親愛なる嘘つきな君へ。

「あ、風川さん先に来てたんだ。遅くなってごめん」

待ち合わせ場所に着くなり俺がおずおずと謝ると、風川さんは小さく首を振って“いえ、大丈夫です”と口にした。その仕草一つにも風川さんが醸し出す淑やかさが滲んでいる気がする。

「私が早く着きすぎただけなので気にしないでください。じゃあ、行きましょう」

今日のスケジュールとしては、ショッピングモールで買い物をしてからフードコートで食事をとり、併設されている映画館に午後から向かう予定だ。まぁ、中高生の典型的な休日といった感じだろうか。あれから何度か連絡をとるうちに少しずつ距離を縮め、ついに今日二人で遠出することになったのだ。友達と遊びに行くとか、いつぶりだろう。風川さんに近づいた目的は女子同士の関係性や空気感を探るためとはいえ、純粋にこの日を楽しみにしていた自分もいる。

「どこから回ろうか。とりあえず適当に一階から行く?」
「あ、私、雑貨屋に行きたいです。付き合ってもらえますか」
「りょーかい、どこの雑貨屋がいい?色々あるっぽいけど…………」

二人揃ってマップとにらめっこしている最中、ふいに風川さんがよろめいた。咄嗟に肩を支えると、彼女の表情が硬く強張った。その瞬間、割れたガラスのように鋭い眼差しで睨みつけられたような気がしたのはただの見間違いなのだろうか。風川さんの黒い瞳には隠しようのない嫌悪感が浮かんでいる気がした。

「ご、ごめん。男に肩触られるとか気持ち悪いよな」
「え?あぁ、いやそういうことじゃないので大丈夫です」

少しぶっきらぼうな返事だったものの、その言葉に俺はホッと胸を撫で下ろす。その後は雑貨屋をいくつか回り、風川さんは無事にお目当てのものを手に入れたみたいだ。

「そろそろフードコート行く?ここのショッピングモール、何の店があったっけな」
「そうしましょうか。牛丼屋さんとかうどん屋さんとか色々あったはずです」

風川さんはそう言ってフードコートがある方向を指差し、もう片方の手でメガネに触れて位置を調節した。すぐに歩き出した彼女の背中を追いながら、ずっと気になっていた話を切り出すために息を軽く吸う。

「前から思ってたんだけどさ、同学年なのにずっと敬語使われるのも変な感じだから普通にタメ口でいいよ」
「そうですか?それじゃあ、タメ口にするね」

俺の提案に対して、風川さんは思いの外すんなりと口調を変えてくれた。彼女は少しばかり頑固なところがあるようだから意外だった。

「風川さんって案外素直なんだな。もっと意地っ張りな人かと思ってた」
「えー失礼すぎ。まぁ、黒糸くんになら言われても悪い気もしないかな」

少しおどけた口ぶりで風川さんは言葉を発したものの、その声は冷たさを纏っている。無邪気で太陽が放つ陽光のように明るい陽葵の声に反して、風川さんの声は感情の波一つ立たない淡白な声色をしているのだ。今まであまり触れたことのない声色に、俺は節々で少しばかり戸惑ってしまう。

そんな取るに足らないことを考えているうちにフードコートへ辿り着き、各々が好きな店で注文してから席取りをしにいくことになった。今日は休日のわりに人が少ないから、急いで座らなくとも簡単にテーブルを確保できそうだ。
注文してから席に着き、風川さんと何気ない会話を交わしながら呼ばれるのを待った。しばらくすると、ほとんど同時に呼び出しベルが音を立てながら振動し始めた。風川さんと別れて、店員からステーキと白米のセットを受け取る。

「見て。このステーキ旨そうじゃね?」
「あー、私もそっちにすればよかったかも。目の前に持ってこられると匂いにつられるなぁ」

席に戻るともう風川さんは腰を下ろしていて、その手元には湯気の立つうどんがあった。気を遣ってくれたのか、そのそばには水が入った紙コップが二つ並んでいる。陽葵はこういう気遣いが苦手だったからいつも俺がその役目を買って出ていたっけ。俺が紙コップを手に二つ持ってテーブルに戻ってくると、いつも陽葵はパッと花を咲かせたような笑みをたたえて生き生きした声でお礼を伝えてくれたのだ。

「今、陽葵ちゃんのこと考えてたでしょ。頬緩んでたよ」
「えっ?なんで分かんの、こわっ!」

大袈裟なリアクションをとると、彼女はぎこちない笑顔を浮かべた。でも、その笑顔が偽物に見えるのはどうしてなんだろうか。口元は確かに緩んでいるはずなのに、目は笑っていない。それどころか、どす黒い感情が渦巻いているように見える。

