数日後。
「マキシ、教室出て、3階の音楽室向かってる、どう?」
深夜のS嶺高校。2年3組の教室から制服姿で出てきて礼真は、小さく呟いた。
その声はイヤーカフ型のインカムから、ミロクセキュリティの事務所でモニター中のマキシに届く。
当初、二人が使っていたのは市販の骨伝導式インカムだった。
耳の前に振動部を当て、耳の上から伸びたフレームが後頭部を回り、襟足に沿って左右をつなぐ形だ。
「けどさ、これってすごいよな。さっきのしゃべったのもほとんど声を発してないくらいの音量だったのにちゃんと拾うし、マキシの声は鮮明だし、なによりズレない、落ちない」
歩きながら、礼真はイヤーカフをトントンと指でタップした。
『そうねー市販の使ってたときは、よく失くしてたもんねー。あのとき俺、電気屋さんで「インカムの人」って店員さんにあだ名つけられてたと思うわ。』
マキシは笑い交じりに言った。とにかく行きつけの家電量販店でインカムばかりを買っていた。
「ごめんて。けどさ、ズレやすいのが悪いだろ。ちょっと動いたくらいでさ」
『あのね、普通、ちょっと動くで壁走ったりしないのっ。まぁおかげでワタクシの開発魂に火がついたわけですけどね』
少し拗ねたような口調で言う礼真にマキシがツッコミを入れながら、得意気に言う。
今、パソコンの前でドヤ顔をしているマキシの姿が見えるようで、クスっと笑った礼真は、
「うん、本当にすごいよなコレ。コレになって、現場でノーストレス。あっ3階に着くよ」
と、しっかり褒めているうちに、音楽室や美術室など特別教室が並ぶ3階に到着していた。 礼真は足を止めた。
『うん、ちゃんと礼真を追えてるよ。ん?』
「どうした?」
なにか気付いたマキシの声に、礼真はさっとまわりを見まわした。見える範囲にはなにもない。
『いや、霊力が強いところあるな、音楽室』
マキシの言葉で礼真はそっと音楽室と書かれている教室の前まで移動した。
すると、わずかにそこからピアノの音が聞こえてくる。
「うん、今ついた、音楽室前。ピアノ聞こえる」
かなりの上級者が弾いていることはわかるが、その曲自体が変な転調を繰り返して、聞いていると不安になってくる。
「ちょっと気持ちわる…い」
ぐるっとピアノの音に体の中がかき回されるような感覚に礼真は、腹の辺りを押さえながら顔をしかめた。
『待って待ってー!んーと、はい、結界はったよ、どう?』
モニターしていたマキシが少し慌てたように声を上げたが、すぐにいつもの調子になる。 ポケットに入れているスマホから、ふわっとマキシの霊力に包まれる感覚がして、すぐに気持ち悪さが治まった。
「んっ大丈夫、もうなんともない」
スマホなどの通信機器が繋がっていると、霊的にはその距離はゼロになる。
それを利用して、マキシが礼真のまわりに結界を作ったのだ。
『誰もいない音楽室からのピアノの音色は呪いの調べだからー気をつけないと』
礼真の返事にほっと息をついたマキシが注意すると、
「わりぃ。で、どうする?声かけとく?」
軽く謝って、礼真が聞いてくる。音楽室のピアノに挨拶しておくかという話だ。
『いや、止めとこう』
マキシはすぐに答えて、続けた。
『学校の怪異たちってけっこう横のつながり強くて、排他的だから、よそ者の俺らが入り込んでるってわかると、警戒されて面倒かも。スルーで』
「了解、次、旧校舎行ってみるわ」
マキシの指示に頷いた礼真は、そっとその場を離れて、次の行先を告げた。
この学校で一番、怪異たちが集まっていて、一番警戒すべき場所だ。
『いいけど、今日は中まで入らないでね』
マキシもそれはわかっているが、だからこそまだ全貌が掴めていない場所に、礼真を一人で行かせたくないと、止める。
今日のところは、近くまで行って、そこから取れるとこまでデータ取りするからと、指示を出す。
「わかってる。移動速度あげる」
礼真は答えると、少し声を低くした。学校という階段や、角が多い閉鎖空間の中でどこまで自分が動けるのか、試してみたいと思ったのだ。
『いいよ、全力で。こっちも負荷テストになるから』
マキシの声とカタカタと忙しないキーボードが叩かれる音を聞きながら、礼真はたっと走り出した。
速度を上げ、その勢いのまま角を曲がると階段へ飛び込み、踊り場の壁を蹴って体の向きを変え、そのまま床に足をつくことなく次の階段へ飛ぶ。
