話し終わっても、一ノ瀬は、少しの間黙っていた。何かを考えるように。
「……それだけ?」
一ノ瀬が、初めて口を開いた。
「……え?」
思わず顔をあげる。一ノ瀬は、俯いたまま、膝の上で手を組んでいる。
「だから、別れたいって言った理由……それだけ?」
「……うん」
俺は、小さく呟いた。
「なんで、ずっと俺に言わなかったの?」
一ノ瀬は、俺の目を見る。
「なんで、俺の気持ちを勝手に決めんの。言えばよかったじゃん、俺に。聞かれたら、ちゃんと答えるよ、俺だって」
その言葉を聞いて、胸が苦しくなった。
「……ごめん。怖かったんだ、一ノ瀬の気持ちを聞くのが」
知らないままの方が、楽だと思った。
一ノ瀬は、しばらく黙ったまま、視線を落としていた。何かに納得しようとしているような、そんな沈黙だった。俺は、何か言うべきなのか、それとも黙って待つべきなのか分からなくて、ただ、一ノ瀬が口を開くのを待った。
「……ちょっと待って。今、色々一気に言われて、頭の中、整理できてない」
一ノ瀬らしくない、素直な言い方だった。
「うん……ごめん」
「謝んなくていいけど」
一ノ瀬は、小さく息を吐く。前髪を軽くかき上げて、少しの間、空を見上げていた。何を考えているのか、俺には分からない。ただ、いつもみたいに軽い調子で流されないことだけは、分かった。
「それに……中原がなに勘違いしてるのか知らないけど、少しも気がないやつに、付き合おうなんて、俺は言わない」
心臓が、大きく跳ねた。
「それ、どういう……」
「最初から、百パーセント好きだったか、って言われたら、確かに嘘になるかもしれない。でも、中原と恋人になって、前より一緒にいるようになって、俺だって中原のことばかり考えるようになってた。好きだったんだよ、俺だって中原のことが」
もう終わったと思っていたのに、涙がでそうになる。
「俺のこと好き?って、一言聞いてくれたら、好きだって答えた。嫉妬したって言ってくれたら、全く話さないのは無理かもしれないけど、もっと気をつけた。不安だって言ったら、何回でも大丈夫って言ったよ」
一ノ瀬の声も、震えていた。
「いいな、って思ってた相手と付き合えて、本気で好きになって、それなのに、何も理由も言わずに別れたいって言われた俺の気持ち、考えたことあんの?」
責めるような言い方というよりは、悲しそうだった。
「……ごめん」
それしか言えなかった。他に言えることなんて、なかったから。
「……まぁでも、ちゃんと伝えなかった俺も、悪いか」
なんで、そんなこと言うんだろう。俺が悪いのに。勝手に一ノ瀬のこと決めつけて、不安になって、怖がって。それなのに、どうしてそんなふうに言えるの。どれだけ優しいんだろう、本当に。
「……一ノ瀬は、悪くねーよ」
本当に、何も悪くない。
一ノ瀬は、少しの間、何も言わなかった。夕方の風が、二人の間を通り過ぎていく。
「……なぁ、中原」
ようやく、一ノ瀬が口を開いた。
「俺、今、正直めちゃくちゃ複雑な気持ちなんだけど」
「……うん」
「腹立たしいのと、安心したのと、色々混ざってて、自分でもよく分かんねー」
一ノ瀬は、そう言って小さく笑った。
困ったような、それでいてどこかほっとしたような、そんな笑い方だった。
「腹立つのは、勝手に俺のこと決めつけて、一人で抱え込まれてたこと。安心したのは……多分、中原がちゃんと、俺のこと好きじゃなくなったわけじゃないって分かったから」
一ノ瀬は、そこで一度言葉を切って、俺の方を見た。
「でも」
「でも?」
一ノ瀬は、少しだけ笑う。
