正義のヒーローはどこへ征く

 アキトが『正義のヒーロー』になる前。彼はスポーツ万能でサッカー部に所属していて、体力と時間さえあれば他の部活にも顔を出して皆と親しんでいた。
 僕は相変わらず皆の輪にいるアキトを教室の片隅から見つめているだけ。スポーツもそんなに得意ではないし、帰宅部だったから。

 そんなアキトは、現在。
 体育の授業で突き指して見学になった情けない僕の隣に座って、バレーボールをしているクラスメイトを眺めている。

「楽しそうだなあ……」

 そう呟くアキトに、僕は上手く何も言い返せない。
 
 授業といいながら、ほぼ遊んでいる生徒たちのボールが、アキトの元まで転がってきた。

「あ、わりーアキト……こっちに投げてくれねえ? ……あ、腕が無いからレシーブ出来ないんだったな、ごめんな」

 声をかけてくるのは同じクラスの――青沼。何かといつもアキトに嫌味を言ってくる男子生徒だった。

 アキトは女子生徒を助けたと学校中で持て囃(はや)される、正義のヒーロー。殆(ほとん)どの人が迎え入れてくれるが、中にはそんなアキトが気に入らない連中もいる。

 気に入らないのは。元々アキトは格好いい男子だったのに、さらに注目を浴びるようになったから。
 嫉妬で心無い発言をぶつけてしまう気持ちもわからない……わけではない。
 アキトは何でも出来る完璧な生徒だった。
 右腕を失くしたことで、不可能なことが増えた。
 それなのに、人気は落ちないから。

 でもさ。言っていいこと、悪いことの区別くらい、もう僕らは17歳なのだから想像出来るはずだ。
 この言葉を言ってしまったら、相手は傷ついてしまうかもしれないということを。数秒先の未来を考えることは出来るはずだ。

 今の言葉は、右腕を失くしたアキトには絶対に言ってはいけない発言だった。

 帰宅部である影が薄い僕でさえ、聞き捨てならない言葉に言い返そうと青沼を睨みつけた時。

 アキトの左手が前に出され止められる。

 そのままアキトは転がったボールを左手で掴むと、持ち前の体幹で「よいしょ」と何とか立ち上がりへらりと笑う。

「そうなんだよね。俺、腕が無いからさ。上手く力も出せないし、お前を殴ることも出来ないんだよね」

 左腕を大きく振り上げて。思い切りぶん投げる。
 やり返されると思っていなかったのだろう。青沼の顔面にボールは直撃し、鼻血を出してそのままぶっ倒れた。
 同時に、アキトもバランスを崩して大きく倒れ込む。

 静まり返る体育館内。ただボールが落ちて転がっていく。……数秒後に「アキトくんッ!!」と女子の悲鳴が上がり、皆が駆け寄っていくのはアキトの方だった。

「だ、大丈夫……?」
「はは、平気。こんなの、大したことないから」

 ゆっくり起き上がるアキトを見て皆はホッと胸を撫で下ろす。当然僕も。その一部始終が、嫌な発言をした青沼にはやっぱり気に食わなかったようで。

「いいよなあ。片腕失くしただけでこんなにチヤホヤされて。あーあ、オレも車に突っ込めば人気者になれるのかなあ〜」

 僕やアキトが何かを言い返す前に、発言を聞いたクラスメイトからの猛反撃が嵐のようだった。青沼は非難されまくり、終いには騒ぎを聞きつけた体育の教師にも説教を食らい。完全に不貞腐(ふれくさ)れていた。

 結果的には鼻血を出した青沼が保健室に向かうことになって事態は収束した。捨て台詞で「怖い兄に言いつけてやる」とか言っていたけれど。
 煽ったのは青沼だし、言ってはいけない発言をしたのも青沼だ。誰も彼のことを相手にはしなかった。その青沼といつも連(つるん)んでいる生徒数人は気まずそうにしていたけれど。

 今度は真面目にレシーブの練習をし出すクラスメイトたちを再びぼんやり眺めながら。アキトは、僕にだけ聞こえるように低い声で言う。

「俺だってこんなことになると知っていたら、あ(・)の(・)子(・)を助けていなかったかも」

 あの子。アキトが助けた女子生徒。
 でもきっと、アキトが助けなければ。彼女は命を落としていた。だというのに彼女からはお礼も謝罪の一言も無く。青沼には妬まれ……。

 アキトは何のために右腕を失ったのだろう。

 そう思わずにはいられなかった。

 今のアキトに下手な慰めの言葉など通用しない。だから……僕が思った疑問を、小さな声でぶつけてみる。

「もし過去に戻れるのだったら、やり直したい?」

 返事はすぐに返ってこなかった。恐る恐る隣を見ると、アキトは『正義のヒーロー』の顔ではなく。

 ただ右腕を失って途方に暮れているような表情をしていた。声をかける内容失敗した……と心の中で焦っていれば、アキトはふとこちらを見――バチッと目が合う。

 そしてニッと口角を上げ。

「どこからやり直したらいいのかわかんねえや!」

 明るく言って会話を強制終了させたのだった。