一ノ瀬と恋人になった。その事実が、今でも信じられない。だって、俺と一ノ瀬は、男同士で、友達で、それだけだと思っていたから。そんなことを考えながら通学路を歩いていると。
「何難しい顔してんの?」
一ノ瀬に、突然話しかけられる。
「うわっ」
びっくりした……
思わず肩が跳ねる。
頼むから、背後から急に姿を現さないでくれ。
「そんな驚かなくてもよくね?」
「じゃあ気配なく近づくなよ」
「だって仕方ないじゃん」
一ノ瀬は、ニヤッと笑って、俺の隣まで来る。
「恋人が、前歩いてたから」
その言葉に、思わずむせそうになった。
「お前さぁ……」
「事実だろ」
そうだけど。朝から『恋人』とか、言わないでくれ。
なんか、思ったより普通でムカつく。もっとドキドキしてくれてもいいのに。俺みたいに、どうしたらいいか分からなくなってもいいのに。俺だけが意識してるみたいで、悔しい。なんて、そんなこと考えている自分が気持ち悪い。
それに、一ノ瀬は、俺のために付き合ってくれてるだけだから。ちゃんと分かってる。それは、勘違いしたらダメだ。
教室に入ると、いつも通り騒がしくて、いつも通りクラスメイトに挨拶する。それなのに、何もかもがいつも通りに思えない。
「中原、なんか今日、機嫌よくね?」
「こわ」
ついには、藤田と雨宮にそんなことを言われる始末。
「うぜぇ」
口ではそう言うけど、自分でも分かっている。俺は今、明らかに機嫌がいい。でも、一ノ瀬と付き合ってることは、他の人には秘密だ。だから、バレないようにしないといけない。
「もしかして俺のおかげ?」
隣から一ノ瀬が、からかうように言う。
こいつ、絶対分かって言ってる。
「お前まじでダルい」
「ひど」
そう言って笑う一ノ瀬の顔は、いつもより少しだけ、嬉しそうに見えた。
「……あれ、中原どこ行くん?」
教室から出ようとすると、一ノ瀬に聞かれる。
「んー、ちょっとな」
俺は、曖昧に答えた。詳しいことは言わなかった。だけど、一ノ瀬は、それ以上聞かなかった。
「じゃ、また後で」
「ん」
小さく手を上げて、一ノ瀬に背を向ける。
俺は、人があまり通らない廊下に向かう。歩きながらスマホを確認すると、『まだ?』という連絡通知が目に入った。
「中原」
顔を上げると、美咲がすでにそこに立っている。
「急に呼び出してなんなわけ?報告って」
そう。俺が、スマホで美咲をこの場所に来るよう連絡したのだ。わざわざ呼び出して言うほどのことか、少し迷ったけど。
「俺さ、一ノ瀬と付き合うことになった」
照れながら言った。
「えっ、マジで!?」
美咲は目を見開いて、めちゃくちゃ驚いている。
「マジ。だから、美咲には報告しときたくて。たくさん背中押してもらったから」
きっと、美咲がいなかったら、自分の気持ちにまだ気づいていなかったかもしれない。
「え、告ったの?」
「いや、告ってはない」
少しだけ気まずくなって答える。
「……一ノ瀬に気づかれて、付き合ってくれた」
思い出すと、自分がダサすぎて恥ずかしい。なんとも言えない気持ちになる。
「あー、あんた分かりやすいしね」
美咲は納得したように笑った。
「……そんなに?」
思わず聞き返す。
美咲は毎回そう言うし、一ノ瀬は実際に俺の気持ちに気づくし、俺ってそんなに分かりやすいのだろうか。
「でもまぁ、良かったじゃん」
美咲は、優しく笑った。それを見ると、自然と胸の奥が温かくなる。
「ありがとな。俺に、自分の気持ち気づかせてくれて」
俺が、こんなこと言う資格なんて、ないと思うけど。美咲には、どうしても直接伝えたかった。
「別にいいよ、そんなの」
美咲は、少しだけ真面目な顔をする。
「そんなに好きになった相手なら、大切にしなよ」
その言葉に、一瞬だけ黙った。
「分かってる」
「初めてじゃない?あんたが、本気で好きで付き合ったの」
確かにそうである。いつもは、これから好きになるかな、とか、その程度だったから。
「……まぁ。多分、初めて」
