本借りるだけでデートするとかマジですか?

 俺の縋った声が、賢吾の嗚咽を止めた。
 鼻のすする音だけが残るこの空間で、とうとう俺の目からも涙がこぼれ落ちた。ゆっくりと賢吾の肩を濡らしていく。
 あぁ......怖いなぁ。情けないくらい顔が歪んでいくのがわかる。
 濡れていく頬に、賢吾のゴツゴツした大きい手が触れた。

「ごめん......ごめんね......泣かせて、」
「...........賢吾、俺ね。好きになった人みんな不幸になっちゃうんだ......はは、なんでかなぁ。一番大切にしたいはずなのになぁ」

 賢吾の熱が、俺の凍った心を溶かして、溜まった水がどんどん目から流れ出ていく。
 今は、賢吾の言葉を聞いてやらないといけないのに、賢吾が......賢吾が......。こんなにも愛おしそうに撫でるから、止まらない。

「求められるままに愛したら、だんだんそれが重くなって、でもそれしか愛し方が分からなくなってって、......制御出来なくなった時には、相手の......怯えた顔か苦しそうな顔しかそのにはないんだ」
「......朔也くんは、優しいんだね」
「っ......なんでそうなんだよ。みんな口を揃えて言うのは"もう恋愛なんてしない"だぞ。......俺が、壊してってんだよ」
「んーん、きっと、愛されすぎて怖かったんだよ。自分にフィットする愛情表現ってあるでしょ......人は知らないうちに合わなかった愛を無かったことにしちゃう。でも、その子達はそれが出来なかったからキャパオーバーになっちゃった。てことは、朔也くんの愛は全部ちゃんと伝わってたってことだよ」

 やっぱり、賢吾の隣は不安だ。俺がそんな綺麗な愛を渡せてたはずない。
 そう頭では思いたいのに、俺の体がそれを許してはくれなかった。せり上がってくる涙が、苦しいくらいにとめどなく溢れる。これまでのドロドロと溜め込んでいた感情の浄化に溺れてしまいそうになる。呼吸までも邪魔して、ただ涙を流すことしか出来ない。

「でっ......でも、それが愛せてたなら......っ、賢吾は今泣いてないはずだろ......っ」
「ぼ、僕のに関しては、朔也くんが振り向いてくれる前の事だから、ノーカンだよ」
「振り向いてから気づいたから、カウントするっ......俺何しちゃったの......」

 俺の質問にあからさまに眉を潜めた賢吾は、相変わらず綺麗にアイロンがけされた制服の袖を俺の方まで引っ張ってきて、涙を拭ってくれる。
 溜まっていた涙が流れた時、ぼやけた視界はクリアになって、そこには優しく口角をあげた賢吾がいた。
 澄んだ瞳が妙に寂しそうで、咄嗟に賢吾の制服の裾を掴んだ。
 その手を優しくでも力強く握ってくれる。

「そー......だね。じゃあ、中で話そ。ここじゃ寒いから」

 そう言って立ち上がった賢吾の後ろを付いて歩く。
 リビングに入ると、知らない来客に驚いたにゃんこが棚の後ろに走っていく鈴の音が聞こえた。にゃん太だったっけ。
 キッチンへ消えた賢吾からソファに座るよう促されたから、音の方を見つつもソファに腰を下ろす。思っていた三倍沈むソファに驚いて、手のひらで押し返したりしていると、お盆を持った賢吾が控えめに笑いながら戻ってきた。

「それ、ビックリするよね。お客さん高確率で驚いてる」
「はは、俺もびっくりした」

 オレンジジュースの入ったコップを俺の目の前に置いてから、隣に座った賢吾は、今度は気まずそうに手の甲をさすっている。

「えーっと......父さんとのことは本当に朔也くんは悪くないの。忘れるなんてできないと思うけど、罪悪感は感じなくていい」
「...........わかった」
「うん。ありがとう。............父さんがあぁいう言い方したのは、多分俺が朔也くん目当てでデザイナーの専門学校蹴ったからなんだよね」
「は......?」
「だよね......そういう反応になるよね......」

