〇カフェー「ミモザ」・店内(翌日・開店直後)
窓際の席に、もう茂文が座っている。テーブルには新聞の束。
千代(小声で)「櫻子ちゃん、昨日の方、また来てる……!開店と同時よ」
櫻子(……まさか、昨日のことで何か)
櫻子「いらっしゃいませ。ご注文は――」
茂文「モカ」
品書きは開きもしない。
櫻子「……かしこまりました」
櫻子が珈琲を運ぶと、茂文は新聞の束を差し出す。
茂文「これを読んでみてくれ」
櫻子「え?」
一番上はロンドンの英字新聞。櫻子は戸惑いながらも見出しを読み上げ、記事の要点を日本語で伝える。
すらすら読む櫻子と、目を閉じて聞く茂文の対比コマ。
茂文は黙って次を出す。フランスの新聞。これも読める。
最後に、角の擦り切れた商業紙。
櫻子「これは……オランダ語、ですね」
初めて櫻子の手が止まる。単語を一つずつ指でなぞりながら、ゆっくり読み進める。
櫻子「ジャワの砂糖の相場が……先週より下がって……」
茂文(オランダ語まで読めるのか)
読み終えた櫻子に、茂文が淡々と言う。
茂文「ジャワ糖、先週比で一割二分安。ただしスラバヤ積みは据え置き。……合ってるか」
櫻子が紙面を見返し、目を見開く。
櫻子「……合ってます。一度聞いただけで?」
茂文「数字は、一度聞けばまず忘れない」
互いに驚いている二人の顔を、左右対称の二コマで並べる。
茂文「どこで習った」
櫻子「ここです」
櫻子がエプロンのポケットから小さな手帳を出す。角は丸くなり、紙を何度も継ぎ足して膨らんでいる。
回想コマ。閉店後、客が置いていった新聞を広げ、ランプの下で書き写す櫻子。外国人客の会話に、給仕しながらそっと耳を澄ます櫻子。
櫻子「お客様が置いていかれた新聞と、お話を聞いて、少しずつ」
茂文が手帳をめくる。細かな外国語の書き込みと、その横の漢字。数字や記号は拾えるが、文章になると目が追いつかない。それでも、何度も書き足されたページの厚みは伝わる(茂文目線)。
茂文(……読めなくても、わかる)
茂文「これは才能じゃないな」
櫻子「え……」
茂文「努力だ」
櫻子の胸が小さく鳴る。
櫻子モノ『そんなふうに言われたのは、初めてだった』
照れながら手帳を受け取ろうと手を伸ばす櫻子。だが茂文は手帳を離さず、少し身を乗り出して声を落とす。顔が近い。
茂文「……昨日のこと。聞いていたんだろう」
「品書き一枚読めない」の場面が小さくフラッシュバック。
櫻子は一瞬だけ黙り、それからいつもの笑顔で答える。
櫻子「お客様同士のお話は、聞かなかったことにするのが女給の作法です」
茂文、虚を突かれた顔。それから、ほんのわずかに口元が緩む(茂文の初めての笑み)。
茂文「……そうか」
手帳を返す。指先が一瞬触れる。
茂文「國衛商会で働かないか。今より払う」
聞き耳を立てていた千代たちがざわつく。
櫻子は迷わず答える。
櫻子「お断りします」
茂文「……は?」
断られ慣れていない御曹司が固まるコマ。
櫻子「父が亡くなって、どこも雇ってくれなかったとき、拾ってくださったのがここのご主人なんです。父の残した売れない珈琲豆まで、買い取ってくださって」
カウンターの奥で、店主が穏やかに微笑んで会釈する(善人に見える絵。後の伏線)。
櫻子「私は、この店を簡単には辞められません」
茂文は納得できない顔のまま、珈琲を飲み干す。
茂文「……わかった。今日のところは」
〇同・帳場(夕方)
櫻子が帰ったあと。帽子をかぶりながら、茂文が店主に声をかける。
茂文「彼女に、いくら払っている」
店主「は?いやはや、身寄りの乏しい娘たちですから。住まわせてやっているぶん、まあ、それなりに」
店主が金額を告げる。数字は見せず、茂文の表情だけで伝える。
茂文の目が冷える(アップ)。
茂文「……安すぎないか?」
