本借りるだけでデートするとかマジですか?

 電車に揺られて数十分、立派な家を見て(あれが賢吾の家?流石に違うよなー)なんて思っていたら、そのまさかだった。ポスト横を通るだけでも緊張してしまう程だ。
 これは、ご両親も気高い人達なんだろう。
 賢吾に連れられ、見るからに高そうな置物を割ってしまわないように小さくなりながら進んだ。

「どうぞ上がっ......え、」
「ん?どした?」
「いや、父さんいるかも」

 リビングに繋がるであろう扉を凝視して何度も下唇を舐める賢吾の姿に、本能的にここにいちゃいけないことを察した。気高い人達なんだろうというさっきの憶測は、悪い意味で当たっているのかもしれない。人を気圧すような、冷たい気高さというか。
 どんな小さな音でも感知してしまう体を、何度も手のひらでさする。手のひらが汗ばんでいくことすらも焦燥感を引き立てて、居心地が悪い。
 一つの靴を見つめながら瞬きが多くなる賢吾の様子を伺う。これがお父さんの靴なのか。
 そんな事を考えていると、突然扉の向こうから荒々しい足音が聞こえてきた。賢吾と同時に飛び上がり、扉を見たはずなのに、俺の目の前には賢吾の広い背中があった。

――がちゃん

「......賢吾お前学校はどうした」
「ごめん。今日は休んだ」
「父さんからの電話も出ないで、学校も行かず、お前は不良にでもなったのか?」
「ごめん......」

 賢吾のお父さんの声は、怒りを含んでいるようには聞こえない。なのに、先の尖ったナイフみたいな緊張感を感じさせる声だ。捕らえられたら終わり。そう五感が瞬時に訴えかけてくる。俺がわがままで引き止めたばっかりに。
 このまま賢吾だけ浴びているのは良くない気がして、一歩右に体を動かした。
 目が合った賢吾のお父さんは、賢吾にそっくりなのに、瞳には賢吾程の温かさを感じない。見られたら全身が凍る魔法でもあるみたいに、身体が硬直する。

「君は?」
「ちょっと、朔也くん。出てこなくていいから」
「朔也?......もしかして、お前が父さんに反発してきた原因の子か?」

 え?
 体の中心が一瞬冷たくなった。
 なに、何が起きてんだ。自分の感情に検討もつかないから、どう外側に出していいのか分からない。
 ただ、賢吾を見つめて説明を待つしかなかった。賢吾は今にも泣き出してしまいそうなほど、瞳を忙しなく動かしている。

「ごめん。父さんのレールから外れたことは認める。でも、朔也くんが原因とは言わないで欲しい」
「お前のセンスは認めてたのにな。......好きにしろ」

 賢吾のお父さんは冷たく言い放ち、俺と賢吾を引き裂くようにして玄関の扉を開けた。俺の真横で突然動きを止めたお父さんに思わず視線をあげると、鋭い目つきから明確な怒気を感じた。

「君が、賢吾の将来を壊したんだ」

 脳がものすごい勢いで殴られた気分だった。
 だけど、理解出来る感情は然程大きくはなくて、乾いた笑いがこぼれでる。
 俺が、賢吾の将来を壊した?困惑した頭が、全身の震えとして、少しずつ感情を処理しようとしている。

「父さん......!違う!俺が......自らの意思で父さんを裏切ったんだ!!」
「その判断を揺さぶったのはこの子だろ。なぁ、朔也くん。......そうだと言ってくれ」
「やめて!!俺を無能だと思ってくれて構わないから、朔也くんには迷惑かけないでよ......」

 賢吾の悲痛な叫びを最後に、賢吾のお父さんは家を出ていった。
 静寂が訪れた玄関には、重くまとわりついて苦しい空気が流れている。
 足元のタイルに、一滴の水が滴り落ちたと思った瞬間には、何粒も何度もその水滴は落ちてきた。こんな豪邸に雨漏りなんてないはずだ。受け入れたくないけれど、賢吾が泣いてる。相変わらず、無表情から感情のバグとでも言いたげに、涙を零す姿は、見ていて痛々しい。

「賢吾......俺、今日は帰――」
「ごめん。本当にごめん」
「なんで賢吾が謝るんだよ」
「あんな汚い言葉......っ、聞かせたくなかった、っ、ひぐっ......ごめん......今日、仕事とか言ってたのにっ......」

 その場に蹲ってしまった賢吾に、なんと声をかけたらいいんだ。
 肩と肩が触れ合うように、一歩近づいて隣にしゃがむ。しゃくり上がる振動が、ダイレクトに届いて、一つのことが頭をよぎった。

――ここに来てよかった。

 電話の相手もあのお父さんで、随分前から俺の事を知っているみたいな口ぶりだった。
 この瞬間に、賢吾を一人にさせなくてよかった。
 顔の中心がじわじわ熱くなっていく。下唇が震えて、眉も自然とシワを作る。
 涙がこぼれ落ちてしまうよりも先に、賢吾の肩へ頭を預けた。

「なぁ賢吾ぉ......俺、賢吾の人生どう変えちゃったの......?」