夏も中盤に差し掛かり、陽葵がまだこの世界にいた頃である初夏から少しずつ遠ざかっていく。この世界が一歩未来に向かって進む度、俺は一歩置いて行かれている。そんな感覚に時々陥るのだ。俺は全く前に進めていない。あの初夏から、俺の夏は時が止まったままだ。
どれだけこの世界の季節が移り変わろうとも、多分俺の季節はこれからも永遠に変わらない。永遠の初夏を、俺は生きていくんだ。
「それにしても、今年の夏は過ごしやすいな」
一人だけのリビングで、ニュースの天気予報をぼんやりと眺めながら俺は独り言を呟いた。透明な夏、という言葉がぴったりだと思えるほどに今年の夏は涼しい。
毎年やってくる灼熱地獄のような夏とは違って、今年は風鈴や麦茶といった涼やかな存在がよく似合う夏だと思う。
「そういや、今日は花火大会があるんだっけな」
一ヶ月前から学校の掲示板にも花火大会のポスターが貼り出されていたから、開催される日にちと場所は嫌になるほど脳に刷り込まれている。
行きたい気持ちは芽生えていたものの、まだ盗撮の件が片付いていない上に陽葵がこの世界からいなくなって一ヶ月と少ししか経っていない。陽葵はもう、花火大会に行くという日常の何気ないワンシーンでさえ過ごせないのに、自分一人だけが楽しむのは気が引ける。
でも、花火大会は俺たち二人にとって大切なイベントの一つだった。陽葵がいなくなった今、そのイベントに足を運べば少しは心の傷が癒えるのでは、という気持ちもあるのだ。
むしろ陽葵がいない現実を突きつけられて胸が苦しくなるかもしれないけど、それでも今は陽葵との思い出に直接触れたかった。
「…………行くか。一年ぶりに」
友達に声をかけてみようかとも思ったけど、今日は一人で行くことにした。いい機会だから、今日はいつかに陽葵からもらったネックレスをつけて外に出よう。陽葵の形見があれば、彼女と一緒にあの思い出の世界を歩ける気がするから。
なぁ、陽葵も一年ぶりに行きたいだろ?
そう心の中で呟いて、窓から見える空に目をやった。あの空で、陽葵は心から笑えているだろうか。今度こそ、屈託のない本当の笑顔を浮かべていてくれ。そう願わずにはいられなかった。
その後、ゲームで時間を潰している間に昼も通り過ぎ、夕暮れに空が染まる時間がやってきた。外出の準備を整えた俺は家を出て、会場に向かう。
会場まで辿り着くと人が明らかに増え、あっという間に人波ができた。目の前には様々な屋台が並んでいる。
とりあえず真っ先に目に入ってきた焼きそばを買って、道路の脇に腰を下ろした。焼きそばを口に運んでいる間にも、会場の活気は最高潮に達していく。
焼きそばを食べ終わり、立ち上がってもう一度会場を歩く。その時、ふいに金魚すくいの屋台が視界に入った。
「久々だし、やってみるかな」
腕まくりをしながらそんな独り言をこぼす。金魚すくいは遠い昔、花火大会に来るたび陽葵がやりたいと言うから毎年のように挑戦していた思い出がある。あの頃から俺は妙に金魚すくいが得意で、“全然すくえない”と泣く陽葵に自分がすくった金魚をプレゼントしては宥めていたっけ。一回で、と一言伝えてから代金を渡して道具を受け取る。
道具を構えてじわじわとその時を待った。
力を込め過ぎず、かといって力を弱め過ぎない絶妙な加減で一匹すくいあげた。よし、と心の中で呟いてその後も数匹をすくうことに成功した。
さらなる獲得を目指すため、水面にじっと視線を注ぐ。
水面には、屋台に吊り下げられている電球の白い光が泳いでいる。その様が、陽だまりを灯した陽葵の瞳と重なった。意識が逸れた俺の不意を突くように、金魚は道具の白い部分を大きく破って水の中に潜っていった。
「はい、お兄さん終わりね。入れ物貸して」
しまった、と思いつつ大人しく入れ物を店主に渡して、金魚を袋に入れてもらった。袋の中で泳ぐ数匹の金魚に目をやりながら、もう一度歩き始める。