3階から1階まで、一気に駆け下りた。
そのまま廊下を駆け抜ける。
「どう?」
『ノイズは多いけど、追えてる。』
旧校舎への渡り廊下の手前で礼真は足をとめた。
「着いたよ」
『うん、ここの旧校舎すごいな。怪異もたくさん住んでる…』
周辺の霊力の流れを調べるための、マキシの霊力が広がっている。
マキシがインカムの向こうで、はうーんと唸った。
『けど、それだけじゃないな、なんだろ?』
「マキシでもわからんの?」
少し驚いて礼真が聞く。怪異そのものを解析、分析することができるマキシがわからないというのは珍しい。
『なんでもわかるわけじゃないよ。明日は俺も行くよ。直接見てみる。礼真、帰るときロッカーと靴箱のお名前シールの写真撮ってきて、大きさと書体、形状わかるように』
まだ少し考えるようにしながらも、マキシは礼真におつかいのようなミッションを出す。
『佐藤礼真』という生徒がもともと在籍しているように、見せるには必要なものだ。
「りょ。じゃもう一回りしてから戻る」
礼真も軽く答えると、この場所からでも、小さいざわめきが聞こえている旧校舎を一度、振り返ってから、
『はーい、気をつけてねー』
マキシの緊張感のない声に、ふっと笑いながら、今度は体育館の方へ向かって歩き出した。
潜入前夜。
深夜を少しで回ったところで、マキシと礼真は学校に侵入していた。
『佐藤礼真』という生徒を存在させるための、ネット上や、怪異の力ではできない作業をするためだ。
今日は、いろいろな作業が入っているので、礼真も制服姿ではなくいつもの服装だ。
職員室に入ったマキシは肩にかけていたバックパックからファイルを何冊か取り出して、1つを礼真に渡した。
「じゃあ、このファイルに入ってるヤツ、ここに文書の名前書いてるから、それと入れ替えてね。抜いたヤツはまたもどすから捨てちゃだめだよー」
マキシの説明を聞いて、頷きながらファイルをペラっとめくって、
「すげー今さらだけどさ、こんな真っ暗でも書類見えるのすごいよな、俺たちの目」
礼真は顔を上げて職員室の中を見渡しながら言った。
廊下の非常口を示すライトの光がわずかに職員室の中に差し込んでいたが、かろうじて机の輪郭がわかる程度だ。
「そりゃ俺らの仕事って基本夜とか、暗いところだからさ。所長がそんな風に作ったんだろうね」
作業を始めたマキシが答える。
礼真もマキシを真似て、机について引き出しから取り出したファイルをめくっては、マキシが用意したものと差し替えて行く。
「こんだけの書類、よく作ったな」
「思ったより、少なかったよ。この学校IT化がけっこう進んでたから」
そんなことを話しながら作業を進めていると、
「あっそういえばさ」
ふいに思い出したというようにマキシが言った。
「なに?」
手も止めず、顔も上げないままで礼真が答えた。
「旧校舎、なんかありそうって言ったでしょ」
「おー」
数日前のやりとりの続きの話だと礼真は今度は、顔を上げた。
「あれね、怪異とかじゃなくって、溜まってる気、エネルギーみたいなもんだったよ」
マキシは作業の手を止めないままに言う。礼真も作業を再開して、
「へぇ、やっぱり学校だから?」
と聞いた。
「そう、良いことも悪いことも、そんなもん全部ひっくるめた人のエネルギーが溜まってるだけ。自然物みたいにただそこにあるだけって感じ」
「それ、大丈夫なのか?」
「大丈夫でしょ、なにか強い意思をフックにすれば、使えないことないと思うけど。難しいと思うよ」
「そっか、なら取りあえずは、警戒しなくてもいいな」
マキシの説明に納得する。
そんなことを話しながらも、二人はもくもくと、職員室にある『佐藤礼真』の名前を存在させるため、書類の差し替えを続ける。
マキシは礼真が潜入する2年3組の担任、山方の席に移った。
引き出しを開けると、各クラスの生徒の名簿が出てくる。
2年1組、2組、3組とあってマキシはファイルから3組の名簿を抜いて、自分がつくった名簿を入れる。
出席番号1番の安藤連から礼真が増えたことで33番になった和田ひまりまでの名簿の中に14番佐藤礼真の名前がある。
マキシはふっと手を止めた。
1番から33番までの生徒の名前を見る。その中に礼真の名前が当たり前の顔で存在している。
マキシはじっと礼真の名前を見つめた。
もし、礼真が人形になることがなければ、この偽物の名簿が本物だったかもしれない。
