手錠をはめられる瞬間、スローモーションのように時間の流れがよどみ、恐怖心で全身が震えた。
髭があるおじさんの刑事が私を床に押さえつけて、背中に膝をめり込ませているが、その痛みも感じない。手錠は刑事ドラマなどで見る手動で手首を締め付けていくものとは違い、電動式だ。
手錠の曲線の端が私の手首を起点に弧を描いてつながり、やがてその円が小さくなっていく光景が目に焼き付いていく。
逃げようとしたせいか、まだ17歳の女子高生である私を取り押さえるのに、力強そうな男の刑事に容赦はなかった。罪を犯した自分の情けなさと、この先に待っている罰の恐ろしさなど、いろいろな感情が一気に沸き上がっては消えていく。
詰んだ。
もう、私の人生は、崩壊していくのだろう。
唯一の私の家族、俊介にも、迷惑がかかる。
ついに「犯罪者」のレッテルが高校生の私に貼られた。今更、涙がこみ上げてくる。
「何をしたって言うのよ!」
「じたばたすんな! 」
「私は何もしてない」
「貴様、これを見てよくそんなことが言えたもんだな」
おじさんの刑事が指差した畳の上には、おびただしい女用下着が無造作に置いてあった。つい今、一緒にやってきたおばさんの刑事が押し入れから押収したばかりのものだ。
「女性用の下着が、ざっと見たところ、1,000はあるんじゃないか」
「だから、さっきからこれは私のものだって言ってるでしょ! 女が女の下着を持っていて何が悪いのよ!?」
「俺たちは貴様を尾行して一昨日、盗むところを見たんだ。この変態が。観念しろ」
「私は変態じゃない!」
「変態じゃなきゃ盗まないだろ?」
「女用の下着を見たって男みたいに興奮なんかしないってば! 女同士なんやから、1つや2つ間違えて手に取ったっていいでしょ!」
「盗んだ以上、男も女も関係なく立派な窃盗だ。しかも、盗んだのは若い女性が身につけそうなやつばっかり。さしずめ、ネットの裏ルートで変態どもに売ったってとこか?」
バレてしまっている。
すべてを知ってしまっている刑事に、私は言葉を失った。息が苦しくなり、視野が急速に狭まってくる。
手錠をかけられる時、よくテレビドラマで凶悪犯罪者がやるような不敵な笑みを浮かべて、悠然とした態度をとることなど17歳の私にはできなかった。
「何かの間違いだよ!」「ちゃんと調べたの? 私は無罪だって」「ハメられただけ。お願い、手錠を外して!」
空虚な言葉が再び浮かび、何も考えずそのまま口にする。その見苦しい姿を、部屋の片隅で弟の俊介が直視していた。俊介は今年15歳になる中学3年生だ。
俊介は私を怒るでも見下すでもなく、感情をかき殺して、淡々と刑事の問いかけに答えている。
「俊介くんも参考人として、署まで同行してもらうけど、いいかな?」
俊介が静かに頷く。その場面まで、スローモーションになって私には見えた。
「止めて! 弟は何もしてないやろ!」
「逮捕するんじゃない。とりあえず事情を聞くだけだ」
「止めて! 私のたった一人の家族に手を出さないで! 俊介は私の希望なのよ。」
「黙れ! このバカが」
弟の前で罵倒され、不様な姿を晒されるのは、身体を拘束されるよりも激しく心に突き刺さる。ついに私のたった一人の家族である俊介にまで「犯罪者の弟」というレッテルを貼ってしまった。
幼い頃に両親が離婚して蒸発し、親族の家を転々としても上手くいかず、劣悪な家庭環境で育った私たち。もっと裕福な家庭に生まれていれば、私と俊介は幸せな一生を送れたであろうと思うと、運命を呪いたい気持ちでいっぱいになる。
「ごめんなさい。俊介。どうか許して。こんな姉ちゃんで許して!」
嗚咽しながら自由のきかなくなった両手と額を畳に擦り付けて謝罪する。
私と違って勉強も運動も万能な俊介は先日、定期テストで学年トップの点数を取り、この上ないほど私を喜ばせてくれた。父親に似たのだろう。
今、俊介は高校受験を控えた一番大切な時期だ。定時制高校に通いながら昼間パートで働いている私には収入の限界がある。だから、毎日貧しさに打ちのめされていたが、これまで俊介という希望があったから惨めな気持ちにはならなかった。
「もう、いいよ」
