「雑仕女として、宮中で働け」
帝は、それから少し考えてから言った。
「そうだな、布を探しているのなら、縫殿の下働きでもしていろ。気が変わって、夜伽をする気になったら、いつでも言うがよい」
冷たくそう言い放って、帝は寝殿の奥に下がってしまい、天女はそのまま女房に引き渡された。
雑仕女となった途端に、女房たちの態度が変わった。
「どうして帝のお召しを受けなかったの? せっかくの機会を台無しにして……」
「主上はまだ御子がおられないから、皇子でも産めたら、国母にだってなれるかもなのに」
「私には、心に決めた方がいるんです」
すると女房たちは、たちまち話に食い付いた。
「相手の方はどんな方?」
日頃から、そういった人の色恋話を話のネタにしているのだろう。
用意された縫殿の敷地内の雑舎の寝床に移ってからも、女房たちに根掘り葉掘り聞かれ、ろくに眠れないまま、朝の仕事の時間になっていた。
朝といっても、まだ夜は明ける前で、一斉に叩き起こされた。雑舎は基本雑魚寝で、雑仕女たちが身を寄せ合って眠っていた。
「新入りってあんた?」
一人の女に話しかけられた。痩せた貧相な女だった。
「は、はい」
「それじゃ、これに着替えて」
くすんだ藍色の見窄らしい麻の小袖を渡された。仕方なくそれに着替えると、待っていた先輩雑仕女は自分に付いてくるように合図をした。
「縫殿の雑仕女の仕事の一つ、洗濯だよ」
朝靄の中、裏庭に連れて行かれ、天女は作業場を目の当たりにした。
地面からやや突き出た木枠の井戸の脇、置かれた幾つもの木桶の中に、大量の洗濯物が積まれていた。
「これを全部洗って干すんだ。あんたはそっち」
先輩雑仕女は、簡単な指示を出した後、自分の仕事に取り掛かった。
天女はその仕事ぶりを見て、何をすべきかはすぐに察することが出来た。
(要するに、あの人の手順を真似て、仕事をこなせばいいだけよね?)
井戸の水は、刺すように冷たく手が凍えた。
「つめたっ!」
(こんな冷たい水で、洗濯を?)
ふと先輩雑仕女の手を見ると、赤くなって酷く荒れていた。
(こんなやり方じゃ、手も酷く荒れるだろうし、効率も良くない……)
「ほら、洗濯物の追加だぞ」
男の雑仕が木桶を抱え、天女の横に置いていった。洗うそばから、どんどん新しく木桶が追加されていく。
ハーッと息を手に吹きかけるも、手は凍えるように冷たかった。
(バレなきゃ別にいいかな?)
天女は自分の井戸の水を、神通力でこっそり水温を上げると、洗うのが楽になった。
「あっ」
洗濯物の山の中から、自分の着物を見つけた。昨夜、湯殿で脱がされてしまったものだ。
(取りに行けずにそのままに……。ここで見つけられて良かった)
「ちょっと、それは何だい?」
天女の隣で仕事をしていた雑仕女が、突然声を掛けてきた。
「お寄越し!」
パッと天女の手から、着物を奪うと穴が開きそうなほどに見つめる。
「へぇ、綺麗だね。一体誰のだろう? 変わった造りの着物だし」
淡い青色のそれは、天界の蚕の吐く糸から紡がれた神糸の絹から出来ている。
薄くしなやかで丈夫な上、真珠のように輝き、水を吸っても重くもならず、乾けば元の風合いに戻る。
――決して人の世では、作れない物だ。
「返して下さい」
天女が手を伸ばして、着物を掴もうとするも、その雑仕女は着物を遠ざけてしまう。
「これは私が貰おっと」
「ダメ! それは、私の――」
ドカッと唐突に背中を蹴られ、天女は前につんのめった。
「痛っ!」
「新入りが、調子こいてんじゃないよ」
振り向くと、意地の悪い形相をした別の雑仕女が立っていた。
「主上のお召しを断ったって聞いたよ、こいつ」
「へぇ? どうりで綺麗な顔をしてる訳だ。でも断ったってどういうこと?」
着物を強奪した雑仕女が、すぐに相槌を打った。
「なんでも既に夫がいるとか」
「じゃあ、どうして宮中なんかに?」
「あんたたち、喋ってないで仕事しなよ」
先輩雑仕女が二人に注意すると、途端に敵対心はそちらに向いた。
「あんた、こんな得体の知れない娘の肩を持つの?」
「別にそういう訳じゃない」
先輩雑仕女はそう言うと、洗い終わった木桶を持って、さっさと洗濯物を干しに行ってしまった。
「新入り、これもやっときな!」
意地の悪い雑仕女が自分の木桶を押し付けてきた。
「じゃ、これも!」
便乗して、強奪雑仕女も押し付けてきた。天女の着物をしっかり握ったままだ。
(何なの、こいつら……)
大量の洗濯物の山を見て、げんなりする。
(こんなの普通に洗ってたら、一日で終わる訳ないじゃない!)
