もし明日地球が滅亡するとしたら、君と一緒にいたいと思ってしまった

 「もし明日、地球が滅亡するとしたらどうする?」

 閑谷が、不意にそんな問いを投げかけてきた。
 俺と閑谷(しずたに)の間では、この手の話題は珍しくない。

 俺はすっかり特等席と化した閑谷の部屋のソファに寝転んでいたが、この問いについて少し真剣に考えてみることにした。
 身を起こし、座り直す。

 「どうするって言われてもな……」
 「2025年7月5日の予言、知ってる?」
 「あぁ。去年SNSで話題になってたな。でも、結局何も起こらなかったってやつ」
 「そう。正確には地球滅亡じゃなくて、2025年7月5日、日本で大災害が起こるって予言。とある漫画家が著書の中で予知夢を語ったのが、ネット上で拡散されて話題になった」
 「ネット民ってそういう話題好きだよな」
 「ネット民に限らず、世間の人たちの興味関心を集めやすい話題なんだろうね。もっとさかのぼると、ノストラダムスの大予言ってのもあったし」

 俺が生まれる前の話だが、以前、親から話を聞いたことがある。確かそれも、「7月に世界が終わるかもしれない」的な話だったか。

 俺はふと、閑谷の部屋の壁にかけられたカレンダーに目を向ける。昨日まで6月のものだったはずが、気付けば7月に変わっていた。
 なるほど。閑谷がこの話題を出した理由が、ようやく腑に落ちた。

 「2025年7月に、日本は滅亡しなかった。でも、本当に滅亡するのは2026年、つまり今年かもしれない」
 閑谷はいたって真剣な口調で、そう告げた。

 「今年の7月ってこと?1年ズレた的な?」
 「かもしれないって話」
 「うーん。滅亡するとしたら、どうするか……ねぇ」

 俺は改めて、先程の問いについて考える。
 「明日地球が滅亡する」なんて急に言われても、実感がわかない。

 どうせ死ぬのなら、貯金を全部使い切って贅沢をするとか、好きなものをたらふく食べるとか、そういう答えになるのだろうか。

 「じゃあ、質問を変える。もし明日、地球が滅亡するとしたら、どう過ごしたい?」
 「どう過ごしたい、か……」

 明日には地球が滅亡する。そんな、人生最後の日。

 俺は――。

 頭の中にひとつの答えが浮かんだ。
 顔を上げると、目の前の閑谷と目が合う。

 ――もし明日地球が滅亡するとしたら、こいつと一緒にいたい。

 そう、思ってしまった。

 *

 閑谷と初めて言葉を交わしたのは、大学一年になって少し経った頃。

 それまでの俺は、閑谷のような物静かな人間とは縁遠い、いわゆる陽キャ集団の中で大学生活を送っていた。
 正直、背伸びしていた部分はある。

 夢に描いていた大学生活。周りから浮かないよう、俺は必死だった。
 そうしてなんとか居場所を確保し、友人関係も順調に築いていった。
 彼らのノリに合わせ、会話が途切れないよう気を配り、場の空気を読んで適切なリアクションを返す。そんなことを繰り返すうちに、どんな話題なら盛り上がるのか、どう振舞えば彼らに喜ばれるのか、少しずつ身についていった。

 そんなある日のこと。
 寝坊した俺は、授業開始ギリギリの時間に教室へ滑り込んだ。
 普段は友人たちと一番後ろの席に座っているが、この日は来るのが遅かったからか、後方の席は既にびっしり埋まっていた。
 俺は仕方なく、一番前に見つけた空席へと向かう。そして、空席の隣に座る男子学生に声をかけた。

 「隣、いい?」

 「どうぞ」

 彼は俺の顔をちらりと見ると、淡々とした声でそう言った。
 確か、同じ学部の……。
 名前を思い出そうとしていると、ふと、彼の筆箱に目が留まった。そこには、真っ白で毛むくじゃらのキャラクターのキーホルダーがぶら下がっていた。

 「あっ、UMA好きなの?」

 彼の筆箱についていたのは、イエティのキーホルダーだった。
 イエティと言うのは、雪山に生息するといわれるUMA(ユーマ)――未確認生命体だ。
 雪男といったほうが分かりやすいかもしれない。

