「最後に…………未来の話をしようか」
佑月は顎に手を当てて思案したのちに、そう呟いた。唐突な言葉だったけど、私は黙って頷く。
「君はどんな未来を生きるのかな。どんな大人になるのかな。君は、少しずつ大人になっていくんだね。ボクは大人になれないのに」
その口調はひどく淡々としているのに、その裏には感情をかなぐり捨てているような苛烈さが滲んでいた。私はどう返答するべきなのかが分からなくて、ただ狼狽えることしかできない。
「ごめん、ごめんね、こんなことが言いたいわけじゃなかったんだ。ボクが言いたかったのは…………!」
さっきとは打って変わって喉が張り裂けんばかりに叫んだ佑月は、荒くなった息を整えるために深く呼吸してからもう一度おもむろに語り始めた。
「君は大人になっていくのにそれを間近で見られない、それが何よりも苦しい。17歳のまま時が止まってしまうボクに比べて、君は大人になっていく。一緒に大人になって、一緒に年老いたかったのに。君の成長をそばで見られないのが、悔しくて仕方ないんだ」
「ごめんね、何もできなくて。貴方をもう一度救いたいのに…………私にはどうすることもできない」
もう、貴方を救う手立てはきっとない。到底自分の手ではどうにもできない死という存在に圧倒されて、一人何もできない無力さに襲われている。
「なんでボクは死ななきゃいけなかったんだろう。なんでボクだけ生きられなかったんだろう。君のそばから離れたくないよ、凪桜……!」
半ば取り乱している佑月が私の肩をむんずと掴んで力任せに揺らす。そんな佑月を力いっぱい抱きしめて私はそっと言葉を紡ぐ。
「ごめん、ごめんね。代わってあげられなくて。最初から私が身代わりになってればよかったのに」
その言葉で我に返ったように佑月は口をつぐんだ。数秒の間、沈黙が私たちの隙間を揺蕩った。それを先に打ち破ったのは佑月の声だった。
「……ボクはね、この運命を背負ったのが自分でよかったと思ってる。17年の孤独も、それで生まれた心の痛みも君に背負わせたくはないから」
佑月の声はどこまでも悲痛で、愛に溢れていた。私に何も言わずに全て一人で背負ってしまう、この子のこういうところが苦しくなるくらい嫌いで、そしてこの上なく好きなのだ。
「だから、せめて笑顔で見送ってよ。最後に見る景色が君の笑顔だなんて、そんなに素敵なことは他にないよ」
貴方の声は弾んでいるけれど、どこか空元気に見えた。当然だ、今貴方は自分が消える運命にいる恐怖に抗っているのだから。
「ボクのことなんか忘れて……なんて言えないな。ごめん、ボクは漫画の主人公じゃないから“君の枷になるくらいなら自分のことは忘れてくれ”なんて言えないんだ。本当は、ボクのこと絶対忘れないで欲しい。死ぬまで引きずっていて欲しい」
ありとあらゆる感情が入り混じっているであろう心中を力任せに吐き捨てた貴方は、悔しそうに俯いた。貴方の目には影が落ち、それは瞳との境界線を失った。
「こんなこと言ったら凪桜がきっと最期まで気にすることだって分かってる!ごめんね、ボクは身勝手な人間なんだ」
「ううん、貴方はそれでいいの。どこまでも人間味があって、泥臭くて、それが貴方なんだから」
「君には自由に生きていて欲しいのに、ホント矛盾だらけだよな。自分でも意味が分からないや」
貴方は自嘲するような含みのある笑みを口角に浮かべた。それでもその目つきはひどく寂しそうに見える。
「でも、これから言うことも本当なんだ。聞いてくれるかい?」
佑月が私の手を握る。貴方の手からは体温がじんわりと伝わってきた。けれど、それと同時に佑月の指先が透明になって消えかかっているのに気がついた。もう貴方に残された時間は少ない、そう悟った。
「うん、貴方の言葉なら聞きたい」
「これから君が生きる外の世界では“生き残った人は死んだ人の分まで生きろ”なんて言われることがあるかもしれない。でもね、凪桜はボクの分まで生きようとなんかしなくていい。ボクの命まで背負おうとしなくていい」
「でも、でも貴方はそれでいいの…………?」
「ただでさえ、残された側は色んな感情を抱えているのに、もう一人の命なんて抱えてられないじゃないか。やっと手に入れた自由があるんだから、凪桜は凪桜の人生を生きて」
そう告げる貴方の意思は、どこまでもまっすぐだった。もう何にも囚われない私には拒否権があったけれど、その言葉に拒否なんてしなかった。
