オネエの同級生にスキンケアを叩き込まれています

 日向の補習を終えて、日向と一緒に校舎をでた。
 体中がポカポカして、今にもフワッと体が浮きそうな気持ち。
 勝手に緩んでしまう顔。
 なんで今、こんなに幸せなんだろう。
 いつもと変わらない空のはずなのに、とても遠く、とても広く、伸び伸びと感じる。
 少し前を行く日向が振り返った。
「どうしたの? ニマニマしちゃって」
 日向の両手が、俺の頬をプニプニとつまんでくる。
 俺は数歩下がってその手から逃げた。
「何回触れば気が済むんだよ!」
 顔が笑っちゃって力の入らない俺の叫びに、日向が目を細めて笑った。
「だって、とっても気持ちがいいんですもの。この感触、ユウの頬じゃなきゃ味わえないでしょう? この世に代用品がないんだから仕方がないじゃない。ほらほら、逃げないでコッチにいらっしゃい」
 日向が手招きをする。
 俺は警戒する振りをしながら、一歩分の距離を置いて日向と並んだ。
 補習した教室を出てからずっと、俺たちはこんなやりとりを繰り返していた。
「この感触を維持するためにも、次は保湿を教えたいんだけど。次はいつにしましょうか、補習」
「センセーッ! 試験と追試はないんですか」
 挙手した俺に、
「落ちるとわかっているのでやりません」
 日向が即答する。
「マジでヤバい! そんな学校どこにあんだよ」
「さっき体験したばかりじゃない。ワタシのスキンケア教室」
「入学金、払った覚えないんだけど」
「その可愛い頬をつまませてくれた分、コインとして入学金や授業料に当てられます」
「もう絶対に触れさせない」
 俺は爆笑を堪えながら両手で頬をガードした。
「安心しなさい。取り立ててあげるから」
 両腕を広げた日向が、俺に襲い掛かってきた。
 俺は声をあげて笑い、その腕から逃げるために、身を屈めながら数歩走って振り返る。
「もうやめよう、これ。腹筋が痛い」
 俺は腿に両手をついて、顔をあげた。
 こんなに笑ったの、いつ振りだろう。
 大して面白いことしてるつもりないのに、笑いが止まらない。
「魅惑な頬を持つ自分を恨みなさい」
 日向が抓むジェスチャーをする。
「お前の脳みそがおかしいんだよ」
「自分の魅力に気づいてないユウが悪いのよ。可愛すぎて、毎日抱き枕にして寝たいくらいよ」
「うわっ、やめて! 鳥肌が立った」
「だったら、こっちに来てその腕を見せなさいよ」
「頬をつままれるからイヤでーすッ」
「いいわよ。ワタシから行くから」
 日向のダッシュ力が、俺の反応より勝った。両腕でガシッと体を掴まれる。
「もう無理ッ。走るの無理ッ。体力残ってない」
 俺はよろめきながら体をくの字にした。
「逃げるから追われるのよ」
「逃げなきゃ好き放題触るだろッ」
「当然」
 余裕の顔で俺を解放した日向だけど、呼吸を俺と一緒で荒い。
 これから帰宅の連中にチラチラ見られてるけど、構わない。
 見られているのはイケメンな日向で、俺は一緒にふざけている平凡な誰か。記憶に残るような人間じゃない。
「マジで無駄な体力使った」
 喉が渇いた俺は、ペットボトルを取りだそうとリュックを下ろしかけて止まった。
 校門に、二度と会いたくない人間が立っている。次に会いたくない取り巻き三人を連れている。
 一番会いたくない人間は、俺たちとは違う色のブレザーを着ていた。違う学校に進学したはずの加藤満彦(みつひこ)。大した顔でもないのに、自分は優れていると思い込んだナルシストで、大半の同級生たちを小馬鹿にした態度がいつも鼻についていた。同じ中学だったけど、一度も同じクラスにはならなかった。
 その隣にいるのが、加藤より背が高い中澤(なかざわ)俊明(としあき)。俺とも加藤とも違うボタンのない学ランを着ている。一重で細い目が、常に忖度しているように感じで気味が悪かった。加藤の片腕だ。中学一年と二年の時、同じクラスだった。俺が加藤に襲われている時、笑いながらスマホで撮影していた。
 残りの二人は、俺と同じ制服を着ている。同じ学校だとは知っていたけど、会わないから油断していた。
 一人は商業科に合格したと言っていた田崎(たざき)茂樹(しげき)。去年の俺のクラスメイトで、俺たちクラスの二次会で取ったカラオケの個室から、ドリンクを取りに出た俺を、加藤が待つ部屋に連れ込んだ一人。
 もう一人も、昨年の俺のクラスメイトで、加藤待つ部屋に俺を連れ込んだ青木恭助(きょうすけ)。普通科を受けたと聞いてはいたが、クラスが違うからか、校内で会うことがなかった。
