「ユイ。……その、アキトが事故に遭う前……までの、話をしたいんだ」
「……話すことなんか何もないけど」
中学生までは長くて綺麗だった黒髪は、手入れのされていないボサボサの頭になっていた。
こっそり教室を覗いた時はいじめがあるようには見えなかった。ただ、幽霊のような見た目のユイは、ひとりぼっちで明らかにクラスから浮いていた。
廊下で待っていた僕を見つけると、ユイはあからさまに嫌そうな顔しながらも僕の元まで来てくれた。
でもアキトが入院していた時の話をしたくはないらしい。
それでも。僕は確かめたいことがあった。
一緒に帰ろう。そう声をかけてゆっくり踵を返すと、ユイも半歩後ろを着いてきてくれる。
とはいえ、僕も話を広げるのは得意な方ではない。廊下を歩き、昇降口に向かい、校門を出て……ひたすら無言で歩いていく。何から話そう、どんな風に聞けば極力ユイを傷つけずに済むだろうか……そんなことを悶々と考えていると言葉が頭の中で丸まった毛糸のように絡まって発言することが出来なかった。
結局「なんでお兄ちゃんの体操着を腕に抱えているの」とユイから尋ねられるまで、僕は一度も言葉を発せなかった。僕がユイの元を訪ねたというのに。
「あ……これは先週体操着を持って帰るのを忘れたアキトに頼まれて僕が代わりに……」
「ふーん。お兄ちゃん、月曜日から学校来なくなったもんね」
捻くれた笑みだった。あんなに明るくて優しかったユイは、いじめられた環境下で性格が変わってしまったようだった。
「ねえ、ユイ……いじめはもうない……? もし、まだ嫌がらせされてるのだったら……」
「だったら、なに? お兄ちゃんに言うの? もう右腕が無いお兄ちゃんは、今度は主犯格に返り討ちにされるよ」
その通りだった。
いじめが発覚した時は「何してるんだ!」とアキトは真っ先に助けに入った。ユイを囲む男子たちを簡単に蹴散らしていた。
女子じゃない、男子だった。その男子は……。
今までアキトの衝撃が強かったけれど、当時を思い返してみると……。
「青沼だった……?」
「はぁ。ほんとに、あんたはお兄ちゃん以外に興味がないのね」
青沼。何かとアキトに嫌味を言ってくる同じクラスの男子生徒。この前はアキトもバレーボールを投げてやり返していたけれど。
青沼が歳下であるユイをいじめていたのか……?
「なんで……?」
「さぁ。知らない。わたしも興味なんかないし。強いて言うなら。青沼からの告白を断ったことが原因だと思う」
そんな。
そんな、くだらない理由でユイをいじめていたのか?
告白を断った腹いせに?
僕もアキトも、ユイがいじめられていることの衝撃ばかりで加害者のことまで頭が回らなかった。あの後、アキトは事故に遭って右腕を失ってしまったから。
「いじめは、もうないんだよね……?」
「……」
「ないんだよね?」
「ないよ。お兄ちゃんのおかげでね」
「アキトの……?」
ユイは不思議そうな僕を見て口角を上げる。
「いじめを止めた人があんなことになったから、自然消滅したよ」
あんなこと。右腕が失くなったこと。
ユイのいじめはなくなった。
青沼はいじめを出来なくなった腹いせのようにこの前アキトに嫌味を言ってきた。仮にも好きな女子生徒の兄だというのに。僕はイマイチ青沼がわからない。
でも、ユイのこともわからない。
「……家で、いつもユイがアキトに怒鳴って物投げて怪我させているの知っているよ。いじめがなくなったのなら……どうしてアキトを責め続けるの。アキトはもう十分すぎるくらい……毎日頑張って日常を生きていると思うけど……」
「なに、うざいんだけど。1学年上なだけで説教垂れないでよ」
いじめられていたことをどうして隠していたのか。
素直にアキトに打ち明けていたら。
ユイが、車道にさえ飛び出さなければ……なんて。
そんなタラレバなんて、今答えに求めているものではない。
「お兄ちゃん、毎日わたしに話しかけてきてうざい。毎日、何もなかったかのように接してくるのムカつく。右腕を奪った張本人が目の前にいるのに、どうしていつも明るくいられるのかわからない」
