日向の補習を終えて、日向と一緒に校舎をでた。
体中がポカポカして、今にもフワッと体が浮きそうな気持ち。
勝手に緩んでしまう顔。
なんで今、こんなに幸せなんだろう。
いつもと変わらない空のはずなのに、とても遠く、とても広く、伸び伸びと感じる。
少し前を行く日向が振り返った。
「どうしたの? ニマニマしちゃって」
日向の両手が、俺の頬をプニプニとつまんでくる。
俺は数歩下がってその手から逃げた。
「何回触れば気が済むんだよ!」
顔が笑っちゃって力の入らない俺の叫びに、日向が目を細めて笑った。
「だって、とっても気持ちがいいんですもの。この感触、ユウの頬じゃなきゃ味わえないでしょう? この世に代用品がないんだから仕方がないじゃない。ほらほら、逃げないでコッチにいらっしゃい」
日向が手招きをする。
俺は警戒する振りをしながら、一歩分の距離を置いて日向と並んだ。
補習した教室を出てからずっと、俺たちはこんなやりとりを繰り返していた。
「この感触を維持するためにも、次は保湿を教えたいんだけど。次はいつにしましょうか、補習」
「センセーッ! 試験と追試はないんですか」
挙手した俺に、
「落ちるとわかっているのでやりません」
日向が即答する。
「マジでヤバい! そんな学校どこにあんだよ」
「さっき体験したばかりじゃない。ワタシのスキンケア教室」
「入学金、払った覚えないんだけど」
「その可愛い頬をつまませてくれた分、コインとして入学金や授業料に当てられます」
「もう絶対に触れさせない」
俺は爆笑を堪えながら両手で頬をガードした。
「安心しなさい。取り立ててあげるから」
両腕を広げた日向が、俺に襲い掛かってきた。
俺は声をあげて笑い、その腕から逃げるために、身を屈めながら数歩走って振り返る。
「もうやめよう、これ。腹筋が痛い」
俺は腿に両手をついて、顔をあげた。
こんなに笑ったの、いつ振りだろう。
大して面白いことしてるつもりないのに、笑いが止まらない。
「魅惑な頬を持つ自分を恨みなさい」
日向が抓むジェスチャーをする。
「お前の脳みそがおかしいんだよ」
「自分の魅力に気づいてないユウが悪いのよ。可愛すぎて、毎日抱き枕にして寝たいくらいよ」
「うわっ、やめて! 鳥肌が立った」
「だったら、こっちに来てその腕を見せなさいよ」
「頬をつままれるからイヤでーすッ」
「いいわよ。ワタシから行くから」
日向のダッシュ力が、俺の反応より勝った。両腕でガシッと体を掴まれる。
「もう無理ッ。走るの無理ッ。体力残ってない」
俺はよろめきながら体をくの字にした。
「逃げるから追われるのよ」
「逃げなきゃ好き放題触るだろッ」
「当然」
余裕の顔で俺を解放した日向だけど、呼吸を俺と一緒で荒い。
これから帰宅の連中にチラチラ見られてるけど、構わない。
見られているのはイケメンな日向で、俺は一緒にふざけている平凡な誰か。記憶に残るような人間じゃない。
「マジで無駄な体力使った」
喉が渇いた俺は、ペットボトルを取りだそうとリュックを下ろしかけて止まった。
校門に、二度と会いたくない人間が立っている。次に会いたくない取り巻き三人を連れている。
一番会いたくない人間は、俺たちとは違う色のブレザーを着ていた。違う学校に進学したはずの加藤満彦。大した顔でもないのに、自分は優れていると思い込んだナルシストで、大半の同級生たちを小馬鹿にした態度がいつも鼻についていた。同じ中学だったけど、一度も同じクラスにはならなかった。
その隣にいるのが、加藤より背が高い中澤俊明。俺とも加藤とも違うボタンのない学ランを着ている。一重で細い目が、常に忖度しているように感じで気味が悪かった。加藤の片腕だ。中学一年と二年の時、同じクラスだった。俺が加藤に襲われている時、笑いながらスマホで撮影していた。