 そして彼は、俺の唐突な問いかけに、特に驚く様子も見せずに答える。

 「まぁ、結構好き。そこまで詳しいわけじゃないけど、この世に存在するかどうか分からないものについて考えるのが好きだから」

 淡々とした口調で、少し変わったことを口にする彼に、俺は妙な親近感を覚えた。

 「俺も好きなんだよね、UMA!なんつーか、ロマンだよな。ちなみに、俺はこの世に存在すると思う」
 「へぇ。じゃあ、もし俺が宇宙人だって言ったら、信じる?」

 あまりに突拍子のない問いに、俺は思わず目を丸くした。

 「え、宇宙人なの?」
 「いや、違う」
 「え?」
 「もしも、の話」

 ……変わった奴だな。
 そう思いつつも、俺は先程の問いに対する答えを、真剣に考え始めていた。

 「信じない。……と言いたいところだけど、正直、100%お前が宇宙人じゃないって言いきることはできない。だって、宇宙人が地球人に交じって普通に生活を送ってる可能性だって、ないとは言い切れないし」
 「そうだね。この教室の中にも、何人か宇宙人が混じってるかもしれない」
 俺は思わず、教室内を見渡す。皆、普通の人間の姿に見えるが、実はそれが宇宙人の擬態だったら?つい、そんなことを考えてしまった。
 「もしこの中に宇宙人が混じってるとして、じゃあ何のために大学に?宇宙人が大学で学ぶ意味あるのか?」
 「大学で学んだ知識を、自分の星に持ち帰るためかな」
 「持ち帰ってどうするんだよ」
 「そうだな……」

 そんな会話を続けていると、教授が教室に入って来たため、俺たちの会話はそこでお開きとなった。

 その後、授業を受けながら、俺は隣に座る彼の横顔をチラ見した。
 クールな印象だったのに、いざ話してみれば、想像の五倍は喋る。しかも、かなりの変わり者だ。

 俺は先程の会話を思い出し、気付けば顔が自然とにやけていた。

 ――楽しかったな。

 普段、友人たちとしている中身のない会話とは違う。
 誰が付き合ってるとか、バイト先の先輩がうざいとか、最近流行りの麻辣湯がどうだとか、正直、俺はそんな話題に興味はなかった。
 それでも、「友達」という関係を維持するために、興味のあるふりをしてきた。話に相槌を打ち、適当なリアクションを返す。そうやって、彼らの輪の中に居場所を作ってきた。

 けれど、俺が本当に友達としたかったのは、きっと、今みたいな会話だった。
 「もしも」から始まった想像は、頭の中でどこまでも広がっていく。
 それを、誰かと共有し、互いの意見を交換し、そこからまた新しい世界を知る。

 そんな時間が、たまらなく楽しかった。

 俺は、手元のノートにペンを走らせる。

 『名前は?』

 俺はノートにそう書き、彼に見せるように指先でトントンと示した。
 彼は俺の書いた文字に気づくと、自分のノートにペンを走らせる。

 『閑谷貴斗(しずたにたかと)』

 閑谷、か。

 『俺は、泉涼祐(いずみりょうすけ)』

 俺が名前を書いて見せると、閑谷はその文字をじっと見つめた。そしてゆっくりと、俺の顔に視線を移し、頷く。
 クールな彼の顔に、ほんの少し――本当に、ほんの少しだけ、微笑みが浮かんだような気がした。


 それから俺は彼に猛アタックをし、晴れて友達のポジションを獲得した。
 幸いにもというべきか、悲しいことにというべきか、元々仲良くしていた陽キャ連中とは自然と関係が疎遠になっていった。

 後々分かったことだが、閑谷は、いつも一人で授業を受けているらしい。

 「一人が好きなん?」

 俺がそう尋ねると、閑谷は「そうだな」と呟き、少し考えるように間を置いた。

 「一人が好きと言うよりは、空想に浸るのが好き。空想に浸るには、一人でいるのが一番いい。だから一人でいる」

 なるほど。実に合理的な答えだ。
 俺はますます、こいつとは気が合いそうだと思った。
 何を隠そう、俺も根っこの部分では、閑谷と同じタイプの人間なのだから。
 UMAのような超自然的な存在も好きだし、都市伝説のような本当かウソかわからないようなことについて、真剣に考えるのも好きだ。