そう思うと、ないはずの心臓のあたりがツキっと痛んだ。
「レイマ」
マキシは自分の後ろの方でカサカサと作業している礼真に声をかけた。
「ん?」
手を止めず礼真の声が返ってくる。
いつもの返事。マキシが呼べば当たり前に帰ってくるその返事が今は痛かった。
「あのさ、レイマさ。高校卒業したかった?高校行きたい?」
言うつもりのない言葉が口から出ていた。
礼真の作業の音が止まった。
バカなことを言ってしまった…と、マキシはさっき言った言葉がいつもの冗談に聞こえるような続きを探す。
と、背中にぐっと圧がかかって、首に腕がまわってきた。
後ろから礼真が抱き着いてきたんだと理解するのと同時に、礼真が頭をマキシの頭にぐっとくっつけた。
「…あのさ、俺の居る場所はここだから」
いつもより静かで、いつもより低い。そして、いつもより熱の籠った声で礼真が言った。
きゅっと首にまわった腕に少し力が込められた。
さっきまでツキと痛んでいた場所が、今度はうずくような甘い痛みを訴えてくる。本来なら感じることのないはずの『痛み』。マキシは不思議に思いながらも、悪い気持ちではなかった。
マキシは机の上にあった手を上げると、自分の首の辺りにある礼真の手を握って、
「うん…」
と、頷いた。礼真の手に触れると、痛みは消えていた。
マキシの返事を聞いた礼真は、ぱっと離れると、さっきまで作業していたキャビネットの前に戻っていく。
そして、また紙をめくる音と、書類を入れ替える音が聞こえ始めた。
マキシは、振り向いてさっきまで自分に抱き着いていた礼真を見た。
いつも通りの少し無表情な顔で、ファイルを真剣に見ている。
「なに?手ぇ動かせよ、終わらないぞ」
視線に気付いたのか、顔を上げないままで、礼真が言う。
「俺の分、終わったよー」
マキシはヘラっとしながら言うと、ばっと礼真が顔を上げた。
「っ!ならっこっち手伝えよっ!」
いつも通りの鋭いツッコミに安心する。
「はいはい」
と、マキシは席を立って、キャビネットの前の礼真の横に同じようにしゃがんでファイルを手に取った。
「けっこう早く済んだな」
「そうだねーよかった。まだやることいっぱいだからね」
職員室での作業が終わり二人は靴箱のある昇降口へ向かっていた。
出席番号14番の『佐藤礼真』の靴箱を作る為だ。
2年3組の靴箱の前に来た二人は、作業の道具を取り出す。
シール剥がしスプレーとヘラ。剥がしたシールを入れる小さいビニール袋。マキシが作った『佐藤礼真』以下の番号の生徒たちの名前シール。
礼真は転校生として潜入するわけではない。四月からずっとこのクラスにいた生徒として存在させるため、靴箱の名前も出席番号順に『佐藤礼真』を差し込み、それ以降を一つずつずらしておく必要があった。
「さて、やりますか…」
マキシが上の方の靴箱のシールを剥がし始める。礼真は下からだ。
「あっ…途中で切れた。レイマー、シール剥がしスプレー取ってー」
「マキシ下手だなーそんなもんなくても、端っこからゆっくり剥がせば…あっ…」
「ほらー切れたでしょー。このシールの素材がクソなんだって」
「まじかーけど、スプレーすごっマジ剥がれる」
「ねっすごいね」
スプレーの音と、ヘラでカリカリとシールを剥がす音だけが響く。
シールを剥がす作業は人を無言にする。
「よしっ全部はがれたーじゃあ、シール貼っていこうか」
「んっ俺がシートから剥がすから、マキシ貼って」
「いいよーじゃあ『佐藤礼真』から」
「はいはい」
シートから『佐藤礼真』のシールを剥がしてマキシに渡した。
その後、15 鈴木 莉子、16 高木 悠斗、17 高橋 美羽、18 田中 颯真と、順番に礼真はシールをマキシに渡し、マキシもそれを丁寧に靴箱に貼り付けていく。
19 津田 航平のシールをシートから剥がそうとしていた礼真の手がふっと止まった。
さっきまでテンポよく続いていた作業が止まって、マキシは礼真を見た。
礼真がシートを見て黙っている。
「レイ…」
「なぁマキシ…これって」
マキシが声をかけようとすると礼真がシールを見たままで言った。
「これさ、俺の名前、『佐藤』じゃなくてもよかったんじゃね?偽の生徒なんだからさ、この最後の『和田』さんのあとにくるような『渡辺』とかにしとけば、和田さんのあとにシール一枚貼れば終わりじゃん」
「…まっ?」