というか、よくよく思考を巡らせてみれば、生き物なんて急に持って帰ったら母さんに怒られるかもしれない。うっすらと胸に後悔が蔓延るのを感じながら、それをかき消すために夜空へと視線を移した。
数秒後、か細い音を立てながら火花を纏った花火が空高く打ちあがっていった。そういや、毎年これくらいの時間帯だったな、と心の中で呟いて花火に視線を注ぐ。
皆がその場で足を止めて花火に熱中している。そんな不思議な一体感を覚えながら、花火から目を逸らそうとした途端に、ひまわりのような花火が夜空に咲き誇った。思わず目を奪われた俺は、地上になんて一縷も意識が向いていなかった。
その瞬間、誰かから思いきり突き飛ばされるとともにわき腹の辺りに焼けるような鋭い痛みが走った。尻もちをつく寸前、逃げるようにこの場を去っていった誰かの黒髪が視界の端に映った気がした。手から離れた金魚の袋が宙を舞い、その中の水が提灯の明かりを吸い込んでいる。その様がスローモーションのように瞳に映し出された。地面に倒れ込んだ俺は、突然の出来事に対する苛立ちに心を呑まれていた。
「クッソ、なんなんだよ…………!」
すぐさま痛みのした方に目をやると、そこは真っ赤な鮮血に染まっていた。
刺さ、れた…………?
反射的に辺りを見回したものの、犯人がまだその場にいるはずがない。普通、刃物を握っている人物がいれば目につきそうなものだけど、この人混みの中じゃまともに気付いた人はいないだろう。
幸い傷が浅かったのか、その後俺は自分の足で家に帰りつくことができた。今思えば、家に帰る前に病院に駆け込むべきだったけど、その時はそんなことをひらめく余裕さえなかったのだ。傷口を見た母さんは悲鳴を上げてすぐに病院に俺を連れて行った。当然事件性があるということで警察沙汰になったけど、犯人は今も分からないままだ。会場内に防犯カメラが設置されていなかったのと、人混みに紛れて目撃者がいなかったのが理由だと聞いた。
そんなことがあっても、俺は次の日には元の日常に溶け込んだ。だから俺もその日々に身を任せ、日常をいつも通りに生きていた。これから自分の身に襲い掛かる荒波の数々が迫っているとも知らずに。
どれだけこの世界の季節が移り変わろうとも、多分俺の季節はこれからも永遠に変わらない。永遠の初夏を、俺は生きていくんだ。
「それにしても、今年の夏は過ごしやすいな」
一人だけのリビングで、ニュースの天気予報をぼんやりと眺めながら俺は独り言を呟いた。透明な夏、という言葉がぴったりだと思えるほどに今年の夏は涼しい。
毎年やってくる灼熱地獄のような夏とは違って、今年は風鈴や麦茶といった涼やかな存在がよく似合う夏だと思う。
「そういや、今日は花火大会があるんだっけな」
一ヶ月前から学校の掲示板にも花火大会のポスターが貼り出されていたから、開催される日にちと場所は嫌になるほど脳に刷り込まれている。
行きたい気持ちは芽生えていたものの、まだ盗撮の件が片付いていない上に陽葵がこの世界からいなくなって一ヶ月と少ししか経っていない。陽葵はもう、花火大会に行くという日常の何気ないワンシーンでさえ過ごせないのに、自分一人だけが楽しむのは気が引ける。
でも、花火大会は俺たち二人にとって大切なイベントの一つだった。陽葵がいなくなった今、そのイベントに足を運べば少しは心の傷が癒えるのでは、という気持ちもあるのだ。
むしろ陽葵がいない現実を突きつけられて胸が苦しくなるかもしれないけど、それでも今は陽葵との思い出に直接触れたかった。
「…………行くか。一年ぶりに」
友達に声をかけてみようかとも思ったけど、今日は一人で行くことにした。いい機会だから、今日はいつかに陽葵からもらったネックレスをつけて外に出よう。陽葵の形見があれば、彼女と一緒にあの思い出の世界を歩ける気がするから。
なぁ、陽葵も一年ぶりに行きたいだろ?