そう言うと、美咲は、優しく笑った。なんだか照れくさい。俺は、教室にいる一ノ瀬を思い出してしまった。
「そろそろ戻る?」
「だな」
俺は時計を確認すると、もうすぐ授業が始まる時間だ。
「……ほんと、良かったね」
美咲がもう一度言う。
さっきと同じ言葉なのに、今度は少しだけ違って聞こえた。
「ああ」
良かった、本当に。
教室に戻ると、一ノ瀬は、雨宮と藤田と話していた。
「お。中原帰ってきた」
俺も、自然とその輪に入る。
「そういえばさ、もうすぐ期末テストじゃん」
藤田は、思い出したように言った。
一気に現実に引き戻される。
「でさ、次の土曜日、四人で勉強会しようぜ」
「それいいな」
藤田の提案に、雨宮も同意する。
「みんなでやる方がやる気出るし」
勉強会ねえ……
「それ、絶対勉強しないやつじゃん」
俺は、思わずツッコんだ。
「いや、俺、やる時はやるやつだから」
「信用ねえ」
「ひでえ」
藤田は、笑いながら抗議する。
「それにさ、頭良い一ノ瀬に教えてもらえばいいじゃん。ってことで一ノ瀬は強制な」
雨宮の言う通り、一ノ瀬は意外と頭が良い。顔よし、頭よし、お金持ち、しかも優しいっていう、本当に俺にはもったいないくらいだ。そう思った瞬間、自分で自分にツッコミを入れたくなった。何考えてんだ、俺。これだと、付き合った瞬間、彼氏バカになってるみたいだ。絶対言えない。
「俺は、中原が行くなら行く」
一ノ瀬は、サラッと俺の名前を出す。
「は?なんで俺なんだよ。まぁ、俺は別に行ってもいいけど」
「じゃあ行く」
本当に、そういうこと簡単に言うの、無駄に照れるからやめて欲しい。こっちは必死で平気を装っているというのに。
「じゃ、決まりな」
めんどくさいけど、少しだけ、楽しみだった。
*
土曜日。
勉強会は、藤田の家ですることになった。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
「お前ら、ちゃんと勉強しろよ」
藤田に言われて、俺は靴を脱ぎながら笑う。
「お前が言うなよ」
絶対一番うるさいだろ。
藤田の部屋に入ると、問題集を開いて、ノートを広げる。
「ここ分かんねえ」
一ノ瀬が俺の隣から問題を見る。
「これ、公式使えばいいだけだよ」
一ノ瀬は簡単に言う。
「……公式?」
「昨日授業でやったじゃん」
俺は、昨日のことを頑張って思い出そうとする。
「覚えてねえ」
身に覚えがなさすぎる。
「お前、ちゃんと授業聞いてる?」
一ノ瀬が、呆れたように言う。
「聞いてる。聞いてるけど頭に入ってない」
「それ聞いてないのと一緒じゃん」
「うるせえ」
一ノ瀬が笑いながら、俺のノートに途中式を書く。
その横顔を見ていると、こんな時なのに、この人が俺の彼氏なのか、と余計な考えが頭をよぎる。
そう思うと、なんだか変な気分になってしまうのだ。
嬉しいけど、でも、少し怖い。
こんなに誰かを好きになったことがないから。それに、一ノ瀬は、俺のことが好きで付き合ってるわけではないって、ちゃんと分かってるつもり。
「中原?」
そんなことを考えていると、一ノ瀬が俺の顔をのぞき込む。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「じゃあ、これ解いてみて」
一ノ瀬は、さっきの問題を指でさす。
俺は、解こうとしてシャーペンを持つも、分からなくて途中で止まる。
「ほら聞いてないじゃん」
「……それは」
言い返せない。
俺が黙っていると、一ノ瀬は小さく笑って、俺の手元をのぞき込んだ。
「何が分かんねーの?」
「まず、なぜ点Pが動くのか分からない」
真顔で俺がそう言うと、違う問題を解いている雨宮と藤田も吹き出す。
「それ言い出したら終わりなやつだから」
一ノ瀬は、呆れたように笑う。
「しかもこの点P、移動するの異常に速くね?」
「やべー、ダメだ俺ら終わってる(笑)」
俺ら三人がバカなことで騒いでいると、一ノ瀬は、シャーペンを持って図を指す。
「ここ。まず、この数字をこっちに移して公式代入」
