入学式の翌日。
出席順の俺の席は、窓側から四列目の教卓前。
二人限定の大ハズレ席ってだけでもブルーな気持ちなのに、俺、七見勇は今、席に座ったまま登校してきたイケメンと目を合わせたまま固まっていた。
事の起こりは一〇秒くらい前。
寝たフリをして、担任が来るまでの暇な時間を無難にやり過ごそうとした俺は、女子たちが一斉にキャーキャー騒ぎだしたもんだから、つい何が起きたんだろうと視線をさ迷わせた。
教室の前側のドアから入ってきたイケメンを見つけて、なるほどなと納得した。
相手は昨日、クラスの女子たちどころか、その母親たちをもソワソワさせた背の高い艶やかな黒髪の正統派イケメンだ。女子たちが騒ぐのも仕方がない。
イケメンは、俺と一緒に登校した二年の旭兄とは正反対なタイプだ。
次男の旭兄は、まあまあ背の高い中世的な美人タイプだけど、コイツは美形というかハンサムで、肩幅があって足も長くてスラッとしているモデル体型。
イケメンがまわりに笑顔を振り撒きながら「おはよう」と挨拶をして、俺の前を通り過ぎようとした。
瞬間、バッチリと目が合った。
途端、イケメンが驚いたように目を見開いた。
名前も知らない相手の反応に、俺は知ってる人だっけとイケメンをマジマジと見てしまった。
そしたら、よりにもよって俺の席の真ん前でイケメンが足を止めたんだ。
そして今、目を逸らすタイミングを失って、見つめ合っているわけなんだけど……。
イケメンの真顔に近い表情からは、喜怒哀楽すら読めない。
華があるのは旭兄だけど、ハンサムには存在感というか男らしさがある。
痺れを先に切らしたのは俺だった。
「えっと」
口を開いたものの、その先の言葉が思いつかない。
「おはよう」かな。
いやいや、これだけ長く二人して固まって、今更「おはよう」はないか。
じゃあ、「どこかでお会いしましたか?」か?
いやいや、本当に会っていたら相手に失礼だ。
けど、こんなイケメンとどこかで出会っていたなら、忘れないと思うんだけど……。
途方に暮れる俺に、イケメンの右手が伸びてきた。
思わず身を引く。
けど、座ったままの俺は背凭れが邪魔して僅かしか逃げられない。
イケメンの手が俺の顎を捕らえて、クイッと上げられる。
女子たちの一際高い悲鳴が、教室中に響き渡ると同時に、俺は恐怖で身を強張らせながら勢いよくイケメンの手を払いのけた。
体中の体温が一気に下がる。
小刻みに震える体に気づかれたくなくて、キッとイケメンを睨めつけた。
中学校の卒業式後にあった同級会の二次会で、俺は同じクラスだった男たちにフザケ半分で強姦されかけた。
なんとか未遂ですんだけど、逃げた先にいたクラスメイトのうち数人の男女が、衣服を乱した俺にニヤニヤと笑ったんだ。
あれ以来、家族と家族同然な二人の幼馴染みとその家族以外、すべてが信用できなくなった。加えて、見た目が中学生以上の男はすべて恐怖の対象になった。
あの日のことは、誰にも話していない。
そして、誰にも気取られないように振る舞った。
さらに、性的対象にならないように見た目を陰キャにして、誰とも距離を取り、目立たず生きていこうと決意していたのに……。
早速、目立ってしまった。
まわりがシンと静まる。
それだけで、みんなの視線が俺とイケメンに集まっているのがわかる。
俺は血の気が引くのを感じた。
絶望する俺の目に、「まあ」と驚いた顔を笑顔に変え、両手をパンと合わせたイケメンが映った。
「まあ」の言い方が、あまりにイケメンらしくなくて、俺は「はっ?」と口を開いてしまった。
声質は低めで通りのいいイケメンボイス。
けど、起伏というかイントネーションというかノリが、バラエティーやコメンターで活躍するオネエのそれだ。
「手入れが行き届いてないボサボサの大人しいチャウチャウかと思ったら、活きのいいポメラニアンだったのね」
「オネエ?」
あまりにも残念な光景に、俺はイケメンを指さしてしまった。
イケメンがフフッと笑った。
