袖の露 ―泣かない陰陽師と、腹ペコ泣き女―

 その夜、詰所の猛は、屯食に手をつけていなかった。
 膝の上に握り飯を置いたまま、ぼんやりと土間の一点を見ている。あの猛が、飯を前にして食べない。それだけで、私には大事件だった。
「食べないなら、もらうけど」
 いつもの調子で言ってみた。猛は、力なく首を振った。
「……俺は、亡骸を運んだんだな。何も知らずに、上官の言うとおりに」
 大きな背中が、ひどく小さく見えた。
「人殺しじゃなかったのは、よかった。でも、頭中将は嘘をついていた。都を守りたかったのも、たぶん本当なんだ。俺は、怒ればいいのか何なのか、わからん」
 私は少し考えて、自分の屯食を、半分に割った。
 大きいほうを、猛の手に押しつける。猛が目を丸くした。私が飯を人に分けるのを、はじめて見たという顔だった。
「あんたは悪くない。悪いのは、黙って運ばせたほう」
 猛は、手の中の屯食を見つめた。
「……でも、都を守りたかったのも本当なんでしょ。だったら、怒るのは、ぜんぶ終わってからでいいじゃない」
 猛はしばらく黙っていた。それから、屯食にかぶりついた。噛むたびに、肩の力が抜けていく。
 そして、ふいに胸のあたりを押さえた。
「……食いすぎたか?」
「まだ半分しか食べてないでしょ」
 猛は首をかしげながら、残りをほおばった。胸が痛いのに、食べるのはやめないらしい。