残りの二人は、俺と同じ制服を着ている。同じ学校だとは知っていたけど、会わないから油断していた。
一人は商業科に合格したと言っていた田崎茂樹。去年の俺のクラスメイトで、俺たちクラスの二次会で取ったカラオケの個室から、ドリンクを取りに出た俺を、加藤が待つ部屋に連れ込んだ一人。
もう一人も、昨年の俺のクラスメイトで、加藤待つ部屋に俺を連れ込んだ青木恭助。普通科を受けたと聞いてはいたが、クラスが違うからか、校内で会うことがなかった。
もしかしたら会っていたのかもしれない。
けど、俺はお節介すぎる日向に振り回されていて、まわりを見る余裕がなかった。
スッと楽しい気持ちが消えて、動き回って熱いくらいの体が急速に冷えていく。
脳裏に蘇る恐怖で、呼吸が浅くなる。
息苦しさに、俺は首元を押さえた。
「どうした?」
俺を覗き込んだ日向には笑顔がなかった。
「あっ……ちょっと……」
俺は日向の後ろに隠れた。
アイツら、何してるんだ。
アイツらに触れられた箇所がジクジクと膿んでいく感触がして、両手で自分を抱きしめた。
「校門のところ、ガラの悪そうな連中ばかりだけど、その様子じゃお知り合いみたいね」
日向が振り返って、ポンと俺の頭に手を置いた。
「大丈夫よ。ワタシがついてる。あっちはこっちをロックオンしてるみたいだけど、まずは目を合わせずに行きましょう。もし、声をかけられてもユウは無視して。すべてワタシが対応するから」
「……ゴメン」
「馬鹿ねえ。こういう時は『ありがとう』って言うのよ。震えてるけど、寒い?」
「……怖い……」
支えるものが欲しくて、俺は俯いたまま日向のブレザーを掴んだ。
「そう。ユウがこんなに怖がるなんて、相手はよほどの外道なのね。ちょっと待ってね」
日向がブレザーのポケットからスマホを取りだした。
「これで準備完了。帰りましょうか」
日向がブレザーを掴む俺の手を外して、手を繋いだ。
驚いて顔をあげた俺に、日向がフワリと優しく微笑んだ。
「大丈夫。絶対にワタシが守ってあげる」
余裕があるように見える日向に、俺はコクリと頷いた。
恐怖と緊張で震える俺は、日向の握る手の強さと温かさだけを頼りに、今にも竦みそうな震える足を交互に動かしていた。
門を越えるまで後少し。
「ナナミ~ッ、久しぶり。遅すぎだろ。どれだけ待ったと思ってんだよ。俺たちからのメッセージを既読無視って酷くない?」
加藤の粘着質な声に、俺はビクッと反応してしまい、息を止めた。
瞬間、ギュッと日向が握る手に力を込めた。
その力強さに、俺は止めた息を吐いた。
日向に引かれるまま、俯いて歩き続ける。
中学三年のクラスのグループメッセージは、あの事件から一度も開いてないはずだけど……。
「無視すんなよ。折角会いに来てやったんだから、遊びに行こうぜ」
軽薄な加藤の声に続いて、嘲るような笑いが聞こえる。
校門を越えた。
あとはコイツらに背を向けて帰るだけだ。
「コイツが新しいカメラ買ったんだって」
それがなんだっていうんだ。
俺は涙が溢れそうになるのを堪えた。
「だからさあ、前の続きしようぜ」
嘲りしかない加藤の一番聞きたくなかった言葉に、俺の視界が一瞬真っ暗になった。
倒れそうになった体を、どうにか次の一歩で支える。
それだけじゃない。
日向のスマホを持った手が俺の腹の当たっていた。
怒りと悔しさと怖さと殺意と死にたい気持ちが、綯い交ぜになって押しよせてくる。
一拍遅れて、日向に縋りつきたい思いと、日向にすべてを知られて嫌われる恐怖が襲ってきた。
「大丈夫。振り向かずに歩いて」
