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 千愛が生まれて百日目。

  ☆

「お食い初め?」
「食べ物に一生困らないようにっていう願いをこめて、赤ちゃんに食べさせる真似をする儀式なんだって」
「知らなかったです。私、小さい頃の写真なんて、幼稚園のアルバムくらいしか見たことないから」

  ☆

 深愛は、この日のためにと千愛に袴ロンパースを用意した。
「わ、めっちゃ可愛い! ちょっとブカブカだけど」
「あら、こんな可愛いお衣装があるのね」
「ネットで見つけたんです。すごくいっぱいあって、めっちゃ迷いました」
 ピンクの生地にちりめん模様。桜の花がところどころにちりばめられ、ラメまで入った華やかなロンパース。

 深愛は、自分自身が両親に節目の祝い事をされた記憶がないため、すべてが新鮮だった。

「あの……このあと、お宮参りも行くんですよね?」
「ええ。本当なら生まれて三十日目に行くのが通例みたいなんだけど。一か月目は何かと慌ただしかったから、ここで一緒にやろうと思って」
「結構、イベント尽くしなんですね」
「そうね。でも、こっちまで楽しくなるから嫌ではないわ」
「そうですね」

  *

 お膳が組まれて、準備が整った。
「深愛さん、せっかくだからやってみない?」
「え、でも……」
「大丈夫。私もあとでやるから」
「……はい」
 深愛は、箸で赤飯を掴んだ。
「食べるものに、困らないように……」
 箸を千愛の口元に近づける。
 千愛が口を開けて、食べようとした。
「あ! 本当に食べたらダメだって」
 慌てて箸を引っ込めると……
「うわああーん!」
「ええ? 欲しかったの? まだ歯ないから無理だよ」
「千愛ちゃんは食いしん坊さんかな」
「多分……自分で食べ物探しに行くかもしれません」
「逞しく育ちそうね」
「はい」
 その様子を橋本さんの夫がカメラに収めていた。
「次は私がやるわ」
「はい」
 生みの親と、育ての親。
 双方から千愛は健やかな成長を願われ、祝福された。

 そして、お宮参り。
「え、私が?」
「深愛さん、今日は抱いてあげて」
「え、でも……」
「この三か月、ずっと千愛ちゃんの成長を見てきたでしょう?」
「……」
「せっかくのお祝いなんだから。今日は一緒に祝いましょう」

「……千愛」
 生まれたばかりの頃よりも、ずっしりと重みを感じた。
「重くなったね」

 近所の氏神様へ参拝に向かう。
 境内を過ぎ、大きな賽銭箱の前に並んだ。

 深愛は、目を閉じて願った。

(千愛のこれからを、橋本夫妻に託したい)

(この二人なら、千愛を必ず幸せにしてくれる)

(私はこの三か月間で、千愛から充分すぎるほどの幸せをもらった)


(短い間だったけど、千愛の母としてできることを考えて)

(橋本さんたちと寄り添って、尊重し合って)

(千愛の成長を、一緒に感じることができて)

(とても、嬉しかった)

(すごく、幸せだった)

(千愛の母としても、私自身としても)

(だから)


「橋本さん」

「何?」

「千愛のこと、受け入れてくださって……ありがとうございました」

「こちらこそ。あなたと千愛ちゃんと、ここまで時間を共有できて楽しかったわ」

「あの……」

 深愛は言葉を選びながら、夫妻に言った。

「私、今日で……千愛に会うの、最後にします」

「え?」

「この三か月間、本当に幸せでした。千愛の成長を一緒に見届けられたことも、何より……橋本さんたちが、千愛を……心から、大切に思ってくれているのがわかったことも」

 声を震わせながら、深愛は言った。

「私は、千愛のこれからを……橋本さんたちに、託したいです」
「深愛さん……」
「勝手ばかり言ってすみません。でも、二人ならきっと、千愛を幸せにしてくれると思うから」

 泣きながら笑う深愛。

「千愛……」

 深愛は、腕の中の千愛を見つめた。

 生まれたばかりの頃は、抱くことさえ怖かった。
 首が折れてしまいそうで。
 泣かれるだけで、どうしていいかわからなくて。
 それなのに、今は。

 千愛の身体を抱き上げれば、自然と腕が動く。
 小さな頭を支え、胸元へ引き寄せる。
「あー」
「うん」
 千愛が、深愛を見上げた。
「大きくなったね」
「あー」
「最初は、こんなに重くなかったのに」
 笑おうとした。
 けれど、声が震えた。

「ごめんね」
 千愛は、何も知らない。
 これから自分の腕から離れていくことも。
 もう二度と、こうして抱きしめられないかもしれないことも。
「私……千愛のお母さんなのに」
 涙が頬を伝う。
「一緒には、いられない」
「あー……」
 その声に縋りつきそうになる自分を、深愛は必死に抑えた。

 このまま抱いていたい。
 この子を連れて、どこまでも逃げてしまいたい。
 けれど、それは千愛の幸せではない。

「でもね」
 深愛は千愛の小さな手を握った。
「千愛が生まれてきてくれたこと、一度も後悔してないよ」
 小さな指が、深愛の人差し指を握る。
 その温もりを、指先に刻みつけるように、深愛は握り返した。
「むしろ……」
 深愛は泣きながら笑った。
「生まれてきてくれて、ありがとう」