〇國衛商会・茂文の執務室(数日後・昼)
ライデン大学からの書状を前に、櫻子はうつむいている。
櫻子「ありがたいお話です。でも……」
櫻子が指を折って数える。
櫻子「渡航の費用。学費。向こうでの暮らし。父の借金も、まだ残っています。母の薬代も、小百合の学費も」
櫻子「今の私には、どれも足りません」
茂文と真壁が、目を見合わせる。
茂文「真壁」
真壁「はい。読み上げます」
真壁が帳簿を開く。
真壁「まず、木島がミモザで女給たちに払わずにいた給金。部屋代、食事代、衣装代の名目で差し引いていた分です。不当な控除だと判明し、弁護士を通じて返還の合意を取りつけました」
真壁「次に、お父上の珈琲豆。木島が虚偽の精算書で隠していた、豆の転売代金の差額。こちらも、返還される見込みです」
真壁「それから、櫻子さんが國衛商会の通訳として積み立ててきた手当もあります」
真壁が算盤を弾き、顔を上げる。
真壁「木島から戻る分で、お父上の借金は完済できます。小百合さんの女学校の学費も、卒業まで確保できます。櫻子さんが貯めてきた手当は、ご自身の学費に回せます」
真壁「渡航費は、洋書の買い付けを正式にお任せするため、商会の経費になります。向こうでも仕入れの仕事をしていただきますから、給金はお支払いします」
櫻子が目を見開く。
櫻子「……そんな」
茂文「お前が自分で稼いで、自分で取り戻した金だ。誰の施しでもない」
〇櫻子の長屋(夜)
小さなちゃぶ台を囲む母、小百合、櫻子。
櫻子が書状と帳簿の写しを見せ、ぎこちなく話す。
櫻子「借金は、全部返せるの。小百合の学費も大丈夫」
母「まあ……」
櫻子「それでね、残りのお金は、小百合の嫁入り道具の分に取っておきたいの」
小百合「いらない!」
櫻子「え?」
小百合がちゃぶ台を叩いて立ち上がる(大ゴマ)。
小百合「私の嫁入り道具くらい、自分で働いて買う!」
小百合「お姉ちゃんは、いつまで私たちのために生きるの!?お姉ちゃんの留学は、いつになったら一番になるの!?」
櫻子が言葉を失う。小百合の目に涙。
壁に貼られた、何十枚もの外国の絵葉書。
小百合「この絵葉書、ずっと見てきたの。お姉ちゃんが毎晩、ここを見て笑ってるの」
母が、そっと櫻子の手を取る。
母「櫻子。今度は、あなたが学校へ行く番よ」
櫻子の目から、涙がこぼれる。
櫻子モノ『父が亡くなってから、初めて自分のために泣いた』
櫻子「……行ってきます」
〇元町・洋書店(完成間近・夕方)
棚を埋め尽くす洋書。窓辺に珈琲の席。焙煎したての豆の香り。
空っぽだった洋館が、櫻子が思い描いた通りの姿になっている(見開き。第10話の見開きと同じ構図)。
櫻子がゆっくりと棚の背表紙を指でなぞっていく。
櫻子(私の夢が、全部ここにある)
櫻子(……なのに)
戸口に茂文。
茂文「決めたそうだな。真壁から聞いた」
櫻子「……はい」
櫻子は棚から手を離し、茂文に向き直る。
櫻子「國衛様。私、行ったら、何年も戻れないかもしれません」
茂文「行ってこい」
あまりの即答。櫻子の顔がこわばる。
櫻子「……そんな簡単に、言わないでください」
茂文「簡単じゃない」
茂文が、一歩近づく。
茂文「行ってほしくないに決まってる」
櫻子が固まる。
茂文「お前が読んでくれないと、俺は契約書も、手紙も、品書きも読めない。お前の声が聞けない毎日なんて、考えたくもない」
茂文「でも」
茂文は櫻子から目をそらさずに続ける。
茂文「俺がそれを理由に、お前をここへ縛ったら。……あの店の主人と、何が違う」
櫻子の目に、涙が浮かぶ。
茂文「お前が、ずっと行きたかった場所だろ」
茂文がまっすぐ櫻子を見る(大ゴマ)。
茂文「俺は、お前が好きだ」
茂文「だから、行け」
櫻子の頬を涙が伝う。
櫻子「……私も」
櫻子「私も、國衛様が好きです」
茂文が櫻子を抱きしめる。初めての抱擁(見開き)。
櫻子が、茂文の胸の中で小さくつぶやく。
櫻子「……白鷺様とのご縁談は」
茂文「とっくに断った。言ってなかったか」
櫻子「聞いてません!」
顔を上げて怒る櫻子。茂文が吹き出す。
茂文「……悪かった」
〇同(続き)
夕陽の差し込む店内。並んで立つ二人。
茂文「帰ってきたら、俺の隣で働け」
櫻子「……仕事だけですか?」
茂文が、言葉に詰まる(照れて固まる大ゴマ)。
櫻子が、くすっと笑う。
櫻子モノ『出航の日まで、あと十日』