耳元で日向の労わる声がした。
俺は歯を食いしばった。
「このまま帰るってっことは、あの映像を拡散されてもいいんだ」
加藤が恐れていたことを口にして、俺は立ち止って振り返った。
加藤がニヤリと口を歪めた。
「さっきから、知らない男と手を握っちゃってさあ。見せつけてんの? やっぱり、七見はその気があったんだな。だったらあの時、最後までヤらせてくれればよかっただろ。あの後、俺たち傷ついたんだぜ」
加藤たちの思い通りに動いたところで、映像を消してもらえるとは思っていない。
もっと酷いことになるとわかっている。
俺はどうすればいいかを知っている。
俺が死ねばいいんだ。
そしたら、脅されることも、怯えることも、傷つけられることもない。
死ぬのは怖くて、ずっとずっと逃げてきたけど、もう限界だ。コイツらにオモチャとして抱かれるくらいなら、屋上から飛び降りるほうがマシだ。
「どうせ途中で分かれるんだろ? それまで俺たちも一緒させてよ」
加藤が近づいてきた。
加藤の取り巻きが薄気味悪い笑みを浮かべてついてくる。
「どうして、途中で分かれるって言い切れるのかしら」
日向の声が低くなる。
「コイツ、オカマ? オカマとダチかよ。マジでウケる。その顔だと、オカマ以外は全部オオカミだもんな」
加藤に合わせて、取り巻きたちがクスクスと笑う。
お前ら、この顔がいいのかよ。
やっぱりそうだ。
可愛いなんて損ばかりだ。
俺は可愛くなんてなりたくなかった。
日向と一緒にいるのが楽しくて、忘れてたよ。
少しでも可愛いからかけ離れて、地味で目立たない男になるって決めてたのに……。
「答えになってないんだけど。これからワタシたち二人で、楽しく買い物するとかの想像はないわけ?」
「するかよ。毎日途中でバイバイしてんだろ? なあ、青木」
「はい。調べはついてます」
「あらそう」
日向が俺を後ろに庇った。
「言質は取ったので、ここからは撮影タイムに映ります」
日向が持っていたスマホを加藤たちに向けた。
加藤たちから笑みが消えた。
「オカマは関係ないだろ。引っ込んでろよ」
中澤が手の平に拳を当てながら出てきた。
「引っ込まないわよ。さてと、これでよし。全員の顔を記録したので、暴力の代わりにワタシの肺活量を披露してあげるわ」
日向が「んんっ」と喉の調子を確かめ、足を開いた。
そして、
「助けてーッ! 暴力ハンターイ!」
馬鹿デカイ声で叫びだした。
「襲われるーっ! この人たち、ストーカーですーっ! たった今、ワタシの可愛い連れをナンパしましたーっ! そこを歩く女の子たち、この人たち全員ナンパ男でストーカーでーすっ! 言うことを聞かないと、暴力を振るわれますよーっ! 逃げて逃げてーっ! この人たち、暴力団幹部のご子息ですよーっ! ワタシに『邪魔だ。死ねよブスッ』て言いましたーっ!」
日向の声に、下校途中の生徒たちが、チラチラこっちを見ながら駆け足で去っていったり、校門から撮影を始めた人など出てきた。
犬の散歩で通りがかったお爺さんが、ビックリした顔でこっちを見ている。
遠巻きに人が集まりだした。
「この人たち、帰り道を調べ上げてから声をかけてきますよーっ! 帰る時は、この顔のヤツが後ろにいないか確認してくださいねーっ! 危険人物なので、しっかりと顔を覚えてくださーいっ! 名前は……ちょっとアナタたち、名前知らないから、一人ずつ自己紹介しなさいよ」
日向が大股で加藤たちに近づいていく。
加藤たちが顔を見合わせて、「覚えてろよ!」と走り去っていった。
日向が飄々とした顔で駆け戻ってきた。
「今、ちょっと感動したわ。雑魚って本当に『覚えてろ』って言い残すのね」
「そんなことより、この集まりをどうする」