「……これ?」
「それ」
一ノ瀬が指で示したところを、俺はノートに写す。
けど、途中でまた分からなくなった。
「待って。今どこ?」
「もう一回最初からやろうか」
俺は、勉強があまり得意ではないから、何回も聞いてしまう。めんどくさいだろうに、一ノ瀬は、何も嫌な顔せずに分かるまで教えてくれる。
こんなの、惚れるなって言う方が無理だろ……
すると雨宮が問題集を持ち上げた。
「じゃあ一ノ瀬先生、こっちもお願いします」
「先生じゃねえよ」
「俺もお願いします」
「お前ら……」
一ノ瀬はため息をつきながらも、結局二人のところへ移動する。
その隙に、俺はもう一度自分の問題を見る。
さっき説明されたばかりなのに、また分からなくなっていた。
「……なんでだよ」
小さく呟いて、頭を抱える。
すると隣から藤田が覗き込んできた。
「中原、そこ、数字の位置違う」
「……ほんとだ」
「お前、一ノ瀬に教えてもらった意味ある?」
「うるさい」
思わず笑ってしまう。
さっきまで難しく感じていた問題も、こうしてみんなでやっていると少しだけ楽だった。
しばらくして、一ノ瀬が戻ってくる。
「中原、見せて」
ノートを渡すと、一ノ瀬は途中式を確認する。
「ここまでは合ってる」
「……おお」
さっきまで何も分からなかったのに、答えが少しずつ見えてくる。
今度こそ、とシャーペンを握る。
一つずつ計算していくと、最後までたどり着いた。
「……できた」
「正解」
思わず顔を上げると、一ノ瀬はいつものように笑っていた。
そのやり取りを見ていた藤田が、呆れたように言う。
「なんかお前ら、先生と生徒みたいだな」
「なんか恥ずいからやめろ」
雨宮まで笑い出す。俺もつられて笑ってしまった。
「なぁ藤田」
一ノ瀬が、申し訳なさそうに藤田を呼ぶ。
「悪いんだけど、トイレ借りていい?」
「いいぜ、部屋出て右に行けばあるから」
「りょ」
そう言って、一ノ瀬が席を外す。すると、藤田と雨宮が、何か言いたげな感じで俺のことを見る。
「なんだよ」
俺が聞くと、言いづらそうな感じで二人で顔を見合わせる。
「……なぁ、お前らってもしかして、付き合ってる?」
「……は?」
心臓がドクンと鳴ったのが分かる。
なんでバレて……
「いや、違ったら悪いんだけど……なんか、そう見えるって言うか……空気が甘いって言うか……」
「特にお前が」
雨宮に指さされる。俺の頭は、困惑していた。まさか、付き合ってこんなに早くバレるとは思っていなかったからだ。しかも、俺はちゃんと隠してるつもりなのに、特に俺が分かりやすいとか言われて、一ノ瀬に申し訳なさも感じてしまう。
どうしよう……これ、言ってもいいのだろうか。
バカにされるかもしれないし、男同士って、変に思われるかもしれない。
その時、先生に言われた、『どれだけ時間かかっても、今の自分にできる最適解を導き出して、前に進めばいい』という言葉を思い出した。
俺は、怖がりで、人目を気にしてばかりで、そんな自分が嫌いだ。でも、時間がかかってもいいと言うのなら、少しだけでも、友達を、ちゃんと信じるところから、始めていきたい。
「……そうだけど」
声は小さかったけど、雨宮と藤田には、ちゃんと聞こえている。
「でも、俺が勝手に好きになって、一ノ瀬は優しいから付き合ってくれただけだから、変に思うなら、俺だけにして」
俺は、いつもとは違って、真剣な声で言った。だけど、藤田も雨宮も、笑わなかった。
「あのさぁ、変に思うわけねーじゃん。つか、普通にお似合いだし」
「今の時代、そう珍しくもないっしょ」
変に思われるかも、と思っていたから、二人のことばに救われた。
その時、部屋の扉が開いて、一ノ瀬が戻ってくる。
「ん?何してんの?」
聞こえてるかと思ったけど、聞かれてないようだった。
「一ノ瀬ごめん」
俺は一ノ瀬に謝る。
「何が?」
「その……勝手にこいつらにバラしてしまった」
なんだか申し訳ない。
「ああ。別にいいけど。だって、普通にバレてると思ってたし。中原が分かりやすいから」
