天女は兎神のお嫁さんになりたい

天女は強引に連れていかれ、女たちによって念入りに洗われた。

白い小袖に着替えさせられ、寝殿の奥の間へと通された。燈台の淡い光の中、床から一段高い台座から、浮かび上がるように白い絹の帳が垂れ下がっている。

その帳の向こう側から、低い男の声がした。

――それはこちらの世界に来て、初めて聞いた声だった。

「こちらへ来い」

人間と極力関わりを持ってはいけない。これは天の掟だった。

「嫌です」

「私の命が聞けぬと?」

「はい」

この声の人物が、誰なのかは天女は知らないし、知りたくもなかった。
ただ、下界に流されてしまった羽衣(はごろも)の行方が知りたかった。

「そんなことより、羽衣(はごろも)を知りませんか?」

「羽衣(はごろも)?」

「薄絹のように透ける、真珠色に輝く布です。光の加減で七色に輝きます」

声の主は、少し驚いた様子だった。

「つまり、そのような布をそなたに与えれば、私の命を聞くというのか?」

「もしかして羽衣(はごろも)を持っているのですか?」

すると、声の主は少しの間を空けてから答えた。

「いや」

「では、命令は聞けません。失礼します」

天女はキッパリと断り、そのまま部屋を出ようとする。

「待て」

引き留める声を無視して、来た道を戻るが、既に戸は固く閉められていた。

「お戻り下さい」

女房(にょうぼう)たちが、天女の袖を引いて止めた。

「羽衣(はごろも)を探しに行かないと」

「主上のお召しですから、どうかお戻りを」

――主上ですって?

流石に天女も、面倒なことになっていることに気付いた。

(私、よりにもよって、人間の帝の御所に流されてしまったの?)

「主上のご寵愛(ちょうあい)を受ければ、決して無碍(むげ)にはされません。どうかお戻りを」

寵愛(ちょうあい)だなんて、とんでもなかった。

「だったら尚更、無理に決まってるでしょう?」

女房(にょうぼう)たちを振り切って、天女は固く閉められた蔀戸(しとみど)の前に立つと、神通力でそれをこじ開けた。

バン! という音が響き、戸は難なく開いた。

唖然とする女房たちを振り返り、天女は聞いた。

「あっ、私の着ていた着物はどこ?」

「まだ湯殿にあると思いますが……」

「ありがとう」

天女はそのまま湯殿に向かって歩き始めた。

「その娘を止めよ!」

帝の声が響き、すぐに護衛たちが天女の前に立ちはだかった。

「娘を捕らえて、私の元へ連れてくるのだ」

天女は立ち止まるしかなかった。
人に関わるなという掟は、もちろん人を傷つけるなという意味も含まれている。

「さ、戻られよ」

護衛に促され、天女は仕方なく踵(きびす)を返し、おずおずと帝の前へ歩み寄った。

「顔を上げよ」

そこで初めて帝と顔をまともに合わせた。

「思ったより、美しいな」

下顎を親指で押さえられ、顔を上向かされた。

前髪を一房降ろして、結い上げた黒い髪。
涼やかな切れ長の目元、通った鼻筋をしたなかなかの美丈夫だった。

「もう夜も更けた。早く帳(とばり)の中へ入れ」

「私はイナバさまのものです。あなたのお相手は出来ません」

「そなたには、夫がいるのか?」

すると、天女は恥ずかしそうに頬を染めて答えた。

「夫……のようなものです」

「つまり、結婚が決まっているのか?」

天女はしっかりと頷いた。

「そなた、名は?」

天女は少し躊躇うも、渋々答えた。

「六の娘と呼ばれていました」

「ろくのむすめ……? そなた、父の名はなんと申す?」

「……」

天女はこれには答えなかった。

しかし帝は、娘の父が名のある有力者なのは間違いないのだと察した。
帝を前にしても、天女は少しも臆する様子がなかった。

名も知れぬ娘でありながら、その堂々とした立ち居振る舞いと、飛び抜けた美しい容姿――

「これだけの美しさなら、都で噂に上りそうなものだが、そなたの話はとんと聞いたことがない」

「都に住んでおりませんので」

「では何故(なにゆえ)、禁足地である私の池にいたのだ?」

この問いに、天女はどう答えたら良いのか、困ってしまった。

天から来たとは流石に言えない。

「羽衣(はごろも)を探しておりました。風に飛ばされ、あの池に流れ着いたと思われましたので」

「それで禁足地に勝手に入ったと申すか?」

「禁足地だとは知りませんでした」

とにかく、一刻も早く羽衣(はごろも)を探し出し、天に帰らなければならない。
ここで、まともに帝の相手をしている暇など天女にはなかった。

「そなたが夜伽をしないというのなら、禁足地に入った罰をそれなりに受けさせよう」

天女は目を大きく見開いた。