「……だから、腹が立つの? 物に当たるの?」
「やり返せばいいのに! 『こんな妹なんかいらなかった!』って言ってくれたらすっきりしたのに! なんで! お兄ちゃんは! わたしを大事にするの!」
堰を切ったように叫び出すユイ。
僕にぶつけるように喚いて……わあっと顔を覆って泣き叫ぶ。
――これが。ユイの本音か。
アキトも知らない、ユイが1人で抱えていた感情。
わからないよ。気持ちを溢してくれないと、鈍感な僕には伝わらない。
「ユイだって、アキトのこと大好きなのにね……大好きなお兄ちゃんの右腕が無いのを毎日顔を合わせて思い知らされるのは苦しいよね……」
豪雨の中、アキトの背中を撫で続けていたように。
ユイの背中もそっと撫でていく。
僕はユイと話した。
だからといって何の解決にはなっていないけど。
でも、アキトとユイがそれぞれ抱えている感情を知ることが出来た。
僕は今後どうしたい?
ユイと青沼のこと。
ユイとアキトのこと。
青沼とアキトのこと。
僕1人だけで解決出来るだろうか。
幼稚園の頃のように、ユイの手を握って家まで帰ろうとした時。
「お前がアキトか」
目の前に立ち塞がるのは。不良生徒が多いと有名な他校の生徒。青い短髪は刈り上げられ、吊り上がった目が僕を睨みつけている。
「オレの弟が世話ンなったようで。ちょっとツラ貸せやぁ」
初対面。相手は僕をアキトと勘違いしている。きっとアキトの名前が入っている体操着を腕に抱えているからだ。
だとすると……この人は。
青沼の兄ということか。
僕は震え出す足を持ち直すように深呼吸をしてから……正面を見つめる。
「アキトです。何の用でしょうか」
「……話すことなんか何もないけど」
中学生までは長くて綺麗だった黒髪は、手入れのされていないボサボサの頭になっていた。
こっそり教室を覗いた時はいじめがあるようには見えなかった。ただ、幽霊のような見た目のユイは、ひとりぼっちで明らかにクラスから浮いていた。
廊下で待っていた僕を見つけると、ユイはあからさまに嫌そうな顔しながらも僕の元まで来てくれた。
でもアキトが入院していた時の話をしたくはないらしい。
それでも。僕は確かめたいことがあった。
一緒に帰ろう。そう声をかけてゆっくり踵を返すと、ユイも半歩後ろを着いてきてくれる。
とはいえ、僕も話を広げるのは得意な方ではない。廊下を歩き、昇降口に向かい、校門を出て……ひたすら無言で歩いていく。何から話そう、どんな風に聞けば極力ユイを傷つけずに済むだろうか……そんなことを悶々と考えていると言葉が頭の中で丸まった毛糸のように絡まって発言することが出来なかった。
結局「なんでお兄ちゃんの体操着を腕に抱えているの」とユイから尋ねられるまで、僕は一度も言葉を発せなかった。僕がユイの元を訪ねたというのに。
「あ……これは先週体操着を持って帰るのを忘れたアキトに頼まれて僕が代わりに……」
「ふーん。お兄ちゃん、月曜日から学校来なくなったもんね」
捻くれた笑みだった。あんなに明るくて優しかったユイは、いじめられた環境下で性格が変わってしまったようだった。
「ねえ、ユイ……いじめはもうない……? もし、まだ嫌がらせされてるのだったら……」
「だったら、なに? お兄ちゃんに言うの? もう右腕が無いお兄ちゃんは、今度は主犯格に返り討ちにされるよ」
その通りだった。
いじめが発覚した時は「何してるんだ!」とアキトは真っ先に助けに入った。ユイを囲む男子たちを簡単に蹴散らしていた。
女子じゃない、男子だった。その男子は……。
今までアキトの衝撃が強かったけれど、当時を思い返してみると……。
「青沼だった……?」
「はぁ。ほんとに、あんたはお兄ちゃん以外に興味がないのね」
青沼。何かとアキトに嫌味を言ってくる同じクラスの男子生徒。この前はアキトもバレーボールを投げてやり返していたけれど。
青沼が歳下であるユイをいじめていたのか……?