ライデン大学からの書状を前に、櫻子はうつむいている。
櫻子「ありがたいお話です。でも……」
櫻子が指を折って数える。
櫻子「渡航の費用。学費。向こうでの暮らし。父の借金も、まだ残っています。母の薬代も、小百合の学費も」
櫻子「今の私には、どれも足りません」
茂文と真壁が、目を見合わせる。
茂文「真壁」
真壁「はい。読み上げます」
真壁が帳簿を開く。
真壁「まず、木島がミモザで女給たちに払わずにいた給金。部屋代、食事代、衣装代の名目で差し引いていた分です。不当な控除だと判明し、弁護士を通じて返還の合意を取りつけました」
真壁「次に、お父上の珈琲豆。木島が虚偽の精算書で隠していた、豆の転売代金の差額。こちらも、返還される見込みです」
真壁「それから、櫻子さんが國衛商会の通訳として積み立ててきた手当もあります」
真壁が算盤を弾き、顔を上げる。
真壁「木島から戻る分で、お父上の借金は完済できます。小百合さんの女学校の学費も、卒業まで確保できます。櫻子さんが貯めてきた手当は、ご自身の学費に回せます」
真壁「渡航費は、洋書の買い付けを正式にお任せするため、商会の経費になります。向こうでも仕入れの仕事をしていただきますから、給金はお支払いします」
櫻子が目を見開く。
櫻子「……そんな」
茂文「お前が自分で稼いで、自分で取り戻した金だ。誰の施しでもない」
〇櫻子の長屋(夜)
小さなちゃぶ台を囲む母、小百合、櫻子。
櫻子が書状と帳簿の写しを見せ、ぎこちなく話す。
櫻子「借金は、全部返せるの。小百合の学費も大丈夫」
母「まあ……」
櫻子「それでね、残りのお金は、小百合の嫁入り道具の分に取っておきたいの」
小百合「いらない!」
櫻子「え?」
小百合がちゃぶ台を叩いて立ち上がる(大ゴマ)。
小百合「私の嫁入り道具くらい、自分で働いて買う!」
小百合「お姉ちゃんは、いつまで私たちのために生きるの!?お姉ちゃんの留学は、いつになったら一番になるの!?」
櫻子が言葉を失う。小百合の目に涙。
壁に貼られた、何十枚もの外国の絵葉書。
小百合「この絵葉書、ずっと見てきたの。お姉ちゃんが毎晩、ここを見て笑ってるの」
母が、そっと櫻子の手を取る。
母「櫻子。今度は、あなたが学校へ行く番よ」
櫻子の目から、涙がこぼれる。
櫻子モノ『父が亡くなってから、初めて自分のために泣いた』
櫻子「……行ってきます」
〇元町・洋書店(完成間近・夕方)
棚を埋め尽くす洋書。窓辺に珈琲の席。焙煎したての豆の香り。
空っぽだった洋館が、櫻子が思い描いた通りの姿になっている(見開き。第10話の見開きと同じ構図)。
櫻子がゆっくりと棚の背表紙を指でなぞっていく。
櫻子(私の夢が、全部ここにある)
櫻子(……なのに)
戸口に茂文。
茂文「決めたそうだな。真壁から聞いた」
櫻子「……はい」
櫻子は棚から手を離し、茂文に向き直る。
櫻子「國衛様。私、行ったら、何年も戻れないかもしれません」
茂文「行ってこい」
あまりの即答。櫻子の顔がこわばる。
櫻子「……そんな簡単に、言わないでください」
茂文「簡単じゃない」
茂文が、一歩近づく。
茂文「行ってほしくないに決まってる」
櫻子が固まる。
茂文「お前が読んでくれないと、俺は契約書も、手紙も、品書きも読めない。お前の声が聞けない毎日なんて、考えたくもない」
茂文「でも」
茂文は櫻子から目をそらさずに続ける。
茂文「俺がそれを理由に、お前をここへ縛ったら。……あの店の主人と、何が違う」
櫻子の目に、涙が浮かぶ。
茂文「お前が、ずっと行きたかった場所だろ」
茂文がまっすぐ櫻子を見る(大ゴマ)。
茂文「俺は、お前が好きだ」
茂文「だから、行け」
櫻子の頬を涙が伝う。
櫻子「……私も」
櫻子「私も、國衛様が好きです」
茂文が櫻子を抱きしめる。初めての抱擁(見開き)。
櫻子が、茂文の胸の中で小さくつぶやく。
櫻子「……白鷺様とのご縁談は」
茂文「とっくに断った。言ってなかったか」
櫻子「聞いてません!」
顔を上げて怒る櫻子。茂文が吹き出す。
茂文「……悪かった」
〇同(続き)
夕陽の差し込む店内。並んで立つ二人。
茂文「帰ってきたら、俺の隣で働け」
櫻子「……仕事だけですか?」
茂文が、言葉に詰まる(照れて固まる大ゴマ)。
櫻子が、くすっと笑う。
櫻子モノ『出航の日まで、あと十日』