「俺……中原のこと、好きだよ。ちゃんと好き。大好き」
その言葉を聞いて、思わず涙が溢れた。ずっとずっと、欲しかった言葉だった。
「確かに、中学の時は相原のこと、好きだったよ。だけど、それとこれは別。今は、中原のことが好き。それは、ちゃんと相原にも伝えた」
一ノ瀬は、俺の頭を優しく撫でる。
「なぁ、中原」
俺は顔を上げる。
「別れるって言葉、取り消してくんね?」
一ノ瀬は、ふっと笑う。
「俺もお前も、こんなに互いのことが好きでさ、今さら別れるとか、無理だろ」
その言葉が、優しくて、温かくて。
「……取り消して、いいの?」
自分でも情けないくらい、小さな声だった。
一ノ瀬は、少し驚いたように俺を見る。
「え?」
「……別れるって言ったの。取り消して……いいの?」
聞きながら、また涙が落ちた。
一ノ瀬は、そんな俺を見て、ふっと息を吐く。
「いいに決まってんだろ」
そう言って、今度は俺の頬に触れた。親指で、涙を拭ってくれる。
「むしろ、取り消してほしくて言ってんだけど」
「でも、俺……勝手に決めつけたし……一ノ瀬のこと、信じられなかったし……」
「それは、これから直せばいいじゃん」
あまりにも簡単に言われて、俺は言葉を失った。
一ノ瀬は笑った。
「時間かければいいだろ。俺もちゃんと話すから。中原も、ちゃんと話して」
迷いなく言われる。
「だって今、中原、俺のこと好きなんだろ?」
「……好き」
「俺も好き」
その言葉が、胸の奥にゆっくり染み込んでいく。
「……一ノ瀬」
「ん?」
「俺……もう一回、付き合いたい」
言葉にすると、恥ずかしくなって俯く。
「今度は、ちゃんと……勝手に決めつけないようにする。不安になったら……ちゃんと言う」
「うん」
「嫉妬したら……嫉妬したって言う」
そこまで言ったところで、一ノ瀬が少し笑った。
「それはちょっと楽しみ」
「……なんで」
「中原、なんでもかんでも分かりやすいから」
そう言って、一ノ瀬は笑う。
その笑顔を見た瞬間、また涙が出そうになった。
さっきまで、もう二度と見られないと思っていた笑顔だった。
「……よかった」
ぽつりと呟く。
「何が?」
「……一ノ瀬が、俺のこと好きで……」
声が震えた。
「本当に、よかった……」
一ノ瀬は何も言わなかった。
ただ、俺の頭をもう一度撫でる。
その手があまりにも優しくて、俺はとうとう我慢できなくなって、涙がポロポロと溢れてやまない。
一ノ瀬は、何も言わずに、ずっとそばにいてくれる。
しばらくして、涙が落ち着いた頃、俺はようやく顔を上げた。目のあたりが熱くて、多分ひどい顔をしていると思う。
「……一ノ瀬、俺、めちゃくちゃ面倒くさいと思うけど」
「知ってる」
「……即答すんなよ」
思わず睨むと、一ノ瀬が笑った。
俺も、久しぶりに、自然に笑えた。
ほんの少し前まで、もう二度とこんなふうに笑えないと思っていたのに。
「……中原、こっち来て」
「え?」
一ノ瀬が、自分の隣を軽く叩く。
さっきまで空いていた距離。俺が勝手に作った距離。
「……いい?」
「だから、いいって」
俺は少し迷ってから、身体を寄せた。
肩が触れる。それだけなのに、心臓がうるさい。
「……近い」
「恋人なんだから、これくらい、いいだろ」
「そうだけど」
なんだか、前よりも恥ずかしい。
「……なんか、ドキドキする」
俺は、真っ赤になった自分の顔を隠しながら言う。
「中原」
一ノ瀬に名前を呼ばれて、顔を上げる。
「お前さ、可愛すぎ。キスさせて」
急にそんなことを言われて、むせそうになる。
「なんだよ急に……」
