リーガルウェポン


「見つかったのか?」
 電話を終えた玲に、武蔵が尋ねた。
「まだ決定じゃありません。でも、一組……受け入れを検討してくれている夫婦がいるそうです」
「そうか」
「四十代前半で、不妊治療を続けた末に実子を諦めて、里親登録をしたご夫婦だそうです」
「……うん」
「特別養子縁組になる可能性も、逆に実母のところへ戻る可能性も説明した上で、それでも話を聞きたいって」
 玲は、さっき聞いた言葉を思い返した。
「『その子に今、帰る場所がないのなら。まずは、うちに来てもらうことはできませんか』って」
 武蔵は静かに目を細めた。
「いい人たちだといいね」
「はい」
「でも、玲」
「わかっています」
 玲は頷いた。
「まだ、この人たちが千愛ちゃんの親になるって決まったわけじゃない」
「そう」
「今はただ――」
 玲は資料に書かれた、小さな名前を見る。

 千愛。

「明日から、この子を安全に育ててくれる人を探してるだけです」
「それでいい」
 親になるかどうかは、ずっと先の話。
 それでも。
 生まれてまだ数日の千愛には、今日より先の明日が必要だった。

 そして翌日。
 千愛を里親へ一時保護委託する日を迎えた。
 深愛の腕の中には、生まれてまだ数日の千愛がいた。
「では……」
 児童相談所の職員に促され、深愛は向かいに立つ橋本夫妻を見る。
 二人とも、どこか緊張した表情を浮かべていた。
 当然だ。
 橋本夫妻にとっても、今日が初めてだった。
 新生児を迎えるのは。
「……お願いします」
 深愛は、そっと千愛を差し出した。
「わあ……」
 妻の方が、息を漏らす。
 恐る恐る。
 けれど、大切なものを受け取るように。
 千愛の小さな身体が、深愛の腕から橋本夫人の腕へと移った。
「こんにちは、千愛ちゃん」
 初めて抱く、新生児。
 橋本夫人はぎこちなく、それでも愛おしそうに千愛を見つめた。
「あ……小さい」
「首、気をつけて」
「うん……」
 夫もすぐそばから覗き込む。
「本当に……小さいな」
 その様子を見ながら。
 深愛は、自分の腕を見る。
 ついさっきまで、そこにあった重みがない。
 軽い。
 あまりにも、軽かった。
「千愛……」
 思わず、名前が零れた。
「深愛さん」
「……はい」
 橋本夫人が、顔を上げた。
 腕の中には、千愛がいる。

「私たちも、新生児を迎えるのは初めてなので……正直、緊張していますが――この子は、私たちが責任を持ってお預かりします」
「……はい」
「私たちは、自分たちの子どもには恵まれませんでした」
 深愛は黙って聞いていた。
「だから、子どもを育てることは、ずっと私たちの願いでした。でも――」
 橋本夫人は、千愛を見つめる。

「千愛ちゃんは、その願いを叶えるためにいる子じゃないと思っています」
「……」
「この子には、この子の人生があります。だから私たちは、今この子に必要な家庭の一つになれたらと思っています」
 深愛の瞳が揺れた。

「ありがとうございます……」
「あの、今後のことについてですが」
「はい」
「今は、あくまで一時的にお預かりする段階です」
「はい」
「でも私たちは、この先、千愛ちゃんと家族になる可能性があることも理解した上で、受け入れを決めました」
「……お願いします」
「ただ」
 橋本夫人は、静かに続けた。

「もしこれから先、深愛さんの気持ちが変わって。自分で千愛ちゃんを育てたいと思う日が来たなら」
「!」
「その気持ちも、大切にしてほしいです」
「でも……」
「今すぐ全部を決めなくていいんです」
「……」
「今は、千愛ちゃんの養育先として私たちがいる。それだけです」
 橋本夫人は、腕の中の千愛に目を落とした。

「この先のことは、まだ誰にもわかりません」
 そして、もう一度、深愛を見る。
「だから、その時その時で、一番千愛ちゃんのためになることを、一緒に考えていけたらと思っています」
「……はい」
 深愛は、小さく頷いた。

 そして。
 橋本夫人の腕の中で眠る千愛を見る。

「千愛」
 呼びかける。
「……いっぱい、愛してもらってね」

 千愛は眠ったまま、小さな手を握った。
 その手を見て。
 深愛は、泣きながら笑った。

  *