「ちょっとヤダッ。ワタシには久礼日向って立派な名前があるの。ほぼ初対面な人間に下の名前は呼ばせたくなんだけど、アナタ、怖い癖にキャンキャン鳴く小型犬みたいに可愛いから、特別に下の名前で呼ばせてあげる。これからはワタシのこと、日向って呼んでね」
イケメンがしゃがんで、俺の机に両腕をのせた。
「ほらっ、ワタシが名乗ったんだから、アナタも名乗りなさい」
イケメンが上体を寄せてきた。
俺はあまりにも残念過ぎる久礼を前に、天を仰いだ。
まわりがザワザワし始めた。
オネエと知れた途端、久礼は女子からキャーキャー言われない存在へと降格したのだろう。黄色い悲鳴も、高めな女子のはしゃぐ声も聞こえない。
怖がって損した。
俺は盛大な溜め息をつくと、久礼と目を合わせた。
ああ、勿体ない。
この容姿でオネエは勿体なさすぎる。
神はいつだって不平等だと信じてきたけど、平等かもしれない。
「俺は七見勇」
「じゃあ、ユウちゃんでいいかしら」
久礼に名前を呼ばれると、勇が漢字に聞こえない。
オネエの喋り方ってだけで、成績優秀で運動神経神経もダントツ良さそうに見えていた久礼が、成績も運動もそこそこに思えてきた。
「七見がいいです」
キッパリ断った俺に、久礼は動じない。
「ナナミちゃんかあ。女の子みたいに可愛いお顔にピッタリね」
俺が一番気にしていることを、久礼が平然と口した。
怒りと羞恥で一気に顔中を熱くした俺は、バンと机を叩いた。
顔の至近距離を叩いたのに、久礼はニコニコしている。
オネエのメンタル、分厚過ぎだろ!
「勇の一択でお願いします」
「わかった。ユウちゃんね」
「『ちゃん』なしでお願いします」
「小型犬や子供、可愛いモノには『ちゃん』じゃない?」
「俺、アンタと同級生なんですけど」
俺からズイッと顔を近づけて、ガンをつける。
「あらあら、そんなに可愛い顔を近づけてきて、ワタシにキスでもして欲しいのかしら?」
「そんなわけあるかーッ‼」
思わず、立って叫んでしまった。
「冗談に決まってるじゃない。もう、本当に小型犬なんだから」
「オネエの冗談なんてわかるか!」
「膨れっ面も可愛いわぁ。食べちゃいたい」
「マジでキモいッ」
「キモくてもいいけど」
久礼が立ちあがった。
「せっかく可愛い容姿に生まれてきたんだから、ちゃんと手入れしなさいよ」
久礼の右手がまた伸ばされてきた。
「俺の勝手だろ」
俺は仰け反りながら、さっきよりは優しめに振り払った。
「じゃあ、ワタシがユウに構うのもワタシの勝手よね」
「もうヤダ。オネエとは話が通じない」
ドッと疲れが押しよせてきて、俺は両手で顔を覆った。
「さっきから会話してるわよ? ワタシたち」
「そういう意味じゃなくて……」
無理だ。
スルーはされてないけど、何を言っても手応えがない。
「ワタシね、母がメイクアップアーティストで、姉もメイクアップアーティストなの。姉はちょっと方向性が違っててね、今、特殊メイクの学校に通ってるの」
「それで?」
まだ授業すら始まってないのに、精も根も尽き果てた俺は適当に相槌をした。
「血なのかしらね。ワタシもメイクアップアーティストになりたくて、時間があると母や姉のアシスタントをしてるわけ」
「で?」
「ユウを見てると、ウズウズしちゃうわけ」
「えっ?」
意味がわからず、俺は顔を顰めた。
「ユウはニブニブのニブちゃんみたいだから、丁寧に忠告してあげてるの。その可愛い見た目、残念なまま放置してると、ワタシの痺れが切れて、問答無用でお手入れしちゃうわよ」
久礼の指がチョンと俺の唇に触れた。
「うわあぁぁぁぁーっ!!」
俺は椅子を倒しながら転がるように逃げだ。
振り返る。
久礼との距離は約二メートル。
心臓がドキドキして、息が荒くなる。
触れられた部分が、熱くて擽ったい。
他人に触れられた唇は、脇腹くらい感度が良くなってしまうの?
俺はゴシゴシと手の甲で唇を乱暴に拭った。
こんなの恥ずか死ぬ!