私たちはどちらからともなく、互いの頬に手を当てながら額をぴったりとくっつけていた。
「佑月と出会えて、一緒に笑えて、泣けて、私は今幸せだよ。本当に、愛してるから」
“幸せ”
これまでの17年間の人生の中で、一度も口にしたことのなかった言葉を今声にしている。幸せ、幸せ。心の中で自分が放った言葉を噛みしめた。そう、私は今幸せなのだ。
屈託のない笑顔をたたえた貴方が目の前にいて、同じように笑っている私がいて、二人の声が交わっている。その事実が、たまらなく幸せだった。
「ボクも、君が大好きだ」
佑月は、私より少し小さな愛の言葉を返した。でも、今は言葉の違いなんてどうだっていい。ただ、貴方との最後の時間に浸っていたい。貴方の体温に心を沈めて、貴方の言葉に心を撫でられて、そうして過ぎていく時間が何より心地いい。
「私、絶対貴方をもう忘れないよ。どんなに痛くても、苦しくても未来まで貴方の生きていた証を連れていくから、貴方はそれを空から見ていて」
「ボクもだ。絶対君を忘れたりしない。もし来世があるとして、また出会えたら今度こそ“初めまして”じゃなくて“久しぶり”を交わそう」
佑月の体は、もう半分ほど透明に消えかけていた。刻一刻と終わりの時間が近づいている。それなのに、一番大切なことを私はまだ伝えられていない。
「佑月、あのね。本当の私を見つけてくれてありがとう。私、ようやく私になれたよ」
佑月と出会って救ってもらってから、私はようやく本当の私になることができた。自分を生きられていたあの頃の私にようやく戻れたような気がした。あの頃と同じように無邪気に笑えるようになって、止まっていた時が動き出したようなそんな感覚だ。
「最後にそれを聞けてよかった。ボクは、君を救えたんだね」
涙に自分を呑まれた私は、もうそれに返事をすることができなかった。でも、これだけは言わなきゃ。身体のほとんどが透明に消えている貴方に、最後の言葉を紡ごう。
「さよなら、佑月」
その言葉が浜辺に浮かぶと同時に、佑月はそよ風に攫われるようにして姿を消した。佑月がいた場所には、温かな陽光が差している。その光景を私は目に焼き付けた、この生涯を閉ざすその日まで忘れぬように。
佑月は顎に手を当てて思案したのちに、そう呟いた。唐突な言葉だったけど、私は黙って頷く。
「君はどんな未来を生きるのかな。どんな大人になるのかな。君は、少しずつ大人になっていくんだね。ボクは大人になれないのに」
その口調はひどく淡々としているのに、その裏には感情をかなぐり捨てているような苛烈さが滲んでいた。私はどう返答するべきなのかが分からなくて、ただ狼狽えることしかできない。
「ごめん、ごめんね、こんなことが言いたいわけじゃなかったんだ。ボクが言いたかったのは…………!」
さっきとは打って変わって喉が張り裂けんばかりに叫んだ佑月は、荒くなった息を整えるために深く呼吸してからもう一度おもむろに語り始めた。
「君は大人になっていくのにそれを間近で見られない、それが何よりも苦しい。17歳のまま時が止まってしまうボクに比べて、君は大人になっていく。一緒に大人になって、一緒に年老いたかったのに。君の成長をそばで見られないのが、悔しくて仕方ないんだ」
「ごめんね、何もできなくて。貴方をもう一度救いたいのに…………私にはどうすることもできない」
もう、貴方を救う手立てはきっとない。到底自分の手ではどうにもできない死という存在に圧倒されて、一人何もできない無力さに襲われている。
「なんでボクは死ななきゃいけなかったんだろう。なんでボクだけ生きられなかったんだろう。君のそばから離れたくないよ、凪桜……!」
半ば取り乱している佑月が私の肩をむんずと掴んで力任せに揺らす。そんな佑月を力いっぱい抱きしめて私はそっと言葉を紡ぐ。
「ごめん、ごめんね。代わってあげられなくて。最初から私が身代わりになってればよかったのに」
その言葉で我に返ったように佑月は口をつぐんだ。数秒の間、沈黙が私たちの隙間を揺蕩った。それを先に打ち破ったのは佑月の声だった。
「……ボクはね、この運命を背負ったのが自分でよかったと思ってる。17年の孤独も、それで生まれた心の痛みも君に背負わせたくはないから」
佑月の声はどこまでも悲痛で、愛に溢れていた。私に何も言わずに全て一人で背負ってしまう、この子のこういうところが苦しくなるくらい嫌いで、そしてこの上なく好きなのだ。
