袖の露 ―泣かない陰陽師と、腹ペコ泣き女―

 翌日の昼、昴は御簾ごしに、一冊の帳面を差し入れてきた。
 開くと、細かな字で、毎晩の空のことがびっしりと書きつけてあった。どの星がどこにあったか。雲はどうだったか。月はいつ沈んだか。一晩も欠かさずに、何年分も。
「これ、毎晩つけてるの?」
「星読みの務めだ。空は、嘘をつかない。人が何を書き換えても、あの夜の空は、あの夜のままだ」
 昴の指が、御簾の下から、ある頁を指した。
 ――月なし。丑の刻、北より南へ、大いなる呼ばひ星、ひとつ。
「よばひ……?」
「呼ばひ星。流れ星の、古い呼び名だ。恋しい人を呼ぶ星、という意味の」
「ふうん。星も大変ね。夜通し、誰かを呼んで回るなんて」
 御簾の向こうが、しばらく静かになった。見上げると、御簾ごしの影が、なぜか横を向いていた。
「……日付を見ろ」
 頁の端に目を落として、私は息をのんだ。
 梅の方が亡くなった夜だった。
「あの葬儀の日、あなたは言った。星を見ながら亡くなった、と。あの夜、星が流れたのは丑の刻だ。私がこの目で見て、書きとめた」
 梅の方は、丑の刻に、生きて星を見ていた。寒い板の上で。月のない空の下で。
 けれど、後宮じゅうが知っている話では、梅の方はあの日の日暮れに病で内裏を下がり、翌朝、実家の寝床で亡くなったことになっている。
「日暮れに内裏を出た人が、真夜中に星を見ているはずがない」
 私は、指を折って数えた。
「実家の寝床なら、寒くない。外の板の上で、星を見る理由もない。それに、あの人の袖には、梅の花びらが入ってた。あの屋敷の庭には、梅の木が一本もないの。梅干しの木もない家で、梅の花びらが袖に入るわけがない」
 御簾の向こうで、昴が少し黙った。
「……梅干しで、気づいたのか」
「悪い?」
「いや」
 御簾ごしの影が、かすかに揺れた。笑ったのかもしれない。
「あの人が亡くなったのは、実家じゃない。梅壺の渡り廊下よ。ゆうべ、あの人が待っていた、あの場所」
「そして、誰かが、それを隠した」
 昴の声が、低くなった。
「内裏で亡くなった人を、死ぬ前に下がったことにして、記録まで書き換えた。そんなことができるのは、内裏の記録を動かせる者だけだ」