時間は過ぎて、すぐに約束の金曜日になった。
とりあえず自分の部屋で制服だけ着てみると、少しだけ泣きそうになってしまう。その時、コンコンと扉のノック音が部屋に響いた。
「深冬、結局今日はどうす……なんだ、もう制服着てるんじゃない」
「いや、まだ行くって決まったわけじゃ……」
「オリエンテーションは五限目でしょ? 高校に行くのはお昼からだから、お昼は焼きそばでいいかしら?」
「お母さん、いつも通りだね」
「だって何も不思議なことじゃないもの。深冬はただの高校生じゃない」
「そりゃそうだけど……」
「深冬。貴方は普通の高校生で、普通の17歳……もうすぐ18歳ね。だから、好きなことをすればいい。普通の人だって、毎日を楽しみたくて必死なのよ?」
お母さんが焼きそばを作るために台所に戻って行く。
普通の人だって毎日を楽しみたいのなら、余命二年の私だけが毎日を大事にしているわけではないの?
鏡でもう一度、自分の制服姿を見た。街でこの姿で通りすがっても誰も私が余命二年だと気付かないだろう。普通の高校生にしか見えない。
深く一度息を吐く。黒板アートの下書きはノートに描いておいた。スクールバッグにノート一冊だけを入れ、肩に担ぐ。ノート一冊しか入っていないバッグは、当たり前だけど凄く軽かった。階段を一段ずつ降りる度に心臓が速くなっていく。
お昼ご飯の焼きそばはいつもの半分しか食べれらなかった。高校まではお母さんが車で送ってくれた。
「行ってきます」
車を降りる時、その言葉を口にした自分があまりにも久しぶりで変な感じがした。今まで毎日のように言っていた言葉が、親しみのない言葉のように思えた。校門を通る時も、下駄箱で靴を履き替える時も、心臓は速いままだった。
教室には先生が言った通り、誰も居なかった。
深呼吸を3回、ゆっくりとした。
「よし!」
オリエンテーションは五限と六限を使って行われる。制限時間は約二時間。一人で描くから工夫を凝らせて、しょぼく見えないようにしないと。
描き始めれば時間は一瞬で、久しぶりに描いた絵は……多分、楽しかったのだと思う。
美術部は基本一人制作だった。仲の良い友達もいない私には丁度良かったし、絵も好きだった。それでも余命宣告された後は、描く気も起こらなかった。
黒板の真ん中には大きな三年二組の文字。周りを囲むように舞う桜。桜の花びらに手を伸ばす女子生徒。
「上手く描けた、よね……?」
不安は拭えない。けれど、新学期は不安を抱えた生徒も多いだろう。私は、ピンクのチョークをもう一度手に取る。
黒板の右下、書体は筆記体で。
【 Enjoy your life!! 】
馬鹿みたい。それはきっと自分が言われたい言葉。いつもだったら絶対に書かないような言葉。それでも、どうか黒板の隅に書くことくらいは許してほしい。
そろそろみんな帰ってくる頃だ。私は急いで荷物を片付け、最後に職員室に寄る。
「失礼します。日下部先生はいますか?」
今は授業中。いないことは分かっていた。むしろ授業中に職員室に訪れる私の方が珍しいだろうに、職員室に残っていた五十代くらいの男性の先生が私に声をかけてくれた。
「日下部先生に用事か?」
「はい。用事は紙に書いてきたので、机の上に置いても良いですか?」
私の話を聞いて、日下部先生の机を教えてくれる。私は机の真ん中に小さな手紙を置いておいた。短い手紙だった。
『日下部先生
黒板アートを描かせて頂きました。貴重な機会を下さってありがとうございます。楽しかったです。
日下部先生との電話も楽しかったです。
天音 深冬』
いざ読み返すと、楽しかったという言葉が多くてちょっと変かな。でも、きっと良いよね。これで。
日下部先生の机を案内してくれた先生にもお礼を言って職員室をあとにする。終業のチャイムが迫っていたので、そこからは逃げるように高校を飛び出した。駐車場に停まっているお母さんの車の助手席に座る。
「ただいま」
「おかえり、深冬。どうだった?」
「……うーん、クラスの人達の反応が心配かも」
「大丈夫よ、深冬は絵が上手だもの。さ! 次はお母さんとプリクラよ!」
「あれ、本気だったの!?」
「当たり前じゃない」
お母さんはルンルンで車を出す。車で走って20分程経った頃、スマホが鳴った。二年生の時に同じクラスで、今年も同じクラスの女の子からだった。
「天音さん、クラスのトークルーム入って! 今すぐ!」
前に誘われた時はどうせ意味が無いので入らなかった。でも、今日は勢いに押されてふと「参加」のボタンを押してしまう。
「……深冬?」
こちらを振り返ったお母さんが急に驚いた顔をした。
「深冬、どうしたの!?」
「え?」
気づいたら、涙がボロボロに溢れていた。クラスのトークルームには、短い文章。