真理。マキシはその場に固まった。
二人はゆっくり顔を見合わせた。
今更である。
ここ数週間『佐藤礼真』という生徒の存在を作ってきたのだ。
二人はシールを剥がしてしまった靴箱と、礼真の手の中のシールを見た。
「…続きやろうか」
「うん」
何事もなかったように、二人は作業を再開した。
礼真が、20 中村 結菜のシールをマキシに渡した。
マキシはそのシールを丁寧に貼る。
「レイマ…このあとさーロッカーも」
「言うなっ!」
「はぁー終わった。途中ちょっと心が折れそうになったけど、準備完了だな」
潜入する2年3組に、明日から使う机を運び込んで、事前に決めていた位置に置いた。
後ろの扉から入って、3番目、後ろから2番目の席だ。
礼真は席に座ると、ゆっくりと教室を見まわした。
「明日から、生徒かぁ…」
夜の学校はどこか不気味で、異世界のようにも見えるが、明日になれば、ここは生徒たちが当たり前の日常を過ごす当たり前の空間になる。
マキシは席についている礼真を眺める。
明日、制服を着て、あの席に座れば礼真はこの学校の生徒になる。マキシは事務所のパソコンの前で、礼真のバックアップだ。その姿を見られないのは残念だと思いながら、マキシはゆっくり礼真に近づいた。
席の前に立つと、礼真がなに?というように見上げてくる。
マキシはぐっと体を倒して、礼真の顎に手をかけて上を向かせた。
そのまま顔を近づけて、なにか言おうと開きかけた唇に、自分の唇を重ねた。
礼真から抵抗はない。目を閉じてマキシからの少し長めのキスを受ける。
軽いリップ音を立てて、キスを解いたマキシは、その距離のままで、
「放課後の教室で、キスなんてさ。学園青春モノだね」
と、いたずらっぽく囁いた。
礼真はパチッと目を丸くすると、ふっと目を細めて、マキシのパーカーの襟の辺りを掴んだ。
ぐっと引き寄せて、椅子から腰を浮かせると、ぶつかる勢いでマキシの唇に唇を当てた。
衝突のようなキス。
驚いているマキシに礼真は、
「俺らなら、オカルトホラーモノだろ」
してやったりの顔でニヤっとすると、
「帰るぞ」
と立ち上がった。
教室を出ていく礼真を見て、じわっと込み上げてくる笑みをそのままに、マキシはその後ろ姿を追いかけた。
「オカルトホラーロマンティックラブストーリーがいいなー」
すぐ追いついたマキシは、横に並んで、コツンと肩をぶつける。
「なげぇよ」
礼真が笑いながら、肩をぶつけ返してくる。
「じゃあ、ロマンティックラブストーリー」
「オカルトがなかったら、俺らの存在全否定じゃん」
「まっ?」
そんなことを言い合いながら二人は、夜明け前の学校をあとにした。
数時間後、制服に身を包み、黒い少し擦り切れたバックパックを肩から下げた礼真は、2年3組の教室の前に立っていた。
通学鞄は、
『お前らがいつも仕事で使ってるヤツがあるだろ、なんでもかんでも買おうとすんな』
という花子の一言で、購入は却下になった。
そこに不満はないが、いつもはマキシが結界に使う水やタブレットが入っているバックパックに教科書、ノートが入っているのは少し妙な気持ちになる。
礼真はバックパックを持ち直すと、イヤーカフを軽くタップした。
「今から、入る」
『ん、モニターできてるよ』
マキシの声が何度もテストした通りによく聞こえる。
『しつこいようだけど、要注意は九条薫。サクちゃんの記憶操作のかかりが悪いから』
「わかってる、だから、隣の席で俺から話かけて、記憶を定着させる…だろ?」
礼真はほとんど唇を動かさずに言いながら、教室に入った。
「おはよー」
「おはよー佐藤」
「佐藤くん、おはよう」
教室にいる生徒に軽く声をかけると、みんな当たり前のように返事を返してくれる。
礼真はほっとしながら、昨日マキシと運び込んだ席についた。
『高校生らしく、仲良しーって感出すんだよ、スンっしちゃだめだよ』
初登校の子供を心配する保護者のようなマキシの言葉に少し笑いながら、
「わかってる、高校生のノリだろ。一回通ってるから、わかるって。」
『うんうん、まぁこうやってずっと繋がってるから、困ったときはすぐサポートするから』
さらに言うマキシの声を聞きながら、礼真は教室を見まわした。
さぁ、ここからが本番だ。
礼真の2週間の高校生活が始まる。
Next heart: “Not only かわいい but also…”
