大正浪漫、恋するインデックス~おしゃべり女給と文字が苦手な御曹司~

〇カフェー「ミモザ」・店内(数日後・午後)

奥の席に「國衛商会様」の札。茂文、日本人の綿糸問屋の番頭・大河原(おおかわら)、英国人商人ブラウン、そして國衛商会の若い通訳が座っている。

千代「あの方、今日からこのお席で商談をなさるんですって。ご主人が二つ返事で」
店主(揉み手で)「國衛商会様にご贔屓いただけるとは、光栄でございます」
櫻子モノ『引き抜きを諦めたと思ったら――』
帳場には「木島(きじま)商事」と記された古い仕入帳。ミモザの主人・木島は、珈琲豆の仲介も手掛けている。
櫻子(……また来た)

茂文と目が合う。何食わぬ顔で、片手を軽く上げる茂文。
商談が始まる。通訳の青年は辞書を握りしめ、ぎこちない直訳を続けている。

ブラウン《値段はこれ以上下げられない。ただ、問題は八月の船だ。あの時期は嵐が多いだろう?》
通訳「ええと……値段は下げられない、と。それから、八月……嵐……」
大河原「値を下げんのなら、話は終わりだ」

大河原が席を立ちかける。ブラウンも苛立って肩をすくめる。険悪な空気(大ゴマ)。
茂文が口を開きかけた、そのとき。珈琲を注ぎ足しに来た櫻子が、大河原の横でさりげなく腰をかがめる。

櫻子「差し出がましいようですが……あちらの方が気にされているのは、お値段ではなく、納期のようです。八月は嵐で船が遅れやすいので」
大河原「……納期?」

櫻子は、今度はブラウンに英語で。

櫻子《こちらの方は、お値段の話だと思っていらしたようです。九月の船でもよろしければ、お話は続けられそうですよ》

ブラウンの表情がほどける。

ブラウン《……なるほど。九月なら問題ない》

大河原が座り直す。場の空気が一気に和らぐ。
ぽかんとする通訳の青年。櫻子を見つめる茂文。

茂文(言葉を訳したんじゃない。気持ちを訳した)

ところが商談が進むと、ブラウンが早口で続ける。

ブラウン《では、船荷証券の名義と、海上保険の条件、それから信用状の――》

櫻子の頭上に、知らない言葉が意味をなさない音のまま浮かび、ぐるぐる渦を巻く絵。

櫻子(……わからない)

固まる櫻子。茂文が自然に話を引き取り、流れるような英語で答える。ブラウンは満足げに頷く。
櫻子は盆を胸に抱えて、静かに下がる。

〇同・裏口(夕方)

空き箱に腰かけ、単語帳を握りしめている櫻子。
裏口の戸が開いて、茂文が出てくる。

茂文「助かった。礼を言う」
櫻子「……わからない言葉が、たくさんありました」

唇を噛む櫻子(悔しさのアップ)。

茂文「当たり前だ。商売をしたことがないんだから」

櫻子が勢いよく立ち上がる。

櫻子「じゃあ、教えてください」
茂文「……は?」
櫻子「わからないままにしておくのは、嫌なんです」

まっすぐな目(大ゴマ)。茂文が、ふっと笑う。

茂文「……あいにく、書いて教えるのは得意じゃない」

櫻子は一瞬だけ考え、単語帳を開いて鉛筆を自分で構える。

櫻子「でしたら、國衛様が話してください。私が書きます」

茂文が目を見開く。何も聞かず、当たり前のように役割を分けてくれた。

茂文「……船荷証券。荷を船に積んだ証で、向こうの港で荷を受け取るための引換券だ」

櫻子が鉛筆を走らせる。
夕陽の差す裏口で、空き箱に並んで座る二人。茂文が話し、櫻子が書く。肩が触れそうな距離(見開きにしたい絵)。
茂文はいつの間にか、説明しながら櫻子の横顔を見つめている。櫻子が顔を上げると目が合い、茂文が慌ててそらす。櫻子もつられて鉛筆を止め、書きかけの単語に目を戻す。

櫻子「次は?」
茂文「……保険だ」

ひと通り終わると、櫻子が単語帳を読み返す。

櫻子「船荷証券、引換券。海上保険、船が沈んだときの……合ってますか?」
茂文「合ってる」

茂文(……この声で読まれると、不思議と頭に入る)

裏口の戸が開き、千代が空き瓶を出しに来る。薄い着物に、ひび割れた手。

千代「あっ、すみません。お邪魔でしたね」
茂文「この寒さで、その格好は足りるのか」
千代「住み込みですから。お部屋代とお食事代を引いていただくと、手元にはほとんど……。でも、置いていただけるだけ、ありがたいです」

千代が戻っていく。厨房の奥では、まだ幼さの残る少女が黙々と皿を洗っている。

櫻子「ここの子たちは、みんな事情があるんです。私もですけど」

茂文(身寄りのない娘。借金を抱えた娘。……都合のいい者ばかりだ)

帳場の窓越し。そろばんを弾く店主が、ふと笑みを消して女給たちを眺めている(不穏な一コマ)。

〇國衛商会の自動車・車内(夜)

後部座席の茂文。運転席の隣には、眼鏡の秘書、真壁(まかべ)。
茂文は目を閉じ、夕方の櫻子の声を思い出している。

櫻子の声(回想)『船荷証券、引換券。合ってますか?』

茂文がゆっくり目を開ける。表情が経営者の顔に戻る。

茂文「真壁。カフェー・ミモザの主人について調べろ。過去の取引も、全部だ」
真壁「……あの女給のためですか?」
茂文「商売だ」

真壁は眼鏡を押し上げる(全部わかっている顔)。

真壁「承知しました」