とりあえずとはいえ、アイツらから逃れた安堵と、日向の突拍子もない行動に、俺の震えは僅かになっていた。
「そうねえ」
少し悩んだ日向が、大きく息を吸い込んだ。
「皆さん、ご協力ありがとうございました! 本当に今、ここにいる友人がさっきの四人組にナンパされ、強引に連れ去られそうになりました。他人事ではありません。皆さんも気をつけてくださいねー」
拡声器不要の大声で、立ち止った人に感謝を述べると、一部手を振ってくる生徒に手を振り返して、日向が俺を見下ろした。
「ヤツらが先回りして待ってる可能性もあるわね。お願い、ユウ。家までアナタを送らせて?」
日向が両手を合わせて、首をコテンと傾げた。
「お前、どこでそんな技を覚えてきたんだよ」
強がる俺の手を、再び日向が握った。
「じゃあ、行きましょうか」
震えの止まらない俺の手には触れず、日向が歩きだした。
つられて、俺も歩きだす。
今更、怖さがぶり返して、震えが大きくなっていく。
日向は歩きながらスマホを少し操作をすると、それをポケットに仕舞った。
「分かれ道からは、ユウがワタシを引いてね」
それだけ言うと、日向は黙った。
俺も黙る。
手から伝わる日向の温もりと感触が、俺の気持ちを支え、落ち着かせてくれた。
家の屋根が見えた時には、震えが消えて、なんでもない振りができるようになった。
なぜか、玄関前に旭兄と瑞月ちゃんと啓司くんが立っていた。
俺を見るなり、瑞月ちゃんが駆けてきて、俺に抱きついた。
「久礼くんから帰るって連絡をもらったけど、全然帰ってこないから心配になってさ。ここで待ってたんだ」
旭兄に言われて、俺は久礼を見上げた。
そういえば、補習を終えたすぐに連絡を入れてたっけ。
「お菓子を食べずに待ってたから、もう限界。中に入って食べようぜ」
啓司くんが、俺と日向の背中を押した。
体中がポカポカして、今にもフワッと体が浮きそうな気持ち。
勝手に緩んでしまう顔。
なんで今、こんなに幸せなんだろう。
いつもと変わらない空のはずなのに、とても遠く、とても広く、伸び伸びと感じる。
少し前を行く日向が振り返った。
「どうしたの? ニマニマしちゃって」
日向の両手が、俺の頬をプニプニとつまんでくる。
俺は数歩下がってその手から逃げた。
「何回触れば気が済むんだよ!」
顔が笑っちゃって力の入らない俺の叫びに、日向が目を細めて笑った。
「だって、とっても気持ちがいいんですもの。この感触、ユウの頬じゃなきゃ味わえないでしょう? この世に代用品がないんだから仕方がないじゃない。ほらほら、逃げないでコッチにいらっしゃい」
日向が手招きをする。
俺は警戒する振りをしながら、一歩分の距離を置いて日向と並んだ。
補習した教室を出てからずっと、俺たちはこんなやりとりを繰り返していた。
「この感触を維持するためにも、次は保湿を教えたいんだけど。次はいつにしましょうか、補習」
「センセーッ! 試験と追試はないんですか」
挙手した俺に、
「落ちるとわかっているのでやりません」
日向が即答する。
「マジでヤバい! そんな学校どこにあんだよ」
「さっき体験したばかりじゃない。ワタシのスキンケア教室」
「入学金、払った覚えないんだけど」
「その可愛い頬をつまませてくれた分、コインとして入学金や授業料に当てられます」
「もう絶対に触れさせない」
俺は爆笑を堪えながら両手で頬をガードした。
「安心しなさい。取り立ててあげるから」
両腕を広げた日向が、俺に襲い掛かってきた。
俺は声をあげて笑い、その腕から逃げるために、身を屈めながら数歩走って振り返る。
「もうやめよう、これ。腹筋が痛い」
俺は腿に両手をついて、顔をあげた。