「てか、下の名前で呼んでるってことは陽葵と仲良かったんだな」
「…………やっぱり、覚えてないんだね」
「え、覚えてないって何が?」
「ううん、何でもない」

風川さんはそう口にした後、“いただきます”と呟いてすぐにうどんをすすり始めた。彼女が食べ始めた手前、それ以上会話を続けるのもおかしな気がして俺も食事に没頭した。

しばらくして食事を終えた俺たちは映画館のある建物に向かった。今回観るのは感動を誘うようなヒューマンドラマ系の映画だ。号泣すること間違いなし、と謳われたポスターにはメインの登場人物と思われる男女が背中合わせで立っている写真が使われている。事前にストーリーを知ってしまうと面白さが半減してしまう気がして、内容は一切調べてこなかった。
ポップコーンとドリンクを買ってから薄暗い通路を進み、シアターに入る。席について少し待つと次第に館内の明かりが消され、辺りは暗闇に包まれた。そして満を持して映画の上映が開始した。明かりを失ったシアターの中では映像が流されているスクリーンから広がる光だけが頼りだ。

映画は幼馴染の男女が他愛もない日常を過ごすシーンから始まった。あまりにも普遍的な日常がただ過ぎていくだけの映像は正直退屈だったけど、せっかくこの映画を提案してくれた風川さんに悪いから見入っているふりをして過ごした。
しかし、おそらく映画が始まってニ十分ほど経った頃、物語は思わぬ方向に動いた。なんとヒロインの女性が海に身を投げ、死んでしまったのだ。

視界が激しく揺れるような感覚を覚えると同時に頭の奥に陽葵の声が響いた気がした。
肩が力なく震えて寒気が肌を包み込む。ヒロインが地面から足を離す時の笑顔が、陽葵が死の間際にその顔に咲かせていた屈託のない笑顔と重なって仕方なくて、気が触れそうだ。
次第に呼吸が荒くなり、息をするのも苦しくなった。周囲の客が迷惑そうな視線を俺に向けているのが視界の端に見える。でも、今はそんな些末なことを気に留める余裕もない。

「なんで、こんな…………」

映画の上映中に声を出すなんてご法度中のご法度だ。でも、今は自分の気持ちを現実に向かって声にするしかなかった。
風川さんはこの映画の内容を知って俺に提案してきたのだろうか。もしそれならとんだ悪趣味だ。
……いや、そんなはずないか。俺の見てきた風川さんはそんな人じゃない。まだまだ一緒に過ごしてきた時間は短いけど、それでも俺がこの目で捉えた彼女の姿は偽物ではないはずだ。

「大丈夫?ちょっと外出た方がいいかな」

周囲の客の視線が気になったのか、風川さんは心配そうな眼差しでじっと視線を注いできた。だけど、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいるような気がした。
俺はそれに気づかないふりをして、彼女の言葉に頷く。風川さんに支えられながらなんとか映画館を抜け出し、ショッピングモール内に設置されているソファに腰かけた。

「ご、ごめんね。私、あんな描写があると思わなくて…………トラウマ刺激しちゃったよね」
「こっちこそチケット代無駄にしてごめん。あんなに耐えられないとは自分でも思わなかった」

ゆっくりと息を吐きながら何気なく手元に目をやると、微かに指先が震えていた。心が揺れを纏いながら音を立てて割れる音がした気がする。こんなにも、陽葵の死は心の傷になっていたのか。自分でもその傷の深さに気づいていなかった。

「というか、その言い方なら風川さんは俺が陽葵を突き落としたんじゃなくて、陽葵が自分で死を選んだってこと知ってるんだな。俺はその場にたまたま居合わせただけって誰にも話したことなかったから不思議だなと思って…………」
「え?あ、確かにこれじゃ辻褄合わないか……」

どう考えても何か含みのある口ぶりだ。彼女が放った一言がどうにも心に引っかかって溶けてくれなかったけど、見て見ぬふりをすることにした。

「そ、それより、もう過呼吸治ったみたいだしそろそろ立っても大丈夫そうかな?」
「あぁ、うん。申し訳ないけど、今日はこれで解散にさせて欲しい。なんかこれ以上純粋に楽しめる気がしなくてさ……」
「分かった。また遊びたかったら気軽に誘ってね」
「またどこかのタイミングで誘うよ。こんな形になったけど、今日は遊んでくれてありがとう」

お礼を伝えて立ち上がり、そのまま駅まで二人で歩いた。風川さんとは同じ中学校に通っているとはいえ、微妙に家の方向が違うから違う電車で帰ることになっている。風川さんと駅で別れてから帰路につき、家に帰りついた瞬間に床に寝転がった。

「はぁ……俺は、どうやったら陽葵から離れられるんだろうな」

俺の小さな呟きは空気を伝って静かに霧散していく。何となく、今はただ眠りたい。眠気があるわけではないけど、とにかく現実から逃げ出したかった。ゆっくりと瞼を閉じるにつれて目に映る世界はその景色を狭め、やがて暗澹に染められた。これで大丈夫だ。今は、これで大丈夫なのだ。