「これは無理。お前が悪い」
やばい。今、絶対顔やばい。そして、さっきから心臓の音もめちゃくちゃうるさい。一ノ瀬に聞こえそうなくらいだ。
一ノ瀬が、俺の手を握る。
「……していい?」
小さな声が、俺の耳に落ちる。
返事の代わりに、ほんの少しだけ頷くと、距離がゆっくり縮まる。
触れる直前、時間だけが妙にゆっくりになった気がした。
一ノ瀬らしい、優しいキス。
ほんの一瞬なのに、心臓の音が鳴りやまない。離れたあとも、ドキドキしすぎて、顔をあげられなかった。
「顔、真っ赤じゃん」
一ノ瀬に言われる。
「うざ」
照れ隠しにそう言うが、多分、全然隠せてない。
恥ずかしくて俯くと、一ノ瀬は小さく笑った。
「大丈夫。俺も同じだし」
「うそ」
「ほんとだって。好きな人とキスしたら、そりゃあ照れるわ(笑)」
その言葉が、胸に刺さる。
俺だけじゃないんだ、って思える。
「なぁ、この後デートする?」
一ノ瀬が提案する。
「急に言うじゃん」
「復縁デート」
「なにそれ。どこ行くつもり?」
「コンビニとか?」
一ノ瀬の回答に、思わず笑う。
「それってデートじゃなくね?」
「いいじゃん、なんでも。俺は、お前といられるならどこでもデートだから」
またそういうこと言う……
「お前、よくそんな恥ずいセリフ言えるな」
「でも好きだろ?」
一ノ瀬はニヤッとした表情を浮かべる。
「……好きだけど!」
「俺も好き」
俺らは、顔を合わせて笑う。
結局、本当にコンビニに寄ることになった。
学校から出て、いつもの通学路とは違う道を通って、少し遠回りをする。
「なんでわざわざコンビニなんだよ」
「腹減ったから」
「理由それだけかよ」
「他になんかいる?」
一ノ瀬は、悪びれもせずそう言った。
コンビニに着くと、一ノ瀬はまっすぐ肉まんのコーナーに向かった。
「中原、どっち食う?肉まん、ピザまん」
「……肉まんで」
「じゃあ俺ピザまん。半分こしよ」
「それただ二つ買えばよくね?」
「半分こする方が、なんか、それっぽくない?」
それっぽい、というのが何を指しているのか分からなかったけど、聞き返すのも野暮な気がして、俺は黙って頷いた。
レジで会計を済ませて、店の外に出る。夕方の空は、もうすっかりオレンジ色に染まっていた。
店先のベンチに、二人並んで座る。
「はい」
一ノ瀬が、肉まんを半分に割って、俺に差し出す。
「サンキュ」
湯気が、二人の間でふわりと立ち上る。
「……なんか、変な感じ」
一ノ瀬がぽつりと言った。
「何が?」
「今日、色々あったのに、結局こうやって、いつも通りコンビニで飯食ってる」
「悪い?」
「いや」
一ノ瀬は、肉まんを頬張りながら、笑った。
「これでいいんだと思う。俺らって、多分、こういうのが合ってる」
その言葉に、なんとなく納得する。特別なことをしなくても、こうして隣にいるだけで、十分だった。
「……次はちゃんと、水族館とか行こうな」
「今日はコンビニデートで手を打っといて」
「けち」
「言うほどけちか?肉まん奢っただろ」
「奢ったのは俺だろ」
「え、そうだっけ」
一ノ瀬がとぼけた顔をするので、思わず吹き出した。
そんな他愛もないやり取りをしながら、俺たちは、夕暮れの中、肉まんを食べ終えるまで、そこに座っていた。
これから先、何があるかなんて、分からない。喧嘩することもあるかもしれない。でも、一ノ瀬となら、どんな事があっても、乗り越えられる。一ノ瀬だから、ずっと一緒にいたい。ずっと、くだらない言い合いばかりしていたい。そう思える人と出逢えたことは、きっと、奇跡以外の何物でもないんだ。
