消えたい君の守り方。

そろそろ夕日が落ちる予感がしてきた、学校終わりの午後四時過ぎ。教科書の重みが詰まったスクールバッグを揺らしながら校門をくぐる。あれから数回太陽が昇っては沈むのを繰り返すうちに、体に残っていた気怠さも落ち着いてきた。症状が引いてからは普段通り学校にも通っている。

ほんの数週間前まで溢れんばかりに花弁が咲き誇っていた桜の木も、今となっては日の光を受けて若草色に輝く新緑へと染まりきっている。桜の季節までは確かにそこで瞬いていたお母さんたちへの思いも、桜の木から零れ落ちた欠片も、この頬を撫でる春風に呑まれて姿を消し、満開だった桜の木の姿はすっかり皆の記憶からも色褪せてきた。
人のいなくなった桜の木から目まぐるしい周りの景色へと視線を移す。

周囲には帰り支度をしている生徒や友達と談笑しながら帰路につく生徒の姿がちらほらと視界に入るようになった。校門前でたむろしているのは運動部のグループだろうか。
本当は私もミルクティーでも飲みながら部活友達とひたすら他愛もない話題で駄弁って帰りたかったけど、あいにく今日その余裕はない。運よく部活が休みなのを利用して今日の私がしなければいけないこと、それはもう一度あの海に足を運ぶことだ。

実は私は浜辺で倒れていたのだと、看護師さんから聞いた。きっとあの歌声の主が浜辺まで運んでくれたのだろう。それにそこにはビニール傘が差してあったらしく、私の私物だと判断されて病院まで運ばれていたのだ。運んでもらった手前、自分のものではないと真実を話す気にもなれず、持ち帰った末に今日あの浜辺へ返しに行くことにしたのだ。

偶然漂着していたにしてはあまりに都合の良すぎる場所で、風に飛ばされてきたにしても同時に落ちていないと不自然なはずのビニール袋や小枝なんかの姿は周囲に見当たらなかった。そこから導き出される結論はただ一つだ。
溺れていたのを助けてくれた人が傘を置いて立ち去った可能性、それが最も真実に近いような気がした。

もし雨に打たれる私の姿を見かねてあの人が傘を差していってくれたのだとしたら、この傘を持ち主に返しに行かなくてはいけない。もちろん助けてくれたお礼も一緒に。今日はそのために、傘の下に添えるためのドライフラワーと手書きのメモもスクールバッグに潜ませてきた。

けれど、制服を着た人間が海で溺れていたというのに、救急車を呼ぶでもなく警察に通報するでもなくただ傘を置いていく、という行動は不自然そのもので行動の意図はさっぱりと言っていいほど掴めない。

それでも、誰かのものである可能性が一縷でもあるなら行動を起こすべきだ。

意を決して、あの日の記憶を頼りに地図アプリを開きながら浜辺への経路を歩き始める。海沿いの町を通り過ぎ、茂みを抜けたそこに広がっていたのは、間違いなくあの日の記憶と重なる海岸沿いの道とそのそばで揺れ動く大海原だった。

確か私があの日海に落ちたのはこの辺りだったはず。

「それなら、私が倒れてたのはこの辺かな」

視線を巡らせた先にはあの日と同じ景色をした浜辺があった。手に持っていた傘をそっと砂の上に乗せ、その下にお礼のメッセージとドライフラワーを添える。

「よし、やらなくちゃいけないことは済んだし帰ろう」

ふぅ、と息を吐いて小さく伸びをする。
ゆっくりと立ち上がって何気なく顔を上げてみると、先ほどまで頭の斜め上に浮かんでいた気がする太陽はその姿を夕日に変えて西の空に佇んでいた。もうこんな時間か。

気づけば夕日が水平線と重なる時間になっていたみたいだ。夕日から放たれる光が視界いっぱいに満ちて、普段地面ばかりを見ていて濁っている瞳に光を注ぐ。
夕日の光が少し眩しくて思わずそっと目を伏せる。足元の少し先ではささやかな波が柔和な表情を浮かべてこちらへと押し寄せては引いていくのを繰り返している。私の毎日も、こんな風にひどく穏やかなものであったらいいのに。そう思わずにはいられなかった。