魔法の花が教えてくれたこと

  ◇◇◇

 季節は夏。容赦ない日差しが降り注ぎ、制服が半袖でも汗が滲んでくる。
 蝉は耳を埋め尽くすような鳴き声で大合唱していて、今年も夏が来たことを告げていた。

 この時期は、日焼け止めを頻繁に塗らないとすぐに日焼けするし、テニス部ともなれば灼熱の中での運動を強いられることもある。
 はっきり言って私の、一番嫌いな季節だ。

 高校二年生の私、栗原あやめは、隣のサッカー部エースの彼氏と手をつないで、先の見えない長い通学路を歩いていた。

「あやめのクラスは、担任山田だろ?席替え少ないし、すっごいつまんないんじゃない?」
「んー、でも去年は陸斗がいたじゃん。長い間隣の席になれたし」
「それは去年で、今年は長い間おんなじ男子と隣の席じゃんか。仲良いの?妬けるんだけど」

 高校へ続く大通りは、多くの生徒が通り、この時間帯は高校生の列が校門に向かって流れていく。
 その流れに沿って歩きながら、私は「隣の席は女の子だよ?」と笑った。
 
「そっか。でもいつか席替えするんだから、その時男子と隣になる」
「もうすぐ夏休みだし、夏休み明けたら席替えしてくれるかな」
「一生しなくていい!」

 そう言って隣で一緒に歩く坂村陸斗は、つないだ手の力を少し強める。けれど、私が痛がらないよう調整された、程よい強さだ。

 ……やっぱり、陸斗は優しいなぁ。私には勿体無いくらい。

「そうだ、あやめ。ハンバーガーって好き?」

 突然の陸斗の質問に、私は一瞬言葉がつまった。

 これは、『ハンバーガー屋に行こう』という流れだ。その先を聞かなくてもわかる。
 この前、市駅前に新しくお店ができたとかを噂で聞いたし。

 ハンバーガーは、食べられないことはない。けれど……トマトやチーズは苦手なのだ。ハンバーガーには必ずと言って良いほど片方は入っているので、あまり進んで食べたくはない。はっきり言えば、食べたくない。

 けれど口からこぼれたのは、真反対の言葉だった。
 
「めっちゃ好きだよ。ハンバーガーは太っちゃいそうだからあんま食べないけど。たまには食べたい!」
「そっか。じゃあ、市駅前にできたお店、夏休み中に行こう。部活の予定とか合わせて」
「やった!」

 私は『優しい彼女』の顔をして天真爛漫にはしゃいで見せ、陸斗も「喜びすぎじゃない?」といいつつも笑みを返してくれた。

 このやり取りは、慣れている。日常の一部といっても良いから。けれど私には、その事実が重くのしかかっていた。

 ——もう、何回目だろうか。

 自分を偽るのは。
 “明るくて優しくて、謙虚”な理想の彼女になりきるのは。


 全ての始まりは一年前だった。
 
  ◇◇◇

『栗原さん、その、一目惚れしました。俺と、付き合ってください』

 放課後の教室でそう言われた時、私は告白を断る気でいた。相手のことを考えて、それが正しいから。
 昔のことを遡れば、私は小・中学生時代に大失敗した。内気で泣き虫で、気を遣って話しかけてもらってもまともに喋りやしない。いつしか『ぶりっ子』『不思議ちゃん』と陰口を叩かれ、挽回の余地などなく。
 そのことを大反省し、高校は出身の中学で一、二人しか受かれない進学校に死ぬ気で勉強して合格した。
 そして、誰もが好意を持つような女の子を演じたのだ。
 いきなりそんなことできるのかと疑問を持つところだが、自分を押し込めて、忘れて、アニメで見る完璧な女の子の真似をすれば簡単にできる。

 ——そんな仮初の自分を、陸斗に好かれてしまったのだ。

 私はその時、陸斗のことを『サッカーが上手い一軍男子』としか見ていなかった。

 一緒にいたって、自分を偽り続けて傷つくだけ。わかっていた。

 なのに。

『……喜んで』
『本当?あんまり喋ったことない男子だよ?』
『……私も、好きだったので』
 
 告白を受けた理由は、自分でもわからない。心臓がバクバクして、うるさくて。顔が熱くなってしまったことは覚えている。
 ただ、これが陸斗に直接ついた、初めての嘘だった。
 そう私は思っている。

