いよいよ本格的な夏が到来し、街の景色は夏仕様にすっかり様変わりした。でも、私の気持ちは何一つ変わらなかった。消えたいと願いながら、今日この日も私は佑月の隣で息を吸っている。
「どうかな、ちょっとは君の心の傷もよくなってきた?」
「ごめん、今日も消えたいまま。ごめんね、生きたいと思えなくて」
そっか、と貴方は一言だけ返して口をつぐんでしまった。もう私はそれ以上の言葉を口にする気力も尽きていて、話題を広げるような行動には移らなかった。
「凪桜、今日は話したいことがあるんだ。聞いてくれる?」
分かった、と私は頷いて貴方の瞳をじっと見つめた。よほど重みのある言葉を私に伝えようとしているのか、佑月は深呼吸をしてからようやく口を開いた。
「これまで生きててくれてありがとう。頑張ってくれてありがとう」
「ど、どうしたの。急に…………」
突然の言葉に困惑の色を隠せなかった。どういう意図で発したものなのか、全く見当もつかない。
「凪桜、消えてもいいよ。ごめんね、君を救えなくて」
ついに終わってもいいの?もう、これ以上苦しまなくていいの?
やっとこの肩に伸し掛かっていた重荷を下ろすことができる、そう思うだけで肩の力が抜けた。
「もう、消えるのをボクは止められないよ。生きてて欲しいっていう身勝手な我儘で、これ以上君を苦しませ続けることはできない」
「本当にいい、の……?」
「でも一人で行かせる気はないから。消えるなら一緒に行こう」
声にならない声が吐息とともに唇の隙間から漏れた。佑月の言葉が、上手く理解できなかった。
「え…………?でも、貴方はまだ生きたいんじゃないの?一緒に消えてもらうとか、そんなのできないよ」
「これは別に君に合わせて、とかそんな理由じゃない。他の誰のせいでもない、ボクの意志による決断だ」
きっと、私が自責の念に駆られるのを防ぐためにその言葉を付け加えてくれたのだろう。こんな時にすら、私を慮ってくれる佑月の優しさが心の傷に染みて痛い。
「実はさ、朝陽のことを除いたらボクにも生きる意味とか大してないんだ。どんなに足掻いてもボクには家族がいないし、学校にも行けないし、普通になれない。そんな日々に生きてる意味なんて見出せなかった」
「そう、なの……?ごめん、今まで全然気づけなくて。私なんかよりも貴方を助けるべきだったのに、ずっと助けてもらってばっかりで…………」
大丈夫、君は気にしないで、と佑月は穏やかな声色で言いながら私の背中をさすった。その手つきはひどく優しくて、胸が苦しくなった。
「何もかも、どうしようもないんだよ」
水平線を睨みつける佑月の眼差しは、これまで見たことがないほど鋭かった。呆れや諦念ではなく、世界への怒りに満ちたような瞳をしている。それを宥めるのもおかしな気がして、私はそっと瞼を閉じて白波の音にだけ耳を傾けた。そのうち、私は眠りに沈み込んだ。
「ねぇ、凪桜。目を開けてくれる?」
__佑月の声だ。意識が覚醒するとともに、ゆっくりと瞼を開いた。私の視界に浜辺の景色が描き出されて、その中に制服姿の貴方が立っている。
立って、いる?
「なんで、貴方に足が…………」
これは、夢なのだろうか。あまりに現実離れした光景を前にどうしていいか分からなくて、とりあえず頬をつねって目元を擦ってみた。だけど、頬は痛いし目元をいくら擦っても佑月の姿は変わらない。
「君が眠ってから、ボクも隣で一緒に寝てたんだ。それで目が覚めたら人間の姿になってて…………自分でも訳が分からないよ」
その時、ハッとした。貴方が人間へと近づくのは、私が絶望の淵に追い詰められつつある時だったじゃないか。
荒波のような誕生日の夜からまだ間もない頃、貴方は心を手に入れた。そして今、消えたい気持ちを抱えている私の目の前で貴方は人間の姿を手に入れた。つまり、私が不幸に近づけば近づくほど、人魚の貴方は人間に変わっていくのかもしれない。
「ねぇ、最後に思い出だけ作らない?いつもの日常から逃げ出して、二人きりで生きるんだ。そして旅の終わりには二人で消える、ボクらだけの逃避行。いい案だと思わない?」
突拍子もない言葉だった。でも、それは今の私にとって他の何にも代えがたい救いになる予感がしたのだ。
「そうだね。逃げよっか、この世界の何もかもから」
そういえば、お母さんたちは明日から五日間母方の実家に帰省すると聞いている。どうやら母から見て叔父さんに当たる人が亡くなったらしく、遺品整理やその他もろもろの用事のために帰省するのだという。あのお母さんが私を置いて家を留守にすることに違和感がないといえば嘘になるけれど、お母さんの監視の目がなくなる瞬間なんてそうそうない。逃避行を決行するなら今回が絶好のタイミングだろう。
「どうかな、ちょっとは君の心の傷もよくなってきた?」
「ごめん、今日も消えたいまま。ごめんね、生きたいと思えなくて」
そっか、と貴方は一言だけ返して口をつぐんでしまった。もう私はそれ以上の言葉を口にする気力も尽きていて、話題を広げるような行動には移らなかった。
「凪桜、今日は話したいことがあるんだ。聞いてくれる?」
分かった、と私は頷いて貴方の瞳をじっと見つめた。よほど重みのある言葉を私に伝えようとしているのか、佑月は深呼吸をしてからようやく口を開いた。
「これまで生きててくれてありがとう。頑張ってくれてありがとう」
「ど、どうしたの。急に…………」
突然の言葉に困惑の色を隠せなかった。どういう意図で発したものなのか、全く見当もつかない。
「凪桜、消えてもいいよ。ごめんね、君を救えなくて」
ついに終わってもいいの?もう、これ以上苦しまなくていいの?