こんなに笑ったの、いつ振りだろう。
大して面白いことしてるつもりないのに、笑いが止まらない。
「魅惑な頬を持つ自分を恨みなさい」
日向が抓むジェスチャーをする。
「お前の脳みそがおかしいんだよ」
「自分の魅力に気づいてないユウが悪いのよ。可愛すぎて、毎日抱き枕にして寝たいくらいよ」
「うわっ、やめて! 鳥肌が立った」
「だったら、こっちに来てその腕を見せなさいよ」
「頬をつままれるからイヤでーすッ」
「いいわよ。ワタシから行くから」
日向のダッシュ力が、俺の反応より勝った。両腕でガシッと体を掴まれる。
「もう無理ッ。走るの無理ッ。体力残ってない」
俺はよろめきながら体をくの字にした。
「逃げるから追われるのよ」
「逃げなきゃ好き放題触るだろッ」
「当然」
余裕の顔で俺を解放した日向だけど、呼吸を俺と一緒で荒い。
これから帰宅の連中にチラチラ見られてるけど、構わない。
見られているのはイケメンな日向で、俺は一緒にふざけている平凡な誰か。記憶に残るような人間じゃない。
「マジで無駄な体力使った」
喉が渇いた俺は、ペットボトルを取りだそうとリュックを下ろしかけて止まった。
校門に、二度と会いたくない人間が立っている。次に会いたくない取り巻き三人を連れている。
一番会いたくない人間は、俺たちとは違う色のブレザーを着ていた。違う学校に進学したはずの加藤満彦。大した顔でもないのに、自分は優れていると思い込んだナルシストで、大半の同級生たちを小馬鹿にした態度がいつも鼻についていた。同じ中学だったけど、一度も同じクラスにはならなかった。
その隣にいるのが、加藤より背が高い中澤俊明。俺とも加藤とも違うボタンのない学ランを着ている。一重で細い目が、常に忖度しているように感じで気味が悪かった。加藤の片腕だ。中学一年と二年の時、同じクラスだった。俺が加藤に襲われている時、笑いながらスマホで撮影していた。
残りの二人は、俺と同じ制服を着ている。同じ学校だとは知っていたけど、会わないから油断していた。
一人は商業科に合格したと言っていた田崎茂樹。去年の俺のクラスメイトで、俺たちクラスの二次会で取ったカラオケの個室から、ドリンクを取りに出た俺を、加藤が待つ部屋に連れ込んだ一人。
もう一人も、昨年の俺のクラスメイトで、加藤待つ部屋に俺を連れ込んだ青木恭助。普通科を受けたと聞いてはいたが、クラスが違うからか、校内で会うことがなかった。
もしかしたら会っていたのかもしれない。
けど、俺はお節介すぎる日向に振り回されていて、まわりを見る余裕がなかった。
スッと楽しい気持ちが消えて、動き回って熱いくらいの体が急速に冷えていく。
脳裏に蘇る恐怖で、呼吸が浅くなる。
息苦しさに、俺は首元を押さえた。
「どうした?」
俺を覗き込んだ日向には笑顔がなかった。
「あっ……ちょっと……」
俺は日向の後ろに隠れた。
アイツら、何してるんだ。
アイツらに触れられた箇所がジクジクと膿んでいく感触がして、両手で自分を抱きしめた。
「校門のところ、ガラの悪そうな連中ばかりだけど、その様子じゃお知り合いみたいね」
日向が振り返って、ポンと俺の頭に手を置いた。
「大丈夫よ。ワタシがついてる。あっちはこっちをロックオンしてるみたいだけど、まずは目を合わせずに行きましょう。もし、声をかけられてもユウは無視して。すべてワタシが対応するから」
「……ゴメン」
「馬鹿ねえ。こういう時は『ありがとう』って言うのよ。震えてるけど、寒い?」
「……怖い……」
支えるものが欲しくて、俺は俯いたまま日向のブレザーを掴んだ。
「そう。ユウがこんなに怖がるなんて、相手はよほどの外道なのね。ちょっと待ってね」