「……それだけ?」
一ノ瀬が、初めて口を開いた。
「……え?」
思わず顔をあげる。一ノ瀬は、俯いたまま、膝の上で手を組んでいる。
「だから、別れたいって言った理由……それだけ?」
「……うん」
俺は、小さく呟いた。
「なんで、ずっと俺に言わなかったの?」
一ノ瀬は、俺の目を見る。
「なんで、俺の気持ちを勝手に決めんの。言えばよかったじゃん、俺に。聞かれたら、ちゃんと答えるよ、俺だって」
その言葉を聞いて、胸が苦しくなった。
「……ごめん。怖かったんだ、一ノ瀬の気持ちを聞くのが」
知らないままの方が、楽だと思った。
一ノ瀬は、しばらく黙ったまま、視線を落としていた。何かに納得しようとしているような、そんな沈黙だった。俺は、何か言うべきなのか、それとも黙って待つべきなのか分からなくて、ただ、一ノ瀬が口を開くのを待った。
「……ちょっと待って。今、色々一気に言われて、頭の中、整理できてない」
一ノ瀬らしくない、素直な言い方だった。
「うん……ごめん」
「謝んなくていいけど」
一ノ瀬は、小さく息を吐く。前髪を軽くかき上げて、少しの間、空を見上げていた。何を考えているのか、俺には分からない。ただ、いつもみたいに軽い調子で流されないことだけは、分かった。
「それに……中原がなに勘違いしてるのか知らないけど、少しも気がないやつに、付き合おうなんて、俺は言わない」
心臓が、大きく跳ねた。
「それ、どういう……」
「最初から、百パーセント好きだったか、って言われたら、確かに嘘になるかもしれない。でも、中原と恋人になって、前より一緒にいるようになって、俺だって中原のことばかり考えるようになってた。好きだったんだよ、俺だって中原のことが」
もう終わったと思っていたのに、涙がでそうになる。
「俺のこと好き?って、一言聞いてくれたら、好きだって答えた。嫉妬したって言ってくれたら、全く話さないのは無理かもしれないけど、もっと気をつけた。不安だって言ったら、何回でも大丈夫って言ったよ」
一ノ瀬の声も、震えていた。
「いいな、って思ってた相手と付き合えて、本気で好きになって、それなのに、何も理由も言わずに別れたいって言われた俺の気持ち、考えたことあんの?」
責めるような言い方というよりは、悲しそうだった。
「……ごめん」
それしか言えなかった。他に言えることなんて、なかったから。
「……まぁでも、ちゃんと伝えなかった俺も、悪いか」
なんで、そんなこと言うんだろう。俺が悪いのに。勝手に一ノ瀬のこと決めつけて、不安になって、怖がって。それなのに、どうしてそんなふうに言えるの。どれだけ優しいんだろう、本当に。
「……一ノ瀬は、悪くねーよ」
本当に、何も悪くない。
一ノ瀬は、少しの間、何も言わなかった。夕方の風が、二人の間を通り過ぎていく。
「……なぁ、中原」
ようやく、一ノ瀬が口を開いた。
「俺、今、正直めちゃくちゃ複雑な気持ちなんだけど」
「……うん」
「腹立たしいのと、安心したのと、色々混ざってて、自分でもよく分かんねー」
一ノ瀬は、そう言って小さく笑った。
困ったような、それでいてどこかほっとしたような、そんな笑い方だった。
「腹立つのは、勝手に俺のこと決めつけて、一人で抱え込まれてたこと。安心したのは……多分、中原がちゃんと、俺のこと好きじゃなくなったわけじゃないって分かったから」
一ノ瀬は、そこで一度言葉を切って、俺の方を見た。
「でも」
「でも?」
一ノ瀬は、少しだけ笑う。
「俺……中原のこと、好きだよ。ちゃんと好き。大好き」