そう心の中で呟いて、窓から見える空に目をやった。あの空で、陽葵は心から笑えているだろうか。今度こそ、屈託のない本当の笑顔を浮かべていてくれ。そう願わずにはいられなかった。
その後、ゲームで時間を潰している間に昼も通り過ぎ、夕暮れに空が染まる時間がやってきた。外出の準備を整えた俺は家を出て、会場に向かう。
会場まで辿り着くと人が明らかに増え、あっという間に人波ができた。目の前には様々な屋台が並んでいる。
とりあえず真っ先に目に入ってきた焼きそばを買って、道路の脇に腰を下ろした。焼きそばを口に運んでいる間にも、会場の活気は最高潮に達していく。
焼きそばを食べ終わり、立ち上がってもう一度会場を歩く。その時、ふいに金魚すくいの屋台が視界に入った。
「久々だし、やってみるかな」
腕まくりをしながらそんな独り言をこぼす。金魚すくいは遠い昔、花火大会に来るたび陽葵がやりたいと言うから毎年のように挑戦していた思い出がある。あの頃から俺は妙に金魚すくいが得意で、“全然すくえない”と泣く陽葵に自分がすくった金魚をプレゼントしては宥めていたっけ。一回で、と一言伝えてから代金を渡して道具を受け取る。
道具を構えてじわじわとその時を待った。
力を込め過ぎず、かといって力を弱め過ぎない絶妙な加減で一匹すくいあげた。よし、と心の中で呟いてその後も数匹をすくうことに成功した。
さらなる獲得を目指すため、水面にじっと視線を注ぐ。
水面には、屋台に吊り下げられている電球の白い光が泳いでいる。その様が、陽だまりを灯した陽葵の瞳と重なった。意識が逸れた俺の不意を突くように、金魚は道具の白い部分を大きく破って水の中に潜っていった。
「はい、お兄さん終わりね。入れ物貸して」
しまった、と思いつつ大人しく入れ物を店主に渡して、金魚を袋に入れてもらった。袋の中で泳ぐ数匹の金魚に目をやりながら、もう一度歩き始める。
というか、よくよく思考を巡らせてみれば、生き物なんて急に持って帰ったら母さんに怒られるかもしれない。うっすらと胸に後悔が蔓延るのを感じながら、それをかき消すために夜空へと視線を移した。
数秒後、か細い音を立てながら火花を纏った花火が空高く打ちあがっていった。そういや、毎年これくらいの時間帯だったな、と心の中で呟いて花火に視線を注ぐ。
皆がその場で足を止めて花火に熱中している。そんな不思議な一体感を覚えながら、花火から目を逸らそうとした途端に、ひまわりのような花火が夜空に咲き誇った。思わず目を奪われた俺は、地上になんて一縷も意識が向いていなかった。
その瞬間、誰かから思いきり突き飛ばされるとともにわき腹の辺りに焼けるような鋭い痛みが走った。尻もちをつく寸前、逃げるようにこの場を去っていった誰かの黒髪が視界の端に映った気がした。手から離れた金魚の袋が宙を舞い、その中の水が提灯の明かりを吸い込んでいる。その様がスローモーションのように瞳に映し出された。地面に倒れ込んだ俺は、突然の出来事に対する苛立ちに心を呑まれていた。
「クッソ、なんなんだよ…………!」
すぐさま痛みのした方に目をやると、そこは真っ赤な鮮血に染まっていた。
刺さ、れた…………?
反射的に辺りを見回したものの、犯人がまだその場にいるはずがない。普通、刃物を握っている人物がいれば目につきそうなものだけど、この人混みの中じゃまともに気付いた人はいないだろう。
幸い傷が浅かったのか、その後俺は自分の足で家に帰りつくことができた。今思えば、家に帰る前に病院に駆け込むべきだったけど、その時はそんなことをひらめく余裕さえなかったのだ。傷口を見た母さんは悲鳴を上げてすぐに病院に俺を連れて行った。当然事件性があるということで警察沙汰になったけど、犯人は今も分からないままだ。会場内に防犯カメラが設置されていなかったのと、人混みに紛れて目撃者がいなかったのが理由だと聞いた。
そんなことがあっても、俺は次の日には元の日常に溶け込んだ。だから俺もその日々に身を任せ、日常をいつも通りに生きていた。これから自分の身に襲い掛かる荒波の数々が迫っているとも知らずに。

