荷物を解こうにも、どこへ置けばよいのか分からなかった。金の縁取りが施された襖に、庭へ面した広い縁側。畳には真新しい藺草の匂いが残り、私の古びた包みだけが、ひどく不釣り合いに見える。小さな部屋でよいと女官へ頼んだものの、東宮様のご指示ですからと断られたばかりだ。
けれど、どうしても落ち着かない気持ちのまま、私はその日の夕刻、尊仁様のもとへ挨拶に伺う機会を得た。
「あの、尊仁様。お部屋の件なのですが……」
私が切り出すと、尊仁様は書見台から顔を上げ、こちらを見た。昼間、大広間で見たときよりは、いくらか顔色が良いように見える。気のせいだろうか。
「ああ、あの部屋か。何か不都合でも?」
「不都合と申しますか……あまりに立派すぎて、私のような者が使うには、いささか身分不相応かと」
正直な気持ちだった。世話係、それも急に決まったばかりの、巫女としての立場もない私が、あのような部屋に住むなど誰が見てもおかしいはずだ。けれど、尊仁様は特に気にした様子を一切見せない。
「十一人の巫女の部屋以外では、そこしか空いていなかった。それだけのことだ」
「それだけ……ですか」
「他に理由が必要か?」
その口ぶりは、まるで今日の天気でも尋ねられたかのように、あっさりとしたものだった。そんなふうに言われてしまうと、私はそれ以上何も言えなくなってしまう。
確か、十一家の巫女たちには、それぞれ相応の部屋がすでに割り当てられているはず。急に決まった私のために、新たに部屋を用意するとなれば、選択肢が限られていたのかもしれない。それは、理屈としては分からなくもなかった。
「かしこまりました。ありがたく使わせていただきます」
私はそう答え、深く頭を下げて下がった。けれど、その夜。私付きになった女官の一人が、夕餉の支度をしながらぽつりとこう漏らした。膳から立ち上る湯気の向こうで、その表情はいつもより少し硬く見えた。
「あの部屋、本来は……」
「本来は、何でしょうか」
「いえ、何でもございません。お気になさらず」
そこまで言いかけて、はっとしたように口をつぐみ、女官は慌てたように首を振った。その様子が、かえって私の心に引っかかる。
家では使用人同然で過ごしていた。そんな私に女官が付くだなんて……
「……こんなの……落ち着いて過ごせる気がしない」
けれど、それ以上問い詰めることもできず、私はその日はそのまま床についた。天井の高い部屋に響く、自分の呼吸の音だけが、やけに大きく感じられた。
翌日になって、事の次第を知ったのは、一華からだった。朝、私の部屋を訪ねてきた一華は、部屋の中を一目見るなりみるみる顔色を変えた。
「……なんなの、これ」
「一華?」
「お姉様、この部屋がどういう部屋か、分かっていて使っているの?」
その剣幕に、私は戸惑いながら首を振った。
「東宮様は、他に空いている部屋がなかったからとしか……」
「ここは、正妃のための部屋よ」
一華の声は、震えていた。怒りなのか、それとも別の何かなのか、私には判断がつかなかった。
「……正妃……?」
「代々、東宮の正妃となる者が使う居室。それがここなの。宮中に仕える者なら、誰でも知っていること」
絶句した……女官が言いかけて止めた言葉の意味が、ようやく腑に落ちる。
「そんな……私、知らなくて……」
「知らなかったじゃ済まないでしょう!」
一華は、感情を抑えきれない様子で声を荒げた。
「お姉様は巫女ですらないのよ。それなのに、なんでよりによって正妃の部屋に……」
何と答えていいか分からない。知らなかった、というのは本当だ。けれど、それを言ったところで、一華の怒りが収まるはずもない。
しばらくの沈黙の後、一華は大きく息を吐き、気を取り直したようにふっと表情を変えた。
「……まあ、いいわ」
その口調には、無理に自分を納得させようとする響きがあった。
「どうせ、最後には私が正妃になるんだもの。お姉様のお下がりの部屋になんて、住みたくもない。私が正妃になったら、こんな部屋、取り壊して新しく建ててもらうから」
言い捨てると、一華は踵を返した。振り返ることなく部屋を出て行くのを、黙って見送る。遠ざかっていく足音が、やけに乾いて響いた。
一人残された部屋の中で、改めてその豪華な造りを見回した。
本来、私のような者が足を踏み入れることすら許されないはずの場所。
それを知ってしまった今、この部屋にいることが、なおさら落ち着かなく感じられた。
柱の木目一つ、襖絵の一筆までもが、まるで「お前はここにいるべきではない」と語りかけてくるような気さえした。
けれど、部屋を変えてほしいと願い出る勇気も、私にはない。東宮様のご指示に、これ以上何かを申し立てるなど、身の程を知らぬ振る舞いのように思えて仕方がない。
その夜、灯りを整えに来た女官に、正妃の部屋と聞いたことを伝えた。
「では、もうご存じなのですね」
「私が使っていることを、尊仁様はどうお考えなのでしょう」
「それは、私どもからは何とも」
困らせたいわけではなかった。礼を言って下がってもらうと、寝台の端へ腰を下ろす。部屋の由来は分かった。それでも、どうしてここを与えられたのかは分からない。隣の居室にはまだ灯りがあり、障子越しの淡い明るさを見ていると、私だけが眠るのも落ち着かなかった。