その言葉を聞いて、思わず涙が溢れた。ずっとずっと、欲しかった言葉だった。
「確かに、中学の時は相原のこと、好きだったよ。だけど、それとこれは別。今は、中原のことが好き。それは、ちゃんと相原にも伝えた」
一ノ瀬は、俺の頭を優しく撫でる。
「なぁ、中原」
俺は顔を上げる。
「別れるって言葉、取り消してくんね?」
一ノ瀬は、ふっと笑う。
「俺もお前も、こんなに互いのことが好きでさ、今さら別れるとか、無理だろ」
その言葉が、優しくて、温かくて。
「……取り消して、いいの?」
自分でも情けないくらい、小さな声だった。
一ノ瀬は、少し驚いたように俺を見る。
「え?」
「……別れるって言ったの。取り消して……いいの?」
聞きながら、また涙が落ちた。
一ノ瀬は、そんな俺を見て、ふっと息を吐く。
「いいに決まってんだろ」
そう言って、今度は俺の頬に触れた。親指で、涙を拭ってくれる。
「むしろ、取り消してほしくて言ってんだけど」
「でも、俺……勝手に決めつけたし……一ノ瀬のこと、信じられなかったし……」
「それは、これから直せばいいじゃん」
あまりにも簡単に言われて、俺は言葉を失った。
一ノ瀬は笑った。
「時間かければいいだろ。俺もちゃんと話すから。中原も、ちゃんと話して」
迷いなく言われる。
「だって今、中原、俺のこと好きなんだろ?」
「……好き」
「俺も好き」
その言葉が、胸の奥にゆっくり染み込んでいく。
「……一ノ瀬」
「ん?」
「俺……もう一回、付き合いたい」
言葉にすると、恥ずかしくなって俯く。
「今度は、ちゃんと……勝手に決めつけないようにする。不安になったら……ちゃんと言う」
「うん」
「嫉妬したら……嫉妬したって言う」
そこまで言ったところで、一ノ瀬が少し笑った。
「それはちょっと楽しみ」
「……なんで」
「中原、なんでもかんでも分かりやすいから」
そう言って、一ノ瀬は笑う。
その笑顔を見た瞬間、また涙が出そうになった。
さっきまで、もう二度と見られないと思っていた笑顔だった。
「……よかった」
ぽつりと呟く。
「何が?」
「……一ノ瀬が、俺のこと好きで……」
声が震えた。
「本当に、よかった……」
一ノ瀬は何も言わなかった。
ただ、俺の頭をもう一度撫でる。
その手があまりにも優しくて、俺はとうとう我慢できなくなって、涙がポロポロと溢れてやまない。
一ノ瀬は、何も言わずに、ずっとそばにいてくれる。
しばらくして、涙が落ち着いた頃、俺はようやく顔を上げた。目のあたりが熱くて、多分ひどい顔をしていると思う。
「……一ノ瀬、俺、めちゃくちゃ面倒くさいと思うけど」
「知ってる」
「……即答すんなよ」
思わず睨むと、一ノ瀬が笑った。
俺も、久しぶりに、自然に笑えた。
ほんの少し前まで、もう二度とこんなふうに笑えないと思っていたのに。
「……中原、こっち来て」
「え?」
一ノ瀬が、自分の隣を軽く叩く。
さっきまで空いていた距離。俺が勝手に作った距離。
「……いい?」
「だから、いいって」
俺は少し迷ってから、身体を寄せた。
肩が触れる。それだけなのに、心臓がうるさい。
「……近い」
「恋人なんだから、これくらい、いいだろ」
「そうだけど」
なんだか、前よりも恥ずかしい。
「……なんか、ドキドキする」
俺は、真っ赤になった自分の顔を隠しながら言う。
「中原」
一ノ瀬に名前を呼ばれて、顔を上げる。
「お前さ、可愛すぎ。キスさせて」
急にそんなことを言われて、むせそうになる。
「なんだよ急に……」
「これは無理。お前が悪い」
