消えたい君の守り方。

夜が深まるのを待ち、外の世界に踏み出す。いつも通り海辺の町を通り過ぎ、茂みを抜けてトンネルの中を歩いた。
あと数メートル歩けば、佑月がそこにいるかどうか一目で分かる。鼓動が激しくなる胸元を抑えながら、トンネルの隅から顔を覗かせた。

「よかった。いてくれたんだね」

安堵の息とともに漏れたそんな独り言はすぐに夜風に攫われて溶けていった。その声と砂を踏みしめる音で私の存在に勘付いたのか、佑月がゆっくりとこちらに振り返る。その動きは僅かな気怠さを纏っているように見えた。こちらをじっと見据える佑月の瞳には、さっそく呆れの色が浮かんでいる。

「いてくれたもなにも、この前“それじゃあまた”って言ったでしょ」
「確かにそれはそうだけど、普通急に目の前から消えられたら焦るよ。ほら、貴方の存在自体が幻みたいなものだし」

そう返した瞬間、いつも夜の暗闇に染められて淀んでいる佑月の目が微かにより深く濁ったような気がした。何か機嫌を損ねるような言葉を発してしまっただろうか。意味が掴めないその反応を前に、私の胸には確かな焦燥感と不安が募っていた。早く話題を変えなければ。濁りが沈殿した空気を変えるために、あれからずっと抱いていた疑問を投げかけてみることにした。

「それでさ、なんであの時いなくなったの?理由だけでも知りたいな」
「それ、君に教えないとダメ?」

その声色には確かな輪郭を持った警戒心が滲んでいた。あ、まただ。貴方の心の中枢に触れようとするたび、貴方は心の壁を作って私から離れていってしまう。少なくとも、今はこの疑問の先に手を伸ばすべきじゃなかったのかもしれない。それなら私は何と返すべきなんだろう。少しの間言葉を閉ざして思案したのちに、私はそっと口を開いた。

「ううん、別に教えなくてもいいよ。貴方が言いたくないなら無理に聞かないし」
「……あっそ」

佑月から返ってきた言葉は海に触れる夜風のように冷たいものだったけれど、私が紡げる最善の返答こそが今の言葉だと思ったのだ。その時、いつものように固い表情を浮かべていた佑月が“というか、”という一言から話を切り出した。

「来るの遅かったね。君のことだから次の日くらいにはすぐ来ると思ってた」
「なに、もしかして私がいなくて寂しかったの?照れちゃうな~」

いつも通り明るい声色で少し素っ頓狂な言葉を返す。てっきり怪訝な視線を送ってくるかとばかり思っていたのに、佑月の顔に宿った表情は真剣そのものだった。

「……寂しかったって、そう言ったらどうする?」
「そんなこと言われたら思わず抱きしめちゃうかな~!」
「げっ……」

口にした言葉の勢いのまま思い切って佑月の背中に手を伸ばしてみたものの、華麗に身をよじってかわされてしまった。まあ、端から黙って受け止めてくれるとは思っていなかったけれど。

「げっ、とはなんだ!女の子に抱きしめてもらえる瞬間なんて滅多にないんだぞ!」
「滅多にないどころか、君以外ボクの存在は見えないだろうから誰にも抱きしめてなんかもらえないよ。今までだって誰にも気づいてもらえなかったし」

やっと、佑月がこの前呟いていた“これまでずっと一人で生きてきた”という言葉の真意が汲み取れた気がする。それと同時にこれまで胸に秘めていた謎の正体も解けた。この子はどうして長い間一人ぼっちだったんだろう、その間に私と同じように声をかけた人間が一人くらいいてもおかしくなかったのに。ずっとそう感じていた。しかし、よくよく明瞭な思考を巡らせてみれば、人魚が誰の目にも映ったとしたら今頃大騒ぎになっていただろうし、誰にも見えないというのは当然の話だろう。

「じゃあ、なんで私だけ貴方のこと見えるんだろーね」
「それこそ生き別れの兄妹か姉妹くらいじゃないと説明つかないのにね。君は変な人だよ、まったく」
「変な人―?もっと素敵な言葉を使ってよ。運命の人、みたいにさ」
「君が運命の人とか、こっちから願い下げだね」
「あーひどい!私が運命の人とかお得だよ?ほら、こんなに美人で優しくて可愛げのある子、他にいないでしょっ!」

自信を絵に描いたような表情を浮かべながら、佑月に向かって勢いよく親指を立てる。佑月の表情はみるみるうちに渋くなっていった。

「……ドン引きなんだけど」

普段一切顔色を変えない佑月が見せる珍しく引きつった表情に、思わず笑みがこぼれる。もちろん今の発言は冗談に過ぎないけれど、佑月の反応が面白くてついこういう軽口を投げかけたくなる。ある程度笑いが収まったところで、ふいに腕時計へ視線を移した。時刻は午前零時過ぎ、会話が弾んだのもあってすっかり夜が深まってしまった。

「それじゃあ、そろそろ帰るね。私、明日朝早いんだ」

そう呟いて、スカートについた砂を払いながら立ち上がる。帰路につくため踵を返した瞬間、パーカーの袖口をつままれたような感覚がした。

「ボクは、夜しか生きられない」

後ろから聞こえてくる、呟きにも似たその言葉はあまりにも静かだった。自分に降りかかっている運命を当然に受け入れているような、そんな諦念が浮かんだ声色。

「夜しか生きられないって、どういうこと………?」
「夜から抜け出せられなくて夜明けが来ると体が消えるんだ、いつも」
「そっか。それは………」

その後に続く言葉を絞り出せなかった。なんと声をかければいいのか、口にするべき言葉の輪郭を掴めなかったのだ。今の貴方にはどんな言葉を紡いだとしても傷を与えてしまう気がして、口が思うように動いてくれない。

「ボクは、朝日をいつか見てみたいんだ。彼女の……朝陽の名前と同じその存在を間近で」
「その方法の目星は何かついてるの?」
「それは……まだ、かな」
「なら一緒に探そうよ、私も協力する」

口をついて飛び出た一言だった。夜から抜け出せる方法を見つけられる根拠なんてどこにもない。もしかすると、そんな方法なんてこの世界に存在しないのかもしれない。
それでも、貴方の瞳に眩いほどの光を放つ鮮やかな朝日を映してあげたいと漠然と思った。

「夜明けに消えちゃう貴方の守り方を、私が絶対に見つけてみせるから」