オネエの同級生にスキンケアを叩き込まれています

   《SIDE 久礼日向》


 俺は一生恋愛をしない。
 だから、恋や愛なんて理解出来ないし、誰かと一緒になることは死んでもありえない。
 そう、信じていた。
 人間は大多数が醜い。
 欲深く、手段を選ばず、相手の気持ちを考えない人間は、ただ醜いだけでなく実害まである。
 今はさほど醜くなくても、まわりが醜ければ、堕ちるのは時間の問題だ。心が強くないかぎり、まわりに同志がいないかぎり、人はほぼ堕ちる。


 休みに子供を放置するわけにいかないと、映像の仕事をする父や、メイクアップアーティストの母は、俺たち三兄弟を職場に連れていった。
 そのうち、兄は父の仕事ばかりについていき、姉は母についていくことが増えた。
 もちろん、職種が職種だから、父と母が一緒に働くこともあった。
 俺は母についていくことが多くなった。
 幼い頃の俺は、クレヨンが大好きだった。
 クレヨンという存在が好きだった。
 絵を描くのではなく、自由に塗るのが好きだった。
 だから、母のメイク道具であるカラフルなパレットに心惹かれた。紙ではなく人を塗り、別人に変えていくのが魔法に見えた。
 そうしてついていくうちに、人は醜いものだと知っていった。
 テレビでは可愛いアイドルが、裏では顔を歪ませて悪態をつくのがデフォルトだったり、清楚系女優が肉食だったり、自分より弱いと知れば子供にもストレスをぶつけるお笑い芸人。
 性格や態度だけじゃない。
 顔も話し方も趣味も、すべてが虚構だった。
 メイクを取ればさほどでない顔も多い。
 裏方にも低姿勢な人はいたが、せかせかしていたり、疲れていたり。
 同時、子供すぎた俺にまで取り繕う人はほぼいなかった。いたとしても、子供には適当でもバレないという気持ちが言動や表情でわかった。
 それは、スタッフもそうだ。
 出演者にはヘコヘコと頭を下げながら、離れると上から目線で文句を垂れるプロデューサや、舌打ちするマネージャー、相手によって態度を激変させるAD。
 人のくだらなさが詰まった世界。
 そのくだらなさを全部飲み込んで、見た目の魔法をかけるメイクアップアーティストやスタイリスト。
 彼らのプロ意識と手腕は、子供の俺にピリピリと伝わった。
 気づけば、多くの人を化かしたいと思うようになっていた。
 スタイリストも出来るメイクアップアーティストになって、嘘だらけの人間を表舞台に送りたい。くだらないをくだらなくないに変え、客に夢を見せる魔法使いのような職人になりたい。
 その時はもう、俺の目に映るすべての人間は騙す素材でしかなく、心なんてどうでもよくなった。
 なかなか堕ちない人間と出会ったりしたけれど、特別な感情が湧くことはなかった。
 歳を重ねるにつれて、家族以外が俺をチヤホヤしたり、逆にますますツラく当たるようになってきた。
 容姿が原因だった。
 遊んでみたいが世間にバレたくないアイドルに言い寄られたり、母さんが見ていない隙をついて、中年女優から遊びで唇を奪われたり、必要以上に体に触れられたり、スカウトされたり。学校でもさほど親しくもない女子たちから頻繁に告白されたり、男子からは妬まれたり。
 いい加減うんざりしていた俺は、引っ張りだこの恰幅のいいオネエからアドバイスをもらった。
「アンタはアタシの正反対で生きたら? オカマなのを隠して生きてきたアタシが、今はホントのアタシで生きてる。まったく演じてないって言ったら嘘になるけど、アンタは逆に、これからは嘘の自分を演じて生きればいいのよ。誰とも付かず離れず、好かれず嫌われない距離で生きられるキャラにね。その生き方に最適なキャラ、アタシ知ってんだけど、アンタはやる気ある?」
 当時、気さくに話せる数少ない相手であったオカマの悪だくみな笑顔に、俺は悪魔から契約を持ちかけられている気がした。
 俺は、オカマのメイクをしながら耳をそばだてていただろう母を見遣った。
 「何を言いだすか予想つくけど、聞くだけ聞けばいいじゃん」
 母がどうしようもないわねって顔で微笑んだ。
 そうして俺は、中学に入る頃から、家族や気を許した相手以外にはオネエ言葉を遣うようになった。


 中学時代、俺は「残念なイケメン」と呼ばれた。
 「オネエでなければ完璧なのに」と、女子たちには残念がられた。
 自分はモテる勝ち組だと思い込んでいる男子からは「オネエでなけりゃ絶対に嫌ってた」と、安心と侮蔑が混ざった眼差しで、笑いながら態とらしく憐れまれた。
 勉強も運動もできて、顔もよく、スタイルが良くても、オネエというだけで格下扱いされるのは、とてもラクだった。
 母のアシスタントとして仕事についていっても、異性や同性愛者なタレントなどに迫られることが少なくなった。
 一方で、スタイリストなどの表に立たない人たちには可愛がってもらえた。