 「閑谷、一人でいたいなら、俺と一緒に授業受けたりするの嫌?」
 ふと、そんな不安が頭をよぎり、俺は恐る恐る尋ねた。
 けれど、閑谷は「別に嫌じゃないよ」と即答した。
 「泉となら、一緒に空想に浸れるしな。自分の中で考えを巡らせるのも楽しいけど、意見を交換するのも楽しいって知った」
 その言葉に、俺はほっと胸をなでおろした。


 俺は学校だけでなく、それ以外の時間も閑谷といることが多くなっていった。
 閑谷は大学の近くで一人暮らしをしていたので、俺はよく閑谷のアパートに居座っていた。

 二人でいる時の話題は、もっぱら「もしも」の話。
 もしも、AIが地球上に存在するすべての仕事をこなせるようになったら、人間の仕事はどうなるのか。
 もしも、日本にあるごみの埋め立て地が全て満杯になったら、行き場を失ったごみをどこで処理すればいいのか。
 もしも、この先も少子化が進み続けたら、日本はあと何年で消滅するのか。

 はたから見れば、「そんなことを議論して何の意味があるのか」と思うかもしれない。
 けれど、他人からすれば無意味に思えるそんな議論も、俺たち二人にとっては興味が尽きないものだった。一つの仮定から始まった想像は、話し合ううちに思いもよらない方向へと広がっていく。気付けば時間を忘れるほど夢中になっていた。

 「良かった、俺。閑谷に出会えて」

 素直な気持ちを閑谷に伝えると、閑谷はほんのわずかに口角を上げた。
 俺でなければ見逃してしまいそうな、ささやかな笑顔。
 閑谷が時折見せる、そんな分かりづらい微笑みが、俺は結構好きだった。


 *


 閑谷が、じっと俺の目を見つめる。
 俺もまた、その視線から目を逸らすことができなかった。

 ――もし明日地球が滅亡するとしたら、こいつと一緒にいたい。

 まるで当たり前のことのように、そんなことを思ってしまった。

 そしてふと気付く。
 この気持ちは、ただの友達に向けるものじゃない。

 「なに?」

 閑谷が俺に答えを促す。けれど、俺の喉から出てきたのは「あ、えっと」という、吐息とも声ともつかない音だけだった。
 「もたもたしてると、地球滅亡しちゃうよ」

 そんな意地悪なことを言ってくる閑谷に、いつもの俺だったら「うるせえ」の一言でも返しているはずだった。
 なのに、今はそんな軽口すら思い浮かばない。それどころか、俺の胸の奥には「本当に地球が滅亡してしまうんじゃないか」なんて、妙な焦りまで芽生えていた。
 きっと、閑谷が「地球が滅亡するのは、今年かもしれない」なんて、妙に真剣な口調で言うからだ。

 「明日、地球が滅亡するとしたら……」

 「うん」

 「お前と、一緒にいたい」

 明日、地球が終わってしまうかもしれない。
 そんな焦燥感が、俺の口から本音をこぼれ落とさせた。

 後悔だけはしたくなかった。
 もし、この気持ちを伝えないまま、地球が滅亡してしまったら。もう二度と、伝える機会は訪れない。
 そんなのは絶対嫌だった。きっと、死んでも死にきれない。

 今、俺と閑谷の周りだけは、明日、地球が滅亡するかのように世界が回っていた。

 「じゃあ、一緒にいよっか」

 そして閑谷は、驚くでもなく、当たり前のことのようにそう答えた。


 地球が滅亡する前の晩。俺は閑谷の家に泊まることになった。
 家に泊まるのは初めてではない。それなのに、今日は今まで感じたの事のない緊張が、体の隅々まで駆け巡っていた。

 一緒に夕飯を食べ、各々風呂に入り、その後はぼんやりとテレビを見て過ごした。
 閑谷の様子はいたっていつも通りで、その姿を見ているうちに、俺の気持ちも自然と落ち着いていった。