天女は辺りに人がいないことを確認すると、神通力を使って、瞬く間に大量の洗濯物を終えた。
(神通力で洗濯すると、イナバさまに楽をするなと怒られるから、普段は使わないけれど、これだけ大量にあるなら、話は別よね)
水を吸った洗濯物が入った重い木桶も、神通力を使えば軽々だ。
そして、裏庭の竹竿に、洗った洗濯物を手際よく干していく。
「あんた、あの量をもう洗ったの?」
「はい」
まともに相手をせず、黙々と洗濯物を干していると、嫌がらせをしてきた雑仕女二人が近寄ってきた。
「あっ、手が滑った」
雑仕女の一人が、竹竿に不用意に触れ、洗濯物の干された竿を地に落としてしまった。落ちた洗濯物はすっかり泥まみれだ。
「あらら、また洗い直しだわ」
二人はクスクスと笑い始め、呆然と立ち尽くす天女を置いて、その場を立ち去った。
「そう。また、洗えばいいだけよね」
天女は落ちた洗濯物を拾い上げると、再び井戸の前に戻った。
ようやく全ての洗濯を干し終わり、一息ついていると、先輩雑仕女が呼びに来た。
「飯だよ」
井戸端に雑仕女たちが集まって食事をしていた。
木製の粗末な折敷に載った碗に黒っぽい強飯が盛られている。あとは澄んだ汁物の碗に漬物が添えられていた。
置かれていたそれを拾い上げると、唐突に足を何かに掬われた。
「あっ!」
天女は流石にこれ以上、嫌がらせを受け続ける気はなかった。神通力を咄嗟に使い、前のめりになる身体を支え、事なきを得た。
周りからは、一瞬体勢を崩したように見えただけだろう。
「いただきます」
きちんと手を合わせ、おそるおそる強飯を口に入れた。それはボソボソで水分がなく硬かった。冷めた汁物も同様で、塩で味付けしただけの素朴なものだった。
(お、美味しくない……)
しかし、昨夜から食事をしていない天女には充分だった。
(イナバさま、心配してるかな……)
水浴びに行ってから、自分は帰れず、姿を消した形になっている。
(羽衣を失くしたと言ったら、めちゃくちゃ怒られそう)
どのみち、羽衣がなければ、飛んで天には帰れない。今頃、必死に探しているだろう。
「ねぇ、これ綺麗だろう?」
着物を強奪した雑仕女が、すっかり乾いた天女の着物を、身にあてがって、自慢げにしていた。
「あんたそれ、上の御方の誰かのじゃないの?」
意地悪な雑仕女がそう聞くと、
「こんなヒラヒラした着物、御方たちは誰も着ないよ」
強奪した雑仕女はすっかり自分の物にしてしまっていた。
「あんたの体形じゃ、そんな細いの着れないだろ」
「何だって!」
先輩雑仕女の厳しいツッコミに、強奪した雑仕女が激しく噛みついた。
「何の騒ぎです?」
そこに一人の女房が現れた。その場にいた天女以外の全員が姿勢を正す。
「少将さま。この者が、洗濯物にあった着物を勝手に自分の物にしています」
すかさず、先輩雑仕女が女房に言いつけると、彼女は強奪した雑仕女の前に進んだ。
「それは、お前の物ではありませんよね?」
「あの、それは……」
「それは昨夜、私が着ていたものです」
天女が凛とした声で、話に割って入った。
「お前が……?」
少将と呼ばれた女房が、天女に視線を移す。
「昨夜、主上がお召しになったという娘はお前のことか?」
「その話は断りましたが、その娘は私のことで間違いありません」
天女が答えると、辺りは途端に騒ついた。
「静粛に! その着物は持ち主に返しなさい。人の物を盗むような者は、ここでは要りません。今すぐ荷物を纏めて出て行くように」
「そ、そんな! 少将さま、あんまりです」
強奪した雑仕女は泣いて謝ったが、少将は聞く耳を持たなかった。
帝は、それから少し考えてから言った。
「そうだな、布を探しているのなら、縫殿の下働きでもしていろ。気が変わって、夜伽をする気になったら、いつでも言うがよい」
冷たくそう言い放って、帝は寝殿の奥に下がってしまい、天女はそのまま女房に引き渡された。
雑仕女となった途端に、女房たちの態度が変わった。
「どうして帝のお召しを受けなかったの? せっかくの機会を台無しにして……」