日向がブレザーのポケットからスマホを取りだした。
「これで準備完了。帰りましょうか」
日向がブレザーを掴む俺の手を外して、手を繋いだ。
驚いて顔をあげた俺に、日向がフワリと優しく微笑んだ。
「大丈夫。絶対にワタシが守ってあげる」
余裕があるように見える日向に、俺はコクリと頷いた。
恐怖と緊張で震える俺は、日向の握る手の強さと温かさだけを頼りに、今にも竦みそうな震える足を交互に動かしていた。
門を越えるまで後少し。
「ナナミ~ッ、久しぶり。遅すぎだろ。どれだけ待ったと思ってんだよ。俺たちからのメッセージを既読無視って酷くない?」
加藤の粘着質な声に、俺はビクッと反応してしまい、息を止めた。
瞬間、ギュッと日向が握る手に力を込めた。
その力強さに、俺は止めた息を吐いた。
日向に引かれるまま、俯いて歩き続ける。
中学三年のクラスのグループメッセージは、あの事件から一度も開いてないはずだけど……。
「無視すんなよ。折角会いに来てやったんだから、遊びに行こうぜ」
軽薄な加藤の声に続いて、嘲るような笑いが聞こえる。
校門を越えた。
あとはコイツらに背を向けて帰るだけだ。
「コイツが新しいカメラ買ったんだって」
それがなんだっていうんだ。
俺は涙が溢れそうになるのを堪えた。
「だからさあ、前の続きしようぜ」
嘲りしかない加藤の一番聞きたくなかった言葉に、俺の視界が一瞬真っ暗になった。
倒れそうになった体を、どうにか次の一歩で支える。
それだけじゃない。
日向のスマホを持った手が俺の腹の当たっていた。
怒りと悔しさと怖さと殺意と死にたい気持ちが、綯い交ぜになって押しよせてくる。
一拍遅れて、日向に縋りつきたい思いと、日向にすべてを知られて嫌われる恐怖が襲ってきた。
「大丈夫。振り向かずに歩いて」
耳元で日向の労わる声がした。
俺は歯を食いしばった。
「このまま帰るってっことは、あの映像を拡散されてもいいんだ」
加藤が恐れていたことを口にして、俺は立ち止って振り返った。
加藤がニヤリと口を歪めた。
「さっきから、知らない男と手を握っちゃってさあ。見せつけてんの? やっぱり、七見はその気があったんだな。だったらあの時、最後までヤらせてくれればよかっただろ。あの後、俺たち傷ついたんだぜ」
加藤たちの思い通りに動いたところで、映像を消してもらえるとは思っていない。
もっと酷いことになるとわかっている。
俺はどうすればいいかを知っている。
俺が死ねばいいんだ。
そしたら、脅されることも、怯えることも、傷つけられることもない。
死ぬのは怖くて、ずっとずっと逃げてきたけど、もう限界だ。コイツらにオモチャとして抱かれるくらいなら、屋上から飛び降りるほうがマシだ。
「どうせ途中で分かれるんだろ? それまで俺たちも一緒させてよ」
加藤が近づいてきた。
加藤の取り巻きが薄気味悪い笑みを浮かべてついてくる。
「どうして、途中で分かれるって言い切れるのかしら」
日向の声が低くなる。
「コイツ、オカマ? オカマとダチかよ。マジでウケる。その顔だと、オカマ以外は全部オオカミだもんな」
加藤に合わせて、取り巻きたちがクスクスと笑う。
お前ら、この顔がいいのかよ。
やっぱりそうだ。
可愛いなんて損ばかりだ。
俺は可愛くなんてなりたくなかった。
日向と一緒にいるのが楽しくて、忘れてたよ。
少しでも可愛いからかけ離れて、地味で目立たない男になるって決めてたのに……。
「答えになってないんだけど。これからワタシたち二人で、楽しく買い物するとかの想像はないわけ?」
「するかよ。毎日途中でバイバイしてんだろ? なあ、青木」
「はい。調べはついてます」
「あらそう」