チャイムが鳴る。
オネエの魔法が解けたように、ギャラリーと化していたクラスメイトたちが席についていく。
「唇が荒れすぎなのよ。気になっちゃって、足を止めてしまったわ。じゃあ、また後でね」
久礼は軽く上げた片手の指をヒラヒラさせると、ようやく俺の席の前から去っていった。
俺はフラフラと席に戻り、脱力任せにドサッと座ると、そのまま机に突っ伏した。
出席順の俺の席は、窓側から四列目の教卓前。
二人限定の大ハズレ席ってだけでもブルーな気持ちなのに、俺、七見勇は今、席に座ったまま登校してきたイケメンと目を合わせたまま固まっていた。
事の起こりは一〇秒くらい前。
寝たフリをして、担任が来るまでの暇な時間を無難にやり過ごそうとした俺は、女子たちが一斉にキャーキャー騒ぎだしたもんだから、つい何が起きたんだろうと視線をさ迷わせた。
教室の前側のドアから入ってきたイケメンを見つけて、なるほどなと納得した。
相手は昨日、クラスの女子たちどころか、その母親たちをもソワソワさせた背の高い艶やかな黒髪の正統派イケメンだ。女子たちが騒ぐのも仕方がない。
イケメンは、俺と一緒に登校した二年の旭兄とは正反対なタイプだ。
次男の旭兄は、まあまあ背の高い中世的な美人タイプだけど、コイツは美形というかハンサムで、肩幅があって足も長くてスラッとしているモデル体型。
イケメンがまわりに笑顔を振り撒きながら「おはよう」と挨拶をして、俺の前を通り過ぎようとした。
瞬間、バッチリと目が合った。
途端、イケメンが驚いたように目を見開いた。
名前も知らない相手の反応に、俺は知ってる人だっけとイケメンをマジマジと見てしまった。
そしたら、よりにもよって俺の席の真ん前でイケメンが足を止めたんだ。
そして今、目を逸らすタイミングを失って、見つめ合っているわけなんだけど……。
イケメンの真顔に近い表情からは、喜怒哀楽すら読めない。
華があるのは旭兄だけど、ハンサムには存在感というか男らしさがある。
痺れを先に切らしたのは俺だった。
「えっと」
口を開いたものの、その先の言葉が思いつかない。
「おはよう」かな。
いやいや、これだけ長く二人して固まって、今更「おはよう」はないか。
じゃあ、「どこかでお会いしましたか?」か?
いやいや、本当に会っていたら相手に失礼だ。
けど、こんなイケメンとどこかで出会っていたなら、忘れないと思うんだけど……。
途方に暮れる俺に、イケメンの右手が伸びてきた。
思わず身を引く。
けど、座ったままの俺は背凭れが邪魔して僅かしか逃げられない。
イケメンの手が俺の顎を捕らえて、クイッと上げられる。
女子たちの一際高い悲鳴が、教室中に響き渡ると同時に、俺は恐怖で身を強張らせながら勢いよくイケメンの手を払いのけた。
体中の体温が一気に下がる。
小刻みに震える体に気づかれたくなくて、キッとイケメンを睨めつけた。
中学校の卒業式後にあった同級会の二次会で、俺は同じクラスだった男たちにフザケ半分で強姦されかけた。
なんとか未遂ですんだけど、逃げた先にいたクラスメイトのうち数人の男女が、衣服を乱した俺にニヤニヤと笑ったんだ。
あれ以来、家族と家族同然な二人の幼馴染みとその家族以外、すべてが信用できなくなった。加えて、見た目が中学生以上の男はすべて恐怖の対象になった。
あの日のことは、誰にも話していない。
そして、誰にも気取られないように振る舞った。
さらに、性的対象にならないように見た目を陰キャにして、誰とも距離を取り、目立たず生きていこうと決意していたのに……。
早速、目立ってしまった。
まわりがシンと静まる。
それだけで、みんなの視線が俺とイケメンに集まっているのがわかる。
俺は血の気が引くのを感じた。
絶望する俺の目に、「まあ」と驚いた顔を笑顔に変え、両手をパンと合わせたイケメンが映った。
「まあ」の言い方が、あまりにイケメンらしくなくて、俺は「はっ?」と口を開いてしまった。
声質は低めで通りのいいイケメンボイス。
けど、起伏というかイントネーションというかノリが、バラエティーやコメンターで活躍するオネエのそれだ。
「手入れが行き届いてないボサボサの大人しいチャウチャウかと思ったら、活きのいいポメラニアンだったのね」
「オネエ?」
あまりにも残念な光景に、俺はイケメンを指さしてしまった。
イケメンがフフッと笑った。
