消えたい君の守り方。

最近、学校に行くのが以前よりもずっと辛く感じるようになった。特段目立つ理由はなくて、いつもと同じ日常であることには変わりない。でも学校に行けない私に価値なんてないから、歯を食いしばって毎日通っている。普通じゃない私に、価値なんてないのだから。

「何かあった?目の下にクマができてるけど」

佑月が真っ先に投げかけてきたのはそんな問いだった。いかにも不思議そうに首を軽く傾げている。

「あー、それは全然大丈夫!ただ夜更かししちゃってできただけだから」

咄嗟に嘘を並べた。クマができた理由を話そうとすると、どうしても学校の話を出さなくてはいけなくなる。佑月に学校の話題を出すべきではないし、何より真実を話せば佑月を心配させてしまうかもしれない。

「本当のことを言って。君、明らかに疲れきった顔してるし、それが嘘なことくらいボクにもすぐ分かるよ」
「誰にも気づかれなかったんだけどなぁ……佑月にはやっぱり敵わないや」

取り繕った笑顔を顔に張り付けながら小さな笑いを漏らす。それは自分が思っているよりもずっと乾いた笑いだった。

「本当は、学校に行くのがちょっとしんどくて。夜になったら毎日泣いてさ、どうか明日が来ませんようにって。そのせいでクマができてたみたい」
「そんなに辛いなら、学校から逃げればいいのに」

佑月はその言葉の重みに反して、意外なほどあっけらかんとそう口にした。佑月は人間の世界で生きた経験がない。逃げるということがいかに容易でないか、きっと想像するのが難しいのだろう。

「佑月。あのね、そんなことできないんだ。私はもうすでに一回学校から逃げた。また逃げ出すなんて、私が誰よりも許せないの」

そう、私は一度逃げたことがあるのだ。
あの頃………中学生の頃、私には学校に行けない時期があった。理由と呼べる理由はない。ただ、ある日突然普通の日々を生きる気力が尽きたのだ。ベッドから起き上がることさえもままならなくなって、食事もまともに喉を通らなかった。毎日学校へ欠席連絡を入れる母の疲れた声色を聞くのが辛かったのを今でもよく覚えている。

毎日学校に行かなきゃ、という焦燥感に駆られながらも学校どころか家の外にすら出られない、そんな日々が続いた。それはまさに、夏休み終わりの8月31日が毎日繰り返されているような感覚だった。

そしてさらに私を苦しめたのは、“学校に行きたくない理由が分からない”ということだった。いじめられているわけでも、クラスで孤立しているわけでもない、そんな私には学校を休む正当な理由がなかった。これといった理由もないのにただ漠然と“辛い”という気持ちだけが心を支配していた。不登校になったその日から、私は毎日のように学校に行けない理由を模索するようになった。それだというのに、どれだけ思考を巡らせてもその理由は見つからないままだった。

今でもその時なぜ突然動けなくなったのかは分からない。いや、端から理由が分からなかったというよりかはこれを理由にしていいものなのかが分からない、と言った方が正しいかもしれない。

実は私にも、思い当たる節はいくつかあった。人に気を遣いすぎるのがしんどい、先生の怒鳴り声が苦手、友達から無視されているような気がする、そんな理由だ。だけどどれもこれも取るに足らない苦しみばかりで、学校に行けない理由として自信をもって大人に伝えられるようなことは一つたりともなかった。だって学校に行けなくなる理由といえば、普通はいじめられているからとか大きな病気を抱えているからとか、そういうものだ。

当時の心はとっくに限界を迎えていたけど、周囲には一日にいくつも習い事を詰め込んでいる子やまだ中学生だというのに休日になると朝から晩まで塾に籠っている子の話を小耳にはさんでいたから、大して何かを頑張っているわけでもない自分のこんなちっぽけな苦しみをその理由に当てはめていいかが分からなかった。
だから学校に行きたくない理由を問われた時には“分からない。何となく”としか答えようがなかったのだ。

「ねぇ凪桜、全部から逃げちゃおうよ」
「佑月は学校に行ったことも、人間の世界で生きたこともないからそんなこと言えるんだよ……!そんな軽々しく言わないで」

口をついて飛び出た言葉だった。こんなこと、言うつもりじゃなかったのに。佑月にだけはぶつけちゃいけない言葉をつい口走ってしまった。

「……っごめん、今の傷ついたよね。忘れて」
「大丈夫だから、そんな顔しないで。ボクはね、世間の普通に逆らうことは決して正解じゃないかもしれない、でも間違いでもないと思ってるんだ。特に君くらいまで追い詰められてる人はそういう普通から逃げるべきだよ」

佑月の言葉はきっと正論だ。それでも、私にはそんな行動に出られない理由がある。

「そんなのできないよ。それでお母さんに睨まれるのは分かってることだし」
「それでも、一度くらいはお母さんに逆らったっていいじゃないか。苦しいことを苦しいって言う、その何が悪いんだよ」

最後の言葉は、他の何よりも私の心に染みわたった。確かにその通りなのかもしれない。でも、私はそれに従えない。

「それはそうかもしれないけど、逆らったりなんかしちゃダメだよ。だってそんなことしたらお母さんが…………」
「お母さんが、お母さんがって言うけど君は何のために生きてるの?君自身のためだろう」
「違う、違うよ。私はお母さんのために生きてきたの。今更そんな生き方を変えろって言われたところでどうしようもないじゃん!」

喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。それは、いつも自分の気持ちを心の底に押し込めてしまう私の精一杯の叫びだった。

「それに、逃げたらいい子じゃなくなっちゃう。私は真面目で従順で、それしか価値がないのに」
「悪い子でもいいよ。素直になれないボクとお揃いじゃないか。どうか君は、君のまま生きて。これはボクのエゴでしかないけど、それでも押し付けさせてよ」

佑月の必死な声に、ほんの少しだけ心を動かされた。私は私のまま生きる、それはあのひまわり畑の一件があってからというもの、久しく経験していない生き方だった。こんな私にも、上手くできるだろうか。でも、やるしかないのだ。ここまで背中を押してもらったからには、しないわけにはいかない。そして他でもない私自身も、そうしたい。