「マキシ、教室出て、3階の音楽室向かってる、どう?」
深夜のS嶺高校。2年3組の教室から制服姿で出てきて礼真は、小さく呟いた。
その声はイヤーカフ型のインカムから、ミロクセキュリティの事務所でモニター中のマキシに届く。
当初、二人が使っていたのは市販の骨伝導式インカムだった。
耳の前に振動部を当て、耳の上から伸びたフレームが後頭部を回り、襟足に沿って左右をつなぐ形だ。
「けどさ、これってすごいよな。さっきのしゃべったのもほとんど声を発してないくらいの音量だったのにちゃんと拾うし、マキシの声は鮮明だし、なによりズレない、落ちない」
歩きながら、礼真はイヤーカフをトントンと指でタップした。
『そうねー市販の使ってたときは、よく失くしてたもんねー。あのとき俺、電気屋さんで「インカムの人」って店員さんにあだ名つけられてたと思うわ。』
マキシは笑い交じりに言った。とにかく行きつけの家電量販店でインカムばかりを買っていた。
「ごめんて。けどさ、ズレやすいのが悪いだろ。ちょっと動いたくらいでさ」
『あのね、普通、ちょっと動くで壁走ったりしないのっ。まぁおかげでワタクシの開発魂に火がついたわけですけどね』
少し拗ねたような口調で言う礼真にマキシがツッコミを入れながら、得意気に言う。
今、パソコンの前でドヤ顔をしているマキシの姿が見えるようで、クスっと笑った礼真は、
「うん、本当にすごいよなコレ。コレになって、現場でノーストレス。あっ3階に着くよ」
と、しっかり褒めているうちに、音楽室や美術室など特別教室が並ぶ3階に到着していた。 礼真は足を止めた。
『うん、ちゃんと礼真を追えてるよ。ん?』
「どうした?」
なにか気付いたマキシの声に、礼真はさっとまわりを見まわした。見える範囲にはなにもない。
『いや、霊力が強いところあるな、音楽室』
マキシの言葉で礼真はそっと音楽室と書かれている教室の前まで移動した。
すると、わずかにそこからピアノの音が聞こえてくる。
「うん、今ついた、音楽室前。ピアノ聞こえる」
かなりの上級者が弾いていることはわかるが、その曲自体が変な転調を繰り返して、聞いていると不安になってくる。
「ちょっと気持ちわる…い」
ぐるっとピアノの音に体の中がかき回されるような感覚に礼真は、腹の辺りを押さえながら顔をしかめた。
『待って待ってー!んーと、はい、結界はったよ、どう?』
モニターしていたマキシが少し慌てたように声を上げたが、すぐにいつもの調子になる。 ポケットに入れているスマホから、ふわっとマキシの霊力に包まれる感覚がして、すぐに気持ち悪さが治まった。
「んっ大丈夫、もうなんともない」
スマホなどの通信機器が繋がっていると、霊的にはその距離はゼロになる。
それを利用して、マキシが礼真のまわりに結界を作ったのだ。
『誰もいない音楽室からのピアノの音色は呪いの調べだからー気をつけないと』
礼真の返事にほっと息をついたマキシが注意すると、
「わりぃ。で、どうする?声かけとく?」
軽く謝って、礼真が聞いてくる。音楽室のピアノに挨拶しておくかという話だ。
『いや、止めとこう』
マキシはすぐに答えて、続けた。
『学校の怪異たちってけっこう横のつながり強くて、排他的だから、よそ者の俺らが入り込んでるってわかると、警戒されて面倒かも。スルーで』
「了解、次、旧校舎行ってみるわ」
マキシの指示に頷いた礼真は、そっとその場を離れて、次の行先を告げた。
この学校で一番、怪異たちが集まっていて、一番警戒すべき場所だ。
『いいけど、今日は中まで入らないでね』
マキシもそれはわかっているが、だからこそまだ全貌が掴めていない場所に、礼真を一人で行かせたくないと、止める。
今日のところは、近くまで行って、そこから取れるとこまでデータ取りするからと、指示を出す。
「わかってる。移動速度あげる」
礼真は答えると、少し声を低くした。学校という階段や、角が多い閉鎖空間の中でどこまで自分が動けるのか、試してみたいと思ったのだ。
『いいよ、全力で。こっちも負荷テストになるから』
マキシの声とカタカタと忙しないキーボードが叩かれる音を聞きながら、礼真はたっと走り出した。
速度を上げ、その勢いのまま角を曲がると階段へ飛び込み、踊り場の壁を蹴って体の向きを変え、そのまま床に足をつくことなく次の階段へ飛ぶ。