明日から、あの人の世話をする。正妃の部屋を借りているだけの、ただの世話係として。そう言い聞かせても、隣の灯りが消えるまで、私は目を閉じられなかった。
けれど、どうしても落ち着かない気持ちのまま、私はその日の夕刻、尊仁様のもとへ挨拶に伺う機会を得た。
「あの、尊仁様。お部屋の件なのですが……」
私が切り出すと、尊仁様は書見台から顔を上げ、こちらを見た。昼間、大広間で見たときよりは、いくらか顔色が良いように見える。気のせいだろうか。
「ああ、あの部屋か。何か不都合でも?」
「不都合と申しますか……あまりに立派すぎて、私のような者が使うには、いささか身分不相応かと」
正直な気持ちだった。世話係、それも急に決まったばかりの、巫女としての立場もない私が、あのような部屋に住むなど誰が見てもおかしいはずだ。けれど、尊仁様は特に気にした様子を一切見せない。
「十一人の巫女の部屋以外では、そこしか空いていなかった。それだけのことだ」
「それだけ……ですか」
「他に理由が必要か?」
その口ぶりは、まるで今日の天気でも尋ねられたかのように、あっさりとしたものだった。そんなふうに言われてしまうと、私はそれ以上何も言えなくなってしまう。
確か、十一家の巫女たちには、それぞれ相応の部屋がすでに割り当てられているはず。急に決まった私のために、新たに部屋を用意するとなれば、選択肢が限られていたのかもしれない。それは、理屈としては分からなくもなかった。
「かしこまりました。ありがたく使わせていただきます」
私はそう答え、深く頭を下げて下がった。けれど、その夜。私付きになった女官の一人が、夕餉の支度をしながらぽつりとこう漏らした。膳から立ち上る湯気の向こうで、その表情はいつもより少し硬く見えた。
「あの部屋、本来は……」
「本来は、何でしょうか」
「いえ、何でもございません。お気になさらず」
そこまで言いかけて、はっとしたように口をつぐみ、女官は慌てたように首を振った。その様子が、かえって私の心に引っかかる。
家では使用人同然で過ごしていた。そんな私に女官が付くだなんて……
「……こんなの……落ち着いて過ごせる気がしない」
けれど、それ以上問い詰めることもできず、私はその日はそのまま床についた。天井の高い部屋に響く、自分の呼吸の音だけが、やけに大きく感じられた。
翌日になって、事の次第を知ったのは、一華からだった。朝、私の部屋を訪ねてきた一華は、部屋の中を一目見るなりみるみる顔色を変えた。
「……なんなの、これ」
「一華?」
「お姉様、この部屋がどういう部屋か、分かっていて使っているの?」
その剣幕に、私は戸惑いながら首を振った。
「東宮様は、他に空いている部屋がなかったからとしか……」
「ここは、正妃のための部屋よ」
一華の声は、震えていた。怒りなのか、それとも別の何かなのか、私には判断がつかなかった。
「……正妃……?」
「代々、東宮の正妃となる者が使う居室。それがここなの。宮中に仕える者なら、誰でも知っていること」
絶句した……女官が言いかけて止めた言葉の意味が、ようやく腑に落ちる。
「そんな……私、知らなくて……」
「知らなかったじゃ済まないでしょう!」
一華は、感情を抑えきれない様子で声を荒げた。
「お姉様は巫女ですらないのよ。それなのに、なんでよりによって正妃の部屋に……」
何と答えていいか分からない。知らなかった、というのは本当だ。けれど、それを言ったところで、一華の怒りが収まるはずもない。
しばらくの沈黙の後、一華は大きく息を吐き、気を取り直したようにふっと表情を変えた。
「……まあ、いいわ」
その口調には、無理に自分を納得させようとする響きがあった。
「どうせ、最後には私が正妃になるんだもの。お姉様のお下がりの部屋になんて、住みたくもない。私が正妃になったら、こんな部屋、取り壊して新しく建ててもらうから」
言い捨てると、一華は踵を返した。振り返ることなく部屋を出て行くのを、黙って見送る。遠ざかっていく足音が、やけに乾いて響いた。
一人残された部屋の中で、改めてその豪華な造りを見回した。
本来、私のような者が足を踏み入れることすら許されないはずの場所。
それを知ってしまった今、この部屋にいることが、なおさら落ち着かなく感じられた。
柱の木目一つ、襖絵の一筆までもが、まるで「お前はここにいるべきではない」と語りかけてくるような気さえした。
けれど、部屋を変えてほしいと願い出る勇気も、私にはない。東宮様のご指示に、これ以上何かを申し立てるなど、身の程を知らぬ振る舞いのように思えて仕方がない。
その夜、灯りを整えに来た女官に、正妃の部屋と聞いたことを伝えた。
「では、もうご存じなのですね」
「私が使っていることを、尊仁様はどうお考えなのでしょう」
「それは、私どもからは何とも」
困らせたいわけではなかった。礼を言って下がってもらうと、寝台の端へ腰を下ろす。部屋の由来は分かった。それでも、どうしてここを与えられたのかは分からない。隣の居室にはまだ灯りがあり、障子越しの淡い明るさを見ていると、私だけが眠るのも落ち着かなかった。
明日から、あの人の世話をする。正妃の部屋を借りているだけの、ただの世話係として。そう言い聞かせても、隣の灯りが消えるまで、私は目を閉じられなかった。