歯を食いしばるようにして感情を抑えていた俊介が、重い口を開いた。
「もう、謝らないでくれ。俺もうすうす、気がついてた。……俺のためにやったんだろ?」
ギターと音楽が好きで、学校の部活でも軽音に打ち込む俊介は、ミュージシャンになることを夢見ているから髪が少し長い。その髪が、窓から入り込む風にゆらゆらと揺れている。
「違う。全部、私が悪いんだよ。俊介のためって思いながら、俊介の人生にまで迷惑かけた私が馬鹿だった。足手まといにはなりたくなかったのに」
公的な扶助を受けてはいるが、常に貧しい暮らしだ。ただ、貧しいがゆえに、俊介が受験用の塾に通えなかったり、参考書を買えなかったりすることには我慢ならなかった。
俊介だけは後悔することのない学歴を持ってほしい。俊介だけは、私と違って品のある紳士になってほしい。俊介と一緒に美味しいものを食べさせてやりたい。馬鹿な私は、ただお金が欲しかった。
そう、お金がないから悪いのだ。金が欲しいと思って何が悪い。贅沢したいのではない。普通の暮らしを送りたいだけじゃないか。
引きずられるようにしてパトカーへと連れて行かれる途中、諦めの境地からか、ついに開き直って叫んだ。
「私が悪いんじゃない! 時代が悪い。社会が悪い。大人が悪い!」
「黙れ!」と刑事はさらに強く腕を抑えつけた。
「おじさんたち警察も公務員じゃん。おじさんは、今日や明日食べていくことで今まで不安なんか感じたことないでしょ?」
「それが何だ?」
「食べられるのが当たり前って思ってて、私らみたいな貧しい子どもは努力が足りないって、見下してるんだよ」
「カン違いするな。悪いのはお前だ。社会や大人のせいにするな」
「それは、違う! 私には分かる。親がいなくて、いい家柄や学歴を持ってない私たちみたいな人は、どんなにもがいても抜け出せないもん。少しでも暮らしを良くしようと、もう体が悲鳴をあげるくらい、これまで頑張ったんだけど……。やってもやっても、無理だよ。分かってくれる!?」
刑事は初めて、私から目を逸らした。ということは、この人にも自分と同じくらいの子供がいるのだろうか。
「署に着いたら、ゆっくり話を聞く」
髭があるおじさんの刑事が私を床に押さえつけて、背中に膝をめり込ませているが、その痛みも感じない。手錠は刑事ドラマなどで見る手動で手首を締め付けていくものとは違い、電動式だ。
手錠の曲線の端が私の手首を起点に弧を描いてつながり、やがてその円が小さくなっていく光景が目に焼き付いていく。
逃げようとしたせいか、まだ17歳の女子高生である私を取り押さえるのに、力強そうな男の刑事に容赦はなかった。罪を犯した自分の情けなさと、この先に待っている罰の恐ろしさなど、いろいろな感情が一気に沸き上がっては消えていく。
詰んだ。
もう、私の人生は、崩壊していくのだろう。
唯一の私の家族、俊介にも、迷惑がかかる。
ついに「犯罪者」のレッテルが高校生の私に貼られた。今更、涙がこみ上げてくる。
「何をしたって言うのよ!」
「じたばたすんな! 」
「私は何もしてない」
「貴様、これを見てよくそんなことが言えたもんだな」
おじさんの刑事が指差した畳の上には、おびただしい女用下着が無造作に置いてあった。つい今、一緒にやってきたおばさんの刑事が押し入れから押収したばかりのものだ。
「女性用の下着が、ざっと見たところ、1,000はあるんじゃないか」
「だから、さっきからこれは私のものだって言ってるでしょ! 女が女の下着を持っていて何が悪いのよ!?」
「俺たちは貴様を尾行して一昨日、盗むところを見たんだ。この変態が。観念しろ」
「私は変態じゃない!」
「変態じゃなきゃ盗まないだろ?」
「女用の下着を見たって男みたいに興奮なんかしないってば! 女同士なんやから、1つや2つ間違えて手に取ったっていいでしょ!」
「盗んだ以上、男も女も関係なく立派な窃盗だ。しかも、盗んだのは若い女性が身につけそうなやつばっかり。さしずめ、ネットの裏ルートで変態どもに売ったってとこか?」
バレてしまっている。
すべてを知ってしまっている刑事に、私は言葉を失った。息が苦しくなり、視野が急速に狭まってくる。