3階から1階まで、一気に駆け下りた。
そのまま廊下を駆け抜ける。
「どう?」
『ノイズは多いけど、追えてる。』
旧校舎への渡り廊下の手前で礼真は足をとめた。
「着いたよ」
『うん、ここの旧校舎すごいな。怪異もたくさん住んでる…』
周辺の霊力の流れを調べるための、マキシの霊力が広がっている。
マキシがインカムの向こうで、はうーんと唸った。
『けど、それだけじゃないな、なんだろ?』
「マキシでもわからんの?」
少し驚いて礼真が聞く。怪異そのものを解析、分析することができるマキシがわからないというのは珍しい。
『なんでもわかるわけじゃないよ。明日は俺も行くよ。直接見てみる。礼真、帰るときロッカーと靴箱のお名前シールの写真撮ってきて、大きさと書体、形状わかるように』
まだ少し考えるようにしながらも、マキシは礼真におつかいのようなミッションを出す。
『佐藤礼真』という生徒がもともと在籍しているように、見せるには必要なものだ。
「りょ。じゃもう一回りしてから戻る」
礼真も軽く答えると、この場所からでも、小さいざわめきが聞こえている旧校舎を一度、振り返ってから、
『はーい、気をつけてねー』
マキシの緊張感のない声に、ふっと笑いながら、今度は体育館の方へ向かって歩き出した。
潜入前夜。
深夜を少しで回ったところで、マキシと礼真は学校に侵入していた。
『佐藤礼真』という生徒を存在させるための、ネット上や、怪異の力ではできない作業をするためだ。
今日は、いろいろな作業が入っているので、礼真も制服姿ではなくいつもの服装だ。
職員室に入ったマキシは肩にかけていたバックパックからファイルを何冊か取り出して、1つを礼真に渡した。
「じゃあ、このファイルに入ってるヤツ、ここに文書の名前書いてるから、それと入れ替えてね。抜いたヤツはまたもどすから捨てちゃだめだよー」
マキシの説明を聞いて、頷きながらファイルをペラっとめくって、
「すげー今さらだけどさ、こんな真っ暗でも書類見えるのすごいよな、俺たちの目」
礼真は顔を上げて職員室の中を見渡しながら言った。
廊下の非常口を示すライトの光がわずかに職員室の中に差し込んでいたが、かろうじて机の輪郭がわかる程度だ。
「そりゃ俺らの仕事って基本夜とか、暗いところだからさ。所長がそんな風に作ったんだろうね」
作業を始めたマキシが答える。
礼真もマキシを真似て、机について引き出しから取り出したファイルをめくっては、マキシが用意したものと差し替えて行く。
「こんだけの書類、よく作ったな」
「思ったより、少なかったよ。この学校IT化がけっこう進んでたから」
そんなことを話しながら作業を進めていると、
「あっそういえばさ」
ふいに思い出したというようにマキシが言った。
「なに?」
手も止めず、顔も上げないままで礼真が答えた。
「旧校舎、なんかありそうって言ったでしょ」
「おー」
数日前のやりとりの続きの話だと礼真は今度は、顔を上げた。
「あれね、怪異とかじゃなくって、溜まってる気、エネルギーみたいなもんだったよ」
マキシは作業の手を止めないままに言う。礼真も作業を再開して、
「へぇ、やっぱり学校だから?」
と聞いた。
「そう、良いことも悪いことも、そんなもん全部ひっくるめた人のエネルギーが溜まってるだけ。自然物みたいにただそこにあるだけって感じ」
「それ、大丈夫なのか?」
「大丈夫でしょ、なにか強い意思をフックにすれば、使えないことないと思うけど。難しいと思うよ」
「そっか、なら取りあえずは、警戒しなくてもいいな」
マキシの説明に納得する。
そんなことを話しながらも、二人はもくもくと、職員室にある『佐藤礼真』の名前を存在させるため、書類の差し替えを続ける。
マキシは礼真が潜入する2年3組の担任、山方の席に移った。
引き出しを開けると、各クラスの生徒の名簿が出てくる。
2年1組、2組、3組とあってマキシはファイルから3組の名簿を抜いて、自分がつくった名簿を入れる。
出席番号1番の安藤連から礼真が増えたことで33番になった和田ひまりまでの名簿の中に14番佐藤礼真の名前がある。
マキシはふっと手を止めた。
1番から33番までの生徒の名前を見る。その中に礼真の名前が当たり前の顔で存在している。
マキシはじっと礼真の名前を見つめた。
もし、礼真が人形になることがなければ、この偽物の名簿が本物だったかもしれない。