『天音さん、めっちゃありがとう!三年二組全員より!』
こぼれ出した涙は止まらない。
「ねぇ、お母さん。私、あと二年しか生きられないの」
「……そうね」
なぜか、お母さんも泣き始めていた。
「毎日、楽しみたい。だって、あと二年しかないから」
「……うん」
「でもね、今日、楽しかったの。ただそれだけなの」
お母さんは車を近くのコンビニに止めて、涙をさらに流していた。
「ねぇ、またたまに描きに行っても良いかな……? 何でかな、本当に、本当に、楽しかったの」
もう息が出来ないほどの嗚咽と共に溢れる涙の理由は一体なんなの? 分からない。でも、久しぶりに「行ってきます」と言った気がした。「楽しかった」と言った気がした。「ありがとう」と言われた気がした。
それだけで私が今日を「楽しい一日」と認定するには十分だった。
*
それから、私は一ヶ月に一度だけ黒板アートを描きに行った。クラスメイトは律儀にそのたびにお礼を送ってくれた。
いつの間にかカレンダーは6月に変わっている。前まではカレンダーを見る度にあとどの位生きられるか考えてしまっていたのに、最近は黒板アートの日まで何日か考えるようになっていた。
「深冬、ちょっと良いかしら?」
そんなある日、お母さんにリビングに呼ばれた。
「あのね、日下部先生がそろそろ出席日数が厳しいって……」
「そっか」
「ねぇ、深冬。深冬にとって高校を卒業する意味はなに?」
「学歴……だった。だから、もう私には要らないって……」
「そう、じゃあ卒業しなくていいわ。でも、学籍だけ3月まで置いておきましょう?」
「え?」
「黒板アートを描きに行くんでしょう?」
「いいの?」
「もちろん」
お母さんが、ふふっと嬉しそうに笑った。
「ねぇ、深冬。今は毎日楽しい? お母さんとゲームするのも」
「え、うん」
「そう、じゃあ良かったわ。お母さんも深冬といるのが楽しくて仕方ないの。お母さんね、深冬が高校に行っていた時、お弁当を作るのがとっても面倒くさかったわ。でも今思えば、あの日々も大切にすべきだった。だから、最近は深冬にお昼ご飯を作る日々も大切にしているの」
「不登校の娘にでも? お弁当じゃないのに?」
「そんなの関係ないわ。お母さんは、深冬が毎日楽しい日々を送れることだけを祈っているの。病気になる前から、ずっとね」
お母さんの声が震え始める。
「本当は余命宣告された時、もっと生きるつもりで頑張って欲しかった。例えどうしようもなくても、もっと生きれるって希望を持って欲しかった。そんな時、お父さんに言われたの。『深冬が現実を受け入れているのに、親が受け入れなくてどうする』って。受け入れられる訳ないじゃない。娘があと二年後にいなくなるのよ。……でもね、お父さんも泣いていたの。ああ、馬鹿なのは私の方だって思ったわ」
私はお母さんから目が離せなかった。
「ねぇ、深冬。二年ってなんて短いのかしら。お母さん、寂しくて堪らないわ。学校なんて行かないでずっと私のそばにいてほしい。そんなずるい考えで、深冬の不登校に賛成したの。なんで、深冬なのかしら。なんで、私の娘なのかしら。なんで、私じゃないのかしら。二年で死ぬのが私だったらいいのに……!」
お母さんの涙を見ていたら、いつの間にか私も泣いていた。今、お母さんはこの言葉を私に伝えるのにどれだけの勇気を振り絞っているのだろう。それでも伝えてくれているんだ。目の前にいる私に。
「お母さん、深冬に高校を卒業して欲しいなんて微塵も思わないわ。でもね、あの日、黒板アートを描きに行った日……深冬が余命宣告された後で一番楽しそうだったわ。ねぇ、深冬。毎日黒板アートを描いたらいいじゃない」
お母さんの言葉に驚いて、一瞬固まってしまう。
「そんなのみんなに迷惑だよ」
「いいじゃない、迷惑でも。あと二年、深冬は人生を最大限楽しむ権利があるのよ」
「そんなことっ!」
「一番楽しい生き方をして欲しいの」
お母さんは私が余命宣告をされる前はこんなことを言わなかった。でも、きっと今だから言ってくれている。
「お母さんね。深冬が余命宣告された時、絵を残して欲しかった。額に入れてずっと残したかった。でも授業前には消されてしまう黒板アートが、深冬をただただ笑顔にしてくれた。それで気づいたの。精一杯生きた今が、きっと勝手に過去になって、残ってくれるの」
そんな言葉を聞いた夜、私はクラスのトークルームに意味不明な文章を送ろうとしていた。クラスのみんなは私が病気であることはなんとなく日下部先生から聞いているだろうけど、余命二年だとは知らない。それでも……。
「突然すみません。天音です。皆さん、黒板アートを毎日描いてもいいですか?」
もう、どうにでもなれ。だって、私はあと二年しか生きられないのだから!