 閑谷は、先程の俺の発言について、そこまで深く考えてないのかもしれない。
 俺たちはきっと、今まで通り友達同士として、地球滅亡の日を迎えるんだ。
 そう考えた途端、心の奥底にずきんと鈍い痛みが走ったが、俺は気付かないふりをした。


 「そろそろ寝る?」

 閑谷はテレビを消すと、俺に声をかける。

 「あぁ、うん。寝るか」
 「布団用意する」

 そう言うと閑谷は、来客用の布団をベッドの横の床に敷き始めた。
 俺は閑谷が敷いてくれた布団に寝そべりながら、ふと思った。
 なんで俺、こいつのこと好きになったんだろう、と。

 大事な友達。それだけだったはずなのに、いつの間にか「友達」という言葉で言い表せないほど、かけがえのない存在になっていた。
 友情と恋愛の境目は、案外曖昧なものなのかもしれない。
 その曖昧さについて、閑谷と議論がしてみたいなぁ、なんて、ついいつもの癖で考えてしまう。

 「おやすみ」

 寝転ぶ俺を見下ろす形で、閑谷が言う。
 俺が「おやすみ」と返すと、閑谷は照明を消した。

 俺は目を閉じるが、眠れるわけがないことはすぐに分かった。
 もしこのまま寝てしまったら、次に目を覚ますころには地球が滅亡しているかもしれない。もしかしたら、一度も目覚めることなく、眠っているうちに世界が終わってしまうことだってあるんじゃないか。

 そんな考えが頭の中をぐるぐると巡り、俺の目はますます冴えていった。
 やがて俺は眠ることを諦め、目を開けた。暗闇に目が慣れてくるにつれて、天井の模様がぼんやり浮かび上がってくる。

 「泉、起きてる?」

 突然、閑谷に声をかけられ、俺は少し驚きつつも「起きてるよ」と返した。

 「寝れない?」
 「うん」
 「分かる、俺も。なんか、明日地球が滅亡すると考えたら眠れなくて」
 「お前があんなこと言うからだろ」
 「泉も、同じこと考えてた?」
 「うん。このまま朝が来ないかもしれない、とか考えたら、ちょっと怖くなった」
 「分かる」

 しばらくの沈黙が流れた後、閑谷のベッドからもぞもぞと音が聞こえた。
 そちらに視線を向けると、閑谷がベッドの上から俺を見下ろしていた。

 「なに?」
 「……くっついてたら、怖くないんじゃないかって思って」
 「え?」

 閑谷が、ベッドの隣をポンポンとたたく。
 あ、「ここに来い」ということか。

 「なに?一人で寝るの怖いの?」
 「どうせ死ぬなら、二人でくっついて死にたいと思って」
 「なんだそれ」

 そう言いながらも、俺の体は自然と閑谷のベッドへ向かっていた。
 閑谷が壁側に体をずらし、俺は空いたスペースに、そっと体をもぐりこませた。

 こんなにも近くに閑谷を感じたのは、初めてだった。
 いつもの俺なら照れくささに耐え切れず、すぐ離れようとしただろう。けれど、今はそんな気にならなかった。
 もし、離れた瞬間に地球が滅亡したら。
 そんなことになったら、絶対後悔すると思ったから。

 だから今だけは、余計なことを考えず、素直に自分の気持ちに従うことにした。

 「俺も考えたんだ」
 布団の中で、閑谷が俺を見つめながら言う。
 「え?何を?」
 「もし明日、地球が滅亡するとしたら、どうするか」
 「……閑谷はどうすんの」
 「俺も、泉の答えと同じ」

 その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓は大きく跳ねあがった。
 心臓の鼓動がどんどん速くなり、この音が閑谷の耳にも聞こえてしまっているのではないかと不安になるほどだった。