そう思うと、ないはずの心臓のあたりがツキっと痛んだ。
「レイマ」
マキシは自分の後ろの方でカサカサと作業している礼真に声をかけた。
「ん?」
手を止めず礼真の声が返ってくる。
いつもの返事。マキシが呼べば当たり前に帰ってくるその返事が今は痛かった。
「あのさ、レイマさ。高校卒業したかった?高校行きたい?」
言うつもりのない言葉が口から出ていた。
礼真の作業の音が止まった。
バカなことを言ってしまった…と、マキシはさっき言った言葉がいつもの冗談に聞こえるような続きを探す。
と、背中にぐっと圧がかかって、首に腕がまわってきた。
後ろから礼真が抱き着いてきたんだと理解するのと同時に、礼真が頭をマキシの頭にぐっとくっつけた。
「…あのさ、俺の居る場所はここだから」
いつもより静かで、いつもより低い。そして、いつもより熱の籠った声で礼真が言った。
きゅっと首にまわった腕に少し力が込められた。
さっきまでツキと痛んでいた場所が、今度はうずくような甘い痛みを訴えてくる。本来なら感じることのないはずの『痛み』。マキシは不思議に思いながらも、悪い気持ちではなかった。
マキシは机の上にあった手を上げると、自分の首の辺りにある礼真の手を握って、
「うん…」
と、頷いた。礼真の手に触れると、痛みは消えていた。
マキシの返事を聞いた礼真は、ぱっと離れると、さっきまで作業していたキャビネットの前に戻っていく。
そして、また紙をめくる音と、書類を入れ替える音が聞こえ始めた。
マキシは、振り向いてさっきまで自分に抱き着いていた礼真を見た。
いつも通りの少し無表情な顔で、ファイルを真剣に見ている。
「なに?手ぇ動かせよ、終わらないぞ」
視線に気付いたのか、顔を上げないままで、礼真が言う。
「俺の分、終わったよー」
マキシはヘラっとしながら言うと、ばっと礼真が顔を上げた。
「っ!ならっこっち手伝えよっ!」
いつも通りの鋭いツッコミに安心する。
「はいはい」
と、マキシは席を立って、キャビネットの前の礼真の横に同じようにしゃがんでファイルを手に取った。
「けっこう早く済んだな」
「そうだねーよかった。まだやることいっぱいだからね」
職員室での作業が終わり二人は靴箱のある昇降口へ向かっていた。
出席番号14番の『佐藤礼真』の靴箱を作る為だ。
2年3組の靴箱の前に来た二人は、作業の道具を取り出す。
シール剥がしスプレーとヘラ。剥がしたシールを入れる小さいビニール袋。マキシが作った『佐藤礼真』以下の番号の生徒たちの名前シール。
礼真は転校生として潜入するわけではない。四月からずっとこのクラスにいた生徒として存在させるため、靴箱の名前も出席番号順に『佐藤礼真』を差し込み、それ以降を一つずつずらしておく必要があった。
「さて、やりますか…」
マキシが上の方の靴箱のシールを剥がし始める。礼真は下からだ。
「あっ…途中で切れた。レイマー、シール剥がしスプレー取ってー」
「マキシ下手だなーそんなもんなくても、端っこからゆっくり剥がせば…あっ…」
「ほらー切れたでしょー。このシールの素材がクソなんだって」
「まじかーけど、スプレーすごっマジ剥がれる」
「ねっすごいね」
スプレーの音と、ヘラでカリカリとシールを剥がす音だけが響く。
シールを剥がす作業は人を無言にする。
「よしっ全部はがれたーじゃあ、シール貼っていこうか」
「んっ俺がシートから剥がすから、マキシ貼って」
「いいよーじゃあ『佐藤礼真』から」
「はいはい」
シートから『佐藤礼真』のシールを剥がしてマキシに渡した。
その後、15 鈴木 莉子、16 高木 悠斗、17 高橋 美羽、18 田中 颯真と、順番に礼真はシールをマキシに渡し、マキシもそれを丁寧に靴箱に貼り付けていく。
19 津田 航平のシールをシートから剥がそうとしていた礼真の手がふっと止まった。
さっきまでテンポよく続いていた作業が止まって、マキシは礼真を見た。
礼真がシートを見て黙っている。
「レイ…」
「なぁマキシ…これって」
マキシが声をかけようとすると礼真がシールを見たままで言った。
「これさ、俺の名前、『佐藤』じゃなくてもよかったんじゃね?偽の生徒なんだからさ、この最後の『和田』さんのあとにくるような『渡辺』とかにしとけば、和田さんのあとにシール一枚貼れば終わりじゃん」
「…まっ?」