勇気を出して押した送信ボタン。世界は回り始める。
「もちろん!」
「え、いいの!? 天音さん、大変じゃない!?」
「私も手伝うよ!」
沢山の優しい言葉は涙を溢すには、十分で。
「俺も手伝うわ」
「お前、絵ド下手だろ笑」
「絶対不協和音になるから辞めとけ」
楽しそうに進んでいくクラスのトークルーム。それを眺めて涙を溢し続けている私。
あと二年しか生きられないから、これするのを辞めよう。あと二年しか生きられないから、希望は持たないでおこう。
それは、正しいのかもしれない。でも、今みたいに「どうにでもなれ」って勇気を出すために「あと二年」を使って生きたいと思ったの。
黒板アートが迷惑か気になるなら、ちゃんと授業が始まる前に自分で消そう。それで、その後は授業を受けてみようか。そして、お昼休憩は友達を作るためにクラスメイトを誘ってみよう。
もう、どうにでもなれ。それは、きっと勇気を出す言葉。
*
それから、高校に行き始めて友達が出来た。授業を受けるようになった。
「え! 深冬、あと二年しか生きられないの!? ちょっと待って、寂しすぎて……」
出来た友達は優しくて……涙を流してくれる。優しいクラスメイトがいたことすら教室に来なければ気づけなかった。
「そう! でも、めっちゃ人生楽しんでるから!」
人の優しさに触れた。人生を楽しむ意味を考えた。
「深冬、やだよ。死なないで」
生きてほしいと願ってくれる人が増えた。それがどれほど嬉しいか気づいていないでしょう?
「うーん、きっと死ぬ! だって、どうしようもないもん。でも、私の楽しい人生に貴方たちは必要不可欠!」
友達に思った言葉を伝えられるようになった。放課後、日下部先生が私に声をかけた。
「天音さん、高校はどう?」
「うーん、案外最高ですね」
「あははっ、最高じゃない」
楽しそうに笑う日下部先生を見て、つい伝えてしまう。
「日下部先生も最高の先生ですね!」
「あら、褒め上手ね。そういえば、天音さんから貰った手紙をとってあるの」
「職員室の机に置いたやつですか!? なんでですか!?」
「単純に嬉しかったからよ。他に理由は要らないでしょ?」
その言葉に納得して笑ってしまえる。
高校を出て、家に着いたら勢いよく扉を開ける。
「ただいまー!」
家に帰れば、大きな声でただいまと言える。
「おかえり」
出迎えてくれる家族がいる。
「今日も楽しかった?」
「うん! とっても楽しかった!」
自信を持って楽しかったと言える。言い切れる。
高校に通う意味があるなら。それが人それぞれなら。どんな答えでも良い。私は自分の答えに自信を持って生きたい。
もっと言えば、今日をどう生きるか。それすらも人それぞれなら。私は自分の一日に自信を持って生きたい。
高校を卒業する意味。私なりの答えはもう決まった。私は……
A.[4]その他。 理由は、最高に楽しい日々を過ごすため。
どうか貴方なりの答えも教えて欲しい。聞かせて欲しい。
Q.高校を卒業する意味は何ですか? 次の選択肢の中から選びなさい。
1.学歴のため。
2.青春を送るため。
3.そういうものだと思っているから。
4.その他。
A. _______________________
fin.