 そうして俺は、周囲と大きないざござもなく高校生になった。
 入学式後の教室で、軽い担任の自己紹介と挨拶、明日の時間割を聞き終わり、母さんと帰ろうとスクールバックを肩にかけた時だった。
 一人の少年に目が留まった。
 第一印象は、勿体ないだった。
 美容院に行きそびれたようなスッキリ感のないボサボサな黒髪に、荒れた唇。小柄で少し猫背。俯き気味でオドオドしていた。
 その辺の女子より愛らしい顔をしているし、スタイルもいい。それが、すべて台無しになっていた。
 俺は違和感がして、少年を観察した。
 普段からスキンケアをしない男は今も多い。
 だから、唇の荒れは見逃してもいいとして、入学式という節目に、髪をボサボサなままにするだろうか。美容院に行き損ねたとしても、整髪剤やピンで髪を留めたり、前髪を分けて額をだすだけで、各段と印象がよくなる。隠れそうな大きな両目は、一番のチャームポイントのはずだ。
「ああいう子を見ると、ウズウズするわね」
 いつの間にか近づいてきた母さんに囁かれ、俺は溜め息をついた。
「いくら持ってるものが良くても、華がないなら手入れしても同じだよ」
 俺も小声で返した。
「そうとは限らないわよ。多分、かなり化けるわ。だってほら、変じゃない? 両親はどちらも堂々としていて、貫禄に近い華がある。だから、隠してるだけで華はあるのよ。これは絶対に訳アリよ」
 多くの人と携わってきた母さんの推理は、高い的中率を誇る。
 彼と両親が合流する。
 確かに、言われればそうだ。
 母親は細身でスタイルが良く、鼻筋の通った美人で堂々としていた。
 父親はマッチョとまではいかないが恰幅が良く、整ってはいるが少し濃いめの厳つい顔をしていた。
 両親共に、華やかな存在感がある。
 一方で、母親似にしては幼い顔立ちの少年は、今にも空気と同化しそうな存在感だ。
「化けるとは思えないけどな」
 俺は母さんと一緒に教室を後にした。


 翌日の朝。
 遠巻きにキャーキャー言われるのを聞きながら、目を合わせて挨拶することになったら面倒だと、俺は視線を下げて登校していた。
 校門をくぐり、三つある玄関のうち、自分が向かう玄関を確認しようとして顔をあげた時だった。
 前を歩く四人の男女の中、昨日のボサボサ髪の少年がいた。
 少年は笑っていた。
 その笑顔に目を奪われた。
 時が止まった気がした。
 波打つように、心臓が大きく跳ねた。
 生きていると主張するように、鼓動が力強くなる。
 息苦しさに、呼吸を忘れているのに気づいた。
 一瞬にして世界が変わった。
 少年と少年以外で構成される世界。
 自動で彼だけにピントが合うカメラ見たいに、彼だけが一際ハッキリ見える視界。
 ……胸が痛い。
 彼の存在だけが、俺の心臓を鷲掴みにする感覚。
 恋をした。
 時間にして数秒。
 綺麗で優しくて、陽光を受けてキラキラと輝く眩しい笑顔に、心を奪われ、ストンと恋に落ちた。
 そして、母さんの見立ては正しかった。
 昨日の彼は、誰よりも清楚で透明感のある朗らかな華を隠していたんだ。
 隠して正解だ。
 こんなに愛おしくて眩しい存在を知ったら、独占して抱きしめたくなる。
 もっと彼を知りたい。
 彼を見ていたい。
 彼に目が釘付けになっていた俺は、「おい」と立ちはだかった男子に、舌打ちしかけて止まった。
 それは彼と一緒にいた男子の一人だった。
 ソイツの向こうで、彼が背の高い身なりを整えた中世的な美人の男子と、長いストレートの黒髪をポニーテールにした飾り気のない女子に挟まれて、玄関の奥へ消えていく。
「お前、ユウと同じ北中卒?」
 俺より少し背の低い、一見穏やかそうな男子が目を細めた。
「ユウ? 北中?」
 彼を見失ってイラッとする俺に、男子が肩を下ろした。
「やっぱ違うよな。写真にいなかったし……。違うならいいんだ。いいんだけど」
 男子が俺との距離を詰めた。
「お前が穴開くほど見てたちっこいのに手をだしたら、俺たちがタダでは置かないからな」
 声を潜めた男子は、俺の胸を右手の甲で軽く二度叩いた。
「じゃっ」
 ニコリと笑みを作ると、男は玄関へと走っていった。


 彼を見失った俺は、苛立ちを飲み込んで教室に向かい、ドアを開けた。
 途端、室内から女子たちの悲鳴がした。
 俺は聞こえない振りをして、程よい人間関係を築くために笑顔を作った。
 目が合うヤツらに挨拶をしながら、彼を探す。
 昨日は適当な席についたけれど、今日からは出席順だと教師に言われていた。
 席は昨日のうちに確認してある。
 けれど、彼の席は知らない。
 あれだけキラキラしていたから、室内を一望すれば目に飛び込むはずだとタカを括っていたが、見つからない。
 トイレにでも出掛けたのか、さっきの連中とどこかにいて、まだ来ていないのか……。
 往生際悪く彼を探していた俺は、さっきの彼とは別人レベルな華のない彼と目を合わせて、足を止めた。
 ちょっと待って!
 さっきの今だぞ。
 この短時間で、昨日見たレベルにまで存在感をなくせるか普通?
 まったく手入れされていない彼の唇は、酷く荒れていて、皮が二カ所捲れかかっていた。
 彼と一緒に登校していたヤツらにイラッとした。
 彼を大切にしているような口振りだったが、全然してないじゃないか。
 してたなら、少しは容姿を整えてやれよ。
 これって、好きな時に可愛がるだけで、普段はブラッシングも何もせずに放置している飼い犬と同じだろ?
 右手を彼の顎に伸ばす。
 独占欲と、対抗心と怒りが、俺を突き動かしていた。