手錠をかけられる時、よくテレビドラマで凶悪犯罪者がやるような不敵な笑みを浮かべて、悠然とした態度をとることなど17歳の私にはできなかった。
「何かの間違いだよ!」「ちゃんと調べたの? 私は無罪だって」「ハメられただけ。お願い、手錠を外して!」
空虚な言葉が再び浮かび、何も考えずそのまま口にする。その見苦しい姿を、部屋の片隅で弟の俊介が直視していた。俊介は今年15歳になる中学3年生だ。
俊介は私を怒るでも見下すでもなく、感情をかき殺して、淡々と刑事の問いかけに答えている。
「俊介くんも参考人として、署まで同行してもらうけど、いいかな?」
俊介が静かに頷く。その場面まで、スローモーションになって私には見えた。
「止めて! 弟は何もしてないやろ!」
「逮捕するんじゃない。とりあえず事情を聞くだけだ」
「止めて! 私のたった一人の家族に手を出さないで! 俊介は私の希望なのよ。」
「黙れ! このバカが」
弟の前で罵倒され、不様な姿を晒されるのは、身体を拘束されるよりも激しく心に突き刺さる。ついに私のたった一人の家族である俊介にまで「犯罪者の弟」というレッテルを貼ってしまった。
幼い頃に両親が離婚して蒸発し、親族の家を転々としても上手くいかず、劣悪な家庭環境で育った私たち。もっと裕福な家庭に生まれていれば、私と俊介は幸せな一生を送れたであろうと思うと、運命を呪いたい気持ちでいっぱいになる。
「ごめんなさい。俊介。どうか許して。こんな姉ちゃんで許して!」
嗚咽しながら自由のきかなくなった両手と額を畳に擦り付けて謝罪する。
私と違って勉強も運動も万能な俊介は先日、定期テストで学年トップの点数を取り、この上ないほど私を喜ばせてくれた。父親に似たのだろう。
今、俊介は高校受験を控えた一番大切な時期だ。定時制高校に通いながら昼間パートで働いている私には収入の限界がある。だから、毎日貧しさに打ちのめされていたが、これまで俊介という希望があったから惨めな気持ちにはならなかった。
「もう、いいよ」
歯を食いしばるようにして感情を抑えていた俊介が、重い口を開いた。
「もう、謝らないでくれ。俺もうすうす、気がついてた。……俺のためにやったんだろ?」
ギターと音楽が好きで、学校の部活でも軽音に打ち込む俊介は、ミュージシャンになることを夢見ているから髪が少し長い。その髪が、窓から入り込む風にゆらゆらと揺れている。
「違う。全部、私が悪いんだよ。俊介のためって思いながら、俊介の人生にまで迷惑かけた私が馬鹿だった。足手まといにはなりたくなかったのに」
公的な扶助を受けてはいるが、常に貧しい暮らしだ。ただ、貧しいがゆえに、俊介が受験用の塾に通えなかったり、参考書を買えなかったりすることには我慢ならなかった。
俊介だけは後悔することのない学歴を持ってほしい。俊介だけは、私と違って品のある紳士になってほしい。俊介と一緒に美味しいものを食べさせてやりたい。馬鹿な私は、ただお金が欲しかった。
そう、お金がないから悪いのだ。金が欲しいと思って何が悪い。贅沢したいのではない。普通の暮らしを送りたいだけじゃないか。
引きずられるようにしてパトカーへと連れて行かれる途中、諦めの境地からか、ついに開き直って叫んだ。
「私が悪いんじゃない! 時代が悪い。社会が悪い。大人が悪い!」
「黙れ!」と刑事はさらに強く腕を抑えつけた。
「おじさんたち警察も公務員じゃん。おじさんは、今日や明日食べていくことで今まで不安なんか感じたことないでしょ?」
「それが何だ?」
「食べられるのが当たり前って思ってて、私らみたいな貧しい子どもは努力が足りないって、見下してるんだよ」
「カン違いするな。悪いのはお前だ。社会や大人のせいにするな」
「それは、違う! 私には分かる。親がいなくて、いい家柄や学歴を持ってない私たちみたいな人は、どんなにもがいても抜け出せないもん。少しでも暮らしを良くしようと、もう体が悲鳴をあげるくらい、これまで頑張ったんだけど……。やってもやっても、無理だよ。分かってくれる!?」
刑事は初めて、私から目を逸らした。ということは、この人にも自分と同じくらいの子供がいるのだろうか。
「署に着いたら、ゆっくり話を聞く」