一ノ瀬は笑いながら答えた。
また、分かりやすいって言われてしまった……
「俺、そんなに?」
「うん」
藤田と雨宮も頷く。
マジかよ……
でも、バレることを、そんなに怯えなくてもいいのかもしれないと、思えた。
その後も、普通に勉強会を続けて、帰る時間になる。
「疲れた……」
俺は、机に突っ伏しそうになりながら、問題集を閉じる。
「お前、ほとんど一ノ瀬に教えてもらってたじゃん」
藤田がそう言って、教科書で俺の頭を軽く叩いてくる。
「痛え。ちゃんと勉強したんだからいーだろ」
「普段からしろ」
四人で笑う。いつも通りの、何気ない時間だけど、なんだか心が軽かった。
「じゃあ、またな」
藤田の家を出る。俺と一ノ瀬と雨宮の三人で帰っていたけど、途中で別れることになって、俺と一ノ瀬の二人になる。
なんか気まずい。いや、気まづいというよりも……意識する。一ノ瀬は、なんでもないような顔で、隣を歩く。
「中原、お前さぁ」
俺が振り向くと、一ノ瀬は、優しく笑う。
「二人なだけで、そんなに意識する?」
言われた途端、顔がぶわっと熱くなる。
「なっ、してないし……!」
こいつ、エスパーか何かなのだろうか。なんか、全てを見透かされてるような感じがして、気が気じゃない。
「はいはい。お前、本当に分かりやすい」
「うざ」
俺は歩くスピードを上げた。
「ちょ、待てって。怒んなよ」
一ノ瀬が、隣から追いついてくる。
「一ノ瀬、さっきからしつこい」
「でも好きだろ?俺のこと」
「自意識過剰」
「えー、好きじゃねーの?」
一ノ瀬は、口を尖らせる。
「……まぁ、好きだけど」
それだけは、素直に言ってしまった。すると、一ノ瀬は、ふっと笑う。
「ツンデレかよ」
「やっぱウザイ」
俺は、そう言って前を向いて歩く。
「なぁ中原、次の期末テストが終わったらさ、デートしようぜ」
突然の『デート』というワードに、胸がドキッとする。
「……まぁ、いいけど」
「おっしゃ、決まりな」
夕方の空は、少しずつ暗くなっている。だけど、一ノ瀬が隣にいるだけで、景色が少しだけ、明るく感じた。
「何難しい顔してんの?」
一ノ瀬に、突然話しかけられる。
「うわっ」
びっくりした……
思わず肩が跳ねる。
頼むから、背後から急に姿を現さないでくれ。
「そんな驚かなくてもよくね?」
「じゃあ気配なく近づくなよ」
「だって仕方ないじゃん」
一ノ瀬は、ニヤッと笑って、俺の隣まで来る。
「恋人が、前歩いてたから」
その言葉に、思わずむせそうになった。
「お前さぁ……」
「事実だろ」
そうだけど。朝から『恋人』とか、言わないでくれ。
なんか、思ったより普通でムカつく。もっとドキドキしてくれてもいいのに。俺みたいに、どうしたらいいか分からなくなってもいいのに。俺だけが意識してるみたいで、悔しい。なんて、そんなこと考えている自分が気持ち悪い。
それに、一ノ瀬は、俺のために付き合ってくれてるだけだから。ちゃんと分かってる。それは、勘違いしたらダメだ。
教室に入ると、いつも通り騒がしくて、いつも通りクラスメイトに挨拶する。それなのに、何もかもがいつも通りに思えない。
「中原、なんか今日、機嫌よくね?」
「こわ」
ついには、藤田と雨宮にそんなことを言われる始末。
「うぜぇ」
口ではそう言うけど、自分でも分かっている。俺は今、明らかに機嫌がいい。でも、一ノ瀬と付き合ってることは、他の人には秘密だ。だから、バレないようにしないといけない。
「もしかして俺のおかげ?」
隣から一ノ瀬が、からかうように言う。
こいつ、絶対分かって言ってる。
「お前まじでダルい」
「ひど」
そう言って笑う一ノ瀬の顔は、いつもより少しだけ、嬉しそうに見えた。
「……あれ、中原どこ行くん?」
教室から出ようとすると、一ノ瀬に聞かれる。
「んー、ちょっとな」
俺は、曖昧に答えた。詳しいことは言わなかった。だけど、一ノ瀬は、それ以上聞かなかった。
「じゃ、また後で」
「ん」
小さく手を上げて、一ノ瀬に背を向ける。