やっとこの肩に伸し掛かっていた重荷を下ろすことができる、そう思うだけで肩の力が抜けた。
「もう、消えるのをボクは止められないよ。生きてて欲しいっていう身勝手な我儘で、これ以上君を苦しませ続けることはできない」
「本当にいい、の……?」
「でも一人で行かせる気はないから。消えるなら一緒に行こう」
声にならない声が吐息とともに唇の隙間から漏れた。佑月の言葉が、上手く理解できなかった。
「え…………?でも、貴方はまだ生きたいんじゃないの?一緒に消えてもらうとか、そんなのできないよ」
「これは別に君に合わせて、とかそんな理由じゃない。他の誰のせいでもない、ボクの意志による決断だ」
きっと、私が自責の念に駆られるのを防ぐためにその言葉を付け加えてくれたのだろう。こんな時にすら、私を慮ってくれる佑月の優しさが心の傷に染みて痛い。
「実はさ、朝陽のことを除いたらボクにも生きる意味とか大してないんだ。どんなに足掻いてもボクには家族がいないし、学校にも行けないし、普通になれない。そんな日々に生きてる意味なんて見出せなかった」
「そう、なの……?ごめん、今まで全然気づけなくて。私なんかよりも貴方を助けるべきだったのに、ずっと助けてもらってばっかりで…………」
大丈夫、君は気にしないで、と佑月は穏やかな声色で言いながら私の背中をさすった。その手つきはひどく優しくて、胸が苦しくなった。
「何もかも、どうしようもないんだよ」
水平線を睨みつける佑月の眼差しは、これまで見たことがないほど鋭かった。呆れや諦念ではなく、世界への怒りに満ちたような瞳をしている。それを宥めるのもおかしな気がして、私はそっと瞼を閉じて白波の音にだけ耳を傾けた。そのうち、私は眠りに沈み込んだ。
「ねぇ、凪桜。目を開けてくれる?」
__佑月の声だ。意識が覚醒するとともに、ゆっくりと瞼を開いた。私の視界に浜辺の景色が描き出されて、その中に制服姿の貴方が立っている。
立って、いる?
「なんで、貴方に足が…………」
これは、夢なのだろうか。あまりに現実離れした光景を前にどうしていいか分からなくて、とりあえず頬をつねって目元を擦ってみた。だけど、頬は痛いし目元をいくら擦っても佑月の姿は変わらない。
「君が眠ってから、ボクも隣で一緒に寝てたんだ。それで目が覚めたら人間の姿になってて…………自分でも訳が分からないよ」
その時、ハッとした。貴方が人間へと近づくのは、私が絶望の淵に追い詰められつつある時だったじゃないか。
荒波のような誕生日の夜からまだ間もない頃、貴方は心を手に入れた。そして今、消えたい気持ちを抱えている私の目の前で貴方は人間の姿を手に入れた。つまり、私が不幸に近づけば近づくほど、人魚の貴方は人間に変わっていくのかもしれない。
「ねぇ、最後に思い出だけ作らない?いつもの日常から逃げ出して、二人きりで生きるんだ。そして旅の終わりには二人で消える、ボクらだけの逃避行。いい案だと思わない?」
突拍子もない言葉だった。でも、それは今の私にとって他の何にも代えがたい救いになる予感がしたのだ。
「そうだね。逃げよっか、この世界の何もかもから」
そういえば、お母さんたちは明日から五日間母方の実家に帰省すると聞いている。どうやら母から見て叔父さんに当たる人が亡くなったらしく、遺品整理やその他もろもろの用事のために帰省するのだという。あのお母さんが私を置いて家を留守にすることに違和感がないといえば嘘になるけれど、お母さんの監視の目がなくなる瞬間なんてそうそうない。逃避行を決行するなら今回が絶好のタイミングだろう。