 もしかしたら会っていたのかもしれない。
 けど、俺はお節介すぎる日向に振り回されていて、まわりを見る余裕がなかった。
 スッと楽しい気持ちが消えて、動き回って熱いくらいの体が急速に冷えていく。
 脳裏に蘇る恐怖で、呼吸が浅くなる。
 息苦しさに、俺は首元を押さえた。
「どうした?」
 俺を覗き込んだ日向には笑顔がなかった。
「あっ……ちょっと……」
 俺は日向の後ろに隠れた。
 アイツら、何してるんだ。
 アイツらに触れられた箇所がジクジクと膿んでいく感触がして、両手で自分を抱きしめた。
「校門のところ、ガラの悪そうな連中ばかりだけど、その様子じゃお知り合いみたいね」
 日向が振り返って、ポンと俺の頭に手を置いた。
「大丈夫よ。ワタシがついてる。あっちはこっちをロックオンしてるみたいだけど、まずは目を合わせずに行きましょう。もし、声をかけられてもユウは無視して。すべてワタシが対応するから」
「……ゴメン」
「馬鹿ねえ。こういう時は『ありがとう』って言うのよ。震えてるけど、寒い?」
「……怖い……」
 支えるものが欲しくて、俺は俯いたまま日向のブレザーを掴んだ。
「そう。ユウがこんなに怖がるなんて、相手はよほどの外道なのね。ちょっと待ってね」
 日向がブレザーのポケットからスマホを取りだした。
「これで準備完了。帰りましょうか」
 日向がブレザーを掴む俺の手を外して、手を繋いだ。
 驚いて顔をあげた俺に、日向がフワリと優しく微笑んだ。
「大丈夫。絶対にワタシが守ってあげる」
 余裕があるように見える日向に、俺はコクリと頷いた。


 恐怖と緊張で震える俺は、日向の握る手の強さと温かさだけを頼りに、今にも竦みそうな震える足を交互に動かしていた。
 門を越えるまで後少し。
「ナナミ~ッ、久しぶり。遅すぎだろ。どれだけ待ったと思ってんだよ。俺たちからのメッセージを既読無視って酷くない?」
 加藤の粘着質な声に、俺はビクッと反応してしまい、息を止めた。
 瞬間、ギュッと日向が握る手に力を込めた。
 その力強さに、俺は止めた息を吐いた。
 日向に引かれるまま、俯いて歩き続ける。
 中学三年のクラスのグループメッセージは、あの事件から一度も開いてないはずだけど……。
「無視すんなよ。折角会いに来てやったんだから、遊びに行こうぜ」
 軽薄な加藤の声に続いて、嘲るような笑いが聞こえる。
 校門を越えた。
 あとはコイツらに背を向けて帰るだけだ。
「コイツが新しいカメラ買ったんだって」
 それがなんだっていうんだ。
 俺は涙が溢れそうになるのを堪えた。
「だからさあ、前の続きしようぜ」
 嘲りしかない加藤の一番聞きたくなかった言葉に、俺の視界が一瞬真っ暗になった。
 倒れそうになった体を、どうにか次の一歩で支える。
 それだけじゃない。
 日向のスマホを持った手が俺の腹の当たっていた。
 怒りと悔しさと怖さと殺意と死にたい気持ちが、綯い交ぜになって押しよせてくる。
 一拍遅れて、日向に縋りつきたい思いと、日向にすべてを知られて嫌われる恐怖が襲ってきた。
「大丈夫。振り向かずに歩いて」
 耳元で日向の労わる声がした。
 俺は歯を食いしばった。
「このまま帰るってっことは、あの映像を拡散されてもいいんだ」
 加藤が恐れていたことを口にして、俺は立ち止って振り返った。
 加藤がニヤリと口を歪めた。
「さっきから、知らない男と手を握っちゃってさあ。見せつけてんの? やっぱり、七見はその気があったんだな。だったらあの時、最後までヤらせてくれればよかっただろ。あの後、俺たち傷ついたんだぜ」
 加藤たちの思い通りに動いたところで、映像を消してもらえるとは思っていない。
 もっと酷いことになるとわかっている。
 俺はどうすればいいかを知っている。
 俺が死ねばいいんだ。
 そしたら、脅されることも、怯えることも、傷つけられることもない。
 死ぬのは怖くて、ずっとずっと逃げてきたけど、もう限界だ。コイツらにオモチャとして抱かれるくらいなら、屋上から飛び降りるほうがマシだ。
「どうせ途中で分かれるんだろ? それまで俺たちも一緒させてよ」
 加藤が近づいてきた。
 加藤の取り巻きが薄気味悪い笑みを浮かべてついてくる。
「どうして、途中で分かれるって言い切れるのかしら」
 日向の声が低くなる。