 そして、今まで何気なく受け止めていた閑谷の視線が、急に違う意味を持っているように思えた。
 もしかして、閑谷も――。
 そんな期待が、胸の中で広がっていく。

 「俺も、泉と一緒にいたいと思った。でも、それだけじゃなくて」
 「え?」
 「それだけじゃ、絶対後悔するから」
 「えっと……」
 「キス、したい」

 閑谷の、熱を帯びた視線が、ゆっくりと俺の唇の方へ移っていく。
 心臓が、今にも破裂しそうなくらい、大きく脈打っていた。
 俺は、そっと目を閉じる。

 閑谷の手が、俺の頬に触れた。
 その手から伝わる熱で、今にも溶けてしまいそうだった。
 ゆっくりと、顔が近づいてくる気配がする。

 その次の瞬間、唇に柔らかな感触が伝わった。

 しばらくして顔が離れると、俺はそっと目を開けた。
 閑谷と目が合う。
 目の前にいる閑谷のことを、もうただの「友達」とは思えなかった。

 明日から、今まで通りじゃいられないな。
 ……いや、明日地球は滅亡するんだから、別にいいか。

 そんな考えが、ぼんやりと頭に浮かんだ。

 「……ありがと」
 閑谷の視線が少しだけ泳ぐ。

 ――あ、照れてる。

 そんな珍しい閑谷の姿を目にして、胸の奥から愛おしさがこみあげてくる。

 俺は離れかけた閑谷の手をとり、もう一度自分の頬に触れさせた。

 「これだけでいいのか?本当に後悔しない?」
 「えっ」
 「俺は、足りない」

 そう告げて、今度は俺の方から、閑谷の唇にキスをした。

 それからはタガが外れたように、何度も何度もキスを交わした。

 「明日、地球が滅亡するんだから」

 その言葉を、都合の良い言い訳みたいに使いながら――。


 そうして何度も唇を重ね、互いの気持ちを確かめ合うよう触れ合っているうちに、いつしか夜は深まっていた。

 眠りに落ちる直前。まどろみの中で、閑谷がぽつりと呟いた。

 「大事なこと、言い忘れてた」
 「ん?」
 「俺、泉が好き」
 「え、あっ」

 そういえば、互いを求めることに夢中で、一番伝えたかった言葉をまだ伝えていなかった。

 「俺も、好きだよ」
 苦笑いしながら、俺は閑谷にそう返した。

 「俺、前からずっと考えてたんだ。恋に落ちる瞬間とはいつなのか、って」
 閑谷が急に真面目な口調で、そんなことを切り出した。
 俺は眠くて重くなった瞼に必死に抗いながら、「答えは出たのか?」と尋ねる。

 「ううん、出なかった。大学に入れば分かるかなと思ってた。でも、分からなかった。気付いたら、恋に落ちてたから」
 「えっ……てか、お前いつから俺のこと……」
 「だから、分からないんだって。でも最初、泉に対して抱いてた気持ちは、”心配”だった」
 「えぇ?」

 心配?何か心配されるようなことがあっただろうか。
 まったく心当たりがなく、俺は話の続きを求めるように、閑谷の目を見つめた。

 「大学の入学式。泉が会場の隅っこで手に『人』って字書いてるとこ見たんだ」
 「あっ」

 当時のことが、鮮明に蘇る。
 大学の入学式の日。俺は確かに、友達ができるかどうか不安で、会場の隅っこで一人、「人」という字を何度も飲み込んでいた。

 「見てたのかよ」
 「見てた。大丈夫かなーって思ってた。その後、一緒の学部だって知って。ちょっと気にしてた」
 「気にしてたって……声かけてよ。そうすればもっと早く仲良くなれたのに」
 「確かに。でも、その時は俺、別に友達になりたかったわけじゃなかったし」
 「冷たいな」
 「俺がそういう人間だって知ってるだろ」
 「まぁな」
 「それに、泉、頑張って色んな人に話しかけてただろ。それで友達もできたっぽかったし、それ見てちょっと安心したんだ」
 そんな入学当時の俺の頑張りまで見られていたのか。
 そう思うと、なんだか気恥ずかしくなってきた。
 「でもやっぱり、無理してる感じが見てて伝わってきて」
 「えっ、まじ?俺、そんな態度に出てた?」
 「いや、多分他の人は気付いてない。俺しか気付いてなかったと思う」
 「……そんなに俺のこと、見てたんだ?」
 俺がそう言うと、閑谷は珍しく言葉に詰まった。そして少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開く。
 「俺、あの頃から泉のこと、気になってたのかも」
 まるで、ようやく腑に落ちた、とでもいうような表情だった。
 そんな閑谷がとてつもなく愛おしく思えて、気付けば俺は、閑谷の唇に何度目かも分からないキスをしていた。