  ◇◇◇

 学校に着いたら、クラスが離れている陸斗とは昇降口あたりで別れ、階段で二年生のフロアに上がった。そして自分の教室に入る。

「あ、おはー。あやめ」
「おはよ、凛華」

 教室の扉を横にスライドして中に入ると、親友の牧野凛華が席を立って近づいてくる。

 凛華は体育会系で、本当の一軍女子だ。陸上部の彼氏がいて、お互い心の底から愛し合っていると思う。

 私は嘘で固めているけれど、失いたくない大切な親友なのは間違いない。
 
「ねーねーあやめ、今日席替えだって!あのヤマセンがやっと席替えする気になったらしくて」
「え、てっきり夏休み明けまでしないと思ってたのに!嬉しいけど、微妙にキリ悪いかも……?というか、ヤマセンって、山田先生でしょ?そんなこと本人に言ったら凛華、どうなるかわからないよ」

 本音を言えば、新しい人と隣になる確率大の席替えは胃が痛い行事だ。いつもの“天使”モードで話しかければ良いだけの話だけれど、それが私にはありえないほど疲労が溜まる。
 夏休み明けまで、席替えについては考えなくて良いと思っていたのに。

 そのことを表情に出さないよう気をつけながら、少しでも忘れたくて話題を逸らした。

「そういえば、この前陸斗と駅前行ったんだけど、新しいハンバーガー屋すっごい美味しくて。えっと、名前は……忘れちゃったけど」
「ははは、あやめ、美味しかった店の名前忘れてるのは可愛すぎるって」
「と、とにかく!オススメだよ」

 ……よかった。名前を忘れて焦ったけれど、そっちの方向に行ってくれて。

 ほっと胸を撫で下ろした。

『なんで覚えてないのよ』と言われる確率は低いとわかっていたけれど、不安になってしまう性分なのだ。

 私が自分の席にリュックを置き、中身を取り出しながら、凛華と会話を続けていると。

「凛華、あやめ、よっ!」

 後ろから聞き慣れた芯の太い声がして振り向くと、クラスメイト……そして凛華の彼氏でもある本田龍平が立っていた。

「うわ、りゅう、まじ気づかんかったわ。いつからいた?」
「ひっど。りー、自分の彼氏の気配も感じてくれないなんて!」
「彼氏とかあんまおっきな声で言わないでよ。でかい声でそんなこと話す奴、りゅうしかいない」

 私は気まずかったので、孫を見るような視線でとりあえず何も口を挟まない。

 『りゅう』『りー』とあだ名で呼び合うほど仲睦まじい二人の光に当てられて、私は羨ましさを感じてしまう。

「だ・か・ら!あやめと坂村くんを見習おうよ!あんな行儀が良くてお似合いなカップル見たことない!」
「あ、りーだってでかい声でそんなこと言ってるじゃんか!」
「あはは、それはごめん」
「ま、俺もうるさいのは良くないな」

 すぐ喧嘩をして、すぐに仲直りできる。それは本音をぶつけ合って、意地を張らない二人だからこそできることだ。

 二人の間に挟まれて若干肩が竦むが、それ以上に憧れてしまう。

 ……私もこんな風に陸斗と喧嘩して、仲直りできたらなぁ。

 毎日のように想像してしまうけれど、はっきり言って望みすぎだ。

 私には本音を打ち明ける勇気なんてない。打ち明けたらきっと、陸斗は今までの人たちのように私を嫌いになる。

『あやめって普通に嫌いだわ。何考えてるのかわからない』
『突然泣き出して、ウチが悪いみたいになった。……さすがにムカつく』

 聞こえないと思って言ったのであろう言葉も、私の耳にはしっかり届いていた。ずっと耳にこびりついていて、離れてくれない。

 私が悪い。それがわかっているからこそ、余計に自分が愛せなかった。

「あ、もうすぐ朝のホームルームだよ。凛華はカバン、開けてすらないでしょ?まずいよ」
「ねぇあやめ、それ言わないでぇ」
「言わなきゃ凛華はやらないんだもん」
 
 「うぅ……」と凛華はシクシクわかりやすい嘘泣きを始め、それでも龍平に背中を押されて自席に戻って行った。
 
 ここで凛華の席まで私が行けば、少しだが話せるだろう。ホームルームはもうすぐと言ったけれど、少し盛っていて、実はまだ五分ある。

 それでも私は椅子の背に身を任せて動けなかった。とりあえず既にやってある課題を机に広げて、その範囲の広さに絶望していることにしておく。

 これもまた、嘘の一種だ。
 私の場合、嘘は自分の身を守り、望みを叶えるための道具。自分のためにあるもので、それは優しさでも何でもない。

 ……自分のことしか考えない。自分が一番、自分を嫌いなのに。

 罪悪感にまた、呑み込まれそうになる。

 人の前で仮面を被るのは嘘と同義であり、嘘は悪いこと。それでもその嘘は、私にとって生きるための手段。

 果たして、これは良いことと悪いこと、どちらに分類されるのだろうか。

 答えは考えても見つかるわけがなく、時間は過ぎて山田先生が教室に入ってきた。