「ちょっとヤダッ。ワタシには久礼日向って立派な名前があるの。ほぼ初対面な人間に下の名前は呼ばせたくなんだけど、アナタ、怖い癖にキャンキャン鳴く小型犬みたいに可愛いから、特別に下の名前で呼ばせてあげる。これからはワタシのこと、日向って呼んでね」
イケメンがしゃがんで、俺の机に両腕をのせた。
「ほらっ、ワタシが名乗ったんだから、アナタも名乗りなさい」
イケメンが上体を寄せてきた。
俺はあまりにも残念過ぎる久礼を前に、天を仰いだ。
まわりがザワザワし始めた。
オネエと知れた途端、久礼は女子からキャーキャー言われない存在へと降格したのだろう。黄色い悲鳴も、高めな女子のはしゃぐ声も聞こえない。
怖がって損した。
俺は盛大な溜め息をつくと、久礼と目を合わせた。
ああ、勿体ない。
この容姿でオネエは勿体なさすぎる。
神はいつだって不平等だと信じてきたけど、平等かもしれない。
「俺は七見勇」
「じゃあ、ユウちゃんでいいかしら」
久礼に名前を呼ばれると、勇が漢字に聞こえない。
オネエの喋り方ってだけで、成績優秀で運動神経神経もダントツ良さそうに見えていた久礼が、成績も運動もそこそこに思えてきた。
「七見がいいです」
キッパリ断った俺に、久礼は動じない。
「ナナミちゃんかあ。女の子みたいに可愛いお顔にピッタリね」
俺が一番気にしていることを、久礼が平然と口した。
怒りと羞恥で一気に顔中を熱くした俺は、バンと机を叩いた。
顔の至近距離を叩いたのに、久礼はニコニコしている。
オネエのメンタル、分厚過ぎだろ!
「勇の一択でお願いします」
「わかった。ユウちゃんね」
「『ちゃん』なしでお願いします」
「小型犬や子供、可愛いモノには『ちゃん』じゃない?」
「俺、アンタと同級生なんですけど」
俺からズイッと顔を近づけて、ガンをつける。
「あらあら、そんなに可愛い顔を近づけてきて、ワタシにキスでもして欲しいのかしら?」
「そんなわけあるかーッ‼」
思わず、立って叫んでしまった。
「冗談に決まってるじゃない。もう、本当に小型犬なんだから」
「オネエの冗談なんてわかるか!」
「膨れっ面も可愛いわぁ。食べちゃいたい」
「マジでキモいッ」
「キモくてもいいけど」
久礼が立ちあがった。
「せっかく可愛い容姿に生まれてきたんだから、ちゃんと手入れしなさいよ」
久礼の右手がまた伸ばされてきた。
「俺の勝手だろ」
俺は仰け反りながら、さっきよりは優しめに振り払った。
「じゃあ、ワタシがユウに構うのもワタシの勝手よね」
「もうヤダ。オネエとは話が通じない」
ドッと疲れが押しよせてきて、俺は両手で顔を覆った。
「さっきから会話してるわよ? ワタシたち」
「そういう意味じゃなくて……」
無理だ。
スルーはされてないけど、何を言っても手応えがない。
「ワタシね、母がメイクアップアーティストで、姉もメイクアップアーティストなの。姉はちょっと方向性が違っててね、今、特殊メイクの学校に通ってるの」
「それで?」
まだ授業すら始まってないのに、精も根も尽き果てた俺は適当に相槌をした。
「血なのかしらね。ワタシもメイクアップアーティストになりたくて、時間があると母や姉のアシスタントをしてるわけ」
「で?」
「ユウを見てると、ウズウズしちゃうわけ」
「えっ?」
意味がわからず、俺は顔を顰めた。
「ユウはニブニブのニブちゃんみたいだから、丁寧に忠告してあげてるの。その可愛い見た目、残念なまま放置してると、ワタシの痺れが切れて、問答無用でお手入れしちゃうわよ」
久礼の指がチョンと俺の唇に触れた。
「うわあぁぁぁぁーっ!!」
俺は椅子を倒しながら転がるように逃げだ。
振り返る。
久礼との距離は約二メートル。
心臓がドキドキして、息が荒くなる。
触れられた部分が、熱くて擽ったい。
他人に触れられた唇は、脇腹くらい感度が良くなってしまうの?
俺はゴシゴシと手の甲で唇を乱暴に拭った。
こんなの恥ずか死ぬ!
チャイムが鳴る。
オネエの魔法が解けたように、ギャラリーと化していたクラスメイトたちが席についていく。
「唇が荒れすぎなのよ。気になっちゃって、足を止めてしまったわ。じゃあ、また後でね」
久礼は軽く上げた片手の指をヒラヒラさせると、ようやく俺の席の前から去っていった。
俺はフラフラと席に戻り、脱力任せにドサッと座ると、そのまま机に突っ伏した。