真理。マキシはその場に固まった。
二人はゆっくり顔を見合わせた。
今更である。
ここ数週間『佐藤礼真』という生徒の存在を作ってきたのだ。
二人はシールを剥がしてしまった靴箱と、礼真の手の中のシールを見た。
「…続きやろうか」
「うん」
何事もなかったように、二人は作業を再開した。
礼真が、20 中村 結菜のシールをマキシに渡した。
マキシはそのシールを丁寧に貼る。
「レイマ…このあとさーロッカーも」
「言うなっ!」
「はぁー終わった。途中ちょっと心が折れそうになったけど、準備完了だな」
潜入する2年3組に、明日から使う机を運び込んで、事前に決めていた位置に置いた。
後ろの扉から入って、3番目、後ろから2番目の席だ。
礼真は席に座ると、ゆっくりと教室を見まわした。
「明日から、生徒かぁ…」
夜の学校はどこか不気味で、異世界のようにも見えるが、明日になれば、ここは生徒たちが当たり前の日常を過ごす当たり前の空間になる。
マキシは席についている礼真を眺める。
明日、制服を着て、あの席に座れば礼真はこの学校の生徒になる。マキシは事務所のパソコンの前で、礼真のバックアップだ。その姿を見られないのは残念だと思いながら、マキシはゆっくり礼真に近づいた。
席の前に立つと、礼真がなに?というように見上げてくる。
マキシはぐっと体を倒して、礼真の顎に手をかけて上を向かせた。
そのまま顔を近づけて、なにか言おうと開きかけた唇に、自分の唇を重ねた。
礼真から抵抗はない。目を閉じてマキシからの少し長めのキスを受ける。
軽いリップ音を立てて、キスを解いたマキシは、その距離のままで、
「放課後の教室で、キスなんてさ。学園青春モノだね」
と、いたずらっぽく囁いた。
礼真はパチッと目を丸くすると、ふっと目を細めて、マキシのパーカーの襟の辺りを掴んだ。
ぐっと引き寄せて、椅子から腰を浮かせると、ぶつかる勢いでマキシの唇に唇を当てた。
衝突のようなキス。
驚いているマキシに礼真は、
「俺らなら、オカルトホラーモノだろ」
してやったりの顔でニヤっとすると、
「帰るぞ」
と立ち上がった。
教室を出ていく礼真を見て、じわっと込み上げてくる笑みをそのままに、マキシはその後ろ姿を追いかけた。
「オカルトホラーロマンティックラブストーリーがいいなー」
すぐ追いついたマキシは、横に並んで、コツンと肩をぶつける。
「なげぇよ」
礼真が笑いながら、肩をぶつけ返してくる。
「じゃあ、ロマンティックラブストーリー」
「オカルトがなかったら、俺らの存在全否定じゃん」
「まっ?」
そんなことを言い合いながら二人は、夜明け前の学校をあとにした。
数時間後、制服に身を包み、黒い少し擦り切れたバックパックを肩から下げた礼真は、2年3組の教室の前に立っていた。
通学鞄は、
『お前らがいつも仕事で使ってるヤツがあるだろ、なんでもかんでも買おうとすんな』
という花子の一言で、購入は却下になった。
そこに不満はないが、いつもはマキシが結界に使う水やタブレットが入っているバックパックに教科書、ノートが入っているのは少し妙な気持ちになる。
礼真はバックパックを持ち直すと、イヤーカフを軽くタップした。
「今から、入る」
『ん、モニターできてるよ』
マキシの声が何度もテストした通りによく聞こえる。
『しつこいようだけど、要注意は九条薫。サクちゃんの記憶操作のかかりが悪いから』
「わかってる、だから、隣の席で俺から話かけて、記憶を定着させる…だろ?」
礼真はほとんど唇を動かさずに言いながら、教室に入った。
「おはよー」
「おはよー佐藤」
「佐藤くん、おはよう」
教室にいる生徒に軽く声をかけると、みんな当たり前のように返事を返してくれる。
礼真はほっとしながら、昨日マキシと運び込んだ席についた。
『高校生らしく、仲良しーって感出すんだよ、スンっしちゃだめだよ』
初登校の子供を心配する保護者のようなマキシの言葉に少し笑いながら、
「わかってる、高校生のノリだろ。一回通ってるから、わかるって。」
『うんうん、まぁこうやってずっと繋がってるから、困ったときはすぐサポートするから』
さらに言うマキシの声を聞きながら、礼真は教室を見まわした。
さぁ、ここからが本番だ。
礼真の2週間の高校生活が始まる。
Next heart: “Not only かわいい but also…”