 「ねぇ、話の途中なんだけど」
 閑谷はキスで話を遮られたことにやや不満そうな様子を見せながらも、その口元はわずかに緩んでいて、どこか嬉しそうなのが伝わってきた。

 「じゃあ、俺に初めて話しかけられた時、どう思った?」
 俺は、閑谷と初めて話した講義室でのことを思い浮かべながら、そう尋ねた。
 「……こんなことあるんだ、って思った」
 「何それ?」

 てっきり、「嬉しかった」のような感想が返ってくると思っていた俺は、予想外の返答に戸惑う。

 「泉とは、住む世界が違うのかなと思ってたから。この先、四年間、交わることはないだろうな、と。だから、泉から話しかけられて、なんか……うーん」
 閑谷はその時の感情を上手く言葉に表せないらしく、視線を宙に彷徨わせた。
 そんな閑谷の代わりに、俺が口を開く。
 「運命、感じた?」
 すると閑谷は、一瞬だけ驚いたような顔をした後、ふっと笑みをこぼした。
 「何笑ってんだよ、馬鹿にしてる?」
 「いや、ごめん。そういうわけじゃなくて」
 「じゃあなんだよ」
 「運命っていうのは大げさだなと思ったんだけど、でもあの時のことを思い出すと……それ以上にしっくりくる言葉が浮かばなくて」
 閑谷は少しだけ考えるように間を置いてから、続けた。
 「恋も、運命も、言葉で説明しようとすると難しいんだなって」

 俺たちは、恋とか運命とか、形のないものについて考えるのが好きだ。
 けれど、実際のところ、「恋に落ちるとは何か」「運命とは何か」という問いに、明確な答えなんてない。
 過去を振り返って、ようやく「あれが恋だったんだ」「あれが運命だったんだ」と気付く。
 そうやって、「あれ」という曖昧な言葉でしか表せないものの中に、ようやく答えを見つけるのだ。

 「泉は?俺のこと、いつから?」
 閑谷の問いに、俺はこれまで閑谷と一緒に過ごした日々を思い返した。
 「もし明日、地球が滅亡するとしたら?」の質問を受けて、俺は初めて、閑谷への気持ちに気付いた。
 けれど、本当にそうだったんだろうか。

 もしかしたら、本当はそれより前から、閑谷に特別な感情を抱いていたんじゃないか。

 その答えを探すように、俺は記憶をたどっていく。
 けれど、そんな俺の意思に反して、次第に意識が遠のいていった、
 「俺は……」
 結局眠気に勝てず、その先の言葉を口にすることはできなかった。

 遠のく意識の中で、閑谷が小さく「おやすみ」と呟くのが聞こえた気がした。


 *


 「ん……」

 鳥のさえずる声に、俺はゆっくりと目を開けた。
 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。

 「おはよ」

 声のした方に顔を向けると、すぐ隣に閑谷の顔があった。
 閑谷は俺を見つめながら、穏やかに微笑んでいる。

 「あ、お、おはよ……」

 その瞬間、昨夜の出来事が少しずつ頭に蘇ってきた。

 「地球、滅亡しなかったな」
 「えっと……」

 どうせ地球が滅亡するなら、と、昨夜の俺たちは何をしたんだっけ。
 閑谷の体温。唇の感触。肌と肌が触れ合ったときの感触。
 頭が冴えてくるにつれ、昨夜の記憶が鮮明によみがえり、俺は思わず顔が熱くなるのを感じた。

 結局、地球は滅亡しなかった。
 つまり、俺と閑谷の生活は、これからも続いていくということだ。

 「あ、あの、昨日のことだけどっ!」
 「なかったことにはしないよな?」
 先回りするように言われ、俺は言葉に詰まる。

 閑谷の手が、そっと俺の頬に触れた。
 もう、昨日までの俺たちには戻れない。

 けど、それでいい。

 滅亡を免れた地球で、俺と閑谷の関係は形を変えて、今後も続いていく――。

 END