「コイツ、オカマ? オカマとダチかよ。マジでウケる。その顔だと、オカマ以外は全部オオカミだもんな」
 加藤に合わせて、取り巻きたちがクスクスと笑う。
 お前ら、この顔がいいのかよ。
 やっぱりそうだ。
 可愛いなんて損ばかりだ。
 俺は可愛くなんてなりたくなかった。
 日向と一緒にいるのが楽しくて、忘れてたよ。
 少しでも可愛いからかけ離れて、地味で目立たない男になるって決めてたのに……。
「答えになってないんだけど。これからワタシたち二人で、楽しく買い物するとかの想像はないわけ?」
「するかよ。毎日途中でバイバイしてんだろ? なあ、青木」
「はい。調べはついてます」
「あらそう」
 日向が俺を後ろに庇った。
「言質は取ったので、ここからは撮影タイムに映ります」
 日向が持っていたスマホを加藤たちに向けた。
 加藤たちから笑みが消えた。
「オカマは関係ないだろ。引っ込んでろよ」
 中澤が手の平に拳を当てながら出てきた。
「引っ込まないわよ。さてと、これでよし。全員の顔を記録したので、暴力の代わりにワタシの肺活量を披露してあげるわ」
 日向が「んんっ」と喉の調子を確かめ、足を開いた。
 そして、
「助けてーッ! 暴力ハンターイ!」
 馬鹿デカイ声で叫びだした。
「襲われるーっ! この人たち、ストーカーですーっ! たった今、ワタシの可愛い連れをナンパしましたーっ! そこを歩く女の子たち、この人たち全員ナンパ男でストーカーでーすっ! 言うことを聞かないと、暴力を振るわれますよーっ! 逃げて逃げてーっ! この人たち、暴力団幹部のご子息ですよーっ! ワタシに『邪魔だ。死ねよブスッ』て言いましたーっ!」
 日向の声に、下校途中の生徒たちが、チラチラこっちを見ながら駆け足で去っていったり、校門から撮影を始めた人など出てきた。
 犬の散歩で通りがかったお爺さんが、ビックリした顔でこっちを見ている。
 遠巻きに人が集まりだした。
「この人たち、帰り道を調べ上げてから声をかけてきますよーっ! 帰る時は、この顔のヤツが後ろにいないか確認してくださいねーっ! 危険人物なので、しっかりと顔を覚えてくださーいっ! 名前は……ちょっとアナタたち、名前知らないから、一人ずつ自己紹介しなさいよ」
 日向が大股で加藤たちに近づいていく。
 加藤たちが顔を見合わせて、「覚えてろよ!」と走り去っていった。
 日向が飄々とした顔で駆け戻ってきた。
「今、ちょっと感動したわ。雑魚って本当に『覚えてろ』って言い残すのね」
「そんなことより、この集まりをどうする」
 とりあえずとはいえ、アイツらから逃れた安堵と、日向の突拍子もない行動に、俺の震えは僅かになっていた。
「そうねえ」
 少し悩んだ日向が、大きく息を吸い込んだ。
「皆さん、ご協力ありがとうございました! 本当に今、ここにいる友人がさっきの四人組にナンパされ、強引に連れ去られそうになりました。他人事ではありません。皆さんも気をつけてくださいねー」
 拡声器不要の大声で、立ち止った人に感謝を述べると、一部手を振ってくる生徒に手を振り返して、日向が俺を見下ろした。
「ヤツらが先回りして待ってる可能性もあるわね。お願い、ユウ。家までアナタを送らせて?」
 日向が両手を合わせて、首をコテンと傾げた。
「お前、どこでそんな技を覚えてきたんだよ」
 強がる俺の手を、再び日向が握った。
「じゃあ、行きましょうか」
 震えの止まらない俺の手には触れず、日向が歩きだした。
 つられて、俺も歩きだす。
 今更、怖さがぶり返して、震えが大きくなっていく。
 日向は歩きながらスマホを少し操作をすると、それをポケットに仕舞った。
「分かれ道からは、ユウがワタシを引いてね」
 それだけ言うと、日向は黙った。
 俺も黙る。
 手から伝わる日向の温もりと感触が、俺の気持ちを支え、落ち着かせてくれた。
 家の屋根が見えた時には、震えが消えて、なんでもない振りができるようになった。
 なぜか、玄関前に旭兄と瑞月ちゃんと啓司くんが立っていた。
 俺を見るなり、瑞月ちゃんが駆けてきて、俺に抱きついた。
「久礼くんから帰るって連絡をもらったけど、全然帰ってこないから心配になってさ。ここで待ってたんだ」
 旭兄に言われて、俺は久礼を見上げた。
 そういえば、補習を終えたすぐに連絡を入れてたっけ。
「お菓子を食べずに待ってたから、もう限界。中に入って食べようぜ」
 啓司くんが、俺と日向の背中を押した。