やばい。今、絶対顔やばい。そして、さっきから心臓の音もめちゃくちゃうるさい。一ノ瀬に聞こえそうなくらいだ。
一ノ瀬が、俺の手を握る。
「……していい?」
小さな声が、俺の耳に落ちる。
返事の代わりに、ほんの少しだけ頷くと、距離がゆっくり縮まる。
触れる直前、時間だけが妙にゆっくりになった気がした。
一ノ瀬らしい、優しいキス。
ほんの一瞬なのに、心臓の音が鳴りやまない。離れたあとも、ドキドキしすぎて、顔をあげられなかった。
「顔、真っ赤じゃん」
一ノ瀬に言われる。
「うざ」
照れ隠しにそう言うが、多分、全然隠せてない。
恥ずかしくて俯くと、一ノ瀬は小さく笑った。
「大丈夫。俺も同じだし」
「うそ」
「ほんとだって。好きな人とキスしたら、そりゃあ照れるわ(笑)」
その言葉が、胸に刺さる。
俺だけじゃないんだ、って思える。
「なぁ、この後デートする?」
一ノ瀬が提案する。
「急に言うじゃん」
「復縁デート」
「なにそれ。どこ行くつもり?」
「コンビニとか?」
一ノ瀬の回答に、思わず笑う。
「それってデートじゃなくね?」
「いいじゃん、なんでも。俺は、お前といられるならどこでもデートだから」
またそういうこと言う……
「お前、よくそんな恥ずいセリフ言えるな」
「でも好きだろ?」
一ノ瀬はニヤッとした表情を浮かべる。
「……好きだけど!」
「俺も好き」
俺らは、顔を合わせて笑う。
結局、本当にコンビニに寄ることになった。
学校から出て、いつもの通学路とは違う道を通って、少し遠回りをする。
「なんでわざわざコンビニなんだよ」
「腹減ったから」
「理由それだけかよ」
「他になんかいる?」
一ノ瀬は、悪びれもせずそう言った。
コンビニに着くと、一ノ瀬はまっすぐ肉まんのコーナーに向かった。
「中原、どっち食う?肉まん、ピザまん」
「……肉まんで」
「じゃあ俺ピザまん。半分こしよ」
「それただ二つ買えばよくね?」
「半分こする方が、なんか、それっぽくない?」
それっぽい、というのが何を指しているのか分からなかったけど、聞き返すのも野暮な気がして、俺は黙って頷いた。
レジで会計を済ませて、店の外に出る。夕方の空は、もうすっかりオレンジ色に染まっていた。
店先のベンチに、二人並んで座る。
「はい」
一ノ瀬が、肉まんを半分に割って、俺に差し出す。
「サンキュ」
湯気が、二人の間でふわりと立ち上る。
「……なんか、変な感じ」
一ノ瀬がぽつりと言った。
「何が?」
「今日、色々あったのに、結局こうやって、いつも通りコンビニで飯食ってる」
「悪い?」
「いや」
一ノ瀬は、肉まんを頬張りながら、笑った。
「これでいいんだと思う。俺らって、多分、こういうのが合ってる」
その言葉に、なんとなく納得する。特別なことをしなくても、こうして隣にいるだけで、十分だった。
「……次はちゃんと、水族館とか行こうな」
「今日はコンビニデートで手を打っといて」
「けち」
「言うほどけちか?肉まん奢っただろ」
「奢ったのは俺だろ」
「え、そうだっけ」
一ノ瀬がとぼけた顔をするので、思わず吹き出した。
そんな他愛もないやり取りをしながら、俺たちは、夕暮れの中、肉まんを食べ終えるまで、そこに座っていた。
これから先、何があるかなんて、分からない。喧嘩することもあるかもしれない。でも、一ノ瀬となら、どんな事があっても、乗り越えられる。一ノ瀬だから、ずっと一緒にいたい。ずっと、くだらない言い合いばかりしていたい。そう思える人と出逢えたことは、きっと、奇跡以外の何物でもないんだ。