とりあえず自分の部屋で制服だけ着てみると、少しだけ泣きそうになってしまう。その時、コンコンと扉のノック音が部屋に響いた。
「深冬、結局今日はどうす……なんだ、もう制服着てるんじゃない」
「いや、まだ行くって決まったわけじゃ……」
「オリエンテーションは五限目でしょ? 高校に行くのはお昼からだから、お昼は焼きそばでいいかしら?」
「お母さん、いつも通りだね」
「だって何も不思議なことじゃないもの。深冬はただの高校生じゃない」
「そりゃそうだけど……」
「深冬。貴方は普通の高校生で、普通の17歳……もうすぐ18歳ね。だから、好きなことをすればいい。普通の人だって、毎日を楽しみたくて必死なのよ?」
お母さんが焼きそばを作るために台所に戻って行く。
普通の人だって毎日を楽しみたいのなら、余命二年の私だけが毎日を大事にしているわけではないの?
鏡でもう一度、自分の制服姿を見た。街でこの姿で通りすがっても誰も私が余命二年だと気付かないだろう。普通の高校生にしか見えない。
深く一度息を吐く。黒板アートの下書きはノートに描いておいた。スクールバッグにノート一冊だけを入れ、肩に担ぐ。ノート一冊しか入っていないバッグは、当たり前だけど凄く軽かった。階段を一段ずつ降りる度に心臓が速くなっていく。
お昼ご飯の焼きそばはいつもの半分しか食べれらなかった。高校まではお母さんが車で送ってくれた。
「行ってきます」
車を降りる時、その言葉を口にした自分があまりにも久しぶりで変な感じがした。今まで毎日のように言っていた言葉が、親しみのない言葉のように思えた。校門を通る時も、下駄箱で靴を履き替える時も、心臓は速いままだった。
教室には先生が言った通り、誰も居なかった。
深呼吸を3回、ゆっくりとした。
「よし!」
オリエンテーションは五限と六限を使って行われる。制限時間は約二時間。一人で描くから工夫を凝らせて、しょぼく見えないようにしないと。
描き始めれば時間は一瞬で、久しぶりに描いた絵は……多分、楽しかったのだと思う。
美術部は基本一人制作だった。仲の良い友達もいない私には丁度良かったし、絵も好きだった。それでも余命宣告された後は、描く気も起こらなかった。
黒板の真ん中には大きな三年二組の文字。周りを囲むように舞う桜。桜の花びらに手を伸ばす女子生徒。
「上手く描けた、よね……?」
不安は拭えない。けれど、新学期は不安を抱えた生徒も多いだろう。私は、ピンクのチョークをもう一度手に取る。
黒板の右下、書体は筆記体で。
【 Enjoy your life!! 】
馬鹿みたい。それはきっと自分が言われたい言葉。いつもだったら絶対に書かないような言葉。それでも、どうか黒板の隅に書くことくらいは許してほしい。
そろそろみんな帰ってくる頃だ。私は急いで荷物を片付け、最後に職員室に寄る。
「失礼します。日下部先生はいますか?」
今は授業中。いないことは分かっていた。むしろ授業中に職員室に訪れる私の方が珍しいだろうに、職員室に残っていた五十代くらいの男性の先生が私に声をかけてくれた。
「日下部先生に用事か?」
「はい。用事は紙に書いてきたので、机の上に置いても良いですか?」
私の話を聞いて、日下部先生の机を教えてくれる。私は机の真ん中に小さな手紙を置いておいた。短い手紙だった。
『日下部先生
黒板アートを描かせて頂きました。貴重な機会を下さってありがとうございます。楽しかったです。
日下部先生との電話も楽しかったです。
天音 深冬』
いざ読み返すと、楽しかったという言葉が多くてちょっと変かな。でも、きっと良いよね。これで。
日下部先生の机を案内してくれた先生にもお礼を言って職員室をあとにする。終業のチャイムが迫っていたので、そこからは逃げるように高校を飛び出した。駐車場に停まっているお母さんの車の助手席に座る。
「ただいま」
「おかえり、深冬。どうだった?」
「……うーん、クラスの人達の反応が心配かも」
「大丈夫よ、深冬は絵が上手だもの。さ! 次はお母さんとプリクラよ!」
「あれ、本気だったの!?」
「当たり前じゃない」
お母さんはルンルンで車を出す。車で走って20分程経った頃、スマホが鳴った。二年生の時に同じクラスで、今年も同じクラスの女の子からだった。
「天音さん、クラスのトークルーム入って! 今すぐ!」
前に誘われた時はどうせ意味が無いので入らなかった。でも、今日は勢いに押されてふと「参加」のボタンを押してしまう。
「……深冬?」
こちらを振り返ったお母さんが急に驚いた顔をした。
「深冬、どうしたの!?」
「え?」
気づいたら、涙がボロボロに溢れていた。クラスのトークルームには、短い文章。