俺は、人があまり通らない廊下に向かう。歩きながらスマホを確認すると、『まだ?』という連絡通知が目に入った。
「中原」
顔を上げると、美咲がすでにそこに立っている。
「急に呼び出してなんなわけ?報告って」
そう。俺が、スマホで美咲をこの場所に来るよう連絡したのだ。わざわざ呼び出して言うほどのことか、少し迷ったけど。
「俺さ、一ノ瀬と付き合うことになった」
照れながら言った。
「えっ、マジで!?」
美咲は目を見開いて、めちゃくちゃ驚いている。
「マジ。だから、美咲には報告しときたくて。たくさん背中押してもらったから」
きっと、美咲がいなかったら、自分の気持ちにまだ気づいていなかったかもしれない。
「え、告ったの?」
「いや、告ってはない」
少しだけ気まずくなって答える。
「……一ノ瀬に気づかれて、付き合ってくれた」
思い出すと、自分がダサすぎて恥ずかしい。なんとも言えない気持ちになる。
「あー、あんた分かりやすいしね」
美咲は納得したように笑った。
「……そんなに?」
思わず聞き返す。
美咲は毎回そう言うし、一ノ瀬は実際に俺の気持ちに気づくし、俺ってそんなに分かりやすいのだろうか。
「でもまぁ、良かったじゃん」
美咲は、優しく笑った。それを見ると、自然と胸の奥が温かくなる。
「ありがとな。俺に、自分の気持ち気づかせてくれて」
俺が、こんなこと言う資格なんて、ないと思うけど。美咲には、どうしても直接伝えたかった。
「別にいいよ、そんなの」
美咲は、少しだけ真面目な顔をする。
「そんなに好きになった相手なら、大切にしなよ」
その言葉に、一瞬だけ黙った。
「分かってる」
「初めてじゃない?あんたが、本気で好きで付き合ったの」
確かにそうである。いつもは、これから好きになるかな、とか、その程度だったから。
「……まぁ。多分、初めて」
そう言うと、美咲は、優しく笑った。なんだか照れくさい。俺は、教室にいる一ノ瀬を思い出してしまった。
「そろそろ戻る?」
「だな」
俺は時計を確認すると、もうすぐ授業が始まる時間だ。
「……ほんと、良かったね」
美咲がもう一度言う。
さっきと同じ言葉なのに、今度は少しだけ違って聞こえた。
「ああ」
良かった、本当に。
教室に戻ると、一ノ瀬は、雨宮と藤田と話していた。
「お。中原帰ってきた」
俺も、自然とその輪に入る。
「そういえばさ、もうすぐ期末テストじゃん」
藤田は、思い出したように言った。
一気に現実に引き戻される。
「でさ、次の土曜日、四人で勉強会しようぜ」
「それいいな」
藤田の提案に、雨宮も同意する。
「みんなでやる方がやる気出るし」
勉強会ねえ……
「それ、絶対勉強しないやつじゃん」
俺は、思わずツッコんだ。
「いや、俺、やる時はやるやつだから」
「信用ねえ」
「ひでえ」
藤田は、笑いながら抗議する。
「それにさ、頭良い一ノ瀬に教えてもらえばいいじゃん。ってことで一ノ瀬は強制な」
雨宮の言う通り、一ノ瀬は意外と頭が良い。顔よし、頭よし、お金持ち、しかも優しいっていう、本当に俺にはもったいないくらいだ。そう思った瞬間、自分で自分にツッコミを入れたくなった。何考えてんだ、俺。これだと、付き合った瞬間、彼氏バカになってるみたいだ。絶対言えない。
「俺は、中原が行くなら行く」
一ノ瀬は、サラッと俺の名前を出す。
「は?なんで俺なんだよ。まぁ、俺は別に行ってもいいけど」
「じゃあ行く」
本当に、そういうこと簡単に言うの、無駄に照れるからやめて欲しい。こっちは必死で平気を装っているというのに。
「じゃ、決まりな」
めんどくさいけど、少しだけ、楽しみだった。
*
土曜日。
勉強会は、藤田の家ですることになった。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
「お前ら、ちゃんと勉強しろよ」
藤田に言われて、俺は靴を脱ぎながら笑う。
「お前が言うなよ」
絶対一番うるさいだろ。
藤田の部屋に入ると、問題集を開いて、ノートを広げる。
