大正浪漫、恋するインデックス~おしゃべり女給と文字が苦手な御曹司~

〇英国総領事館・大広間(第7話の続き)

ワルツが終わる。拍手の中、エドワードが櫻子の手の甲に軽く口づける真似をする。
その櫻子の手首を、横からつかむ手。茂文。

茂文「……借りるぞ」
エドワード《どうぞ。もともと君のだろう?》

にやりと笑うエドワード。茂文は答えず、櫻子を連れて人波を抜ける。

〇同・柱の陰(続き)

大きな柱の陰。茂文が足を止め、席次表を櫻子に押しつける。

茂文「次が俺の挨拶だ。読め」
櫻子「……え?」

茂文「招待客の名前と、挨拶の順番。間違えるわけにいかない」

櫻子の表情が、すっと冷える。

櫻子(……そういうこと)

櫻子は黙って、茂文の耳元に顔を寄せ、小声で読み上げ始める。

櫻子「英国総領事、サー・ウィリアム・ベネット。白鷺男爵。横浜正金銀行頭取……」

耳元で囁く声。近すぎる距離。茂文は目を閉じて聞きながら、喉が小さく動く(きゅんどころ。二人とも怒っているのに距離はゼロ)。

櫻子「……以上です」
茂文「……助かった」
櫻子「通訳ですから」

冷たい一言。茂文が何か言いかけるが、司会の声が茂文の名を呼ぶ。

〇同・大広間の壇上(続き)

グラスを手に挨拶する茂文。招待客の名前を一人も間違えず、流れるような英語と日本語で場を沸かせる。

拍手。白鷺男爵が満足げに頷き、麗子がうっとりと見上げている。

壁際で、櫻子はグラスを握りしめる。

櫻子(読んだのは、私なのに)
櫻子(……って、何を張り合ってるの、私)

〇同・テラス(夜)

夜風。港の灯り。手すりにもたれる櫻子のもとへ、茂文が来る。

茂文「ハーグリーヴスと踊るなと言っただろう」
櫻子「言われてません」
茂文「……今言った。今後は断れ」
櫻子「どうしてです?」
茂文「お前は、俺のパートナーとして来たんだろう」

櫻子がついに振り返る(大ゴマ)。

櫻子「なら、放っておかないでくださいよ!」

茂文、言葉を失う。

櫻子「知っている人なんて一人もいなくて、話にも入れなくて。頼れるのは國衛様だけだったのに、すぐにいなくなって」
櫻子「戻ってきたと思ったら、名前を読めって。……私は、通訳ですもんね」
茂文「そういう意味で言ったんじゃない」
櫻子「それに、國衛様だって、ずいぶん楽しそうでしたけど。白鷺様のお嬢様と」
茂文「楽しんでない」
櫻子「私だって楽しんでません」
茂文「じゃあ、なんで踊った」
櫻子「あなたがいなかったからです!」

沈黙。夜風が二人の間を抜ける。
二人とも、自分の言葉がほとんど嫉妬だと気づいていない顔(読者だけがわかる)。

〇國衛商会の自動車・車内(帰り道)

後部座席の両端に座る二人。間に、人ひとり分の空白。
助手席の真壁が、バックミラー越しに二人を見て、そっと視線を前に戻す。
窓の外を見る櫻子。膝の上で、ドレスの裾を握りしめている。
窓の外を見る茂文。何度か口を開きかけては、閉じる。

長屋の路地の入り口で、車が止まる。

櫻子「……送っていただき、ありがとうございました」
茂文「櫻子」

初めて名前で呼ばれ、櫻子の足が止まる。でも振り返らない。

茂文「……いや。おやすみ」
櫻子「おやすみなさいませ」

〇カフェー「ミモザ」・店内(翌日・昼)

いつもの窓際の席。茂文。

茂文「……珈琲を」
櫻子「どうぞ」

ドン。
受け皿の上で、カップがかすかに跳ねる。

茂文「……まだ怒ってる?」
櫻子「いいえ」

にっこり。どう見ても怒っている笑顔。

千代たちが遠巻きにひそひそ。

千代「喧嘩……よね?」

踵を返した櫻子のエプロンのポケットから、一枚の名刺がひらりと落ちる。
茂文が拾い上げる。名刺に並ぶ英字を一語ずつ追うには時間がかかる。だが、紋章には見覚えがある。ハーグリーヴス商会の紋章(アップ)。

回想の一コマ。夜会の帰り際、エドワードが櫻子に名刺を渡していた。

エドワード(回想)《君ほどの通訳なら、うちの商会はいつでも歓迎するよ》

茂文の顔色が変わる。

茂文「……櫻子。これは何だ」