「主上はまだ御子がおられないから、皇子でも産めたら、国母にだってなれるかもなのに」
「私には、心に決めた方がいるんです」
すると女房たちは、たちまち話に食い付いた。
「相手の方はどんな方?」
日頃から、そういった人の色恋話を話のネタにしているのだろう。
用意された縫殿の敷地内の雑舎の寝床に移ってからも、女房たちに根掘り葉掘り聞かれ、ろくに眠れないまま、朝の仕事の時間になっていた。
朝といっても、まだ夜は明ける前で、一斉に叩き起こされた。雑舎は基本雑魚寝で、雑仕女たちが身を寄せ合って眠っていた。
「新入りってあんた?」
一人の女に話しかけられた。痩せた貧相な女だった。
「は、はい」
「それじゃ、これに着替えて」
くすんだ藍色の見窄らしい麻の小袖を渡された。仕方なくそれに着替えると、待っていた先輩雑仕女は自分に付いてくるように合図をした。
「縫殿の雑仕女の仕事の一つ、洗濯だよ」
朝靄の中、裏庭に連れて行かれ、天女は作業場を目の当たりにした。
地面からやや突き出た木枠の井戸の脇、置かれた幾つもの木桶の中に、大量の洗濯物が積まれていた。
「これを全部洗って干すんだ。あんたはそっち」
先輩雑仕女は、簡単な指示を出した後、自分の仕事に取り掛かった。
天女はその仕事ぶりを見て、何をすべきかはすぐに察することが出来た。
(要するに、あの人の手順を真似て、仕事をこなせばいいだけよね?)
井戸の水は、刺すように冷たく手が凍えた。
「つめたっ!」
(こんな冷たい水で、洗濯を?)
ふと先輩雑仕女の手を見ると、赤くなって酷く荒れていた。
(こんなやり方じゃ、手も酷く荒れるだろうし、効率も良くない……)
「ほら、洗濯物の追加だぞ」
男の雑仕が木桶を抱え、天女の横に置いていった。洗うそばから、どんどん新しく木桶が追加されていく。
ハーッと息を手に吹きかけるも、手は凍えるように冷たかった。
(バレなきゃ別にいいかな?)
天女は自分の井戸の水を、神通力でこっそり水温を上げると、洗うのが楽になった。
「あっ」
洗濯物の山の中から、自分の着物を見つけた。昨夜、湯殿で脱がされてしまったものだ。
(取りに行けずにそのままに……。ここで見つけられて良かった)
「ちょっと、それは何だい?」
天女の隣で仕事をしていた雑仕女が、突然声を掛けてきた。
「お寄越し!」
パッと天女の手から、着物を奪うと穴が開きそうなほどに見つめる。
「へぇ、綺麗だね。一体誰のだろう? 変わった造りの着物だし」
淡い青色のそれは、天界の蚕の吐く糸から紡がれた神糸の絹から出来ている。
薄くしなやかで丈夫な上、真珠のように輝き、水を吸っても重くもならず、乾けば元の風合いに戻る。
――決して人の世では、作れない物だ。
「返して下さい」
天女が手を伸ばして、着物を掴もうとするも、その雑仕女は着物を遠ざけてしまう。
「これは私が貰おっと」
「ダメ! それは、私の――」
ドカッと唐突に背中を蹴られ、天女は前につんのめった。
「痛っ!」
「新入りが、調子こいてんじゃないよ」
振り向くと、意地の悪い形相をした別の雑仕女が立っていた。
「主上のお召しを断ったって聞いたよ、こいつ」
「へぇ? どうりで綺麗な顔をしてる訳だ。でも断ったってどういうこと?」
着物を強奪した雑仕女が、すぐに相槌を打った。
「なんでも既に夫がいるとか」
「じゃあ、どうして宮中なんかに?」
「あんたたち、喋ってないで仕事しなよ」
先輩雑仕女が二人に注意すると、途端に敵対心はそちらに向いた。
「あんた、こんな得体の知れない娘の肩を持つの?」
「別にそういう訳じゃない」
先輩雑仕女はそう言うと、洗い終わった木桶を持って、さっさと洗濯物を干しに行ってしまった。
「新入り、これもやっときな!」
意地の悪い雑仕女が自分の木桶を押し付けてきた。
「じゃ、これも!」
便乗して、強奪雑仕女も押し付けてきた。天女の着物をしっかり握ったままだ。
(何なの、こいつら……)
大量の洗濯物の山を見て、げんなりする。
(こんなの普通に洗ってたら、一日で終わる訳ないじゃない!)