「ここ分かんねえ」
一ノ瀬が俺の隣から問題を見る。
「これ、公式使えばいいだけだよ」
一ノ瀬は簡単に言う。
「……公式?」
「昨日授業でやったじゃん」
俺は、昨日のことを頑張って思い出そうとする。
「覚えてねえ」
身に覚えがなさすぎる。
「お前、ちゃんと授業聞いてる?」
一ノ瀬が、呆れたように言う。
「聞いてる。聞いてるけど頭に入ってない」
「それ聞いてないのと一緒じゃん」
「うるせえ」
一ノ瀬が笑いながら、俺のノートに途中式を書く。
その横顔を見ていると、こんな時なのに、この人が俺の彼氏なのか、と余計な考えが頭をよぎる。
そう思うと、なんだか変な気分になってしまうのだ。
嬉しいけど、でも、少し怖い。
こんなに誰かを好きになったことがないから。それに、一ノ瀬は、俺のことが好きで付き合ってるわけではないって、ちゃんと分かってるつもり。
「中原?」
そんなことを考えていると、一ノ瀬が俺の顔をのぞき込む。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「じゃあ、これ解いてみて」
一ノ瀬は、さっきの問題を指でさす。
俺は、解こうとしてシャーペンを持つも、分からなくて途中で止まる。
「ほら聞いてないじゃん」
「……それは」
言い返せない。
俺が黙っていると、一ノ瀬は小さく笑って、俺の手元をのぞき込んだ。
「何が分かんねーの?」
「まず、なぜ点Pが動くのか分からない」
真顔で俺がそう言うと、違う問題を解いている雨宮と藤田も吹き出す。
「それ言い出したら終わりなやつだから」
一ノ瀬は、呆れたように笑う。
「しかもこの点P、移動するの異常に速くね?」
「やべー、ダメだ俺ら終わってる(笑)」
俺ら三人がバカなことで騒いでいると、一ノ瀬は、シャーペンを持って図を指す。
「ここ。まず、この数字をこっちに移して公式代入」
「……これ?」
「それ」
一ノ瀬が指で示したところを、俺はノートに写す。
けど、途中でまた分からなくなった。
「待って。今どこ?」
「もう一回最初からやろうか」
俺は、勉強があまり得意ではないから、何回も聞いてしまう。めんどくさいだろうに、一ノ瀬は、何も嫌な顔せずに分かるまで教えてくれる。
こんなの、惚れるなって言う方が無理だろ……
すると雨宮が問題集を持ち上げた。
「じゃあ一ノ瀬先生、こっちもお願いします」
「先生じゃねえよ」
「俺もお願いします」
「お前ら……」
一ノ瀬はため息をつきながらも、結局二人のところへ移動する。
その隙に、俺はもう一度自分の問題を見る。
さっき説明されたばかりなのに、また分からなくなっていた。
「……なんでだよ」
小さく呟いて、頭を抱える。
すると隣から藤田が覗き込んできた。
「中原、そこ、数字の位置違う」
「……ほんとだ」
「お前、一ノ瀬に教えてもらった意味ある?」
「うるさい」
思わず笑ってしまう。
さっきまで難しく感じていた問題も、こうしてみんなでやっていると少しだけ楽だった。
しばらくして、一ノ瀬が戻ってくる。
「中原、見せて」
ノートを渡すと、一ノ瀬は途中式を確認する。
「ここまでは合ってる」
「……おお」
さっきまで何も分からなかったのに、答えが少しずつ見えてくる。
今度こそ、とシャーペンを握る。
一つずつ計算していくと、最後までたどり着いた。
「……できた」
「正解」
思わず顔を上げると、一ノ瀬はいつものように笑っていた。
そのやり取りを見ていた藤田が、呆れたように言う。
「なんかお前ら、先生と生徒みたいだな」
「なんか恥ずいからやめろ」
雨宮まで笑い出す。俺もつられて笑ってしまった。
「なぁ藤田」
一ノ瀬が、申し訳なさそうに藤田を呼ぶ。
「悪いんだけど、トイレ借りていい?」
「いいぜ、部屋出て右に行けばあるから」
「りょ」
そう言って、一ノ瀬が席を外す。すると、藤田と雨宮が、何か言いたげな感じで俺のことを見る。
「なんだよ」
俺が聞くと、言いづらそうな感じで二人で顔を見合わせる。