店主の笑顔が、一瞬だけ引きつる。
窓際の席に、もう茂文が座っている。テーブルには新聞の束。
千代(小声で)「櫻子ちゃん、昨日の方、また来てる……!開店と同時よ」
櫻子(……まさか、昨日のことで何か)
櫻子「いらっしゃいませ。ご注文は――」
茂文「モカ」
品書きは開きもしない。
櫻子「……かしこまりました」
櫻子が珈琲を運ぶと、茂文は新聞の束を差し出す。
茂文「これを読んでみてくれ」
櫻子「え?」
一番上はロンドンの英字新聞。櫻子は戸惑いながらも見出しを読み上げ、記事の要点を日本語で伝える。
すらすら読む櫻子と、目を閉じて聞く茂文の対比コマ。
茂文は黙って次を出す。フランスの新聞。これも読める。
最後に、角の擦り切れた商業紙。
櫻子「これは……オランダ語、ですね」
初めて櫻子の手が止まる。単語を一つずつ指でなぞりながら、ゆっくり読み進める。
櫻子「ジャワの砂糖の相場が……先週より下がって……」
茂文(オランダ語まで読めるのか)
読み終えた櫻子に、茂文が淡々と言う。
茂文「ジャワ糖、先週比で一割二分安。ただしスラバヤ積みは据え置き。……合ってるか」
櫻子が紙面を見返し、目を見開く。
櫻子「……合ってます。一度聞いただけで?」
茂文「数字は、一度聞けばまず忘れない」
互いに驚いている二人の顔を、左右対称の二コマで並べる。
茂文「どこで習った」
櫻子「ここです」
櫻子がエプロンのポケットから小さな手帳を出す。角は丸くなり、紙を何度も継ぎ足して膨らんでいる。
回想コマ。閉店後、客が置いていった新聞を広げ、ランプの下で書き写す櫻子。外国人客の会話に、給仕しながらそっと耳を澄ます櫻子。
櫻子「お客様が置いていかれた新聞と、お話を聞いて、少しずつ」
茂文が手帳をめくる。細かな外国語の書き込みと、その横の漢字。数字や記号は拾えるが、文章になると目が追いつかない。それでも、何度も書き足されたページの厚みは伝わる(茂文目線)。
茂文(……読めなくても、わかる)
茂文「これは才能じゃないな」
櫻子「え……」
茂文「努力だ」
櫻子の胸が小さく鳴る。
櫻子モノ『そんなふうに言われたのは、初めてだった』
照れながら手帳を受け取ろうと手を伸ばす櫻子。だが茂文は手帳を離さず、少し身を乗り出して声を落とす。顔が近い。
茂文「……昨日のこと。聞いていたんだろう」
「品書き一枚読めない」の場面が小さくフラッシュバック。
櫻子は一瞬だけ黙り、それからいつもの笑顔で答える。
櫻子「お客様同士のお話は、聞かなかったことにするのが女給の作法です」
茂文、虚を突かれた顔。それから、ほんのわずかに口元が緩む(茂文の初めての笑み)。
茂文「……そうか」
手帳を返す。指先が一瞬触れる。
茂文「國衛商会で働かないか。今より払う」
聞き耳を立てていた千代たちがざわつく。
櫻子は迷わず答える。
櫻子「お断りします」
茂文「……は?」
断られ慣れていない御曹司が固まるコマ。
櫻子「父が亡くなって、どこも雇ってくれなかったとき、拾ってくださったのがここのご主人なんです。父の残した売れない珈琲豆まで、買い取ってくださって」
カウンターの奥で、店主が穏やかに微笑んで会釈する(善人に見える絵。後の伏線)。
櫻子「私は、この店を簡単には辞められません」
茂文は納得できない顔のまま、珈琲を飲み干す。
茂文「……わかった。今日のところは」
〇同・帳場(夕方)
櫻子が帰ったあと。帽子をかぶりながら、茂文が店主に声をかける。
茂文「彼女に、いくら払っている」
店主「は?いやはや、身寄りの乏しい娘たちですから。住まわせてやっているぶん、まあ、それなりに」
店主が金額を告げる。数字は見せず、茂文の表情だけで伝える。
茂文の目が冷える(アップ)。
茂文「……安すぎないか?」
店主の笑顔が、一瞬だけ引きつる。