「なんで……?」
「さぁ。知らない。わたしも興味なんかないし。強いて言うなら。青沼からの告白を断ったことが原因だと思う」
そんな。
そんな、くだらない理由でユイをいじめていたのか?
告白を断った腹いせに?
僕もアキトも、ユイがいじめられていることの衝撃ばかりで加害者のことまで頭が回らなかった。あの後、アキトは事故に遭って右腕を失ってしまったから。
「いじめは、もうないんだよね……?」
「……」
「ないんだよね?」
「ないよ。お兄ちゃんのおかげでね」
「アキトの……?」
ユイは不思議そうな僕を見て口角を上げる。
「いじめを止めた人があんなことになったから、自然消滅したよ」
あんなこと。右腕が失くなったこと。
ユイのいじめはなくなった。
青沼はいじめを出来なくなった腹いせのようにこの前アキトに嫌味を言ってきた。仮にも好きな女子生徒の兄だというのに。僕はイマイチ青沼がわからない。
でも、ユイのこともわからない。
「……家で、いつもユイがアキトに怒鳴って物投げて怪我させているの知っているよ。いじめがなくなったのなら……どうしてアキトを責め続けるの。アキトはもう十分すぎるくらい……毎日頑張って日常を生きていると思うけど……」
「なに、うざいんだけど。1学年上なだけで説教垂れないでよ」
いじめられていたことをどうして隠していたのか。
素直にアキトに打ち明けていたら。
ユイが、車道にさえ飛び出さなければ……なんて。
そんなタラレバなんて、今答えに求めているものではない。
「お兄ちゃん、毎日わたしに話しかけてきてうざい。毎日、何もなかったかのように接してくるのムカつく。右腕を奪った張本人が目の前にいるのに、どうしていつも明るくいられるのかわからない」
「……だから、腹が立つの? 物に当たるの?」
「やり返せばいいのに! 『こんな妹なんかいらなかった!』って言ってくれたらすっきりしたのに! なんで! お兄ちゃんは! わたしを大事にするの!」
堰を切ったように叫び出すユイ。
僕にぶつけるように喚いて……わあっと顔を覆って泣き叫ぶ。
――これが。ユイの本音か。
アキトも知らない、ユイが1人で抱えていた感情。
わからないよ。気持ちを溢してくれないと、鈍感な僕には伝わらない。
「ユイだって、アキトのこと大好きなのにね……大好きなお兄ちゃんの右腕が無いのを毎日顔を合わせて思い知らされるのは苦しいよね……」
豪雨の中、アキトの背中を撫で続けていたように。
ユイの背中もそっと撫でていく。
僕はユイと話した。
だからといって何の解決にはなっていないけど。
でも、アキトとユイがそれぞれ抱えている感情を知ることが出来た。
僕は今後どうしたい?
ユイと青沼のこと。
ユイとアキトのこと。
青沼とアキトのこと。
僕1人だけで解決出来るだろうか。
幼稚園の頃のように、ユイの手を握って家まで帰ろうとした時。
「お前がアキトか」
目の前に立ち塞がるのは。不良生徒が多いと有名な他校の生徒。青い短髪は刈り上げられ、吊り上がった目が僕を睨みつけている。
「オレの弟が世話ンなったようで。ちょっとツラ貸せやぁ」
初対面。相手は僕をアキトと勘違いしている。きっとアキトの名前が入っている体操着を腕に抱えているからだ。
だとすると……この人は。
青沼の兄ということか。
僕は震え出す足を持ち直すように深呼吸をしてから……正面を見つめる。
「アキトです。何の用でしょうか」



