梅壺を一歩出れば、後宮は噂でできていた。
「聞いた? また出たんですって、梅壺に」
渡り廊下の端で、女官たちが額を寄せ合っていた。
「夜ふけの渡り廊下に、梅の方らしい影が立つって」
「季節外れの梅の香がしたって話も」
「夜回りの下働きの子が、朝、渡り廊下で倒れていたそうよ。寒い、寒いって、そればっかり」
「縁起でもない。立后を控えているっていうのに」
ひと月後の朝、藤壺の女御さま――藤の方が、中宮になる。藤の方は、いま都でいちばん勢いのある武家の一門の姫君だという。
そして後宮には、こんな決まりがある。人が死んだ場所はしばらくのあいだ穢れていて、神さまごとができない。だから病の重い者は、死ぬ前に内裏から下がらされる。
――もし、梅の方が本当は、内裏で亡くなっていたとしたら。
穢れの中では、立后はできない。儀式が流れれば、藤の方の一門は面目を潰される。面目を潰された武家が、黙っているとは思えない。女官たちが本当に怖がっているのは、幽霊ではないのかもしれなかった。
「頭中将さまから、陰陽寮にお達しがあった。立后の前夜までに、静かに祓え、と」
その日の夕方、御簾ごしに、昴が教えてくれた。昼の後宮では、女孺と陰陽師が顔を突き合わせて話すわけにはいかない。だから、私たちのあいだには、いつも一枚、御簾がある。
「祓えばいいじゃない。陰陽師なんでしょ」
「想いを残した魂を力ずくで祓えば、怨霊になる」
御簾の向こうの声は、静かだった。
「それに、私はまだ見習いだ。天文生――星読みを学ぶ身にすぎない」
「見習い? 偉い陰陽師さまたちは?」
「皆、戦の占いで手一杯だ。それに、静かに、というのが頭中将さまのご注文だからな。見習いひとりなら、目立たない」
なるほど。偉い人の都合は、どこまでいっても偉い人の都合だ。
「聞いた? また出たんですって、梅壺に」
渡り廊下の端で、女官たちが額を寄せ合っていた。
「夜ふけの渡り廊下に、梅の方らしい影が立つって」
「季節外れの梅の香がしたって話も」
「夜回りの下働きの子が、朝、渡り廊下で倒れていたそうよ。寒い、寒いって、そればっかり」
「縁起でもない。立后を控えているっていうのに」
ひと月後の朝、藤壺の女御さま――藤の方が、中宮になる。藤の方は、いま都でいちばん勢いのある武家の一門の姫君だという。
そして後宮には、こんな決まりがある。人が死んだ場所はしばらくのあいだ穢れていて、神さまごとができない。だから病の重い者は、死ぬ前に内裏から下がらされる。
――もし、梅の方が本当は、内裏で亡くなっていたとしたら。
穢れの中では、立后はできない。儀式が流れれば、藤の方の一門は面目を潰される。面目を潰された武家が、黙っているとは思えない。女官たちが本当に怖がっているのは、幽霊ではないのかもしれなかった。
「頭中将さまから、陰陽寮にお達しがあった。立后の前夜までに、静かに祓え、と」
その日の夕方、御簾ごしに、昴が教えてくれた。昼の後宮では、女孺と陰陽師が顔を突き合わせて話すわけにはいかない。だから、私たちのあいだには、いつも一枚、御簾がある。
「祓えばいいじゃない。陰陽師なんでしょ」
「想いを残した魂を力ずくで祓えば、怨霊になる」
御簾の向こうの声は、静かだった。
「それに、私はまだ見習いだ。天文生――星読みを学ぶ身にすぎない」
「見習い? 偉い陰陽師さまたちは?」
「皆、戦の占いで手一杯だ。それに、静かに、というのが頭中将さまのご注文だからな。見習いひとりなら、目立たない」
なるほど。偉い人の都合は、どこまでいっても偉い人の都合だ。