 語尾がだんだん小さくなっていく賢吾の言葉に、俺は口を開けて聞いていることしか出来なかった。俺目当てで専門蹴った??
 俺があまりにもフリーズしてしまったことに、ワタワタしだした賢吾は、必死に言葉を選んでいる。

「いや!だからその......ストーカーとかそういうことじゃなくて!ぁ......ストーカーにもなるのか......?とりあえず!!そういう気持ちで入ったわけじゃないから......!!」
「ま、まぁ、そこは一旦いいや。いつから俺の事知ってる......??」
「それは......中三の春だったかな」

 中三......!?記憶を巡らせるけれど、全く覚えていない。
 色々質問したいことはあったけれど、賢吾がまだ続きがありそうだから、まだ口を開かないでおこう。

「朔也くんの最寄り駅前のケーキ屋さんわかる?」
「あーうん。母さん常連だわ」
「そこ......僕の母さんがパティシエしてる友達のケーキ屋さんで......」
「え!?そうなの!?」
「うん、試作あるから後で食べていいよ」
「よっしゃー、あそこのケーキ美味いんだよなぁ。って違う違う。それと中三の俺に何が関係あんだよ」
「......そこでちまちまする系の仕事を手伝いで当時やってて。クッキーのバーコード貼るとかそういうレベルの。で、あんまりいた訳じゃないのに定期的に来る元気な同い年くらいの子がいて......それが朔也くんだった」

 目を合わせることなく、ソワソワと指を弄ってる賢吾を、一直線に見つめる。
 確かにいた気がするわ......!!話しかけた気もする......。細長いメガネをかけてて、ツンツンの黒髪だった気が......

「俺、話しかけたことある......よな??」
「ッ!え、え!?う、うん!」
「一番奥の席で勉強......?してたよな??」
「し、してた!勉強って言っても、ファッションデザイン関連の勉強だったけどね」

 頬をピンクに染め上げた賢吾が、眉尻をあげて嬉しそうにはにかんだ。
 俺もなんだか賢吾の記憶に追いつきたくて、心臓が早まってくる。もっと思い出したい。賢吾だけが覚えている本当の出会いを。

「俺なんで覚えてなかったんだろ......」
「それは当然だと思う。僕、その後背が有り得ないくらい伸びたから。学校以外家から出ないのになんで伸びんだ、もやしか、って言われたくらいだから」
「あははは!」
「ふふっ、それで、勉強してた俺に話しかけてくれた朔也くんが、「俺は、そこの高校第一志望校なんだ!家から近くてギリギリまで寝れるだろ!」って話してくれて、一気に服に関する勉強が入ってこなくなった」

――「同じ高校に行って、もっと仲良くなりたい。そう思うようになったんだ」

 当時の自分を見つめているみたいに遠くを見ながら言う賢吾の言葉が、俺の心臓を揺さぶった。今までの勉強をやめてまで、俺を追ってきてくれてたんだ。
 だけど、同時に賢吾は、太く安定した線路を切り替えた。馬鹿だな、なんて言葉ではきっと片付けられないくらい、こいつには才能がある。
 じゃないと――

『君が、賢吾の将来を壊したんだ』
『なぁ、朔也くん。......そうだと言ってくれ』

 あんな表情も、言葉も出てこない。
 身体中から洗い流したくなる嫌な汗が溢れる。
 俺は今知ったし、賢吾の覚悟なんて何一つ知らない。
 だけど、こんなにも後悔しているのはどうしてなんだ。俺なんかを追わなかったらもっと平和で、もっと自分を出せたんじゃないか。

「僕、今の高校行けて、すっごい楽しいんだよね」
「............」
「本当だよ?学校内では無愛想かもしれないけど......図書室に朔也くん来てくれたら嬉しいし、二年はクラスも一緒で楽しい」

 満足そうに右口角をあげた賢吾は、腰に手をあて、胸を張って見せた。
 なのに、少し首を傾げたあと、小さく肩を竦めて目を泳がす。
 反応を伺いながら、続くであろう言葉を促してみると、分かりやすく頭を人差し指で掻いた。

「その......チェキ制度作ったの......ぼ、僕なんだよね......へへっ、はは......」
「うん。うん。いやなんて???」