『天音さん、めっちゃありがとう!三年二組全員より!』
こぼれ出した涙は止まらない。
「ねぇ、お母さん。私、あと二年しか生きられないの」
「……そうね」
なぜか、お母さんも泣き始めていた。
「毎日、楽しみたい。だって、あと二年しかないから」
「……うん」
「でもね、今日、楽しかったの。ただそれだけなの」
お母さんは車を近くのコンビニに止めて、涙をさらに流していた。
「ねぇ、またたまに描きに行っても良いかな……? 何でかな、本当に、本当に、楽しかったの」
もう息が出来ないほどの嗚咽と共に溢れる涙の理由は一体なんなの? 分からない。でも、久しぶりに「行ってきます」と言った気がした。「楽しかった」と言った気がした。「ありがとう」と言われた気がした。
それだけで私が今日を「楽しい一日」と認定するには十分だった。
*
それから、私は一ヶ月に一度だけ黒板アートを描きに行った。クラスメイトは律儀にそのたびにお礼を送ってくれた。
いつの間にかカレンダーは6月に変わっている。前まではカレンダーを見る度にあとどの位生きられるか考えてしまっていたのに、最近は黒板アートの日まで何日か考えるようになっていた。
「深冬、ちょっと良いかしら?」
そんなある日、お母さんにリビングに呼ばれた。
「あのね、日下部先生がそろそろ出席日数が厳しいって……」
「そっか」
「ねぇ、深冬。深冬にとって高校を卒業する意味はなに?」
「学歴……だった。だから、もう私には要らないって……」
「そう、じゃあ卒業しなくていいわ。でも、学籍だけ3月まで置いておきましょう?」
「え?」
「黒板アートを描きに行くんでしょう?」
「いいの?」
「もちろん」
お母さんが、ふふっと嬉しそうに笑った。
「ねぇ、深冬。今は毎日楽しい? お母さんとゲームするのも」
「え、うん」
「そう、じゃあ良かったわ。お母さんも深冬といるのが楽しくて仕方ないの。お母さんね、深冬が高校に行っていた時、お弁当を作るのがとっても面倒くさかったわ。でも今思えば、あの日々も大切にすべきだった。だから、最近は深冬にお昼ご飯を作る日々も大切にしているの」
「不登校の娘にでも? お弁当じゃないのに?」
「そんなの関係ないわ。お母さんは、深冬が毎日楽しい日々を送れることだけを祈っているの。病気になる前から、ずっとね」
お母さんの声が震え始める。
「本当は余命宣告された時、もっと生きるつもりで頑張って欲しかった。例えどうしようもなくても、もっと生きれるって希望を持って欲しかった。そんな時、お父さんに言われたの。『深冬が現実を受け入れているのに、親が受け入れなくてどうする』って。受け入れられる訳ないじゃない。娘があと二年後にいなくなるのよ。……でもね、お父さんも泣いていたの。ああ、馬鹿なのは私の方だって思ったわ」
私はお母さんから目が離せなかった。
「ねぇ、深冬。二年ってなんて短いのかしら。お母さん、寂しくて堪らないわ。学校なんて行かないでずっと私のそばにいてほしい。そんなずるい考えで、深冬の不登校に賛成したの。なんで、深冬なのかしら。なんで、私の娘なのかしら。なんで、私じゃないのかしら。二年で死ぬのが私だったらいいのに……!」
お母さんの涙を見ていたら、いつの間にか私も泣いていた。今、お母さんはこの言葉を私に伝えるのにどれだけの勇気を振り絞っているのだろう。それでも伝えてくれているんだ。目の前にいる私に。
「お母さん、深冬に高校を卒業して欲しいなんて微塵も思わないわ。でもね、あの日、黒板アートを描きに行った日……深冬が余命宣告された後で一番楽しそうだったわ。ねぇ、深冬。毎日黒板アートを描いたらいいじゃない」
お母さんの言葉に驚いて、一瞬固まってしまう。
「そんなのみんなに迷惑だよ」
「いいじゃない、迷惑でも。あと二年、深冬は人生を最大限楽しむ権利があるのよ」
「そんなことっ!」
「一番楽しい生き方をして欲しいの」
お母さんは私が余命宣告をされる前はこんなことを言わなかった。でも、きっと今だから言ってくれている。
「お母さんね。深冬が余命宣告された時、絵を残して欲しかった。額に入れてずっと残したかった。でも授業前には消されてしまう黒板アートが、深冬をただただ笑顔にしてくれた。それで気づいたの。精一杯生きた今が、きっと勝手に過去になって、残ってくれるの」
そんな言葉を聞いた夜、私はクラスのトークルームに意味不明な文章を送ろうとしていた。クラスのみんなは私が病気であることはなんとなく日下部先生から聞いているだろうけど、余命二年だとは知らない。それでも……。
「突然すみません。天音です。皆さん、黒板アートを毎日描いてもいいですか?」
もう、どうにでもなれ。だって、私はあと二年しか生きられないのだから!