「だから、せめて笑顔で見送ってよ。最後に見る景色が君の笑顔だなんて、そんなに素敵なことは他にないよ」
貴方の声は弾んでいるけれど、どこか空元気に見えた。当然だ、今貴方は自分が消える運命にいる恐怖に抗っているのだから。
「ボクのことなんか忘れて……なんて言えないな。ごめん、ボクは漫画の主人公じゃないから“君の枷になるくらいなら自分のことは忘れてくれ”なんて言えないんだ。本当は、ボクのこと絶対忘れないで欲しい。死ぬまで引きずっていて欲しい」
ありとあらゆる感情が入り混じっているであろう心中を力任せに吐き捨てた貴方は、悔しそうに俯いた。貴方の目には影が落ち、それは瞳との境界線を失った。
「こんなこと言ったら凪桜がきっと最期まで気にすることだって分かってる!ごめんね、ボクは身勝手な人間なんだ」
「ううん、貴方はそれでいいの。どこまでも人間味があって、泥臭くて、それが貴方なんだから」
「君には自由に生きていて欲しいのに、ホント矛盾だらけだよな。自分でも意味が分からないや」
貴方は自嘲するような含みのある笑みを口角に浮かべた。それでもその目つきはひどく寂しそうに見える。
「でも、これから言うことも本当なんだ。聞いてくれるかい?」
佑月が私の手を握る。貴方の手からは体温がじんわりと伝わってきた。けれど、それと同時に佑月の指先が透明になって消えかかっているのに気がついた。もう貴方に残された時間は少ない、そう悟った。
「うん、貴方の言葉なら聞きたい」
「これから君が生きる外の世界では“生き残った人は死んだ人の分まで生きろ”なんて言われることがあるかもしれない。でもね、凪桜はボクの分まで生きようとなんかしなくていい。ボクの命まで背負おうとしなくていい」
「でも、でも貴方はそれでいいの…………?」
「ただでさえ、残された側は色んな感情を抱えているのに、もう一人の命なんて抱えてられないじゃないか。やっと手に入れた自由があるんだから、凪桜は凪桜の人生を生きて」
そう告げる貴方の意思は、どこまでもまっすぐだった。もう何にも囚われない私には拒否権があったけれど、その言葉に拒否なんてしなかった。
私たちはどちらからともなく、互いの頬に手を当てながら額をぴったりとくっつけていた。
「佑月と出会えて、一緒に笑えて、泣けて、私は今幸せだよ。本当に、愛してるから」
“幸せ”
これまでの17年間の人生の中で、一度も口にしたことのなかった言葉を今声にしている。幸せ、幸せ。心の中で自分が放った言葉を噛みしめた。そう、私は今幸せなのだ。
屈託のない笑顔をたたえた貴方が目の前にいて、同じように笑っている私がいて、二人の声が交わっている。その事実が、たまらなく幸せだった。
「ボクも、君が大好きだ」
佑月は、私より少し小さな愛の言葉を返した。でも、今は言葉の違いなんてどうだっていい。ただ、貴方との最後の時間に浸っていたい。貴方の体温に心を沈めて、貴方の言葉に心を撫でられて、そうして過ぎていく時間が何より心地いい。
「私、絶対貴方をもう忘れないよ。どんなに痛くても、苦しくても未来まで貴方の生きていた証を連れていくから、貴方はそれを空から見ていて」
「ボクもだ。絶対君を忘れたりしない。もし来世があるとして、また出会えたら今度こそ“初めまして”じゃなくて“久しぶり”を交わそう」
佑月の体は、もう半分ほど透明に消えかけていた。刻一刻と終わりの時間が近づいている。それなのに、一番大切なことを私はまだ伝えられていない。
「佑月、あのね。本当の私を見つけてくれてありがとう。私、ようやく私になれたよ」
佑月と出会って救ってもらってから、私はようやく本当の私になることができた。自分を生きられていたあの頃の私にようやく戻れたような気がした。あの頃と同じように無邪気に笑えるようになって、止まっていた時が動き出したようなそんな感覚だ。
「最後にそれを聞けてよかった。ボクは、君を救えたんだね」
涙に自分を呑まれた私は、もうそれに返事をすることができなかった。でも、これだけは言わなきゃ。身体のほとんどが透明に消えている貴方に、最後の言葉を紡ごう。
「さよなら、佑月」
その言葉が浜辺に浮かぶと同時に、佑月はそよ風に攫われるようにして姿を消した。佑月がいた場所には、温かな陽光が差している。その光景を私は目に焼き付けた、この生涯を閉ざすその日まで忘れぬように。