天女は辺りに人がいないことを確認すると、神通力を使って、瞬く間に大量の洗濯物を終えた。
(神通力で洗濯すると、イナバさまに楽をするなと怒られるから、普段は使わないけれど、これだけ大量にあるなら、話は別よね)
水を吸った洗濯物が入った重い木桶も、神通力を使えば軽々だ。
そして、裏庭の竹竿に、洗った洗濯物を手際よく干していく。
「あんた、あの量をもう洗ったの?」
「はい」
まともに相手をせず、黙々と洗濯物を干していると、嫌がらせをしてきた雑仕女二人が近寄ってきた。
「あっ、手が滑った」
雑仕女の一人が、竹竿に不用意に触れ、洗濯物の干された竿を地に落としてしまった。落ちた洗濯物はすっかり泥まみれだ。
「あらら、また洗い直しだわ」
二人はクスクスと笑い始め、呆然と立ち尽くす天女を置いて、その場を立ち去った。
「そう。また、洗えばいいだけよね」
天女は落ちた洗濯物を拾い上げると、再び井戸の前に戻った。
ようやく全ての洗濯を干し終わり、一息ついていると、先輩雑仕女が呼びに来た。
「飯だよ」
井戸端に雑仕女たちが集まって食事をしていた。
木製の粗末な折敷に載った碗に黒っぽい強飯が盛られている。あとは澄んだ汁物の碗に漬物が添えられていた。
置かれていたそれを拾い上げると、唐突に足を何かに掬われた。
「あっ!」
天女は流石にこれ以上、嫌がらせを受け続ける気はなかった。神通力を咄嗟に使い、前のめりになる身体を支え、事なきを得た。
周りからは、一瞬体勢を崩したように見えただけだろう。
「いただきます」
きちんと手を合わせ、おそるおそる強飯を口に入れた。それはボソボソで水分がなく硬かった。冷めた汁物も同様で、塩で味付けしただけの素朴なものだった。
(お、美味しくない……)
しかし、昨夜から食事をしていない天女には充分だった。
(イナバさま、心配してるかな……)
水浴びに行ってから、自分は帰れず、姿を消した形になっている。
(羽衣を失くしたと言ったら、めちゃくちゃ怒られそう)
どのみち、羽衣がなければ、飛んで天には帰れない。今頃、必死に探しているだろう。
「ねぇ、これ綺麗だろう?」
着物を強奪した雑仕女が、すっかり乾いた天女の着物を、身にあてがって、自慢げにしていた。
「あんたそれ、上の御方の誰かのじゃないの?」
意地悪な雑仕女がそう聞くと、
「こんなヒラヒラした着物、御方たちは誰も着ないよ」
強奪した雑仕女はすっかり自分の物にしてしまっていた。
「あんたの体形じゃ、そんな細いの着れないだろ」
「何だって!」
先輩雑仕女の厳しいツッコミに、強奪した雑仕女が激しく噛みついた。
「何の騒ぎです?」
そこに一人の女房が現れた。その場にいた天女以外の全員が姿勢を正す。
「少将さま。この者が、洗濯物にあった着物を勝手に自分の物にしています」
すかさず、先輩雑仕女が女房に言いつけると、彼女は強奪した雑仕女の前に進んだ。
「それは、お前の物ではありませんよね?」
「あの、それは……」
「それは昨夜、私が着ていたものです」
天女が凛とした声で、話に割って入った。
「お前が……?」
少将と呼ばれた女房が、天女に視線を移す。
「昨夜、主上がお召しになったという娘はお前のことか?」
「その話は断りましたが、その娘は私のことで間違いありません」
天女が答えると、辺りは途端に騒ついた。
「静粛に! その着物は持ち主に返しなさい。人の物を盗むような者は、ここでは要りません。今すぐ荷物を纏めて出て行くように」
「そ、そんな! 少将さま、あんまりです」
強奪した雑仕女は泣いて謝ったが、少将は聞く耳を持たなかった。