勇気を出して押した送信ボタン。世界は回り始める。
「もちろん!」
「え、いいの!? 天音さん、大変じゃない!?」
「私も手伝うよ!」
沢山の優しい言葉は涙を溢すには、十分で。
「俺も手伝うわ」
「お前、絵ド下手だろ笑」
「絶対不協和音になるから辞めとけ」
楽しそうに進んでいくクラスのトークルーム。それを眺めて涙を溢し続けている私。
あと二年しか生きられないから、これするのを辞めよう。あと二年しか生きられないから、希望は持たないでおこう。
それは、正しいのかもしれない。でも、今みたいに「どうにでもなれ」って勇気を出すために「あと二年」を使って生きたいと思ったの。
黒板アートが迷惑か気になるなら、ちゃんと授業が始まる前に自分で消そう。それで、その後は授業を受けてみようか。そして、お昼休憩は友達を作るためにクラスメイトを誘ってみよう。
もう、どうにでもなれ。それは、きっと勇気を出す言葉。
*
それから、高校に行き始めて友達が出来た。授業を受けるようになった。
「え! 深冬、あと二年しか生きられないの!? ちょっと待って、寂しすぎて……」
出来た友達は優しくて……涙を流してくれる。優しいクラスメイトがいたことすら教室に来なければ気づけなかった。
「そう! でも、めっちゃ人生楽しんでるから!」
人の優しさに触れた。人生を楽しむ意味を考えた。
「深冬、やだよ。死なないで」
生きてほしいと願ってくれる人が増えた。それがどれほど嬉しいか気づいていないでしょう?
「うーん、きっと死ぬ! だって、どうしようもないもん。でも、私の楽しい人生に貴方たちは必要不可欠!」
友達に思った言葉を伝えられるようになった。放課後、日下部先生が私に声をかけた。
「天音さん、高校はどう?」
「うーん、案外最高ですね」
「あははっ、最高じゃない」
楽しそうに笑う日下部先生を見て、つい伝えてしまう。
「日下部先生も最高の先生ですね!」
「あら、褒め上手ね。そういえば、天音さんから貰った手紙をとってあるの」
「職員室の机に置いたやつですか!? なんでですか!?」
「単純に嬉しかったからよ。他に理由は要らないでしょ?」
その言葉に納得して笑ってしまえる。
高校を出て、家に着いたら勢いよく扉を開ける。
「ただいまー!」
家に帰れば、大きな声でただいまと言える。
「おかえり」
出迎えてくれる家族がいる。
「今日も楽しかった?」
「うん! とっても楽しかった!」
自信を持って楽しかったと言える。言い切れる。
高校に通う意味があるなら。それが人それぞれなら。どんな答えでも良い。私は自分の答えに自信を持って生きたい。
もっと言えば、今日をどう生きるか。それすらも人それぞれなら。私は自分の一日に自信を持って生きたい。
高校を卒業する意味。私なりの答えはもう決まった。私は……
A.[4]その他。 理由は、最高に楽しい日々を過ごすため。
どうか貴方なりの答えも教えて欲しい。聞かせて欲しい。
Q.高校を卒業する意味は何ですか? 次の選択肢の中から選びなさい。
1.学歴のため。
2.青春を送るため。
3.そういうものだと思っているから。
4.その他。
A. _______________________
fin.



