(くろうどどころ)は繋がっている。その渡殿(わたどの)を、忙しそうに早足で移動している者たちに向かって、天女は声を張り上げた。

「あ、あの!」

一同は、足を止めて天女の方を見た。

「これに似た生地の、真珠色に輝く布を知りませんか?」

そう言って、天の着物を取り出して広げて見せた。

すると、一人の男が興味を持ったらしく、こちらに近寄ってきた。
おそらくここで働く蔵人(くろうど)の一人だろう。

「そ、それは……! まさかあの呪物とそれは同じものなのか?」

「呪物?」

「あの、面妖な光る布のことだ。禍々(まがまが)しい光を放ち、陰陽師を呼んで塩三升ぶっかけてお札で封印した、あの布……」

「は?」

天女は一瞬、この男が何を言っているのか分からなかったが、すぐに羽衣(はごろも)のことを言っているのだと分かった。

「……あ、あれは、お前の物なのか?」

「多分、そうだと思いますけど?」

すると蔵人(くろうど)の表情がみるみる引き攣(つ)り、次の瞬間、大声で叫んだ。

「出合え、出合えーーッ!! 呪詛(じゅそ)の張本人だーー!!」

「ぎゃああああーーーーっ!!」

蔵人(くろうど)の叫び声と同時に、蜘蛛の子を散らすように、渡殿にいた者たちは悲鳴を上げて、その場からいなくなった。

代わりに武器を持った武者たちが雪崩(なだ)れ込んできた。

あっという間に、天女は包囲されてしまう。

「お、大人しくしろ!」

「主上(しゅじょう)に呪詛(じゅそ)をかけるとは、なんと畏(おそ)れ多い」

「呪詛(じゅそ)なんて知らないわ!」

天女の言い分など、誰も聞いてはくれなかった。引き摺られるようにして、蔵人所(くろうどどころ)内の納戸に押し込められた。

「陰陽師が来るまで、ここから一歩も出すな!」

頑丈な納戸の戸が閉められ、外からガチャリと鍵をかけられる。
暗い納戸の中、一人取り残されてしまった。

「どうしてこんなことに……」

ただ羽衣(はごろも)の行方を聞いただけなのに――呪詛だなんて、とんだ言い掛かりだった。

「ここから、どうにかして出なくちゃ」

暗闇に少し目が慣れてきて、部屋の中を見渡すと、三方(さんぽう)の上に大量の白い物が山のように乗っていた。

「何だろう?」

白い物の上に、朱色の文字の書かれた黄色い紙が何枚も貼り付けられている。

「お札?」

その一枚をペリッと剥がすと、白い物がパラパラと溢れ落ちた。

「なんだ、ただの塩じゃん」

そこで天女の興味は失せて、とにかくここから脱出することを考えるようになった。

「羽衣(はごろも)さえ見つかればすぐに帰れるから、どうせなら着替えておくか」

そう思い、持っていた着物に着替えた。

すると、外が何やら騒がしくなり、耳を澄ましていると、納戸の鍵が外される音がした。

ガタン、ギイィ……。

納戸の扉が開くと、真っ白な狩衣に身を包んだ陰陽師らしき人物の後ろに、見覚えのある男が立っていた。

「……主上(しゅじょう)?」

「やはり、そなただったか……」

そう言って、陰陽師らしき男を差し置いて、真っ先に納戸の中へ入って来た。

「羽衣(はごろも)らしき布が、ここにあるらしいんです」

帝は頷きつつ、歩み寄ると、天女の両手をしっかりと握りしめた。

「事情は聞いた。昨晩遅くに、警備の者の手により、ここに届けられたらしい。面妖に光る布なので、陰陽師の手により封印したと」

「呪詛(じゅそ)なんてとんでもありません。大事な物なので、どうかお返し下さい」

「そうしてやりたいのは山々なのだが、そう簡単にはいかない話なのだ」

天女が必死に訴えても、帝は首を縦には振らなかった。

「あの布が、本当に安全だと保証されるまでは、返すことは叶わぬ」

「そんな!」

天女はただ愕然とした。

「安全だと保証されるまで、どのくらいかかりますか? 家で家族が心配しております」

「なるべく早く調査はさせよう。その為に陰陽師も連れて来ている」

帝は後ろを振り返る。真っ白な狩衣を着た、目の下にクマのある怪しげな男は、天女に向かって恭しく一礼をした。

「六の娘と言ったか。そなたを雑仕女(ぞうしめ)の役目に罰として就(つ)かせたが、やはり惜しい……」

帝は潤んだ瞳で、天女を見つめて言った。

「私の妻になるのなら、しかるべく身分と地位を与えるが、どうだ?」

(……いや、この人どんだけ私を妻にしたいの?)

確かに人間としてなら、決して悪くはない話ではあった。帝は地位も財産も持っていて、本人もなかなかの美丈夫である。

しかし、天女の心の中には、相変わらずあの麗しくも愛らしい兎神(うさがみ)しかいなかった。

(私は、イナバさましか無理だもの……)

そして何より、帝の妻になるということは、他の妻とも寵を争うこととなる。そんなことは真っ平ごめんだった。

「その話は既にお断りしました。私には心に決めた相手がおります」

「何より私は、夫を他の妻と共有することに耐えられません。主上(しゅじょう)には既に奥方さまがおいででしょう?」

すると、帝はとんでもないことを言い出した。

「そなたに中宮(ちゅうぐう)の位をやると言ったら?」

中宮――それは帝の皇后と同義。一人しか立てない場所。

「他の妻たちには暇を出しても良い。そなたが中宮となり、世継ぎを産んでくれるのであれば、生涯そなただけを愛すると誓おう」

天女は眩暈(めまい)がした。

「申し訳ありませんが、お断りします」

「何故だ? そなたの希望は全て叶えると言っているのだぞ?」

なんと言われようとも、天女は考えを曲げる気はないし、帝の提案を受ける気はさらさらなかった。

「逆に聞きますが、どうしてそこまで私を妻にしたいんですか?」

すると帝は目を見開き、一瞬動きを止めた。

「そなたは、決して私に媚びようとしない。そんな女は初めてだからだ」

「媚びるどころか、絶対靡(なび)きもしませんよ?」

天女は呆れて溜め息を吐(つ)く。

(イナバさま、もう早く迎えに来て!)

家を空けてから、もう丸一日は経つ。
帰らない天女を、きっと心配しているに違いなかった。