「……なぁ、お前らってもしかして、付き合ってる?」
「……は?」
心臓がドクンと鳴ったのが分かる。
なんでバレて……
「いや、違ったら悪いんだけど……なんか、そう見えるって言うか……空気が甘いって言うか……」
「特にお前が」
雨宮に指さされる。俺の頭は、困惑していた。まさか、付き合ってこんなに早くバレるとは思っていなかったからだ。しかも、俺はちゃんと隠してるつもりなのに、特に俺が分かりやすいとか言われて、一ノ瀬に申し訳なさも感じてしまう。
どうしよう……これ、言ってもいいのだろうか。
バカにされるかもしれないし、男同士って、変に思われるかもしれない。
その時、先生に言われた、『どれだけ時間かかっても、今の自分にできる最適解を導き出して、前に進めばいい』という言葉を思い出した。
俺は、怖がりで、人目を気にしてばかりで、そんな自分が嫌いだ。でも、時間がかかってもいいと言うのなら、少しだけでも、友達を、ちゃんと信じるところから、始めていきたい。
「……そうだけど」
声は小さかったけど、雨宮と藤田には、ちゃんと聞こえている。
「でも、俺が勝手に好きになって、一ノ瀬は優しいから付き合ってくれただけだから、変に思うなら、俺だけにして」
俺は、いつもとは違って、真剣な声で言った。だけど、藤田も雨宮も、笑わなかった。
「あのさぁ、変に思うわけねーじゃん。つか、普通にお似合いだし」
「今の時代、そう珍しくもないっしょ」
変に思われるかも、と思っていたから、二人のことばに救われた。
その時、部屋の扉が開いて、一ノ瀬が戻ってくる。
「ん?何してんの?」
聞こえてるかと思ったけど、聞かれてないようだった。
「一ノ瀬ごめん」
俺は一ノ瀬に謝る。
「何が?」
「その……勝手にこいつらにバラしてしまった」
なんだか申し訳ない。
「ああ。別にいいけど。だって、普通にバレてると思ってたし。中原が分かりやすいから」
一ノ瀬は笑いながら答えた。
また、分かりやすいって言われてしまった……
「俺、そんなに?」
「うん」
藤田と雨宮も頷く。
マジかよ……
でも、バレることを、そんなに怯えなくてもいいのかもしれないと、思えた。
その後も、普通に勉強会を続けて、帰る時間になる。
「疲れた……」
俺は、机に突っ伏しそうになりながら、問題集を閉じる。
「お前、ほとんど一ノ瀬に教えてもらってたじゃん」
藤田がそう言って、教科書で俺の頭を軽く叩いてくる。
「痛え。ちゃんと勉強したんだからいーだろ」
「普段からしろ」
四人で笑う。いつも通りの、何気ない時間だけど、なんだか心が軽かった。
「じゃあ、またな」
藤田の家を出る。俺と一ノ瀬と雨宮の三人で帰っていたけど、途中で別れることになって、俺と一ノ瀬の二人になる。
なんか気まずい。いや、気まづいというよりも……意識する。一ノ瀬は、なんでもないような顔で、隣を歩く。
「中原、お前さぁ」
俺が振り向くと、一ノ瀬は、優しく笑う。
「二人なだけで、そんなに意識する?」
言われた途端、顔がぶわっと熱くなる。
「なっ、してないし……!」
こいつ、エスパーか何かなのだろうか。なんか、全てを見透かされてるような感じがして、気が気じゃない。
「はいはい。お前、本当に分かりやすい」
「うざ」
俺は歩くスピードを上げた。
「ちょ、待てって。怒んなよ」
一ノ瀬が、隣から追いついてくる。
「一ノ瀬、さっきからしつこい」
「でも好きだろ?俺のこと」
「自意識過剰」
「えー、好きじゃねーの?」
一ノ瀬は、口を尖らせる。
「……まぁ、好きだけど」
それだけは、素直に言ってしまった。すると、一ノ瀬は、ふっと笑う。
「ツンデレかよ」
「やっぱウザイ」
俺は、そう言って前を向いて歩く。
「なぁ中原、次の期末テストが終わったらさ、デートしようぜ」
突然の『デート』というワードに、胸がドキッとする。
「……まぁ、いいけど」
「おっしゃ、決まりな」
夕方の空は、少しずつ暗くなっている。だけど、一ノ瀬が隣にいるだけで、景色が少しだけ、明るく感じた。