日向が俺を後ろに庇った。
「言質は取ったので、ここからは撮影タイムに映ります」
日向が持っていたスマホを加藤たちに向けた。
加藤たちから笑みが消えた。
「オカマは関係ないだろ。引っ込んでろよ」
中澤が手の平に拳を当てながら出てきた。
「引っ込まないわよ。さてと、これでよし。全員の顔を記録したので、暴力の代わりにワタシの肺活量を披露してあげるわ」
日向が「んんっ」と喉の調子を確かめ、足を開いた。
そして、
「助けてーッ! 暴力ハンターイ!」
馬鹿デカイ声で叫びだした。
「襲われるーっ! この人たち、ストーカーですーっ! たった今、ワタシの可愛い連れをナンパしましたーっ! そこを歩く女の子たち、この人たち全員ナンパ男でストーカーでーすっ! 言うことを聞かないと、暴力を振るわれますよーっ! 逃げて逃げてーっ! この人たち、暴力団幹部のご子息ですよーっ! ワタシに『邪魔だ。死ねよブスッ』て言いましたーっ!」
日向の声に、下校途中の生徒たちが、チラチラこっちを見ながら駆け足で去っていったり、校門から撮影を始めた人など出てきた。
犬の散歩で通りがかったお爺さんが、ビックリした顔でこっちを見ている。
遠巻きに人が集まりだした。
「この人たち、帰り道を調べ上げてから声をかけてきますよーっ! 帰る時は、この顔のヤツが後ろにいないか確認してくださいねーっ! 危険人物なので、しっかりと顔を覚えてくださーいっ! 名前は……ちょっとアナタたち、名前知らないから、一人ずつ自己紹介しなさいよ」
日向が大股で加藤たちに近づいていく。
加藤たちが顔を見合わせて、「覚えてろよ!」と走り去っていった。
日向が飄々とした顔で駆け戻ってきた。
「今、ちょっと感動したわ。雑魚って本当に『覚えてろ』って言い残すのね」
「そんなことより、この集まりをどうする」
とりあえずとはいえ、アイツらから逃れた安堵と、日向の突拍子もない行動に、俺の震えは僅かになっていた。
「そうねえ」
少し悩んだ日向が、大きく息を吸い込んだ。
「皆さん、ご協力ありがとうございました! 本当に今、ここにいる友人がさっきの四人組にナンパされ、強引に連れ去られそうになりました。他人事ではありません。皆さんも気をつけてくださいねー」
拡声器不要の大声で、立ち止った人に感謝を述べると、一部手を振ってくる生徒に手を振り返して、日向が俺を見下ろした。
「ヤツらが先回りして待ってる可能性もあるわね。お願い、ユウ。家までアナタを送らせて?」
日向が両手を合わせて、首をコテンと傾げた。
「お前、どこでそんな技を覚えてきたんだよ」
強がる俺の手を、再び日向が握った。
「じゃあ、行きましょうか」
震えの止まらない俺の手には触れず、日向が歩きだした。
つられて、俺も歩きだす。
今更、怖さがぶり返して、震えが大きくなっていく。
日向は歩きながらスマホを少し操作をすると、それをポケットに仕舞った。
「分かれ道からは、ユウがワタシを引いてね」
それだけ言うと、日向は黙った。
俺も黙る。
手から伝わる日向の温もりと感触が、俺の気持ちを支え、落ち着かせてくれた。
家の屋根が見えた時には、震えが消えて、なんでもない振りができるようになった。
なぜか、玄関前に旭兄と瑞月ちゃんと啓司くんが立っていた。
俺を見るなり、瑞月ちゃんが駆けてきて、俺に抱きついた。
「久礼くんから帰るって連絡をもらったけど、全然帰ってこないから心配になってさ。ここで待ってたんだ」
旭兄に言われて、俺は久礼を見上げた。
そういえば、補習を終えたすぐに連絡を入れてたっけ。
「お菓子を食べずに待ってたから、もう限界。中に入って食べようぜ」
啓司くんが、俺と日向の背中を押した。

